第6.25話 進む

 それは奇跡に思えた。


 おそらく、このコート上の、いや、ベンチを含めて、誰もが予想していなかっただろう。

 流々香という素人が、白藤高校1年チームエースの銀島栞から、チャージングをとるなんて。


「ナイスディフェンス! ルル姉!」


 駆け寄って、凪月は倒れた流々香に手を差し伸べた。


「はぁ、はぁ、痛い」


 だろうな。

 けっこう派手に倒れていたし。


「よくあんな判断ができたな」

「そりゃ、もう時間もないし、賭けに出るしかないでしょ」


 言っていることはわかるが、この土壇場で、自分のマークから離れて、次にボールを受けるプレイヤーを予測し、そして走るコースに入るとは。


 それにチャージングは怖い。

 バスケを長いことやっている者でも、コースに入って動かず正面から受け止めるのは怖いものだ。

 それを、流々香はやり遂げた。


 ただ、動けなかっただけかもしれないが。

 それでも、


「さすがだよな」

「当たり前、でしょ。私を、誰だと思っているの?」


 もう疲れ果てたと言わんばかりの弱々しい瞳を、なんとかかんとか輝かせて、流々香は、にたりと笑って見せた。


 だから、凪月は苦笑して答える。


「自慢の姉貴分だよ」



 残り16秒、1点差、羊雲ボール



 次のプレーが、最後のプレーになる。

 長かったようで、短かった。

 そりゃ、そうだ。たった20分なのだから。


 20分間、点を取って取られてプレーをしてきたわけだけれども、結局次の1プレーで決まってしまうのだから、そっけない限りだ。


 けれども、20分間、進々が、小町が、流々香が、華が、カトリーナが、全力でプレーした結果、この1プレーにたどり着けた。


 もしも、誰か一人でも手を抜けば、この試合は、もっと前の段階で終わっていただろう。

 誰も諦めずに、今、このときまでやってきた。

 


 残り16秒、1点差、羊雲ボール



 この状況は、20分間と、この数週間と、それ以前の努力の結晶だ。 

 そして、泣いても笑っても、次のプレーで、試合が決まる。


 正当な緊張感に包まれ、そして、ついにカトリーナがボールをコートに入れた。

 受けたのは、もちろん小町。

 ただし、このラストプレー、おそらく最もシンプルな勝負となる。

 小町は、ドリブルで、トップまで進み、そして、すぐさま左サイドにボールまわした。


「あなたしかいないでしょ」


 左サイド。


 進々は、軽やかにステップを踏んだ。

 ほんの数分前まで地べたに足が張り付けられたように固まっていたというのに、今では、まるで羽でも生えたかのように、自由な足取り。

 そして、台風の過ぎ去った後のような、晴れやかな表情。


「私は進々すすむ


 その視線は、ディフェンスを超えて、リングを見据え、


すすむって2回書いて、進々すすむ


 彼女の心が映されたかのようにボールの色が溌剌と冴えわたり、


「もう、迷わない」


 にかりと笑って、そして、一歩を踏み出した。


 おそらく、この一歩のために、今日の試合はあったのだろう。

 他の者にとっては、また別の意味があったのかもしれないが、ただ、少なくとも進々にとっては、いや、凪月にとっても、あの一歩のために、この20分間はあった。


 この世の中は、本当に辛いことばかりで、やりたいことはうまくいかず、好きなことはたいてい不得意で、負の情に溢れていて、ふとすると泣きたくなってしまう。


 そんな世界で、ずっと進み続けるなんて、きっとできやしない。

 今日、一歩進めても、また、いずれ、足を止めてしまうだろう。

 だけど、彼女はもう大丈夫だ。

 凪月は、揺れるネットを見て、そう確信する。


 進むんだ、

 止まっても、それでも、

 進めるさ、

 きっと、君なら。


 


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