第2話 ボタン 山 新人 

「私は誰が誰に殺されるのか分かるのでございます」


 それは先週の土の日の出来事であった。食事中のリーゼロッテにイヴァンは思い切って、どうして自分があなたを殺せるに足る人材だと思ったのかその根拠を訊き、それに対する返答がその言葉だったのである。

 殺し殺される関係にある二人が水晶などの媒体に映し出されるのだろうかと彼は思ったけれど、話を聞いていくうちのその想像が誤っていたことを知る。


「貴方様は運命を何かに例えなければならないとなりましたら、いったい何に例えようと思われますか?」

「運命ですか――?」

「はい。運命にございます」


 彼は突然のことにオウム返しをしてしまったが、迅速にその動揺を押し殺し、以前から答を用意していた風に他とは一味違う上手い答えを言おうとして、記憶を辿った。


「えっと。では、糸なんてどうでしょう。それこそ、運命の赤い糸なんていいますし」


 我ながら上手いこと言えたのではないかと思う彼であったが、その答は大多数の人が運命から連想するものであり、一味違うどころか手垢にまみれた味しかしない。しかし、リーゼロッテが求めていたのはまさにその答であったらしく、満足そうに頷く。


「ええ、そうでございます。そう、運命の赤い糸なのです。誰も彼もほどくことができず、ただただその強制力に従うしかないのでございます。そして私の左目は運命を特に死の運命を可視化できるのでございます」

 彼が彼女を殺す存在であるという根拠と、死を予言できることの裏が取れた。魔女はその左目をもって自分の心臓に繋がっている赤い糸を探し出したのである。


「で、では。教えてください。ボクはどのようにしてあなたを殺すのですか? いつ、何歳の時に?」

「ごめんなさい。そんなに詳しくは分からないのでございます。私が分かるのは誰

が誰を殺し、誰に誰が殺されるのかこれだけなのでございます。そして、アナタの右人差し指からのびる赤い糸は私の心臓をしっかりと握っているのです。ゆえに、私を殺すのは貴方様に違いないのです!」


 彼女はそう言って心底嬉しそうに笑った。

 自分が死ぬと言うことが分かっているのに、どうして笑えるのか。彼には皆目見当もつかなかった。


あれから数日が経ち、水の日になった。久しぶりに街に戻った日からもう一週間が経っていた。彼はそんな時期に現在指から流れる血を恨めしそうに眺めていた。

 流血している左手を舐めながら、針を持った右手は所在なげに空を漂っている。

 彼にとって裁縫はまるで未知の領域であった。路地裏で生活しているときはボロ雑巾のような衣に身を包むか、酷いときにはマントの下が全裸であるという、変質者めいた格好をしていたのだ。捨てるのに躊躇はなかったし、その気になって探せば代わりのものを補充することは容易かったのだ。


 しかし、屋敷に住むにあたってそんなみすぼらしい格好はいかがなものかと思い、魔女に頼んで執事服を買ってもらい、この屋敷に奉仕することに決めた。それが先々週のはなしである。

 そんなわけで現在彼は家の主人(だと彼が勝手に思っている)リーゼロッテの服を裁縫していた。黒い彼女のマントは今まで一度も手入れされた形跡がなく、非常に痛んでいた。間違っても屋敷の主人が着ていていい物ではない。

 そう思ったからこそ、慣れない裁縫に恐る恐る挑んでみたのだが、結果は火を見るよりも明らかで、黒いマントに赤い斑点が生じかけた。


 しかし、その程度でくじけることなく、粘り強くほつれを修復すること一時間。ようやく形になったそれを見て彼は多大なる満足感に満ちあふれた。今までの苦痛を全て吐き出すように溜息をする。自然と笑みがこぼれる。


 はずだった。


 ――ポト。という音と供に彼の中にあった充足感は、さながら引き潮のように消失していった。恐る恐るその音のしたところに目を向けると、ボタンが一つ落ちている。冷や汗が頬を伝い床に落ちていった。

 けれども、まだ焦るような展開ではない。今直すべきはボタンなのだから。断言するが、服全体のほつれや穴を修繕するよりは圧倒的に簡単である。それは、最小初心者であるイヴァン少年でさえ分かることであり、では早く直そうと裁縫箱を開けるのだが。


 そこには糸が存在していなかった。


 確かに糸くず自体は存在するのだが、でもそれがたくさんあったところで何になろう。裁縫に通じている人ならもしかしたら、解決策を保有しているのかもしれないが、しかし、毛も生えぬ正真正銘素人である彼にそんな裏技めいたことができるはずもない。

 これでは、ただただ魔女の服を破損してしまっただけではないか。

 その思いは彼は自分をどんどん追い詰めていった。

 正直に理由を言って糸を買いに行く。それが最善であることは誰の目からも明らかである。怒られはしても、誠意を見せることで後腐れなく事が終わるに違いない。

 

 だが、彼はその選択肢を捨てた。

 

 自分がこの屋敷の主人であることを忘れている、もしくは、認め切れていない状態の彼にとって一度の失敗は使用人である自分の首に直結するように思われたのだ。今はいいかもしれないが、いずれ彼では自分を殺せないと彼女が確信してしまった時、この一度の失敗は間違いなく彼の首を絞めるに決まっている。

 そんなメンタルで正常な判断を下せるだろうか。否、下せるわけがない。

 彼は魔女に食糧を買いに行くと嘘を吐いて、街へ行き、そこでこっそり糸を購入してくることに決めた。先週、報酬と言われ、半ば強引に持たされた大金をもってすれば、糸など買うのは造作もないことである。

 彼は食糧が尽きかけてることを理由に、彼女に断ってから『塔の街』へ出かけた。


 一週間ぶりの塔の街は以前と変わらず、盛況を博していたと描写しておきたいところであるが、露天が微妙に少ないことに気がついた。連日ならば、リーゼロッテの花畑さながらに所狭しと並んでいるのだが、今日は歯抜けてしまったかのように何時もより余裕があった。

 アリバイ工作を行うためにも、食糧をいくつか購入した彼は現在、街がどうなっているのか気にはなっているが、しかし、先に糸を購入しておこうと判断して、街を探し回った。

 しかし、人生山あり谷ありというのだろうか。さい先よく食材を購入できたのに対し、糸の方はすでに街を二周してしまったのに店が一向に見つからないのである。流石に三周目に突入する気力もそがれた彼は、途方に暮れた足取りで街を後にしようとして、見知った顔を発見した。


「あれ、刀さんじゃないですか。いったいどうしたんですか?」

「ん。お。坊主じゃねえか。ちょっと旅の準備にな」


 見れば刀の周りには数人の傭兵がいた。傭兵と彼が漠然と断じたのは、刀さんがよく新人の傭兵に技術を教えたりする運動をしていたからである。その運動の一環としてどこかに赴くのだろうと思った。

 戦友を失ったばかりだというに、早くも何処かに赴かんとするその姿勢からは、あの時の憂いを感じ取ることはできない。どうやらあの後で、立ち直ったらしかった。


「今回はどこに行くんですか? まさか北の方へ行くわけではないでしょうけれど」

「まあ、流石にあそこは混乱を極めているから行くわきゃねえよ。むしろオレ達が行くのは南だな」


 南と言えば、確か年中通して湿度が高いという気候を活かした養蚕の盛んな土地であり、この街で売られる絹糸の殆どがそこから来ている。


「何かあったんですか? 街に糸を取り扱っている露天がなかったんですけど」

「ああ、少しな。どういうわけか商人が来ねえんだ。北の戦況は混沌としてきてるし、いつか南も巻き込まれるだろうが、それは間違っても今じゃねえはずなんだ。このまま糸が市場に出回らなければ生活に支障が出ちまう。だから、今から俺達で直接南に行っていくらか糸を買ってこようというわけだ」


「南の何という所までいくのですか?」

「『離れの村』って言う所なんだが、聞いたことはあるか?」


 イヴァンが首を振ると刀は詳しく教えてくれた。


「あそこは、南の地方で最もここに近いところにあるんだ。とは言っても、何度か小さい山を登るから一週間くらいかかっちまうが。で、離れの村と言われているのは、そこに住んでいる人達が、新人だったことに由来するらしい」


 新人――この文脈では、最大宗教であるスクルド教の信者でかつ、自らの過去の罪過を償うべく信仰生活に入った人々のことを指している。

 罪を認めることはともすれば美談に見えるかもしれないが、裏を返すと認めざるを得ない程大きな過ちを犯したということでもあり、その村は他の地域と隔絶された。

 刀の話をまとめるとそういう話であった。


「どうだい? 坊主も行くか?」

「あー。流石に遠慮しておきます」


 今の説明のどこに生きたいと思わせるような部分があったのか、彼にははなはだ疑問であった。刀も刀でそうなることは百も承知らしく、大きく笑いながら、二週間後に帰ってくるから買いに来いと言った。


 こうして、彼は行かないという決断を下した。この結論は半分正解であり、半分失敗であったことをここで明らかにしておこう。この意味は来週の水の日に彼以外の視点から明らかになるのだが、今はここで話を打ち切っておこう。



 ともあれ。結局、ボタンを買うことができず、さらに一日を街で無為に過ごすことですっかり頭が冷えてしまったイヴァンはその夜、屋敷に戻るや否や彼女の微妙に壊れてしまったマントを見せながら謝った。


「? 別に壊れていないようですけれど?」

「え? でも、そこのボタン取れてしまいましたし……」

「ボタンは取れてしまう物ですよ? それこそ、ここのボタンはもう数個取れてしまっておりますし。今更一つや二つあまり気にすることではございません」


 そう言うと、彼女は彼の持っていたマントを羽織はおったのだった。


 彼は頭を下げているため、見ることが叶わなかったがそこにはボタンのような微笑みが咲いていたという。もちろん、彼が顔を上げるや否やその表情は虚空に消えてしまったけれど。

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