5. Silence days in harmless joys are spent

第5.1話 夜道


――Thomas Campion, "The Man of Life Upright" より




 月の出ていない夜だったが、街灯のくすんだ光のおかげで、夜道を歩くのに困らなかった。


「こうなると思ったんだよな」


 脱力しきった流々香るるかを背負い直し、凪月なつきは、かるくため息をついた。


「文句言わない。昔は、私が背負ってあげたじゃないの」

「いつの話だよ」


 流々香におんぶされたことなど記憶にないが。

 彼女の記憶はいつも美化されている。それはかまわないのだが、美化された記憶で恩着せがましくしてくるのはやめてほしい。


「5分走って、ぶっ倒れるようじゃ、話にならないぞ。明日から、みっちり鍛えるからな」

「明日はむりかも。既に筋肉痛で全身が痛い」

「明日からだ。ちゃんとストレッチしたし、一晩寝れば治るよ」

「ぐー、ぐー」


 うわっ、うぜっ。


 凪月は、流々香を乱暴に背負い直して、街灯でまだらに塗られた白と黒の道路をとぼとぼと歩いた。白いエリアに黒い線が伸びたり、縮んだりして、水滴が落ちるかのようだ。そのまま川となって流れていければいいのに、と凪月は一人苦笑した。

 凪月の隣で、もう一滴、黒い水が道路の先へと落ちていく。


「仲良いんですね」


 大きなグレーのリュックを背負った水卜みうらが、おかしそうに笑った。 


「腐れ縁だよ。悲しいことにな」


 ぎゅっと首を締められた。

 それを見て、水卜がまた笑うので、凪月は話を変えた。


「今日の試合、どうだった?」

「疲れました」

「そうか」


 と言うわりには、水卜は軽やかな足取りだった。

 さすが山育ちということか。


「バスケって難しいんですね。私は、何もできませんでしたよ」


 初心者なのだから当然だし、実は何もできていないわけではない。

 彼女がリング下にいることによって、小学生チームには、かなり威圧的だっただろう。

 けれども、そのことに気づいていない水卜は、申し訳なさそうに続けた。


「失敗ばっかりでしたし。あ、でも、私も学習しましたよ。ダンク、でしたっけ。もう二度とリングに直接ボールを入れたりしません!」

「あ、いや、ダンクはしてもいいんだ」

「へ?」


 どうやら、水卜はダンク自体を反則だと思っているらしい。

 たしかに、ちゃんと説明していなかったな。


「ダンク自体は正当なプレイだ。むしろスーパープレイだよ。できるんだったら、ぜひやればいい。今日、水卜を止めたのは別の理由だよ」

「別の理由?」

「そ、怪我の危険があったから止めたんだ。おまえ、学校の内履きでプレイしてただろ。あれだと、着地のときに膝や足首を痛める危険性があるんだよ。だから控えろって言ったんだ」

「そうなんですか。私はてっきり反則をして怒られたのかと思っていました」

「反則はその前にしたんだ。トラベリングって言って、ボールを持ったまま三歩以上歩いちゃいけないんだよ、バスケでは」

「あ、そういえば、そうでしたね。体育のときに確か先生がそんなこと言ってました」

「まぁ、今回はいいよ。ルールは後々覚えていけば。今回は、怪我だけ気をつけてくれればそれでよかったんだ」

「ふふ、ナツさん、意外と心配性なんですね」

「普通だよ。スポーツをするときは、怪我に気をつける。これは基本だ」

「大丈夫です。私、丈夫ですから。あのくらいのジャンプでは怪我したりしません」

「それは違う」


 凪月は、ぴしゃりと否定した。


「丈夫な人間なんていないんだよ。人の身体は平等に壊れる」

「壊れるって」

「壊れるんだよ。人の身体は壊れやすくできているんだ」


 気づくと水卜がごくりとつばを飲んでいた。

 どうやら、凪月のまじめな物言いに、怯えてしまったようだ。

 凪月は語調に気をつけて、話を続けた。


「もちろん普通に暮らしていれば、そう簡単に壊れたりしない。ただ、スポーツをしているときは、別だ。スポーツっていうのは、ほぼすべてにおいて、ヒトの限界を超えているからな」

「限界?」

「それ以上の力で動かしたら、壊れるレベルって話だ」

「でも、壊れていませんよ?」

「一回では壊れないさ。それにヒトの身体には修復能力もある。だが、傷は残る。その傷が蓄積すると、大きな怪我として現れるんだ」

「ふーん」

「ヒトは、身体を壊せるだけの力を持っている。一方で、ヒトの身体は動くとき壊れるかどうかを考慮しない。もちろん極端な動作のときは痛みを伴うけれど、スポーツ時のアドレナリンに浸っているときは、その痛みすら感じない。痛みを感じたときには末期症状だと思っていいくらいだ」

「そ、そうなんですか?」

「たとえば、水卜は、ジャンプするときに、着地するときのことを考えて跳ぶか?」

「え? いえ、考えないです」

「そうだろ。着地するときに、どのくら膝と足首に負荷がかかるか考えたりしないで、高く高く跳ぼうとする。だが、着地時には、たしかに高さと体重分のエネルギーが足にダメージを与える。ただ、水卜もそうだが、そんなことを気にするプレイヤーはほとんどいない」

「そう、ですよね」


 そこまで聞いて、水卜はついに心配そうに眉をひそめた。


「でも、だとしたら、絶対怪我しちゃいませんか。だって、痛みを感じる前は、わからないですから」

「そのとおり」


 だから、と凪月は続けた。


「だから、コーチがそれを見るんだ。コーチのいちばんの仕事は、選手に怪我をさせないこと。させない努力をすること、だ。選手のプレイを上達させることは、その前提の上の話だよ」

「そうなんですか」


 水卜は、一転して感心したように頷いた。


「コーチってすごいんですね」

「すごくはないが、まぁ、できるかぎり助言を素直に聞いてくれると助かる。特に、水卜は、身体がでかいんだから、特に怪我をしやすいんだ」

「でかい……」


 なぜか、水卜は急に元気を失くした。

 怪我のことで、少し脅しすぎただろうか。


「まぁ、無理はするなって話だ。適切な設備で、適切なトレーニングを積めば心配することはないよ」

「そ、そうですか」

「そうさ。ダンクだって、ガンガン決めてくれていい。あれはスカッとしただろ」

「え? あ、まぁ」

「そうだろう。あんなきれいにダンクを決められたら気持ちがいいに決まっている。見ているあたしまで、エキサイトしたよ」

「うーん。そういえば、確かに」


 水卜は、口元に手を当てて遠くの方を見た。


「ずっと走りっぱなしで、すっごく辛いな、って思っていたんですけど、ダンク、して、みんなが褒めてくれたとき、私、何が何だかわからなかったんですけど、それでも、すっごく嬉しい気持ちになりました」

「そうだろ。小学生相手のちゃっちい試合ですら、そうなんだ。もっと強いチームとの試合で点を決めたら、今日とは比べものにならないくらい快感を味わえるぜ」

「そうなんですか」

「まぁ、これっばかりは経験してみないとわからないけれどな」


 凪月がしゃべり終えると、水卜はまたくすりと笑った。


「ナツさんは、本当にバスケが好きなんですね」

「ん?」


 不意を突かれて、凪月は怪訝そうな顔をつくった。


「だって、本当に楽しそうにバスケの話をするんですもん。私はバスケのこと、あんまり詳しくないですけど、ナツさんがあんまりにも楽しそうに話すから、なんだか私まで楽しくなっちゃいますよ」

「そ、そうか?」


 自分では気づかなかったが、そんなに楽しそうだっただろうか。



「ナツさんは、バスケしないんですか?」



 その質問は予想こそしていたものの、凪月は、結局少し言葉に詰まった。

 会話の空白が生まれたことを気にしてか、水卜が続けた。


「ナツさんは別の学校の生徒だって小町ちゃんに聞いたんです。そっちの学校のバスケ部に入っているんですよね? 私達の練習を見てくれるのはうれしいんですけど、ナツさんの練習は大丈夫かなって思って」


 凪月は、一拍おいてから答えた。


「あたしは、バスケ部には入っていないんだ」

「え?」

「中学のときに足を怪我してね。その怪我が原因で激しい動きはできないんだよ」

「そう、だったんですか。その、すいません」

「気にすんなよ。バスケができなくたって死にはしないんだからさ」


 水卜が申し訳なさそうな顔をするので、凪月はなるべく気軽に言った。


「だから、あたしのことは気にしなくていいよ。練習に付き合うのは、進々との約束だしね」

「そうですか」

「あたしのことを思うんだったら、せいぜい練習して、次の白藤との試合で活躍してくれ」

「は、はい!」


 水卜は素直にも元気よく返し、ふんす、と気合を入れていた。

 なんとか、話を切り上げられたと凪月はホッとしていた。

 一方で、先の言葉は、半ば凪月の本音であった。

 この短期間で最も伸びるのは、おそらく素人の水卜であろう。素質的にも、水卜をいかに効果的に使えるかが、試合の命運を左右する。

 隣で気合を入れ直す水卜を見て、凪月はその長い影に頼もしさを感じた。


「で、さ」


 薄暗い夜道を、流々香を背負う凪月と、水卜が歩いている。

 そんな中、先程から、ずっと、凪月が疑問に思っていたことを水卜に告げた。


「おまえ、どこまでついてくるの?」

「え?」


 意外にも、水卜は、きょとんとした顔を見せた。


「いやさ、こんな遅くまでいられるってことは、寮に入れたんだろ? だったら寮に帰れよ」


 このままだと流々香の家に着いてしまう。

 もしかして、こっちに寮があるということか?

 いや、凪月の家もこの地域にあるが、そんな寮があると聞いたことがない。


「あれ? 流々香さんから聞いていないんですか?」


 水卜は、意外といった顔を見せた。


「私、しばらく流々香さんの家に泊めてもらうことになったんです」

「えー」


 何それ?


 凪月は背中の流々香をぐいと揺らしてみたが、寝たふりをしてままだ。もしかしたら、本当に寝ているのかもしれない。


「その、流々香さんも学校に話してくれたんですけど、いきなりはむりだという話になりまして、そこで、寮の準備ができるまで、流々香さんの家に泊めてくれるということになったんです」


 何か、むりやりだなぁ。

 ちょっと無理を頼みすぎたかな、と凪月は反省した。

 それでも、帳尻を合わせているあたり、さすが流々香なのだけれども。


「親も最初は渋っていたんですけど、部活をしたいって言ったら納得してくれて。それに、流々香さんも親を説得するの手伝ってくれて、副会長さんの家ならば、安心だって」


 水卜親の認識は、凪月の認識とはかなり異なっている。

 むしろ、これほど不安なことはないであろう。


「それは、よかったな」

「はい!」

「けどな」


 凪月が続けると、水卜は首を傾げた。


「気をつけろ」

「へ?」

「とにかく気をつけろ。ルル姉には気を抜くんじゃないぞ」

「は、はい」


 凪月の言葉に疑問を持ちながらも水卜は返事をし、それから、再度、ぎゅっと首を絞められた。


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