第6.12話 進め

 どうすればいい?


 凪月は、自問する。

 コートの外にいる凪月に、いったい何ができる?

 進々の精神状態は、もはや凪月にはわからない。

 ただ、決してよくないだろう。

 心なしか動きに切れがなく、息も荒い。

 実力を出し切って負けるのならば仕方がないが、こんな状態で負けるのはやり切れない。


 もしも、コート上にいれば。


 凪月は、そんなことを考える。

 もしも、コート上にいれば、まだ、羊雲を勝利に導ける。

 そんな傲慢な考えが、凪月の頭の中をよぎる。

 実際に、それほどあまい話ではない。

 5分、13点ビハインド。

 ひっくり返すには、既に遅すぎる時間、そしてそれを許さない強敵。

 それでも現状よりは、勝利に近い。

 勝ちたければ、勝たせてやりたければ、進々をベンチに下げて、凪月が出るべきじゃないだろうか。

 いや、その手はある。

 だが、それは奥の手、というより禁じ手。

 けれども、ここで使わなければ、元も子もない。


 いや、いやいや、待て待て。


 仮に、凪月が出場して、この試合に勝てたとしよう。

 それで何になる?

 進々がやりたかったことは、そんなことか?

 そうやってできた羊雲学園女子バスケ部にいったい何の価値がある?


 あぁ、そうだ。

 あるわけがない。


 では、この状況で勝つための選択肢は?

 進々にトラウマを克服してもらうしかない。


 だが、どうやって?


 単純な理屈でも、小町のげきでも届かない。

 進々の奥の奥にある、根っこの深いトラウマという闇を払うには、いったいどんな言葉が必要だ?

 試合中の、コートの外から。

 まだ知り合って一ヵ月足らずの奴から。


 いったいどんな言葉が届く?


 そこまで考えて、凪月は頭を振った。

 進々がどんな言葉を必要としているかなんてわかるべくもない。

 凪月が、答えのない問答に悩んでいる内に、ボールはフロントコートへと運ばれた。

 羊雲のオフェンスから。

 切り替えよう。

 小町の性格を考えれば、この状態の進々にもうボールをまわさないだろう。

 とすれば、カトリーナと小町の連携が、もっとうまくいくように指示を。

 そんなことを考えていた矢先。

 左サイド。

 

 小町は、進々にパスを出した。


「え?」


 凪月は、思わず漏らす。

 いや、もしかしたら進々が漏らしたのかもしれない。

 どうして、進々に?

 当の小町はしれっとしている。

 もしかして、諦めた?

 そう考えて即座に否定する。


 違う。

 諦めていないんだ。


 カトリーナと小町だけでは追いつけない。

 勝利するためには、進々の力が必要だと。

 進々は、そんな小町の気持ちに気づいただろうか。

 どうだろう。

 下を向いてしまっている進々には、きっと見えない。

 進々、顔をあげてみろ。

 おまえの見たいものがそこにあるぞ。

 誰も落胆なんてしていない。

 おまえに期待しているんだ。


 だから、顔をあげろ。


 胸の内にこみ上げてきた言葉を、凪月はぐちゃぐちゃに圧縮して奥の方に押し込める。

 進々には、必要そうな言葉だが、どうにもしっくりこない。口から出ようとしたところで、凪月の情動が邪魔をする。これは違うと、そう確信させる。


 こうじゃない。

 進々に必要な言葉は。


 いや、だから、そうじゃない。


 ボールを手にしてステップを踏んで、また、足を地べたに張り付けてしまって、

 それでも必死にリングへと足先を向けて、

 見えない大きな敵に立ち向かおうとしている進々に、

 進々に伝えたい言葉は、


「進め!」


 たった一言。


「進々、進め!」

 

 シュートを外してもいい。

 転んでもいい。

 トラベリングになっても、チャージングになってもいい。


「進め! 一回くらい失敗したからって何だ!」


 怖くても、

 辛くても、

 足が竦んでも、

 

「おまえの名前には、進って字が二つも入ってんだろ!」


 だから、


「おまえにならできる! もう一回だ!」


 進んで、止まって、それでも、


「進め!」


 広いが古びた体育館。

 凪月の叫びは、虚空に消えて。

 左サイド。 


 進々は、


「うぉぉぉおおお!」


 吠えて、そして、動いた。

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