第6話 二人の時間1

 

 

「ここがお姉さまの部屋……」

 

 それが私が部屋に入って最初に呟いた言葉。感慨深すぎてそれ以上言葉が出なかったとも言えます。

 この部屋は姉さまが一年を暮らし過ごした場所、この部屋はお姉さまの一年を知っている。

 そう、ここには私の知らない、お姉さまの一年が詰め込まれているんだ。それを思うと溜息さえ零れてしまいます。

 そんな事を考えながらぼんやり部屋を見ていると、お姉さまから不意打ちが飛んで来ました。

 

「違うわ」

「えっ?」

 一瞬言葉の意味が理解出来ませんでした、だから私が変な顔をしてしまっても仕方の無い事です。

 だってここまで前振りを重ねたのに、いきなりそんな言葉が出るなんて誰にも予想が出来るはずがありません。

 もしかしてこれがサプライズと言う奴でしょうか?それとも私に意地悪したかっただけですか?

 サプライズでも意地悪でもどちらでも、シルファはそんなお姉さまも大好きです!

 私が想像を巡らせる中、やって来たのはもっと素敵な出来事でした。

 

「私達二人の部屋よ」

「はわっ?」

 思わず変な声が出てしまいました、でも私にとっては一撃必殺の言葉。頬がかぁっと熱くなってしまいました。

 そんな私を見詰め、お姉さまは静かな笑みを浮かべています。

 ひょっとして私、遊ばれていますか?そんな意地悪なお姉さまも素敵です。

 それにこのやりとりもなんだか懐かしくて嬉しくて、頬だけで無く胸の奥まで熱くなって来ました。

 私のすぐ側にお姉さまがいる、それだけでもう胸の昂ぶりを押さえる事が出来なくなりそう。

 でも、やっと再会出来たお姉さまにこれ以上恥ずかしい姿を見せたくないし。一先ず気持ちを落ちつかよう。

 まずはこれから過ごす事になる部屋を改めて見てみます。

 

 まず目に入るのは四方を囲む淡く暖かい色の壁。壁には表や図式等が何枚も貼られているのが見えます。多分予定表や魔法に使う魔法陣等でしょう。

 一方の壁にはそれらが多数貼られているけれど、もう一方にはほとんど貼られていません。私のために空けておいてくれたと言う事でしょうか?

 壁を見ているうちふと気付きました。この壁は漆喰や塗料のべた塗りではなく、薄い浮き彫りの入った壁紙が貼られている様です。

 そして天井には仄かな光を落とす四角い照明器。私の知る油の灯りとは少し違う気がします。

 多分魔法の灯りです。空気中の『魔雫マナ』を屋内に取り込む魔法装置の話を聞いた事があるけれど、それを使っているのかもしれません。

 やはり気になるのはベッド。故郷で使っていた物より広く大きなベッドが二つ、中央に並んだやはり二つある机を挟む様にして配置されている。

 さらに驚くべきはこの大きなベッドをもう一個くらい置いても余裕のありそうな部屋の広さ!。故郷でお姉さまと使っていた部屋よりも一回り…いや二回りは広い。

 

「お姉さま…ここ本当に二人部屋なのですか?」

 こんな素敵な部屋を与えられ、しかもお姉さまと二人っきりで過ごす事が出来る。あまりにも嬉しい状況にこれは夢なの?なんて思えてしまいます。

 でも、これは夢では無く真実、だってすぐ側にお姉さまの存在を感じる事が出来るから。


「ええ二人部屋よ。そしてこの学園に通う間は私達二人だけの部屋」

 そう言ってお姉さまは机の方へと歩き、言葉を続ける。

「私は左の机を使っていたのだけど、シルファは右でいいかしら?」

 その言葉の意味は私の希望に応じると言う事だけど、特に不満はありません。

 なによりお姉さまの隣に座る事が出来る、それだけで私はもう幸せなのですから。


「問題はありません、私は右の机を…あ、ベッドも右を?」

 机のすぐ横にはベッドがある。右の机なら右のベッドを使うと想像できるが……

「そうね、私がそちらのベッドを使えば寝ながらシルファの横顔を見る事もできるわね?…なんてね、ふふっ……」

 ああもう、お姉さまったら隙あらば私を惑わそうとする!

 でも、お姉さまの提案も、それはそれで魅力的であるし悩ましい。逆を言えば私もお姉さまの横顔を見ながら寝る日があると言う事ですから。

 

「急ぐ必要は無いわ。後で変えてもいいのだし…それよりも……」

「はい!…それよりも?」

 ゴクリ。お姉さまの表情が急に変わり、私は思わず息と唾を飲み込んでしまいました。

 私の瞳を見つめる真剣な眼差し。何か重大な発言でも来るのでしょうか?

 もしかして私と離れている間に何か?

 なんにしても心を強く構えておかないといけないかも?

 なんて思っていた私にやって来たのは、またまた素敵な出来事でした。

 

「…会いたかった……」

 ふわりとした感覚そして鼻孔をくすぐるのはお姉さまの匂い、礼拝堂のあの時と変わらぬ匂い。

 お姉さまの両手が私の背へと回り、互いの胸と胸とが密着し押し付け合う。

 顔と顔も間近、互いの息の届く距離。お姉さまが吐息する度に私の頬と唇をくすぐります。

「…私もです……」

 そう呟く様に言うとお姉さまの背に両手を回す、互いが相手を抱きしめ合う形。

 これだけでもう満たされてしまう私はなんと単純なのでしょう。

 でも、嬉しい物は嬉しい、だから仕方の無い事です。

 

 

 ふと魔蒸気の中で見た夢を思い出す。あれは本当にあった出来事、お姉さまが旅立つ数日前の出来事。

 お姉さまと離れる事を受け入れる事の出来なかった私、我儘を言ってお姉さまを困らせてしまった私。そんな私を優しく慰めるお姉さま。

 それは繰り返し繰り返し見た夢。

 

 夢だとしても、それはお姉さまと遠く離れてしまった私にとっては心の慰めとなる夢でした。

 でも、今あるこれは夢ではなく現実。だってお姉さまの熱も匂いも感触も全てを私の五感が受け止め感じているから。

 もう、このまま時間が止まってしまってもいい、いっその事死んでも……

 いやいや、死ぬにはまだ早い!だってお姉さまと離れていた一年と言う長く大きな時間を埋めなくてはいけないのだから。

 埋めても埋めたりない、山になるくらいの時間を積み重ねる!

「んふ……」

 そんな決意を固める私の耳を艶めかしい声が撫でた。

 

「…シルファそんなに身悶えてはくすぐったいわ?」

「ふぁ?え、えっと…つい……」

 はっと我に返ればすぐ間近にお姉さまの顔、そして紅玉の瞳。

 その瞳から視線を逸らす事が出来ない、視線が重なりあったまま言葉が止まり呼吸さえ止まりそうに。

 私は魅入られたようにお姉さまの瞳を見つめ続け、お姉さまも私の瞳を見つめ続ける。

 

 やがてお姉さまの瞳が熱く潤み紅い焔に見えて来る。同時に雪の様に白い肌にはほんのり紅が差し、触れ合った部分からは熱を感じる。

 私の顔も身も自分でわかるほどに熱い。きっとお姉さまと同じ顔をしている。だってお姉さまと私は今同じ気持ちだから。これは確信。

 それを肯定する様に吐息が重なり、そして唇と唇が触れ合う。

 吐息と吐息が混ざり重なり互いの中を循環する、二つが一つになる…そんな感覚さえ覚えます。

 

 夢で見たあの日もこうやってお姉さまと唇を触れ合わせました。魔蒸気の中で見た夢では途中で起こされてしまったけれど、私はあの続きを知っている。

 嘆き悲しむ私を慰めるためそして再会の約束として唇を触れ合わせた。お互いが想いあっている事を忘れないために。

 そして約束は果たされ、私達は再び唇を触れ合わせ重ねている。あの時の想いは今も変わらぬままこの胸にあるから。

 むしろあの時よりも想いは大きくなったかもしれません。きっと私の胸の成長はお姉さまのお陰です!

 

「ふぁ……」

 やがて唇が離れどちらからともなく吐息が零れました。白い湯気となりそうなほどに熱い熱い吐息。

 吐息だけはない、息を発する身体その物が熱い。まるで焼けた鉄にでもなった気分。

 そして熱い身体は空気を求める様に呼吸を早くし、胸元のタイを踊らせる。

 私の薄い花色のタイとお姉さまの濃い草色のタイがそれぞれの胸で踊っている。

 

「少し逆上せてしまった?」

「…あ…えっと、はい……」

 お姉さまの呼びかけに答えるも、意識はまだぼんやりとしています。むしろこれは陶酔感?

 身体に残る熱も心地良く、もうしばらくこのままでいたい気持ちにさえなります。

 お姉さまもまた、私と同じ様な状態なのがわかる。上気し朱の浮かんだ肌はどこかなまめかしく、そこに色香すら感じるから。

 

「ふふっ、私も逆上せてしまったみたい…冷たい空気が欲しいわ」

 そう言うと私の額を指でそっと撫でて身を離した。後少しこのままでいたかったけれど、冷たい空気が欲しいのは私も同じ。

 お姉さまに撫でられた額を自分の指でなぞれば、そこに薄く汗をかいていた事に気付く。

 

 そう言えば、最後に身体を洗って一日以上が経過している。

 最後に宿泊した宿を出てから、馬車と汽車を乗りついで魔蒸気に乗ってここに到着するまで顔を洗うくらいしか出来なかった。

 それに気付けば自分の匂いが気になってしまうのは、年頃の少女ならばやもえない事です。

 肩に自分の鼻を寄せて嗅いでみるけれど、自分ではわかりません。多分大丈夫、大丈夫だったと思いたい。

 

「シルファどうしたの?風が気持ちいいわよ?」

「は、はい…あ……」

 振り向けば窓からの風に黒髪を遊ばせるお姉さまの姿。さらさらとした黒髪が風に舞い、そのひと束が頬を撫でている。

 手招きする手に誘われ傍らまで行けば涼やかな優しい風が私の頬を撫でる。

 先程まで気になっていた額の汗は風に攫われ、同時に身の熱を心地よく冷ましてくれた。

 

「シルファ…これからまたよろしくね?」

 風と共に私の耳を撫でるのはお姉さまの声、目を開けば優しい日差しの中で微笑むお姉さま。

「はい!お姉さま」

 再びお姉さまとの日々がはじまる、そう思うと私は大きく頷いていました。

 頷く視界の片隅にふわりゆらりとした何かが見えた。窓の外を見れば蒼い空に淡い色の花弁達が綿雪の様に舞っている。

 学園へとやってきた私を最初に迎えてくれた花弁達だ。


 この花弁を見る度に私は思い出すのでしょう。

 春の風と光の中、微笑むお姉さまの顔とお姉さまの唇の柔らかさを。

 そして、二人の時間が再び流れ始めたこの時を。

 

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