第13話 深謀
明け方、尿意で目が覚めた光太郎は蔵を出ると、事前に聞いていたとおりに母屋に向かう。
母屋の裏口の横にある小屋の戸を開けて入るとツンというアンモニア臭がした。
小便器はなく壁の手前に溝があり、その手前が一段高くなっている。
古い造りの公衆トイレと同様の構造らしい。
用を足して小屋を出ると壁に小さな流しが設置されていた。
蛇口をひねると水が出る。
光太郎はそれで手を洗った。
蔵から持ち出した布で手を拭く。
ゆっくりと歩いて蔵に戻りながら光太郎は首を傾げた。
蛇口を捻れば水が出る。
当たり前のように感じるが、高度な技術が必要なはずだった。
どうもチグハグなところがある。
しかし、光太郎の疑問は長続きしない。
いつ死ぬか分からぬ生活をしていたために、なるようにしかならないと何事もそのまま受け止める癖がついていた。
さて、これからどうしようか?
もうひと眠りするには完全に頭が覚醒してしまっている。
久しぶりにアルコールを摂取したために体がだるい気がした。
ひとつ体を動かしてみるかと考える。
頭の中で自然と音楽に続いてナレーションが流れた。
「腕を回して大きく背伸びの運動から……」
光太郎は庭でラジオ体操を始める。
その横に朝日を浴びた無骨な鎧が控えているという大変シュールな姿ではあったがラジオ体操に間違いはなかった。
光太郎が体を動かしても痛みは無いし、熱も出てこない。
少し息が上がったが、真面目にやるとラジオ体操は結構運動量があるのでそれは当然と言えた。
すっかり健康を取り戻しているらしい様子に光太郎はしみじみと感動を覚えている。
その様子を障子の陰から観察しながらアキトは腹心と声を潜めて会話をしていた。
「あれは何をしているんだ?」
「見ての通り体操をしているんだと思いますが」
「朝起きてすぐにすることか?」
「こうやって拝見するに理にかなった動きとは思います。若さを持て余して発散しようとしているのでは?」
「しかし、昨夜は世話を断ったのだろう?」
「はい。当家で養っているものの中から若く健康で魅力的な者2名を選んで風呂の世話を申し出させましたが、言下に断られました」
「欲望を制御できるとは見た目によらず強かなのかもしれないな」
「それではいかがなさいます? あの鎧、コータロー殿しか扱えないことは分かりました」
「コージやサチが言ったことに間違いはないのだろうが、鎧の実力を直接目にしたいものだな」
「でしたら、差し出がましいことを申し上げますが、お嬢様と仮祝言ということにされましては? ゴウタ殿が戻られれば……」
「あの猪武者ならばキョーコの夫にどちらが相応しいかを賭けてコータロー殿に勝負を挑むことは間違いないな」
「左様にございます」
「しかし、もしそれで万が一にもゴウタが勝ちでもしたら面倒ではないか?」
「あくまで当人同士が勝手にやったこと、当家のあずかり知らぬことと言えます」
「なるほどな」
アキトにはナツヒコという名の兄がおり、ナツヒコがこのトーキョーの町の代表を務めている。
ナツヒコが軍事面、アキトが行政面を担当して協力して治めていた。
ゴウタはナツヒコの部下で戦いにおいては強悍無比である。
宿敵ともいえる蟲人とのぶつかり合いでも数多くを倒していた。
ただ、自らの強さを恃みとするあまり傲岸不遜で、日常においても乱暴な言動が多い。
酒癖も悪く酔うと無駄に暴力を振るった。
女性や子供に対しても容赦ないため、恐れられ嫌われている。
ゴウタを忌み嫌っているのはキョーコも例外ではなかった。
癒しの巫女を務め美しいキョーコは若い男たちのあこがれの的であったが、ゴウタもキョーコに対しての恋慕を隠そうとはしていない。
夫に相応しいのは自分しかないと自惚れている節もあった。
正式に嫁に欲しいと申し出があればアキトは判断を迫られることになる。
あのような男の妻となれば不幸としか言いようがない。
この町の安寧のためとはいえ、一人の親としても嫁に出すのは忍び難かったし、姻族となることでゴウタの悪評の巻き添えになるのも避けたかった。
今まではその武を惜しみ手を下すことはできなかったが、光太郎がゴウタより強いということであれば気に掛ける必要はなくなる。
癒しの巫女の夫候補として光太郎が余所者ということはマイナスだったが、ゴウタよりはマシということで納得が得られそうだった。
「ナツヒコが戻るのは早くて3日後か。ならばそれまでに仮祝言を上げることができるな」
「少々急ですが、明日には準備が整うかと。今この町にいる者は多くがコータロー殿に恩があります。表立っての反対は出ないでしょう」
「分かった。では急ぎ準備を整えよ」
「畏まりましてございます。とりあえずコータロー殿の朝の身支度の手伝いをするように命じて参ります」
「分かった。キョーコにも朝の務めが終わったら、コータロー殿との朝食に同席するように伝えよ。私も一緒に取る」
「もう、そこまでされますか?」
「当り前だ。未来の婿殿なのだからな。屋敷内の者には今のうちから分からせておいた方がいい。あくまで外見上そう見えるという形でな」
「御意」
腹心は窓辺から離れると慌ただしく部屋を出ていく。
それを背後に感じとりながらアキトは光太郎の体を動かすさまをじっと見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます