第2話 覚醒
床から数センチの位置を浮遊する円盤は光太郎を乗せたまま通路を驀進する。
左右を通り過ぎる滑らかな壁を見ながら光太郎は違和感を覚えていた。
そしてあることに急に気づく。
円盤の急な動きにも関わらず、先ほど光太郎が転倒することがなかったことに。
あるものが急加速した場合、その上のものはその場に留まろうとする力が働く。
あの瞬間、光太郎はこの動きを予測できていなかった。
通常であれば派手に後方に転倒しておかしくない。
まさか慣性が制御されている? そんなことが可能なのだろうか。
不可解な出来事に気を引かれ考え込む光太郎を乗せ円盤は通路を進み、十字路で左に曲がった。
ほぼ直角に曲がったにも関わらず、光太郎の体への横方向の圧力が発生しない。
やはり、おかしい。
しばらくすると円盤は周囲と変わらぬ色の扉の前で急停止し、ふんわりと着地する。
着地と同時に円盤は床面と同化したように消え、光太郎の目の前の扉がシュッという音と共に左右に開く。
少し弾力のある床に触れてみても継ぎ目は分からない。
左右を見渡しても薄暗い廊下が続くだけ。
どうやら、この部屋に入る以外の選択肢はないらしい。
部屋に入るとやはり薄暗い。
ただカプセルのあった部屋と違って天井がかすかに発光しており、なんとかあたりの様子が見える程度の照度はあった。
その薄明りの中で、正面に大きなガラスケースのようなものが見える。
ガラスの奥には何か黒いものが鎮座していた。
その手前5メートルほどのところに赤く光るものがある。
光太郎がその光に吸い寄せられるように近づいてみると、光太郎の顔の高さの空中に光の球が煌めいていた。
周期的にかすかに明滅を繰り返す硬貨サイズの赤い光。
誘蛾灯に群がる羽の生えた虫のように光の球に吸い寄せられた光太郎はその光に手を伸ばす。
近づけても熱は感じられない。
意を決してさらに腕を伸ばしてそっと手で触れたか触れないかの瞬間、光が赤から緑色に変わりそして突然消えた。
光太郎は何かまずいことをしてしまったのかと体を硬直させ、それから目の前の光のあった空間で手を振ってみる。
あの光は何だったのだろう?
幻ではなかったよな、と自問する光太郎の目の前で急に明るい光が発生した。
ガラスケースの中にまばゆい光があふれ、光太郎は反射的に目を閉じたが、網膜に赤い残像として焼き付いてしまう。
今まで薄暗い中にいたため、あまりの刺激に涙があふれだした。
くしゃん。
思わずくしゃみも出てしまう。
目の中をチラチラするものが落ち着くのを待ってから光太郎は薄目を開けた。
先ほどより光量は減っており、少しずつ目の焦点が合っていく。
ガラスケースはいつの間にか左右に開かれており、奥にあった物体の姿、形が明らかになっていく。
そこにあったのは、人の背丈よりは2回りほど大きな1領の漆黒の鎧だった。
戦国時代のお騒がせ大名伊達政宗ゆかりの鉄黒漆塗五枚胴具足に酷似した鎧。
このシャープな形状のデザインは、光太郎が生きていた時代よりも少し前に公開された有名なSF映画の敵役の衣装のモデルにもなったという噂もある。
光太郎の目の前に鎮座するものは、兜の前立てに三日月が無い点を除けばかの有名な鎧にそっくりだった。
全体的に白を基調とした無機質なこの場の雰囲気に似つかわしくない。
「なぜこんなところにこんなものが?」
ひとりごちながらも、興味にかられて近づいていく光太郎。
近づいてみると当初考えていたよりもかなり大きい。
実際のところ光太郎が見上げるほどのサイズだった。
圧倒的な存在感を放つ鎧の目の前に立ち、しげしげと観察する。
光太郎は30代の大人だが、病気を繰り返したせいか中学生的な感性を色濃く残していた。
まあ、男の子ってこういうのが好きでしょ、と問われればかなりの数が首がもげるほど頷きそうな造形をしている。
「すげえ。めっちゃカッコいい。一度こういうのを着てみたかったな」
光太郎がそう呟いたとたんに鎧がバラバラにはじけ宙に舞った。
そして、光太郎はあやつり人形のように手足を強く引っ張られるのを感じる。
いつの間にか光太郎の体は床から50センチメートルほどの空中に浮かんでいた。
焦って声も出ない。
唖然とする光太郎の体に、バラバラになった鎧が装着されていく。
足元から順次、各パーツが光太郎の体に吸い付くようにピタリと嵌り、最後に兜が被せられた。
下から何かがせり上がってきて光太郎の顔を覆い隠す。
ただ、不思議なことに目の前の景色は相変わらず視認できた。
そりゃ、まあ、何か着るものが欲しいとは言ったけどさ、という思いを光太郎が抱く間もなく鎧を身にまとっている。
下から光に照らされて光太郎が視線を向ければ、床が円形に光り浮上を開始した。
足の裏に微かな衝撃を感じる。
また水平方向に移動するのかと身構えると、先ほどとは異なり垂直に上り始めた。
顔を上に向けるとみるみるうちに天井が近づくが、ぶつかる直前に円形の穴が開く。
思わず首をすくめた光太郎を乗せた円盤は、吸い込まれるようにその穴に入ると、はるか彼方への上昇を始めた。
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