第8話 じれったい会話
ぐるりと建物を回って庭を通り抜けて縁側に案内された光太郎はそこでまた躊躇することになる。
1つは裸足のまま歩いていたことでくるぶしぐらいまでが土だらけになっていたことだった。
その点については若い女性が直径30センチぐらいのたらいにぬるま湯と雑巾を持ってきたので解決する。
若い女性と共にやってきた中年男性が庭の地面の上にいくつか蚊遣りを置いていき、独特な香りを周囲に振りまいた。
若い女性が片膝を地面について足を洗おうとする。
光太郎はそれを全力で辞退した。
2点目の問題点でもあるのだが、光太郎の服の裾が極めて短い。
縁側に腰掛けて足を差し出そうものなら、間違いなく丸見えであった。
若い女性はお手伝いさんかなにかなのか、任務を遂行しようと頑張ったが、キョーコが横から口添えした。
「コータロー様がいいと仰っています。たらいと雑巾をそこに置いておけばいいわ」
一瞬だけ視線が下がったので光太郎が何を気にしているかどうも分かっているらしい。
光太郎は体が熱くなった。
若い女性は沓脱石の上にたらいを置き、雑巾を縁側の端に置いて少し離れた場所に下がる。
光太郎は縁側に腰を降ろすとたらいの中に両足を入れた。
体を曲げて足の裏を手で洗う。
雑巾で手の水気を拭うと足の裏もふきとった。
両手で突っ張り腰を浮かせると少し横にずれる。
若い女性がたらいを持って去った。
光太郎から50センチほど離れたところの縁側にキョーコも腰を降ろす。
2人に向かい合うように漆黒の鎧が佇立していた。
かがり火に照らされて赤く照り映えている。
奥の方からやってきた先ほどとは別の女性が、お盆に乗せたものを2人の間に置いた。
おしぼりと煎茶と羊羹に見えるものがお盆の上に乗っている。
羊羹の横には黒文字が添えられていた。
「こんなところですが、粗茶をどうぞ」
光太郎は手を拭くとキョーコに勧められて煎茶を口にする。
考えてみれば目が覚めてから始めての水分摂取だった。
ごくりと飲むとほっとする。
両親が好んだので令和の時代に珍しく臼杵家には急須で淹れたお茶を飲む習慣があった。
黒文字で突き刺して羊羹を口にするとねっとりと甘い。
光太郎はふと自分の治療が上手くいって姪の祥子とお茶を飲んでいるのではないかという幻想に囚われた。
ふと空を見上げると正面に米粒ほどの明るい天体が浮かんでいるのが見える。
光太郎には見慣れない星だった。
このことでこの場所が地球ではないという可能性が高いということに思いいたる。
今までもそうなんじゃないかと疑っていたが、天秤の秤は地球ではないという方に大きく傾いた。
「えーと」
「あの……」
光太郎が口を開くと同時にキョーコも声を出す。
「あ、キョーコさん、お先に」
「口を挟んでしまってすいません。コータロー様こそ、お先に」
「いえ、私のは大した話ではないので」
「コータロー様のお話を伺いたいですわ」
2人はお互いに譲り合った。
その合間にお互いの目が合ったりすると頬を染めて顔を伏せる。
恋愛に関して奥手同士が、事情があって断り切れずに参加したお見合いのようであった。
光太郎は大学に入るまでは勉強一筋だったし、その後は闘病生活で恋愛どころではない。
もう一方のキョーコも有力者の娘であり、自由に恋愛できる立場ではなかった。
いつもなら男性と二人きりになることも厳しく戒められている。
そんなわけでお互いに遠慮しあって全く話が進まなかった。
それでも傍目にはいい雰囲気である。
2人の様子を監視するように命じられた女中頭は柱の陰から固唾を飲んで見守った。
密かに見られているとも知らない光太郎とキョーコは何度か無駄に言葉を往復させた挙げ句にようやくどちらが先に発言するかが決まる。
「あの……、コータロー様はどちらからいらっしゃったのでしょうか?」
「私が居た場所も東京というのですが、こことは全然違って……」
光太郎は病気の治療のために眠りにつき目が覚めたら知らない場所にいたことを説明した。
「それであの鎧を見つけたら勝手に体にまとっていて、上に上がっていったと思ったらあの場所に出ていたんです」
キョーコは透き通った頬に血の色をほのかにのぼらせる。
「きっとコータロー様は神様が遣わされたんですね。あのとき来てくださらなかったら私は食われたか、もっと……」
声を震わせ下を向くキョーコの手を体を捻った光太郎が握った。
はっとして顔をあげた顔が真っ赤になるのを見て光太郎は慌てて手を離す。
「あ、すいません。姪に似ていたので、励ますつもりで……。その、困惑させるつもりは」
「そ、そうなんですね。姪御さんと間違えられたんですね」
キョーコの感覚からすると、家族以外の成人の手を握るというのは、押し倒すにかなり近い意味合いを持っていた。
半ば屋外のような場所で人目も憚らずおっぱじめようとしたに近い。
姪と勘違いをしたというのは言い訳に聞こえた。
「姪御さんのお名前は?」
疑って聞いたところ、光太郎は早口で祥子のことを語り始める。
何しろ光太郎にとっては生きがいだったようなものである。
その可愛らしさや優しさ、ほっこりとするエピソードなどいくらでも語れるのだった。
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