ハイボールとヘーゼルナッツ

 可愛らしい鈴の音が店内に響く。此処は僕の親友、星川那瑠の店『ユーモレスク』。木調の壁が落ち着いた雰囲気を醸し出している。

「よう、いらっしゃい」

「ああ、久し振り」

 那瑠はいつもと変わらない笑顔で僕を迎えてくれた。今日は日曜日、久し振りに美味しい珈琲を飲みたくなって此処に来た。桜も誘ったのだが先約があると言われたので一人である。店内は空調が効いていて涼しい。外は夏の入りで段々と暑くなってきていた。

「キャラメル・ラテをくれないか」

 カウンターに席を取り、メニューを眺めてから注文をした。那瑠は僕の言葉に少々驚いた顔をした。

「ウィンナコーヒーじゃないのか」

「ああ、今日は何だか生クリームの気分じゃなくてな」

「なるほどね、直ぐ出来るから待っててくれ」

 僕は頷いて、ふぅと溜息を吐く。何だかここ一週間の疲れがどっと出てしまったようだ。僕は母校、聖北高校の数学教師をしていて、今週は前期の期末考査だったのだ。部活動の指導は無いものの、質問に来る生徒が中間考査の時よりも多く、てんやわんやしてしまった。僕の未熟さが出た一週間になってしまった。

 大学を卒業してからあっという間に五年が経ち、その間に色々な事が起こった。那瑠の双子の弟、逹と空野葵が結婚して子供を出産し、那瑠は自分の店を立ち上げた。蓮はと言えば世界各国の企業を転々としているらしく、ここ何年か会っていない。

 那瑠は手際良くミルクを温めている。僕がぼうっとそれを眺めていると、那瑠がクスリと笑った。

「だいぶお疲れだな」

「ああ、そうかもしれない」

「あんまり無理するなよ」

「ありがとう」

 那瑠はミルクを注いでふんわりとしたそこにキャラメルソースをかける。シナモンパウダーを追加でかけてもらって出来上がり。

「おまちどおさま」

「ありがとう」

 キャラメルの好い匂いがする。那瑠はニッコリ笑って、ごゆっくりどうぞと言ってまた珈琲を淹れ始める。僕は熱い珈琲を啜ってホッと溜息を吐いた。

 今はランチの時間だ。那瑠がバイトの子に指導しているのをまたぼんやりと眺める。此処は聖北高校の近くにあるし、聖北大学の寮も近くにあるので学生が多く入る店だ。ランチメニューも珈琲も学生に優しい金額に設定してある。

「いらっしゃいませ」

 バイトの男の子の元気な声が響いた。那瑠が作業している手を止めて入り口側を見入るので、僕もつられてそちらを見た。

「よう、元気か那瑠」

 カウンターにつかつかと歩み寄って来たのは高校からの同級生で親友の橋本蓮だった。

「蓮、帰って来るなら連絡の一つでも寄越したらどうなんだ」

「悪い悪い」

 那瑠の言葉に蓮はあまり悪いとは思っていなさそうな声で答える。そして僕に気が付いたようで、おっと驚きの声を発した。

「璃音、元気してたか」

「ああ、お陰様でな。蓮こそ元気にしていたか」

 僕の隣に腰掛けて、蓮は白い歯を見せて笑った。その笑顔が懐かしい。

「俺は相変わらず風邪も病気もせずに元気さ。桜はどうしてる」

 蓮は那瑠にドッピオをくれと言って僕の方を見る。僕は苦笑して桜は昔から仕事の鬼さ、と答えた。蓮も笑った。蓮は那瑠から珈琲を受け取って一口飲む。ドッピオはエスプレッソが二杯分の濃さの珈琲で風味がよく香り高いが、甘党の僕には苦すぎて飲めない。蓮は昔から苦い珈琲が好きだったなと思い出した。

「最近はどうしてる」

 蓮は珈琲を飲みながら訊いて来る。

「最近はだいぶ教師って仕事にも慣れてきたよ」

「そうか、それは何よりだ」

 僕らは暫く近況について話し合った。那瑠も僕らの話に興味があるようで、珈琲を淹れながら会話に参加する。こうして二人と話せるなんて思っていなかったので僕はいつもよりも嬉しくて色々と話してしまった。普段あまり口数が多い方では無いので自分でも驚きだ。

「そうか、教師になって五年だもんな、そんなに経ったか」

「ああ、僕達が高校を卒業してもうすぐ九年だ」

「懐かしいな」

「ああ」

 暫く僕らの話題は高校時代の話になった。生徒会の話や、今でも聖北高校にいる真波先生の話など、話は尽きる事が無かった。気が付けば十四時を回っていた。僕は小腹が空いてきて、何か頼もうとメニューを手に取る。

「那瑠、俺にジンライムと軟骨の唐揚げ頂戴」

 蓮が僕より先に那瑠に声を掛けた。僕は蓮らしいなと思いながらも一応訊いてみる。

「昼間から飲むのか」

「ああ、せっかく璃音とも会えたし祝杯。璃音も飲もうぜ」

 僕はフフッと笑った。今日は歩いてここまで来ているし、夜も特に予定がある訳でもないので快く頷く。

「じゃあ僕はハイボールにナッツを」

「承りました」

 那瑠は苦笑しながら頷いてお酒を作る。直ぐに僕らの前にお酒が置かれて、蓮とグラスを合わせた。

「乾杯」

 僕らは暫く無言でグラスを傾けた。沈黙が僕らの間に流れたが、それも心地よく感じる位、僕らはお互いの事を知っている。僕はお酒があまり強い方ではないので、ゆっくりお酒を楽しんでいた。時折ナッツを分け合いながら、僕らはまた色んな話を始めた。那瑠もランチのお客が掃けたのを良い事に、自分用に珈琲を淹れてカウンター席に着き、僕らの話に加わって来る。

「それにしても、璃音、昼間から飲んでも大丈夫だったのか」

「ああ、少しなら平気さ」

「それなら良いが」

 那瑠が心配そうに訊いてくるので、心配ないよと答えた。那瑠も交えて僕らはまた話し合う。何だか大学時代に戻った様な雰囲気で僕は嬉しくなった。大学では僕らは違う学部だったので、昼休みや授業が終わってから等、時間を見つけては集まったものだ。

 僕がハイボールを半分くらい飲んだところで蓮はジンライムをおかわりした。相変わらずお酒に強いようだ。

「蓮、今日は泊まっていくのか」

「ああ、そのつもりだ」

「分かった」

 那瑠は苦笑して蓮を見る。僕も苦笑した。いつになったらこの二人は結婚するのだろう。桜が那瑠と蓮はいずれ結婚して欲しいですねと言っていたのを思い出した。暫くは結婚しないだろうが、二人は結婚する、そんな確信があった。

 僕はナッツを口に放る。炒ったアーモンドやカシューナッツが美味しい。

「璃音、顔。赤いぞ、本当に大丈夫か?」

 那瑠の言葉に僕は頷く。少しずつ飲んでいたのだが気が付けばグラスは空になっていた。

「無理するなよ」

 そう言って那瑠は水を持って来てくれる。僕はありがたくそれを頂戴して、一口飲んだ。

 僕は蓮の方を向いて問いかける。今日は日曜だが、明日からまた外国に行ってしまうのかもしれないと思ったのだ。

「蓮、もう外国には行かないのか?」

「ああ、だいぶあちこち行かせてもらったからな、明日からはこっちに居るつもりだ」

「それは良かった」

「良かったか?」

「ああ、那瑠が寂しくならないからな」

 那瑠が苦笑したのが見えた。珈琲を啜りながら笑ったので噎せている。

「大丈夫か」

 蓮が那瑠の背中を優しくさすった。大丈夫とジェスチャーして、那瑠は大きく溜息を吐く。

「私は寂しくないぞ」

 ちょっと蓮が寂しそうな顔をした。俺は寂しいけどな、とポツリと呟く。僕はそれを聞き逃さなかった。

「なんか言った?」

「いや、何でもない。那瑠、ジンライムとお茶漬け作って」

「はいはい」

 那瑠は立ち上がってカウンターから調理場に移動し、お酒とお茶漬けを作り始める。

「蓮、寂しいのか?」

「ん、ああ。俺は那瑠が好きだから」

 ふふっと笑う蓮の顔は物憂げだ。でも、と蓮は言葉を続ける。

「明日からここに居られるから、寂しくないな」

「同棲か」

「ああ、那瑠には言ってないし、これは俺の勝手だけどさ。那瑠は何も言わないと思うんだよね」

「そうか」

 僕は何だか嬉しくなって、蓮の背中をポンと優しく叩いた。蓮は嬉しそうだ。僕も嬉しい。これだけ一緒にいる仲だ、親友が嬉しい時に嬉しくない訳がない。ましてや二人は幼い頃、生まれた時から一緒にいるのだから、一緒になる喜びは僕には図り切れないだろう。

 僕はもう一杯ハイボールを貰った。心配そうな那瑠に大丈夫だと声をかけてグラスを受け取る。口の中で炭酸が弾けた。ヘーゼルナッツを口にする。これを何回か繰り返した所で、僕は眠たくなってきた。

「那瑠、水をもう一杯くれないか」

「はいよ」

 那瑠はお茶漬けを二杯分作って僕たちの前に置いた。

「璃音、お腹にナッツ以外入ってないだろう?私の奢りだ。食べてくれ」

「ありがとう」

 僕はそのお茶漬けを熱いうちに頬張る。蓮も熱い熱いと言いながら食べていた。

「ヘーゼルナッツ美味いな」

「ああ」

 蓮が僕の皿にひょいと手を伸ばしてヘーゼルナッツを食べる。僕もそうしてナッツを食べた。香ばしい風味が口いっぱいに広がる。

 那瑠は嬉しそうにこちらを見ていた。何だかくすぐったい気持ちになる。

「どうした?」

 僕は那瑠に問いかけた。那瑠はクスリと笑って答える。

「いや、何でもないよ」

 何でもないような顔ではなかったが、特に深追いはしない。蓮は相変わらずお酒を口にして、しきりに那瑠に声をかけている。そして那瑠に適当に受け流されていた。僕は不憫だなと思いながらも笑ってしまった。

「蓮、あんまり話しかけると仕事の邪魔になるぞ」

「それもそうか……」

 蓮はしょんぼりして溜息を吐く。僕らはまたお酒を飲みながら語り合った。

 気が付けば夕方の五時になっていた。段々と学生の姿は見えなくなり、飲み目的のお客がやってくる。那瑠はフライヤーを温め始めて、交代したバイトの子に今日の店の様子を伝えていた。この店は那瑠の集大成だ。いつからこの店を建てようと思っていたのかは分からないが、すっかり店長の顔である。

「いらっしゃいませー!」

 バイトの子の声が店内に響いた。僕は何気なく入り口を見る。そこにはスーツ姿の逹がいた。空いている席が無いかきょろきょろとしている逹に僕は手を振る。逹は嬉しそうにこちらに来た。

「璃音!久し振りじゃん!」

「ああ、久し振り、元気にしていたか?」

 逹は僕の隣に腰かけてウキウキとした表情で大きく頷く。

「お!蓮もいるじゃん!久し振り!」

「よう、久々」

 こうして男性三人が揃うのは滅多に無かったので、僕は益々嬉しくなった。今度は逹と近況を報告し合う。逹は飲み物にハイボールを頼み、キムチと炒飯を追加で注文した。那瑠は調理場で料理を作っているので、まだ逹が来た事に気が付いていない。バイトの大学生に那瑠は激を飛ばしながら、カウンター席のお客にナポリタンを持って来た。

「お!逹!久し振りじゃん、待ってな、今フード作るから」

「久し振り!ゆっくりで良いよ」

「サンキュ」

 那瑠は手際よくハイボールを作って逹の前に置き、また調理場に戻っていく。那瑠の姿に少々見とれて、僕は頭を振った。少し酔っているのかもしれない。

 僕はハイボールを一飲みして溜息を吐いた。蓮が大丈夫か?と声をかけてくれたので、何でもないよと答える。

「おまちどおさま」

 那瑠が逹の前にキムチと炒飯を持って来た。逹は嬉しそうにしてそれを食べ始める。オーダーが落ち着いたのか、那瑠はバイトの大学生に賄いを出して、自分には珈琲を淹れた。そしてカウンター内にある椅子に腰かけて、僕らの話に参加する。

「逹、今日は一人?」

「うん、特に約束もしてなくて、たまには那瑠の顔見たいなって思って」

「そうか、元気にしてる?仕事忙しくないか?」

 僕と蓮は双子が話しているのを見守りながらグラスを傾ける。

「うんうん、元気だよ。仕事はちょっち忙しい」

「そうか、無理するなよ」

「ありがとう」

 逹は早くもニコニコと笑い出した。相変わらず酒に弱いようだ。きっとこの後葵が迎えに来るだろう。容易に想像できた。僕はといえばナッツも無くなってしまい、ハイボールも飲み切ってしまったので、手持無沙汰である。蓮はガンガンお酒を注文し、那瑠に呆れられていた。

「まだ飲むのか」

「ああ、飲み足りない」

 ちゃんと払うよと蓮は付け加えるが、那瑠に当たり前だと一蹴されていて僕は笑ってしまう。僕ももう一杯頼もうかという時、着信音が鳴った。誰だろうと思って急いで携帯電話を見ると、桜からだった。

「もしもし桜、どうした?」

「璃音、まだ那瑠の所に居ますか?」

「ああ、蓮と逹も一緒だ」

「あら、そうなんですね。私用が終わったので合流しようと思っていたのですが、それなら私もそちらに向かいますね。今聖北高校の直ぐ傍です」

「分かった、気を付けて」

「ありがとうございます」

 僕が携帯電話をしまってふと視線を前に向けると、那瑠と目が合った。那瑠はニコニコとして言う。

「桜が来るのか?」

「ああ、直ぐに来る」

「今日は良い日だ」

 那瑠は小さくガッツポーズをして、珈琲を淹れる準備を始めた。きっと桜の為だろう。

 桜は数分と経たないうちに店にやってきた。迷わずこちらに歩み寄ってきて蓮の隣に腰かける。

「こんばんは皆さん」

「よう、桜。元気か」

「ええ、変わりなく。蓮も相変わらずのようで嬉しいです」

 桜はにっこり笑って、那瑠にアメリカンアイスコーヒーを注文した。那瑠は待ってましたと言わんばかりに、すかさず珈琲を出す。

「ありがとうございます」

 桜は出してもらった珈琲をストローで一飲みして、ふぅと溜息を吐いた。僕が大丈夫か?と声をかけると、ちょっと疲れただけですと返された。今日の用事が何だったのかは分からないが、だいぶお疲れのようだ。

「那瑠、ハイボールを一杯くれないか」

「はいよ」

 僕は那瑠にそう言ってメニュー表を眺める。そろそろ夕飯を取りたい所でもある。逹はすっかり酔ってしまっていて、ケラケラ笑いながら蓮と話をしている。

「蓮、今日ここに泊まるの?」

「ああ。そうさせてもらう」

「いいなあ、俺も久し振りに那瑠と一緒に寝たい」

 那瑠はクスクス笑う。逹と那瑠は高校まで一緒に寝ていたらしいから驚きだ。逹がどれだけシスコンか分かる。

「那瑠、私にモスコミュールと、何か食べ物……何がいいかしら」

「モスコか、だったらナッツが合うな。それでいいか?」

「ええ、それでお願いします」

 モスコミュールはウォッカベースにジンジャエールを加えてライムを絞った飲み物だ。つまみにはナッツやサラミなどが合う。

 僕は夕飯を食べたかったのでオムライスを頼んだ。那瑠は桜にナッツとお酒を出してから調理場に行く。今日は比較的店が空いているようで僕たちの他には数組いるだけだった。

「それにしても蓮とこうして会えるなんて嬉しいです」

「ああ、俺も皆の顔が見られて嬉しいよ」

「俺、葵呼ぶ」

「いいですね、皆で飲みましょう」

 逹は早速、葵に電話をかけると言って電話をし始めた。

「もしもし葵?うん、今那瑠の所にいるんだけど、蓮も桜さんも璃音もいるんだ。もし子供たち寝てるならおいでよ、うん、うん、分かった、気を付けて来てね」

 逹が電話を切ると桜がキラキラとした瞳で逹を見る。

「葵も来るのですか?」

「うん、子供ら寝てるからすぐに来るって」

「それは良かった。皆で集まれるなんて何年ぶりでしょう」

 桜がとても嬉しそうなので僕も嬉しい。那瑠がふわとろオムライスを持って来た。二人分だ。一つは僕の前に、もう一つは桜の前に。

「あら、那瑠、私にも良いのですか?」

「ああ、お腹空いてるところに酒は良くないからな」

「お気遣いありがとうございます」

 桜は、では遠慮なくと言ってスプーンを動かす。僕も冷めない内にと思ってオムライスを口にする。そうしている内に時間はゆったりと流れた。十数分した所でカランカランと鈴の音が鳴り、皆で入り口を見た。葵が嬉しそうにこちらにやって来る。

「皆久し振り~!」

「よう、いらっしゃい」

 那瑠は葵のためにカフェ・ラテを淹れ始めた。そしてバイトの大学生にテーブルの片付けを指示する。もう僕らの他にお客は居ない。片付けを済ませた彼に、那瑠はもう帰って大丈夫だよと声をかけて、自分が飲むであろうジンライムを作った。そしてバイトの子が帰ると、カーテンを閉めて入り口にクローズの札をかける。閉店時間まで数時間あった。貸し切り状態になった店舗。僕らは時計がてっぺんを指すまで飲んで語り合った。僕らはひと時の幸せな時間を共有したのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る