アザレアのせい


 ~ 八月八日(水) 五万八千七百八十 ~


   アザレアの花言葉 禁酒



「わりいな、閉店まで付き合わせて」

「いえいえ。おかげで回転ずしへ連れて行ってもらえるなんて、嬉しいのです」

「おお、たっぷり食っていいからな。もうちょっと待ってろ」


 駅前の個人経営ハンバーガーショップ、ワンコ・バーガー。

 その閉店後のテーブル。

 隣の席で一生懸命本とにらめっこをしているのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日はおさげにして。

 そこへ、ピンクに白い縁取りの、可愛いアザレアをたくさん挿しています。


「それ、宿題用?」

「そうなの」

「読書感想文か。去年は苦労したので、今年は真っ先に終わらせましたよ」


 思い出すなあ。

 あの海でのこと。


 青いピカピカ。

 穂咲と、おじさんとの思い出。


 そして帰ったあと。

 泣きながら書いた読書感想文。


「……違うの」

「え? 何が?」

「読書感想文じゃないの」


 こいつがいつものように。

 おかしなことを言いだしたので。


 テーブルに広げた本を立たせてタイトルを確認すると。



 『素手でヤギを捕まえる方法』



「…………なんなのさ、これ」

「自由研究で、本物のチーズを作りたいの」

「去年も言いましたよね。自由研究なんて宿題にありません」


 いや、ガーンではなく。

 あと、突っ込みたいことは山ほどあるのですが、まず最初に。



 ……この本、なに?



 得体の知れない本をしょんぼりと閉じている穂咲を見ていると。

 なんだか不安に感じてきます。


 君、高校二年生なのに。

 大丈夫?


 こいつのいい所は、誰にでも心底優しいことで。

 そして、認めたくはないのですけど。

 俺よりも大人なものの考え方をするところなのですが。


 この、みょうちくりんな感性だけは。


 どうしようもなく俺を不安にさせるのです。



 ため息と共にアイスコーヒーを一口すすると。

 再び、厨房の方からカンナさんの声が聞こえました。


「しっかし今日も忙しかったな! 学校分の売り上げもねえのに、しかも八月だってのに、大したもんだ!」

「売り上げ、毎日増えてますよね。忙しいけど、ほんとに良かったです」

「来月からはもっと上がるぜ! お前らの他にもバイト雇わないとな!」


 そして、意外にも上手なカンナさんの鼻歌が始まったので。

 俺は穂咲に話しかけます。


「お客さん、お花屋さんも増えてるのですよね?」

「そうみたいなの」

「これで貧乏生活から脱出ですね。良かったのです」

「……あんま、良くないの」

「え?」


 寂しそうに目を伏せる穂咲のまつげが。

 ふるふると、震えている様子を見つめているうちに。


 俺は、ようやくこいつの言いたいことが分かりました。



 ――穂咲の気持ち。


 一年生最後の時。

 お金がないことがきっかけで、転校を決意したこいつとしては。

 おばさんと一緒にいることが何よりも大切なのです。


 アニメやドラマでよく見かけますが。

 お金持ちの家に生まれた子供が、忙しいご両親と一緒にいられなくて寂しい思いをするというあれ。


 親というものは。

 なんで子供の気持ちを分かってくれないのでしょうか。


「そうですよね。貧乏でもいいから、そばにいて欲しいですよね」

「そうなの。毎日モヤシ炒めでもいいから、一緒にご飯食べたいの」


 今日も、おばさんは遠くへ配達へ出かけていて。

 それを聞いたカンナさんがご馳走して下さることになったのですけれど。


 ……おじさんも、過労が災いして遠くへ行ってしまったと聞いていますし。

 おばさんも、過労で倒れて以来、よく病院に行っているし。


「穂咲のとこばかりじゃなくて、一般的な話なのですが」

「うん」

「親というものは、自分勝手だと思うのです」


 子供の気持ちなんて、ちょっと考えれば分かるでしょうに。

 それでも仕事を取って、体まで壊して。


「……子供に悲しい思いをさせるなんて、本末転倒なのです」


 いつからでしょう、耳を叩くほどに響いていたセミの音が止んでいて。

 耳鳴りだけがしじまを満たす、そんな俺たちの肩に。


 柔らかくてほっとする暖かさが。

 ぽんと置かれました。


「まあ、あれだ。子供を持つまで、親の心はぜってえ分からねえって」

「そうなのでしょうか。……自分だって、子供だったことがあるでしょうに」

「……寂しいの」


 なんだか、急に悲しくなった俺たちの頭を。

 くしゃっと撫でたカンナさんは。


「…………そうだな。禁酒しよう」

「は? ……どうしてそんな話に?」


 急に、変なことを言い出したのですが。

 いつもと違って、大人びた、優しい笑顔を浮かべると。

 静かに椅子に腰かけて、ちょっと照れくさそうに語るのです。


「あたし、子供欲しいからな。今のうちにしっかりカネを溜めて、無茶な仕事をしないで済むようにしようって決めたんだ。……お前ら、大事なことを教えてくれてありがとうな」


 そう言いながら、頭を下げるものですから。

 俺は何だか急に恥ずかしくなってしまいました。


「そ、そのためには、このお店をもっと大きくしないとですね」

「そりゃあちげえよ、大きけりゃいいってもんじゃねえ。その辺りも勉強しとけ。お前だって、目玉焼き屋の経営者になるわけだし」


 急にニヤニヤしながらおかしなことを言い出すカンナさんですが。


「それは穂咲の夢ですよ。俺じゃないです」

「バカだな。こいつが経営なんかできると思うのか? お前以外に誰が面倒見るんだよ」

「ほんとそうなの」

「おいこら」


 なんで俺が仕事しながらお前のお店の面倒見なきゃいけないのさ。


 そんな勝手なことを言い出す穂咲の頭を。

 笑いながらぽんぽんと叩いたカンナさん。


 椅子を鳴らして照明を落としに行こうとするので。

 俺たちは慌てて外へ出ました。



 ――見上げれば、空を横切る天の川。

 たなびく川に浮かぶのは、色とりどりのコンペイトウ。

 そこから二つぶだけ摘まもうと、手を伸ばしてみたら。


 お隣りから、くすくすと笑い声が聞こえてきました。


「それ、売り物にするの?」

「君の目玉焼きだけじゃ、お店がすぐに潰れそうですので」

「じゃあ、毎日取って来るの。それで、ママとあたしに楽させて欲しいの」

「…………俺が楽じゃありませんが?」


 口を尖らせながら振り返ると。


 月明りのスポットライトを浴びた女優さんが。

 優しく俺だけに微笑んでいたのでした。




 …………ずるいや。


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