サギソウのせい
~ 七月二十五日(水) 四千飛び三十 ~
サギソウの花言葉 名伯楽
昨日、いそいそと持って帰ったチーズケーキは。
急ぎの仕事のせいで、午前様になってしまったおばさんと一緒に食べることが出来なかったようで。
この季節のノビルのように。
朝からしょんぼりとしている
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は手入れもせずにぼさぼさなまま家から出てきたので。
どうせ暇な店内で。
ちょっと時間をかけて、ハーフアップに結いあげて。
お店から持って来たサギソウを挿してあげました。
すぐれた資質を持った人を見抜く力のある人物。
『
「道久君は、ママの次に才能があるの」
などと言う穂咲ですが。
その落胆ぶりが癒えるはずもなく。
気分転換にもなるだろうと。
カンナさんに命じられて、敵情視察へ出かけて一時間。
……現金にも。
これでもかと言わんばかりの笑顔を引っ提げて帰ってきました。
「美味しいの、ライバル・バーガーのてりやきソース。ケチャップもコクがあって良い感じ」
「そうなのですね。でも、両手に持ったハンバーガーに交互にかじりつくのはやめなさい」
しかも、口の周りがソースでべちょべちょ。
今朝沸き上がった保護欲が。
霧消するには十分なブサイクさん。
ただ、唯一の美点と言いましょうか。
精巧な鳥の細工のようなサギソウに目を丸くさせた方が数人。
穂咲の後を追ってご入店下さったのです。
「さすが。歩く広告塔なのです」
「まあな……。でも、根本的な解決にはならねえな……」
せっかく売上があったというのに。
カンナさんはここしばらくの心労で、覇気もないご様子。
珍しく、肩を落としていらっしゃいます。
「ここんとこ、売上数千円なんだぞ? どうしたらいいんだ……」
「確かに。四千円くらいですよね、毎日」
俺たちの給料も心配ですけど。
それ以上に、ワンコ・バーガーが潰れてしまう方が遥かに大変なのです。
「ライバル・バーガーの様子はどうでしたか?」
「超満員だったの。店員さんも綺麗で可愛くて、ピカピカだったの」
「はあ、ピカピカでしたか。それにひきかえ、こちらはべちょべちょですね」
俺が紙ナプキンを束で渡してあげても。
こいつは受け取ろうともせず。
何かを思い出したような顔をして、ポケットへ手を突っ込みます。
「ピカピカで思い出したの。金色のピカピカ、アルバムで見つけたの」
「いいから、君は口の周りを拭きなさいよ」
「そんなの後なの。これが何か教えて欲しいの」
「これって? …………こ、これは!」
無理やり押し付けられた一枚の写真。
それを見るなり、俺は激しい衝撃を受けて。
胸の中に、一つの感情が沸き上がりました。
「分かるわけねえだろ! なんですか、このピンボケの黄色い写真は!」
何となく濃淡のある真っ黄色。
そんなもので塗り固められた写真を渡されましても。
「どこで撮った写真なのさ!」
「道久君じゃあるまいし、そんなの分かるわけないの」
「どの道久君なら分るのです? 少なくともここにいる道久君には分かりません」
もっとも。
世界中の、どの道久君にだって分からないと思いますけどね。
「……あと、真ん中が赤いって言ってなかった?」
「そんなの見たこと無いの。だから写真に残ってるわけ無いの」
この人。
偉そうにふんぞり返っておりますが。
言ってることがめちゃくちゃなのです。
でも、文句を言おうとしたところにお客様がいらっしゃったので。
俺は仕方なく穂咲を捨て置き。
硬い作り笑顔を自覚しながらレジを打ちました。
「ありがとうございました。……ふう。これで今の所、三千円を超えましたが」
「ダメだ……。まじでこの店、やべえかもしれねえ……」
「ヤバいの? ねえカンナさん、一日いくらくらい稼がないといけないの?」
「三万ってとこだな。最悪の最悪、一万売れないと不渡り出しちまう。…………なにやってんだよバカ穂咲」
「売りあげてるの。三万円分」
そう言いながら。
勝手にレジのバーコード読み取り機で。
ぴっぴとメニューを撫でていますけど。
「子供のお店やさんごっこじゃないんですから。やめなさいな」
「あ、失敗したの。ぴったり三万円目指してたのに、二十円超えちゃったの」
「レシートが無駄になるので、キャンセル操作してくださいよ?」
「バーコードってやつのせいなの。これじゃ数字がわかりゃしないの」
なにやら不服だったらしい暇人は。
やたらと凝ったデザインで、『3万円』と紙に書いておりますが。
「何やってるの?」
「ここの真ん中んとこだけ、バーコードっぽくしてみたの。これでぴったり三万円になるはずなの」
穂咲が指を差す部分。
塗りつぶしをわざと歯抜けにして、確かにバーコードっぽくなってますけど。
データとして登録してないコードを読み取れるはずはありませんし。
それに、適当に書いたってバーコードとしてすら認められるはずが……。
ぴっ
「ウソ!? 読めたの???」
「当然なの。ちゃんとレジにも三万円って…………? ひやああああああっ!」
目を見開いて、尻餅をついた穂咲が。
震える手で液晶パネルを指差したので。
それにつられて、表示された数字を見てみると……。
「十万、百万、……三億円!?」
「たたた、大変なことになったの! これで向こう三十年遊んで暮らせるの!」
びっくりし過ぎて。
つい穂咲と手を取り合って小躍りしていたら。
カンナさんからチョップされました。
「バカ言ってねえで、秋山は客寄せだ! 外に立ってろ! バカ穂咲はさっきの要領でお客を釣って来い!」
あまりの剣幕に、穂咲は慌てて外へ駆け出して行きましたが。
「……あいつ! カンナさん大変です! 穂咲、口の周りべちょべちょにしたまま行きました!」
「そんなこたあどうでもいい! お前も汗でべちょべちょになってこい!」
「ひええええ!」
いつもの冷静さはどこへやら。
腰を抜かして尻餅をつく俺に無茶な命令をしたカンナさん。
だんっとテーブルを叩くと。
バーコードリーダーが飛び跳ねて。
俺の頭にこつんと落ちてきました。
ぴっ
「…………五円って表示されてますけど。どういう意味でしょう?」
「いいからグダグダ言わずに、お客様とのご縁をもぎ取ってこい!」
「ひええええ!」
こうして俺は。
べちょべちょになりながら一日中客寄せをすることになりました。
……でもほんと、このままでは大変なのです。
…………あと。
俺が五円って。
どういう事でしょう。
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