ギボウシのせい
~ 七月二十三日(月) 五千二百 ~
ギボウシの花言葉 沈静
夏。
服装ばかりでなく。
心までペラペラのカットソーいち枚きりというほど無防備になる季節。
恋の始まり。
ひと夏の体験。
世の中には、そんなアバンチュールが起こる予感に浮かれる人種と。
……そんな皆から。
俺だけ取り残されてしまうのではないかと焦る人種とがいるわけで。
その、後者とするならこの上ないサンプルである俺、
アバンチュールなどという単語と対極にぺたんこ座りするこいつのせいで。
夏休みだというのに。
恋に現を抜かす間も与えられず。
休みなく働かされております。
――好きなのか、はたまた嫌いなのか。
考えるのをやめた女の子。
駅前の個人経営ハンバーガーショップ、ワンコ・バーガー。
その二台のレジで。
隣に立っている女の子。
こいつの名前は、
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、つむじの辺りでお団子にして。
そこにドレスの裾のような、綺麗なフォルムの真っ白なお花。
ギボウシをひと房活けています。
夏になって、ちょっと大人っぽくなったけど。
ギボウシのお花も、実に色っぽいですけど。
……頭に揺れるお花が。
やっぱりバカみたいに思えてなりません。
「……道久君。あたしの事ばっかり見てないで、お仕事するの」
「見てません。あと、お仕事がありません」
この店を代表する固定客層。
おばあちゃんたちも、今年の暑さで出かけるのも辛いらしくて。
この辺、飲食少ないのに。
店内には、朝から一人のお客様もいらっしゃっておりません。
「……カンナさん。これ、まずくないですか?」
「マズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイ」
ああ、そうでした。
この人、昨日からこの調子だったのでした。
昨日オープンしたばかりのショッピングセンター。
ここから歩いて一分とかからない所に出来た大きな建物の中に。
まずいことに飲食店が。
そして最悪なことに、ハンバーガー屋が出来たのです。
「まあ、そうは言ってもここの味に勝てるとは思えませんが」
「そうなんだよ。長い目で見たら、パイが増えた分売上は上がると思うんだけど」
そんなことを言いながら。
キッチンから店長さんが話に混ざります。
難しいことは分かりませんが。
この店長さんがそう言うなら。
「……やっぱり不安になってきました」
「ええええ!? そりゃないよ秋山君!」
「いや、秋山の言う通りだ。何とかしないとマズイマズイマズイマズイマズイマズイマズイ」
うーん、俺も、何かアイデア出さないと。
などと首をひねったところで。
俺にアイデアなど出せるはずもなく。
ここは不本意ですが。
こいつに頼るしかなさそうです。
「穂咲。また新作とか作れない?」
「すでにカンナさんに言われて三つほど作ってみたの。イタリア風、フランス風、ロシア風バーガー」
「へえ! そんなハンバーガーを?」
「でもどういう訳か、全部梅干しのような味になったの」
「…………へえ。そんなハンバーガーを」
美味しくなさそうなのです。
なんという黒魔術の使い手。
……よし。
いざとなったらこいつをサーカスへ売り飛ばしましょう。
「まるで駅向こうの、焼鳥屋さんみたいなお味になっちゃうの」
「たまに晩御飯のおかずに買って来るとこのやつ? 梅干しってこと無いでしょう。美味しいのです」
「ぼくもたまに行くけど、美味しいよねあそこ。五十年だか、秘伝のタレを継ぎ足し継ぎ足し使ってるらしいよ?」
「だからすっぱくなるの。きっと傷んでるの」
「君は全世界の継ぎ足し継ぎ足しに謝りなさい」
俺の呆れ顔に対して、得意技のきょとーんで応戦してきますけど。
君の大好きなウナギのかば焼きだって同じ手法なとこばかりですよ?
ウナギのかば焼きが梅干し味になったら大変です。
一品なのに食べ合わせが悪いという矛盾がこの世に生まれます。
「…………それだ!」
「え? 食べ合わせ?」
「何の話だよ。熟成物ってのはいい売り文句になるかもしれねえ!」
「さすがカンナ君。エイジドビーフとか使ってみようか」
「いやいや、原価を上げる訳にゃいかねえだろ。ここは、ちょいと盛ってみるってのはどうだ?」
「ウソはダメだよ!」
店長さんは慌てていますけど。
目がお金マークになったカンナさんを止められる者などこの世にいやしません。
「えいじどびーふってどんななの?」
「ええとですね、何か月か熟成させたお肉は美味しくなるらしいのですよ」
「……梅干し味になっちゃうの」
「ならないのです。傷まないようにする手法があるのです」
「冷凍庫に入れっぱなし?」
「…………よく知らないのです」
俺にも理解できていないものが。
こいつに分かるはずもなく。
首を九十度ほど曲げたまま。
さっぱり分かりませんを表現しているのですが。
「ようしバカ穂咲! 盛り盛り作戦発動! 店のドアを開けて宣伝して来い!」
「なんだか分からないけど、任せておくの」
穂咲は胸をぽふんと叩くと。
颯爽とレジから飛び出して。
そして自動ドアが開くなり。
町中に響き渡るほどの大声で宣伝文句を叫びました。
「ワンコ・バーガーのお肉は! 三か月前のお肉なのーーー!」
……ちょうどお店に入ろうとしていた二組のお客さんが。
慌てて逃げ出していきました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます