第1話 不治の病

 あまりいい事ない人生だったな。

 どこぞの研究機関に担ぎ込まれ、ストレッチャーに乗せられ運ばれる臼杵光太郎32歳は思った。

 激しい痛みに耐えながら、無機質な天井の白い液晶灯が足の方へと流れていくのをぼんやりと眺める。


 優秀な姉である倫子の後を追うように勉強一筋で生きてきた光太郎が、大学3年生の夏のある日、急に意識を失ったのが闘病生活の始まりだった。

 何度も繰り返す入退院。病名が判明しないまま月日は流れた。

 普段の生活にはほとんど支障はない。

 ただ、ある日突然全身に炎症ができ、その度に意識を失った。

 炎症は長続きはしないが、また忘れた頃にやってきて、その都度光太郎は昏倒する。

 そのような状態で就職先はあろうはずも無い。

 なんとか大学は卒業したものの定職につけない光太郎は親と姉のすねをかじって生きてきた。


 そんな生活が続き3年ほど経った頃、倫子は夫と離別し、7歳になる一人娘の祥子を連れて実家に戻ってくる。

 優秀な研究者であった倫子は子供を両親に預けて働きに出た。

 両親にも仕事がある関係で、光太郎が祥子の面倒を見ることが多い。


 病気との長い付き合いのうちに意識を失う前兆が2・3日前には分かるようになってきたので、子守に支障をきたすことはなかった。

 いつまでも出口の見えないトンネルの中を進むような生活の中で、姪の祥子の成長を見守るのは光太郎にとってのささやかな楽しみとなる。

 決して自らの子供を持つことは敵わない。

 その代償行為であったのかもしれなかった。


 自然と祥子は光太郎に懐く。

 小学校から帰ってきてランドセルを部屋に置くとリビングでおやつを食べながら、光太郎にその日あったことを話して聞かせた。

 宿題を片付けると本を読む。

 祥子が分からない漢字や言葉を聞かれれば光太郎は何でも答えてやる。

 母親の倫子ももちろん博識だったが、光太郎ほどは優しく対応をする時間的な余裕がなかった。


 光太郎が30歳を過ぎた頃から、意識を失う間隔が短くなる。

 同時に炎症が消えるのに時間がかかるようになった。

 炎症ができる場所によっては体を切り刻むような激痛が走る。

 免疫系の異常ということは分かってもその原因が突き止められない。

 首を振るばかりの医者に光太郎は死を覚悟した。


 倫子が最後の手段として光太郎を連れてきたのが、この研究機関である。

 研究機関は倫子の勤務先でもあった。

 手術室に運び込まれる扉の前で、光太郎は両親、倫子と祥子に見送られる。

 思い詰めた表情の倫子が言った。

「コウちゃん。あなたを死なせはしない。必ず助けてみせる」

 扉が開いてストレッチャーが中に運び込まれる。

 麻酔吸入器が顔に被せられ、光太郎は意識を失った。


 ***


 次に光太郎が意識を取り戻したとき最初に思ったことは、死ぬほど寒いなである。

 プラスチックのような滑らかな表面のカプセルに横たわっていた。

 身体には薄い手術着のような合わせを着ているだけである。

 しかも、肌に触れている感覚的にはノーパンのようだ。

 目の前10センチほどの透明なゆるく湾曲したガラスのような板は、光太郎の吐く息で白く曇っている。

 板に手を添えるとしびれるように冷たい。

 光太郎が少し力を込めると、ゆっくりと板が足の方にスライドしていった。


 手をついて体を起こし、カプセルを跨いで外に出る。

 床はスベスベして少し柔らかな素材だった。

 カプセルを出てもやはり気温は低い。

 この空間に照明はなく、窓も無いようだった。


 カプセルの内側から放たれる淡い光が届く範囲には、いくつもの同じようなカプセルが並んでいる。

 しかし、光太郎が入っていたものとは異なり、中に明かりがついていない。

 光太郎は寒さに震えながら、声を出してみた。

「誰かいませんか?」


 しかし、返ってきたのは静寂だけだった。

 自分の血液が流れる音が耳の中で聞こえるほどシーンと静まり返った室内に人の気配はない。

 ここはどこなのだろう。

 なんとなくだが光太郎には自分の運び込まれた研究機関とは違う場所のような気がした。


 寒さに自分の腕を手でこする。

 一応この手や腕には見覚えがある。

 間違いなく自分のものだ。

 ということは死後の世界とかそういうのではなさそうだ。


 光太郎はようやく周囲の薄暗さに慣れてきた目で周囲を見渡した。

 奥の方に扉のようなものが見える。

 とりあえず、そちらの方に向かい、20メートルほど歩くと扉の前にたどり着く。

 胸よりやや低い位置にあるぼんやり光るプレートに恐る恐る手で触れると、シュッと扉が開いた。


 扉の向こう側は廊下になっていて、やはり人気はない。

 空気が淀んでいる感じはしないが廃墟っぽい雰囲気を醸し出していた。

 廊下はやはり薄暗いが、先ほどの部屋の中と異なり天井全体がぼんやり光っていて、左右にずっと伸びる廊下が見渡せた。

 そして、相変わらず寒い。

 光太郎が鳥肌が立つ腕をさすりながら廊下に出ると、思わず独り言が口を突いて出た。

「とりあえず、何か着るものが欲しいな」

 その瞬間、床が直径1メートル程の円形に光り浮き上がると、光太郎を載せて動き出した。

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