第3話 下村明美の暴走

 現在の第二日本国の建築様式は、一周目時代の二十一世紀日本と同様、木造や鉄筋コンクリートが主流である。

 一周目時代の存在と情報が明らかになってから、文明レベルが飛躍的に向上したその象徴がそれであった。

 その功績は、四十年前に設立したとある施設にあった。

 小野寺勇吾ユウゴ、鈴村アイ、観静リン、下村明美アケミの四人は、鉄筋コンクリートで建てられたその施設のビルの前に並んで立っていた。


「……やれやれ、イサオの紹介で来てみたけれど……」

「……やっはり、ねぇ。……この前の事件の時を振り返ると……」


 リンアイはそれぞれぼやきながら、その施設――遺失技術ロストテクノロジー再現研究所を見上げた。

 雲がまばらに浮かぶ空模様の真昼の陽月がとてもまぶしい一日である。


「――なに、その期待薄な表情。なんかあったの? 二人とも」


 明美アケミがいぶかしげな表情でたずねる。


リンちゃんはあまり期待してないみたいなのです。イサオさんの紹介だと聞いて。アイちゃんも前回の事件の時、ここを訪ねても手がかりを得ることができなかったので」


 勇吾ユウゴが代わり答える。


「なに残念なこと言ってんのよ。遺失技術ロストテクノロジー再現研究所は超常特区の中では学術的アカデミックで有名な施設なのよ。研究員だって陸上防衛高等学校アンタたちのところの教員よりも優秀だし、現在の第二日本国がここまで発展したのもこの研究所のおかげなんだから」


「――そうなのですか?」

「そうなの。まったく、これだから情弱は困るわ。ここはネタに不自由しないネタの天国。ああ、色々と口実ももうけてアンタたちついてきてよかった。以前はあれこれ訊きすぎて締め出しを喰らっちゃったからね」

「……アンタ、記事のネタしか興味ないの……」


 と、リンが問いただしかったが、「そうよ。それがなにか」と即答されるのは目に見えているので、実行はしなかった。


「――さァ、行くわよ。」


 そう言って明美アケミが一歩ふみ出したその時と前に――


 ドサッ!


 一個の白い人体が落ちて来た。


「キャアアアアアッ!」


 思わず悲鳴を上げる明美アケミ


「ひいっ!」

「なっ?! なによっ! いったいっ!」

「――も、もしかして、飛び降り自殺?」


 他の三人も突然の出来事におどろき、後ずさりしながらそろって言い立てる。

 そして、ほとんど間をおかずにもうひとつの白い人体が降ってきた。

 背中から落ちて来た一人目とはちがい、二人目はしっかりと両足で着地して立ち上がった。

 その二人目は、セミロングの髪と白衣をなびかせながら、背中から落ちた、これも白衣を着たボザボザ髪の一人目に近寄り、その胸倉をつかんで引き上げる。


「――あなたなに勝手にパンケーキの製造法とその権利をオークションにかけて売却してるのよっ! それもいつの間にか、こっそりと。アレはそのままにしておいてってしつこく念を押したじゃないっ!」


 セミロングの女性は怒りの声を相手の顔にぶつけながらつかんだ胸倉を前後左右に振りまわす。


「――くっ、許せ。人類の文明を発展させるには、どうしてもそれをオークションにかけて研究資金を稼ぐ必要があったんだ。それだけの価値が『アレ』にはあるんだ」


 振り回されているボサボザ髪の男性は、苦渋に満ちた表情と口調で相手を諭す。だが、諭された方はまったく諭されなかった。


「――『アレ』のどこにその価値があるっていうのよっ! そんなものに資金をまわすくらいなら、新たな一周目時代のスイーツ製造法の記憶情報をサルベージする費用に充てた方がはるかに有益だわ」

「バカモンっ! 貴様には美を愛でるという心がないのかっ! 女性が花より団子をえらぶ嗜好は心の貧しさを証明するようなものだぞ。だいたい、貴様は普段から――」

「……あ、あのー、蓬莱院ほうらいいん良樹ヨシキさんですよね……」


 二人の口論に恐る恐る割って入ったのは観静リンであった。


「……だ、大丈夫ですか? その、ビルから落ちて……」


 勇吾ユウゴがおっかなびっくりにたずねると、ボサボサ髪の男性は、セミロングの女性の手を払ってスクッと立ち上がり、乱れた胸元をただす。


「――心配無用、このワタシが二階から落ちることなど日常茶飯事。なんの問題はない」

「……ないんだ。問題が……」


 アイがあきれ半分に苦笑する。実際、落下のダメージは、白衣の汚れ以外、まったく見受けらえないのだから、事実問題ないのだろう。感覚同調フィーリングリンクで身体状態を確認する気も起きないほどに。


「――そうた。ワタシがこの遺失技術ロストテクノロジー再現研究所第一研究室室長にして、超心理工学院付属高等学校二年の蓬莱院ほうらいいん良樹ヨシキだ。人はワタシを、あの超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親、飯塚いいづか佐代子さよこの再来と呼ぶ。その娘である観静リンどの会えて、ワタシはとても光栄だ。先月、貴殿が来訪した時は、ワタシは学業に従事していたので知己を得る機会をのがしてしまったが、こうしてイサオどのの紹介でそれが果たせたのだから、これほどの喜びはない」

「……は、はァ。それはどうも……」


 リンはたじろぎながらも相手が差し出した手を握る。


「――話はイサオどのから聞いている。だが、少し待ってはくれないか。『アレ』の再現実験がもうすぐ完了する。それまで、応接室でくつろいでいてくれたまえ」


 そう言って蓬莱院良樹ヨシキは四人を案内しようと施設の出入口へと歩き出す。


「――ちょ、ちょっと待ちなさいよ。まだアタシとの話が――」


 そこへ、セミロングの女性が、ボサボサ髪の男を引きとめようとするが、


「――貴様はこの四人の客人に茶を持って来い。貴様の趣味で製造法の記憶情報をサルベージしたメロンソーダーやパンケーキとやらでもいいから」


 言い捨てるような命令を受けて、振り払われてしまう。

 置いてけぼりにされたセミロングの女性を、四人はそれぞれ気にしながらも、ゾロゾロと列をなして施設内へ入った。

 蓬莱院良樹ヨシキの案内で。


「……あのー、今の女性は……?」


 廊下を歩いている勇吾ユウゴが、先導する蓬莱院良樹ヨシキに、ためらいがちにたずねる。


「――今の女性? ああ、ワタシと同じ学校と研究所に在籍しているワタシの元助手のことか。彼女の名は窪津院くぼついん亜紀アキ。ひいき目に見ても悪くない美人なのだが、スイーツとやらにしか念頭あたまにないスゥイーツなオンナなんだ。なのに、つい先日、第二研究室室長に昇格して第一研究室室長であるワタシの手から離れおおった。たいした政治力も人脈コネもないくせに、生意気な。所長もなにを考えて昇格させたのやら。あのふたつの脂肪の塊に目がくらんだのだろうか。だとしたら嘆かわしいかぎりだ」


 グチめいたコメントつきの説明で答えるのは、ひとつ年上の第一研究室室長のクセなのだろうかと、小野寺勇吾ユウゴは思ったが、それを口に出す愚行は犯さなかった。


「――それにしても、いつ見てもすごい施設ですね」


 勇吾ユウゴのすぐ後ろを歩く下村明美アケミが、廊下の透過壁ごしにある各研究室の光景を、キョロキョロと見回しながら感想を述べる。エスパーダに手を置いているあたり、いま自分が見ている光景を見聞記録ログに記録しているのだろう。


「――フフフ、むろんだ。この半世紀足らずの短い期間で、ここまで人類の文明が飛躍的に向上したのも、ひとえに、この研究所のおかげなのだからな。すごくて当然のことよ。素人や赤子が見ても。だからこの施設の存在に感謝するがいい」


 蓬莱院良樹ヨシキは自慢げに語る。まるで自分が挙げた功績のように。


「――とはいえ、その存在と情報なしでは、いくら天才科学者でも再現は不可能。やはり、四十年前に発見したデータベーズの存在は、やはり世紀の大発見というべきだな」

「――どこで発見したのですか、そのデータベースは?」


 明美アケミが好奇心に目を輝かせてたずねる。職業病というにはあまりにもそれが旺盛だが。


「――精神アストラル界からだ」

「……精神アストラル界?」

A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク構築の土台ベースととなった、この物質界とは異なる理で存在する世界のことよ……」


 それに答えたのは観静リンであった。


「……ど、どうしてそこに一周目時代の記憶情報が……」


 明美アケミがとまどいながらもそこまで訊いた時、蓬莱院良樹ヨシキが自分のエスパーダに手を置き、しきりにうなずく。どうやら精神感応テレパシー通話が掛かってきたようである。そして、ややあってからエスパーダから手を離すと、後ろにならんでいる四人の来客を肩ごしに見やる。


「――どうやらまたひとつ、わが第一研究室で研究中だった一周目時代の技術の再現に成功したそうだ」

「――それって、あなたと元助手が言っていた『アレ』のことですか?」


 リンが確認の質問をする。


「――そうだ。いや、技術というより、芸術というべきかな。再現したのは」

「――えっ! なになに、それって」


 愛が興味津々の態で身を乗り出す。


「――もしかして、須佐之男命スサノオノミコト八岐大蛇ヤマタノオロチたおした時に使った霊剣、『十握剣とつかのつるぎ』っ!?」

「そんなわけないでしょ。第一、それは芸術じゃなくて遺物よ」


 リンがたしなめるように訂正するが、本人は聞いてないようである。


「ヤダ、マジッ!? だとしたら、すごい特ダネよっ!」

明美アンタも信じるなっ!」


 今度はさけぶリン


「――せっかくだ。本題に入る前に鑑賞に来ないか。その芸術を。はっきり言って、ワタシの最高傑作といっても過言ではないぞ」


 良樹ヨシキが四人の来客を誘うが、


「――やめた方がいいわよ」


 水を差すような言葉が、その場にいる一同に聴こえた。

 一同が声にした方角に振り向くと、そこには、遺失技術ロストテクノロジー再現研究所第二研究室室長、窪津院くぼついん亜紀アキが、背後に立っていた。

 左手に持つ円形のトレイには、紅茶やパンケーキなどのスイーツ一式が並んで置かれてある。恐らく、良樹ヨシキの指示にしたがって、四人の客人用に用意したものなのだろう。それに観静リンがありったけの興味が注がれるが、亜紀アキは気にせずに言う。


「――『アレ』はロクなもんじゃないわ。特に女子にとっては。そこの糸目の少年にとっても、刺激が強すぎるわよ」

「――黙れ、元助手っ! 興をそぐような言動はつつしめっ! 第一、色気より食い気がたっぷりなスイーツ食いしん坊オンナが言っても説得力がないわっ!」


 良樹ヨシキが声高に言ってのける。


「だれが色気より食い気がたっぷりなスイーツ食いしん坊オンナなのよっ!?」

「だれもなにも、貴様ではないか。たった今ワタシの目の前でパンケーキをほおばっておいて、なにを世迷言を」

「……うっ……」


 図星を突かれ、亜紀アキはその口でうめく。良樹ヨシキはさらに言う。


「――そんなんだから化粧してもそれ以上美しくならないんだ。それでは苦労して再現に成功した化粧品が浮かばれぬわ」

「ファンッフェスッフェッ《なんですってェッ》!?」


 亜紀アキは憤慨してさけぶが、新たに口にしたパンケーキを呑みくだしてないので、ルビ通りには言えなかった。


「――とにかく、忠告はしたからね。だから、後悔しないでよ」


 ようやく口の中にあるパンケーキを嚥下して言うと、踵を返してその場を去って言った。

 トレイにあるパンケーキをふたたび口にながら。

 それを観静リンが残念そうに見送る。


「――で、どうする。元助手の忠告にしたがうか?」


 良樹ヨシキが四人にといかけるが、四人とも首を縦に振らなかったので、良樹ヨシキは第一研究室まで四人を案内した。

 ここの研究室は、透過壁ではなく、コンクリートの壁に四方を覆われている。

 それに沿って、いろいろな機材が設置されてある。

 室内の中央には、白い布でかぶせられたものがある。

 高さは成人女性の身長とおなじくらいだが、横幅は成人女性の二、三倍はありそうである。


「――もしかして、これがそうなのですか?」


 勇吾ユウゴが白い布でかぶせられたものを見てたずねる。


「――そうだ」


 良樹ヨシキが力強く答えると、白い布に手をかける。


「――さきほどは技術ではなく芸術と言っていましたけど、それは絵画や彫刻といった美術のような類のものなでしょうか」


 今度は明美アケミがエスパーダに手を置いてたずねる。記者らしく、完全にインタビュー調である。

 これに対しても、


「――その通り」


 蓬莱院良樹ヨシキは力強くうなずく。そして、


「――これは、一周目時代の二十一世紀日本の文化を代表する究極の絵画――」



 そこまで言った直後、良樹ヨシキは勢いよく白い布を引き下ろす。

 四人の瞳にその絵画が映った。

 それが何なのか、四人がはっきりと認識した瞬間――

 勇吾ユウゴは顔面を赤く染め、アイは目をみはり、リンは開いた口がふさがらなくなり、明美アケミにいたっては肩を落とした。


「――『萌え絵』というものだっ!」


 良樹ヨシキは胸をはって言い放った。

 ミドルアングルからセクシーポーズを取ったセミヌード姿が描かれた妙齢な女性の萌え絵である。


「――どうだ。この斬新で煽情的な絵柄とタッチ。二周目や一周目目の古い時代にはなかったものだ。ああ、なんて魅力的で蠱惑的な絵なんだ。これはもはや人類の宝。そうは思わぬか、みんな」

『……………………』

「――現助手よ。ご苦労であった。おまえの超高解像度を誇る念写能力がなければ、これほどの精密な描画で再現することは不可能であった。礼を言うぞ。次は『フィギュア』というカラフルな彫刻らしき人形の再現作業が待っているからな。なるべく早く復帰するのだぞ」


 良樹ヨシキが言ったのは、研究室の隅にあるソファーで、死んだように横たわっている白衣の男性に対してであった。恐らく、この『萌え絵』を念写するのに、ありったけの精神エネルギーを注ぎ込み、文字通り精根が尽きたからであろう。心なしか、黒いはずの頭髪が白く見える。


『……………………』

「――フフフフ。感動のあまり声も出ぬか。だが安心しろ。萌え絵はこの一枚だけではない。A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク外の精神アストラル界から何億枚もの萌え絵の記憶情報のサルベージに成功した。男子研究員が総力を挙げたおかげでな。これはその中から厳選して念写したものだ。リクエストがあれば、どれか一枚を念写して差し上げよう。その記憶情報サンプルを貴殿たちのエスパーダに送信――」

『――しなくていいっ! 全然うれしくないからっ!』


 第一研究室に客人の女子たちの絶叫が反響した。

 その中で唯一の男子である勇吾ユウゴは顔を赤く染めたままうつむいていたが。




「――まったく、なんでこの偉業のすごさを理解できんのだ。龍堂寺は手放しで絶賛していたというのに」


 蓬院良樹ヨシキ莱はブツブツとぼやきながら、白い布をかけた『萌え絵』を室内の奥にしまい込む。まるで秘宝でも隠すかのように。


「オトコにしかわからない偉業ですよ、それは。そんなものにムダに情熱をかけるくらいなら、新たなスイーツの再現にそそいでくださいよ。そっちの方がはるかに有益です」


 それを耳にした観静リンが、文句を言うような口調で要請する。とりあえずオトコである小野寺勇吾ユウゴは、まだショックから立ちなおってないのか、顔を真っ赤にしたまま硬直している。それを鈴村アイが不機嫌そうな表情で見やり、その背後では、下村明美アケミがエスパーダに手を置いて、『萌え絵』関連の記憶情報を見聞記録ログから消去する作業に専念中である。


「……くっ、元助手みたいなことを言いおって。なら、元助手にでも依頼するがいい」


 良樹ヨシキは言い捨てるが、

 

「えっ、いいのっ!?」


 リンが食いついたようにその言葉を拾う。


「――どうせ依頼しなくても、本人が積極的にそれに力をそそぐだろう。彼女はいまそれに夢中になっているからな。まったく、オンナはこれだからこまる」

「――そうなんだ。それじゃ、あとで亜紀アキさんに頼んでみるわ」


 リンは喜色満面の笑みを浮かべてうなずく。


「――それよりも、本題に入りたいのですが……」


 そして表情と口調をあらためると、神妙な面持ちで前置きする。


「――ん? ああ、盗られたものを発見したいという件だったな。あるぞ、そういった失せ物を探知する装置が、この第一研究室に」

「あっ。あるのですか。よかったァ」


 アイが安堵の息をつく。


「――これだ」


 そう言って良樹ヨシキが室内の奥から持ってきたのは、車椅子にゴテゴテとした部品が各所に剥き出しでくっついているようなものであった。


「……これ、なの……?」


 リンが意表を突かれたような表情でつぶやく。


「……こんな、電気椅子みたいなものが?」


 アイも率直な感想を述べると、とたんに良樹ヨシキが怒り出す。


「――失敬なっ! そんな野蛮な処刑装置と誤解しないでほしい。まだ試作段階なのだからいたしかたないであろう」

「……ご、ゴメン。アタシはてっきり、占い師がよく使う水晶玉で失せ物を見つけるようなイメージだったから……」

「そんな迷信的な方法と一緒にしないでくれたまえ。たしかに、『遠隔透視リモートビューイング』という能力なら、遠く離れた光景を、占い師の水晶玉に映し出すかのように、自分の脳裏に浮かべることは可能だが、これはそんな非科学的な原理で物体を発見する代物ではない」

「――というと」


 明美アケミが身を乗り出してうながす。


「――この物体探知装置は、対象の外見的な物体情報を入力した精神波を、ソナーのように全方位に打ち出し、それに照合する物体の位置を特定する原理となっている」

「――つまり、探したい物体の情報がなければ、探知のしようがないということね。つまり、見聞記録ログや思考記録ログの情報が」


 リンが要約すると、良樹ヨシキは大きくうなずく。


「――その通りだ。さすが超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親の娘。前の助手よりも理解と飲みこみがはやい。我が助手に迎えたいくらいだ」

「……それはありがとうございます。それで、アイちゃん。盗られたバッジはちゃんと覚えている?」

「――ええ。ちゃんと覚えているわ」

「――言っておくが、うろ覚え程度の記憶だと、発見は至難だぞ。そのぶん照合率を下げなくなり、必然的に対象以外の物体にも検知ヒットしてしまう。可能な限り発見したい物体を鮮明かつ立体的に想像イメージしなくては、高い照合率でその物体を特定することはできないぞ」


 良樹ヨシキが注意するとともに補足する。


「……それは大丈夫。目を閉じだだけでも鮮明に思い出せるから。エスパーダがなくても……」


 アイは祈るようにつぶやくが、その表情はどこかつらそうな翳りがあった。


「――それなら心配はいらないようだな。では座ってくれ」


 良樹ヨシキは物体探知装置にアイをうながそうとするが、


「――待ちたまえ。その前に貴殿たちに出してもらわなければならないものがあるんだ」

「なにを?」


 アイが簡潔に尋ねる。良樹ヨシキは、


「――金銭かねだ」

『……は!?』


 と、答えられたアイリンが、意表を突かれた表情で声をハモらせる。良樹ヨシキは構わずに続ける。


「――広範囲に物体を探索させるには、膨大な精神エネルギーが必要でな。その料金がバカにならぬのだ。だから物体探知装置を利用したければ、まずはそれを払ってもらわないと資金的に困る」

『えぇェーッ。いまさらァーッ……』

「――しかたあるまい。こちらとて慈善事業ボランティアで協力しているわけではないのだ。それに、龍堂寺には無償で協力しろとまでは言われてはおらぬしな。例の萌え絵の記憶情報をわたしが無償で提供した手前、言いづらかったのだろう」

(……あのバカ……)


 リンが内心で舌打ちする。


「……あのー……」


 おそるおそるの態で声をかけたのは、これまで沈黙していた小野寺勇吾ユウゴであった。


「――なんだね、助手B」


 良樹ヨシキが思わずソファーで寝込んでいる助手の呼称を使ってしまったが、勇吾ユウゴは気にしなかった。


「――本当に必要なのは、金銭おかねではなくて、精神エネルギーなのですよね」

「――うむ、そうだが」

「――それなら、僕の精神エネルギーを使ってください。僕なら足りると思います」


 勇吾ユウゴの提案に、良樹ヨシキは失望を露にしたため息をつく。


「……聞いてなかったのか、貴殿は。広範囲に物体を探索させるには、膨大な精神エネルギーが……」

「――あ、彼ならだいじょうぶだと思いますよ」


 良樹ヨシキの繰り言をさえぎって、リン勇吾ユウゴの提案を肯定する。良樹ヨシキリンに向きなおる。


「――なぜだいじょうぶだと断言できる?」

「えっ!? それは、その……」


 リンは思わず言いよどむ。だが、


「――僕、精神エネルギー貯蔵供給会社のアルバイダーとして働いていて、その中ではトップの供給量だと言われたので――」


 勇吾ユウゴ本人が代わりに説明する。


「――へェー、そうなんだ。ヘタレにしては見かけによらない特技ね」


 明美アケミが意外そうな声を上げるが、その口調は好意的ではなかった。


「――なるほど。トップだというのなら、おそらく充分にまかなえるだろう」


 そう言って良樹ヨシキは、アイを装置に座らせ、ゴツゴツとしたヘルメットをかぶせる。そして、その後ろに勇吾ユウゴを誘導し、装置のハンドルを握らせる。本来は精神エネルギーのケーブルを装置のコネクタに差し込み、それを供給するのだが、今回は勇吾ユウゴがその装置のハンドルを握ることで供給源を確保したので不要になった。

 そのため、傍から見たら、足の不自由な人が座った車椅子を押している構図になる。


「――よし。準備は完了した」


 そう言った良樹ヨシキの脳裏には、浮遊諸島である超常特区の地図が広がっている。

 A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワークを介してリンクした地図検索記憶掲示板メモリーサイトの地図である。

 その中に赤い点のマークが点滅しているそれが、物体探知装置の現在位置を示している。

 装置に横にあるボダンを、そこにしゃがんでいる良樹ヨシキが押せば、そこを中心にソナーが波紋が広がり、地図の上を走る。

 そして、発見したい物体が探知したら、黒い点のマークが地図上に浮かび上がる仕組みになっているのだ。


「――発見のカギは、発見したい物体の想像イメージの鮮明度にかかっている。それは固まったか?」

「はいっ!」


 アイは鋭い声で返事する。


「――ではそれを思考記録ログに保存しろ」

「――保存したわ」

「――よし。では飛ばすぞ」


 そう言って良樹ヨシキはボダンを押した。


『……………………』


 しばらくの間、第一研究室の室内が無音になる。


「――どう?」


 アイが期待と不安の混じった声で訊いて来たのはそれからであった。


「――全員、ワタシのエスパーダにリンクしてくれ」


 良樹ヨシキに要請された四人は、その通りにしたがうと、各人の脳裏に超常特区の地図が広がる。赤い点のマークが現在の自分たちの位置。黒い点のマークがバッジの現在位置となっている。もしヒットしたら、その黒い点が表示される。問題はひとつだけかどうかである。二つ以上だと、特定に失敗したことになる。

 ――が、


「――あったわ。ここに」


 リンが声に出して知らせると、他の三人もほどなく発見する。超常特区の地図の一角に、ひとつだけ。


「――うむ。まちがいない。盗られたバッジの所在はそこにある。ひとつしか表示していない以上、間違いない。成功だ」


 良樹ヨシキが断言すると、愛はヘルメットを脱いで立ち上がる。


「――やったァッ! それじゃ、さっそく――」

「――待って、アイちゃん」


 リンが制止する。


「――イサオが言ってたでしょ。盗られたバッジの所在が判明したら警察を呼べって。まだ犯人が所持している可能性があるんだから。しかもその犯人は空間転移能力者テレポーターなのよ。ろくな準備もせずに捕まえに行っても、難なく逃げられるのがオチよ」

「……あ、そうか……」


 アイはしょんぼりとなる。


「――でも、すごいわ。この装置。これも記事にしないと」


 明美が興奮した声でつぶやくと、これまでそれに関して見聞きした記憶をエスパーダと脳内で整理する。


「――それじゃ、さっそく――」


 リンがそこまで言った時、


「……変ですね……」


 勇吾ユウゴの怪訝そうななつぶやきを耳にして、中断する。


「――どうしたのよ? 勇吾ユウゴ

「……盗まれたバッジの現在位置ですけど、ここ、記憶銀行メモリーバンクなのですが……」

「……記憶銀行メモリーバンクゥ?」


 アイが素っ頓狂な声を上げる。


「――うむ、確かに黒のマークはそこを指し示しているな」


 良樹ヨシキもバッジの探索結果が出た地図を、投影した自分の脳裏で見て言う。


「――でも、なんでそこにそんなものがあるのよ――」


 明美が疑問を述べるが、


「――とにかく、イサオに連絡しましょう」


 リンがエスパーダに手を置いて、精神感応テレパシー通話する。


(――あ、イサオ。いま、遺失技術再現研究所にいるんだけど、盗まれたバッジの位置が――)

(――ちょい待ってェな、リン。いま取り込み中なんや。この前のおなじ事件がおなじところでまた起こってェなァ。犯人は現場に立てこもっておってとても忙しいねん)

(――なによ。この前とおなじ事件って。まさか解決したはずの連続記憶操作事件のことじゃ――)

(ちゃうちゃう。そっちの事件やない。その事件のさなかに起きた事件や)

(――その事件って、もしかして……)


 リンがつぶやくと、イサオは一拍をおいてからこのように答えた。


(――記憶銀行メモリーバンク強盗事件や)




 記憶銀行メモリーバンクは、先月に続いて、今月も事件が起きた。

 銀行員にとっては、災難と迷惑以外の何物でもなかった。。

 しかも今回は、逃走に失敗した犯人が建物の中に立てこもり、他ならぬ自分たちが人質に取られてしまったので、災難と迷惑の度合いは前回よりもはるかに強かった。

 いずれにしても、銀行員としては、記憶銀行メモリーバンクを包囲した警察に期待するしかなかった。

 ……のだが、


「――ダメです、警部。犯人や人質の正確な人数が判明しません。どうやら内部の防犯カメラが機能してないようで、記憶銀行メモリーバンク店内の様子がうかがえません」

「――犯人や人質にテレハックで精神感応テレパシー通話や感覚同調フィーリングリンクを試みましたが、どれも失敗に終わりました。おそらく、精神感応テレパシー通信をブロックするリングを頭部に着用しているようです。これでは人質を通して内部情報をつかむことも、犯人をそれで制圧することもできません」

「――犯人の要求は相変わらずテレタクによる安全先への逃走です。もし警察が突入したり、留置場に空間転移テレポートしたりしたら、人質に仕掛けた爆薬が爆発すると。これでは手も足も出ません」


 現場の指揮を執っている龍堂寺イサオの部下からの報告を聞いたら、銀行員の悲観さはさらに増したであろう。


「――いったいどういうことなのっ! イサオっ!」


 その現場指揮官である警部の背後から、聞き慣れた声が投げかけられた。イサオはその方角に身体ごと顔を向けると、規制線の張られたその最前列に、声の主である観静リンが立っていた。その左右には、小野寺勇吾ユウゴ、鈴村アイ、下村明美アケミの四人が、ヤジ馬を背に横に並んでいる。


「――なんや。おまいらか。どういうこともなにも、さっき精神感応テレパシー通話で言うた通りや。記憶銀行メモリーバンク強盗が――」

「――そうじゃないわっ! どうして盗まれたバッジが記憶銀行メモリーバンクにあるのかを訊いているのよっ!」


 叫ぶように問いただしたのはアイであった。イサオは困った顔で首をひねる。


「……そないなこと訊かれても、ワイには見当がつかへんわい。おそらく、記憶銀行メモリーバンク強盗の犯人が持っておるとしか……」

「――だとしたら、その犯人の中に、あのパンチパーマの男が――」

「――そこまではわからへん、なんせ内部情報がまったく得られへんさかい……」

「――でも、なら、どうして空間転移テレポートで逃げないのでしょうか? テレポート交通管制センターやA ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク支援サポートなしでもそれができるのに……」


 勇吾ユウゴが疑問を呈する。


「――たしかに、そんな空間転移能力者テレポーターならこんな包囲なんて突破は容易だわ。そこが不可解ね……」


 リンも糸目の少年に同調する。


「――いずれにしても、こんなところであーだこーだ言っても始まらないわ。ここは行動あるのみ。ジャーナリストの基本だわ」


 明美アケミが握り拳を握って力説するが、どこかうれしそうである。不謹慎なまでに。そのあと、明美アケミは三人を背にヤジ馬の波をかき分けて行く。勇吾ユウゴはさらにたずねる。


「――それにしても、銀行員さんたちがかわいそうですね。立て続けにこんなことが起こるなんて。そんなに他人の記憶が重要なのでしょうか? 記憶銀行メモリーバンク強盗をしてまで」

「――ところがとても重要なんや。この情報社会では、特にな」


 イサオ勇吾ユウゴの疑問に答える。


「――ましてや、記憶銀行メモリーバンクに保存されておるそれが脳内記憶ならなおさらや。脳内記憶は究極の個人情報やからな。なに考えておるんかわからへんやっちゃでも、これなら一発でわかる。これをあばいて金銭かねと名声を得たいヤツは、ジャーナリストを中心にぎょうさんおるしな」


 ――その頃、その一人である下村明美アケミは、人気のない記憶銀行メモリーバンクの路地裏にまわってなにかを探しまわっていた。


「――ちょっと、アンタ。こんなところでなにやってるのよ? 規制線をくぐって」


 その時、明美アケミの背後から、不機嫌そうな声でかけてきた女子が現れた。

 ショートカットの少女――観静リンである。

 その隣には、ツーサイドアップの少女――鈴村アイもいる。


「――シーッ。静かにしなさいよ。犯人に気づかれちゃうじゃない」


 だが、明美アケミはおどろくことなく、押し殺した声で注意する。


「――なにをする気なの? アンタ」


 アイが眉間にしわを寄せて問いただす


「――そんなの決まってるでしょ。記憶銀行メモリーバンクの侵入口を探しているのよ。人質の救出とアンタのバッジを奪還しようと」

「……スクープのまちがいじゃないの?」

「……そ、それは否定しないわ。でも、それだけじゃないわ。だから、そんな冷たい目で見ないでよ。こっちはそのために動いてるんだから。平民なのに、勇敢にも」

「――勇敢? 無謀のまちがいじゃないの? これも」


 リンがこれも不機嫌そうな口調で指摘する。むろん、二人とも明美アケミが言ったことなど信じていない。おおかた、この状況のドサクサにまぎれて、記憶銀行メモリーバンクに保存されてある記憶情報を、不可抗力を装って入手する気だろうと、リンは見当をつけているし、アイですら、少なくてもバッジ奪還が第一ではないと考えている。


「――とにかく、そんなことはやめなさい。別に頼まれてもないのに、余計なことはしな――」

「――あったっ!」


 リンの忠告を無視して、上方を見上げてさがし続けていた明美が、記憶銀行メモリーバンクへの侵入口を見つける。

 それは、二階にある開いた窓であった。

 人体が通れるくらいのサイズはある。

 地上から屋上まで伸びている排水管が、そのそばにあった。


「――さァ、行くわよ」


 それを確認した明美アケミは、その排水管を伝ってよじ登り始める。

 その行動と速度スピードは、二人の予想を越えていたため、気がついた時には、上から窓枠にすべり込んでいた。


「――ホラ、二人とも、早く」


 窓枠と窓の間から顔を出した明美アケミに急かされて、リンアイは仕方なくそれに続いた。このまま明美アケミを放置したら、なにが起きるか、なにを起こすか、わかったものではい。


「――二人とも遅いわね、それでも厳しい訓練を受けた陸上防衛高等学校の生徒なの」


 明美アケミ記憶銀行メモリーバンクの二階の物置部屋に到着したリンアイに文句と苦情を並べ立てる。並べ立てられた方のアイは不機嫌さを増した表情で口を開く。


「……アンタさぁ、いったいどうやって犯人からバッジを取り戻すか、ちゃんと算段を立てて行動しているんでしょうね」

「――なに言ってるのよ。そんなのアンタが考えなさい。アンタのバッジでしょ」


 予想だにしない明美アケミの返答に、アイリンはあっけにとられる。


「――アタシは人質の救出に専念するわ。リンはアタシの護衛とサポートを。その間にアイは犯人を倒して目的のバッシを取り戻しなさい。いいわね」


 相談もなく、そのように指示する明美アケミに、アイはついにキレた。


「いい加減にしなさいっ! さっきから自分勝手な言動や行動ばかり取ってっ! アタシたちはアンタの部下でも護衛でもじゃないのよっ!」

「えっ?! ちがうの?」

「決まってるでしょ!」


 アイはきっぱりと断言する。


「そうよっ! アンタの目的は、どさくさにまぎれて、記憶銀行メモリーバンクにある個人情報を、不可抗力を装って入手することなんでしょ。人質の救出やバッジの奪還なんてただの口実。そのくらいお見通しなのよっ!」


 続いてリンもキレた。そして、最終的には明美アケミもキレた。


「失礼ねっ! アタシがそんなことするような人間に見えるっ!」

「ええ、見えるわっ!」

「むしろそれしか見えないわねっ!」


 二人そろって断言されて、明美アケミはとっさに言い返せない。

 ――と、その時、


「――お前たち何者だっ!? そこでなにをしているっ!」


 誰何の声が物置部屋にとどろいた。

 三人が同時に声が聴こえた方角に視線をそろえると、物置部屋の出入口に、一人の男が、銃口をこちらに向けて立っていた。

 灰色の作業服ツナギを着たその男は、どう見ても二十歳を超えていた。

 そして、記憶銀行メモリーバンク強盗の一人であることも明らかであった。


「――ほら見なさいっ! アンタたちが大声を上げるから犯人にみつかっちゃったじゃないのよっ! どうしてくれるのっ!」

「なに言ってるのよっ! 元をただせばアンタが無謀な行為に走ったのが原因でしょうがっ!」

「――やめなさい、二人とも。そんなことしている場合じゃないでしょ」


 明美アケミアイの口論を、両手を上げているリンが中断させる。


「――撃たれたくなかったら、黙って両手を上げることね」


 その言葉に、アイは不承不承の態でしたがうが、


「――ちょ、ちょっと待ってよ。こうもあっさり降伏しちゃうの!? ねぇ。なんとかこの窮地を脱しな――」


 承服しかねる明美アケミの目前に、青白色の閃光が走った。

 犯人が撃った光線銃レイ・ガンの閃光であった。


「ヒィィィッ!」


 それを認識した明美アケミは、情けない悲鳴を上げて尻餅をつく。


「手を上げろっ!」


 犯人の要求に、明美アケミは慌ててしたがった。

 ……そのような経緯で、記憶銀行メモリーバンク内に囚われている人質の数は、三人に増えた。




「――って、どういうことなんやっ!」


 現場で指揮を執り続けている龍堂寺イサオは、強盗団のリーダーから告げられた精神感応テレパシー通話を聞いて、おどろきと意外さに満ちた声を上げる。


「……とぼけるなっ! オンナを使って裏手から侵入しようとするなんて、ナメたマネしやがって。今度やったら、今度こそ人質の命はないぞっ!」

「――ちょいまてっ! そいつらはいったい――」


 だが、イサオの言葉は、半分も言い終えぬうちに精神感応テレパシー通話を遮断カットされてしまった。


「……三人……オンナ……ってまさかっ!」


 イサオは最前列の規制線に集まっているヤジ馬の群れの一人に振り向く。


「――勇吾ユウゴっ! リンたちはどこへいったんやっ!?」

「――えっ!? そ、そういえば、みんな、どこへいったんだろう? トイレなら、そろそろ戻ってきてもいいころなんだけど……」

「――くそっ! 下村のヤツ。首を突っ込みおおったな。二人を巻き込んで。余計なマネをしくさってェッ! 事態がムダに悪化したやないかっ! 以前、口すっぱく注意したっちゅうのに。ホンマ、懲りんやっちゃ。鈴村の中二病以上やっ!」


 イサオははき捨てるように舌打ちする。


「……こんな時、アイツがおったら……」


 イサオの脳裏にオールバックの髪型にツリ目をした男の姿が浮かぶ。


「――アカンッ! なにを考えててんや、ワイはっ! あないなヤツを頼るくらいなら、鈴村が崇める中二の神々に頼った方がはるかにマシやっ!」


 激しくかぶりを振り、脳裏からその記憶を追い払おうとする。しかし、エスパーダを装着している以上、それは不可能なのだが。


「……人質になったもんはしゃーない。作戦を練りなおす。保坂、強襲攻撃部隊アサルトアタッカーズを現場に集めてくれ」

「はっ!」


 命令を受けた部下はエスパーダに手を触れて警察署に連絡する。それを確認したイサオは、

 

「――心配すんな、勇吾ユウゴ。鈴村たちは必ずワイが――」


 ――ようやく気づく。

 勇吾ユウゴの姿が、いつの間にか消えていたことに。

 ヤジ馬の中から、忽然と。

 




「……やっぱり、こうなってしまったわね……」


 リンは諦観のまなざしで記憶銀行メモリーバンクのロビー兼待合室の天井を見上げたままつぶやく。


「……そうだね……」


 その隣に座り込んでいるアイも同様のまなざしでうなずく。


「――なに最初からあきらめ切ったようなことを言ってるのよっ! アンタたちがそんなんだからこうなってしまったのにっ! おかげで見聞記録ログに保存してあった特ダネが全部消えちゃったじゃない。エスパーダを取り上げられてっ!」


 反対側にいる明美アケミがわめくように非難する。

 三人はここの隅に集められている銀行員のように、頭部にリングをはめられている上に、両手を結束バンドで縛られている。

 その周囲を、作業服ツナギ姿の記憶銀行メモリーバンク強盗団がつつむように見張っているので、ヘタな動きはできない状態にある。

 強盗犯の正確な人数はわからないが、おそらく二桁には達してないと思われる。

 しかし、その全員が光線銃レイ・ガン光線剣レイ・ソードなどで武装している。

 ガラスばりの玄関と窓はすべてカーテンで覆われ、外部からではこちらの内部をうかがわせないようにしている。


「コラッ! 静かにしろっ!」


 見張りの一人が叱咤の叫びを明美アケミになげつける。


「ヒィィッ! すみませんっ! すみませんっ!」


 叱咤を受けた方は卑屈なまでにあやまる。だが、すぐにそれを収めると、


「……さて、どうやって記憶銀行ここの記憶情報を事故に見せかけて入手ゲットすることができるか……」


 と、野心的な笑みを浮かべてつぶやく。

「……こんな状況だっていうのに、まだそんな不謹慎なことを考えているわ、このオンナ……」


 アイがあきれた表情と小声で言う。


「……ホント、非常識な女子ね。アイだってここでは中二病を必死に押さえ込んでいるっていうのに……」


 リンも同調するが、その中にはアイが承服しかねる述懐が混じっていたので、本人は不服そうな口調で抗議する。


「……なによ、それ。それじゃ、まるで年中休みなくこじらせているみたいじゃない」

「ちがうの?」

「……………………」

「――ま、どっちにしても、アンタのしょげた顔は見たくないけどね。喫茶店で見せたような顔は」

「……………………」

「――だから、はやくいつもの調子に戻りなさい。でないと、こっちの調子まで狂うわ」

「……わかったわ……」


 アイはややあってからうなずいた。

 苦笑とも微笑ともつかぬ表情で。


「……なによ。アンタたちこそこんな状況で笑ってるじゃない。どっちが不謹慎なのよ……」


 明美アケミが不平を述べながら、眼球だけを動かして周囲をうかがうが、薄暗いロビー兼待合室の片隅では、大した情報は得られなかった。

 ――と思いきや――


「――ん、あれは――」


 明美アケミの瞳に、見覚えのある顔が映った。

 身なりこそ作業服だが、頭部の髪型は見間違えようがなかった。

 エスパーダを取り上げられても。


「――まさか、アイツじゃ――」


 明美アケミの様子に気づいたアイが、その視線の先にある強盗犯を見て息をのむ。

 鈴村アイのバッジを盗んだパンチパーマの男を見て。


「――どうやら間違いないみたいわね。記憶銀行メモリーバンクに盗まれたバッジがあるのは――」


 リンもその男を見て断言する。正直ぶっちゃけ、なぜ記憶銀行メモリーバンクに盗まれたバッジがあるのか、はなはだ疑問だったが、盗んだ本人が持って記憶銀行メモリーバンク強盗を働いているというのなら納得がいく。いずれにしても、バッジ奪還の好機チャンスである。


「……問題はどうやって取り返すかなんだけど……」


 アイがアゴをつまんでつぶやく。常識的に考えれば、外で包囲している警察に、記憶銀行メモリーバンク店内の内部情報を知らせ、突入させるのが定石セオリーだが、エスパーダのない状態では、それは無理である。リンのマインドサイバー攻撃は、エスパーダなしでは不可能なので、強盗団にそれを仕掛けて混乱を誘うことはできない。


「――だいじょうぶ、アタシにまかせて」


 しかし、そう言ったのはそのリンであった。まだアイには知らせてないが、凛はエスパーダがなくても精神感応テレパシー通話が可能な生粋の精神感応能力者テレパシストなのである。だが、その範囲は直接接続ダイレクトアクセスなみに短く、雑音ノイズが多い上に負担がかかるが、記憶銀行メモリーバンクを包囲している警察になら、充分に届くし、手短かに伝えれば、雑音ノイズまじりでも聞き取れるはずである。頭部のリングは、受信に対する精神感応テレパシーをブロックするものなので、送信に対しては効かない。


(――でも、伝えるのは警察だけじゃないわ。アイツにも伝わるように、精神周波数を合わせないと――)


 そのように留意すると、さっそく精神感応テレパシーで呼びかける。

 現場の指揮を執っている龍堂寺イサオに聞かせる形で、もうひとりに。




「――よしっ! 作戦を立てたでっ! よく聞けやっ!」


 龍堂寺イサオは、主だった部下たちを、犯人が立てこもる記憶銀行メモリーバンクの死角の建物の陰に集めて、気合いを込めた声で前置きする。


「――あのー、その前に記憶銀行メモリーバンク店内の状況を説明してもらいませんでしょうか?。でないと、不測の事態に対応できませんので」


 部下の一人である楢原ならはらが遠慮がちに上司に要求する。


「――おお、せやったせやった。これは新たに人質となった民間人の一人が、精神感応テレパシー記憶銀行メモリーバンク内の内部情報を知られてくれたものなんや」

「――精神感応テレパシーで、ですか? 大丈夫なのでしょうか? あてにしても」

「――心配あらへん。信頼できる筋からの情報やから」


 イサオがさとすように述べると、民間人からもたらした情報を開示と説明をする。犯人や人質の人数とその位置。そして、犯人の武装を。さらには、強盗犯の中にバッジを盗んだ窃盗犯が混じっていることも。


「――幸い、人質に爆薬を仕掛けたっちゅうのはまったくのブラフや。せやから心配はいらへん。以上や。なんか質問は――」

『……………………』

「――あらへんおなら、あらためてワイが立てた突入作戦を――」


 と、そこまで言った時、


(――龍堂寺警部。大変ですっ!)


 記憶銀行メモリーバンクを監視していた保坂ほさかが、エスパーダの精神感応テレパシー通話で急報を伝える。


「どないしたんや」

「人質が記憶銀行メモリーバンクから出てきました。そこから逃げるように、次々と」

「なんやてェッ?!」




 人質が記憶銀行メモリーバンクから逃げ出す、少し前――


「――おい、警察からの応答はまだ来ないのか」


 外を見張っている強盗犯Aが、人質を監視している仲間に問いかける。

 明らかに焦慮と苛立ちの響きに満ちていた。

 いっこうに変化しないこの状況に。


「――ああ、まだ来ねェ。テレタクの準備はまだなのかっ!」

 エスパーダに手を置いて人質を監視している強盗犯Bが、相手と同様の口調で答える。

「――くそっ! 警察は明らかに時間を稼いでいやがる。ナメられたもんだぜ」


 同じく監視している強盗犯Cが、舌打ちをまじえて吐き捨てる。


「――目的の個人情報は手に入れたっていうのに、このまま捕まったら、元も子もねぇぞ」

「――誰だよ。記憶銀行メモリーバンクの個人情報の記憶情報は金になるって言ったのは」


 強盗犯Dが責任者を追求する。

 それを皮切りに、仲間の間で論争が始まる。


「……………………」


 そんな仲間たちを、強盗犯の一人であるパンチパーマの男が黙然と眺めやっている。


「……………………」


 そのパンチパーマの男を、鈴村アイと観静リンが、気づかれないように視線を送っている。


「……なんだろう。目的の個人情報って……」


 一方、下村明美アケミの興味と視線は、論争中の強盗犯たちに向けられていた。


「――ん? 一人たりねぇぞ」


 強盗犯Eが、それを聞いて論争を中断させる。


「人質が逃げたのかっ!」


 強盗犯Aが問いかける。

「――いや、強盗団オレたちの方だ。リーダーがいねェ」

「――そういえば、どこいったんだ?」

「――たしか、逃走ルートを見つけたとか言って、その確認をしに行ったきりだが」

「――あの三人の人質が記憶銀行ここに侵入したルートのことか。たしかに、それを逆行すればうまく逃げられるかもしれねェが……」


 そこまで言った時、階段に続いているドアが開いた。


「――だれだっ!?」

「――オレだよ。そうビビるな」


 そう言ってそこから現れたのは、灰色の作業帽を目深にかぶった灰色の作業服姿の男であった。


「――なんだ、リーダーか。おどかすなよ」

「――で、どうだったんだ。逃走ルートは」


 強盗犯Eに問われて、強盗団のリーダーはかぶりを振る。


「――くそっ、ダメか……」

「――だが、その代わりいい方法を思いついた。全員、集まってくれ」


 リーダーが指示すると、記憶銀行メモリーバンク内にいる強盗団はそれにしたがう。

 人質を監視していた強盗たちも。

 その隙を突くかのように、一個の人影が、カウンターから躍り出て、ロビー兼待合室の墨に集められている人質たちの中にまぎれ込む。

 武装した強盗団はそこから死角になるところに集まる。


「――なんだい、リーダー、いい方法って」


 強盗犯Cが急かすようにうながす。

 リーダーが口を開きかけたその時、


「――ああっ、ヤマトタケルだァッ!!」


 突如人質の中から大声が上がった。

 下村明美アケミが上げた声である。

 結束バンドを解いた凛に、エスパーダを装着させている姿を見て、思わず上げてしまったのである。


「バカっ! なに大声を上げてんのよっ!」


 愛が押し殺した声で注意するが、すでに手遅れであった。窃盗団の視線は、人質の中にまぎれ込んでいるオールバックの髪型をしたツリ目の少年にむけられていた。


「――てめェッ! いつの間に――」


 強盗犯Aがうなり声を上げる。だが、それに続くはずの行動は、本人の意思に寄らず中断させられてしまう。

 背後から繰り出された右上段横蹴りを後頭部に受けて。

 他ならぬ窃盗団のリーダーの襲撃であった。


「――なっ?! 何をしやが――」


 強盗犯Bは驚愕の声を上げ終えぬうちに右フックでなぎ倒され、強盗犯Cも後ろ蹴りをみぞおちに喰らって床にうずくまる。


「――今のうちに、早く――」


 その間、ヤマトタケルは、カーテンでおおわれた窓を蹴りやぶり、脱出路を確保すると、人質たちをうながす。結束バンドで両腕を縛られた人質たちは、事態を察すると、悲鳴を上げながらも、次々と立ち上がって脱出口に向かって駆け出す。全員脱出するまで見届けているヤマトタケルの背中を、突如暴れだしたリーダーの間合いから逃れた強盗犯Dが、光線銃レイ・ガンで撃とうとするが、なぜか自分で自分の顔に光線銃レイ・ガンの銃身をぶつけ、昏倒する。


「――余計なマネだったかな?」


 まだ脱出してないリンがその光景を見てつぶやく。強盗犯Dが勝手に自滅したのは、リンが強盗犯Dにマインドサイバー攻撃をしかけたからである。『ブレインジャック』というマインドサイバー攻撃を。これを受けた者は、身体の制御を乗っ取られ、自分の意思で動けなくなるのだ。さきほど、ヤマトタケルがエスパーダを装着してくれたので、マインドサイバー攻撃ができるようになったのである。

 とはいえ、リンがつぶやいた通り、余計なマネだったかもしれない。なぜなら、タケルは、すでに『無狙点射撃ノールックショット』で、強盗犯Dに狙点を定めていたので。

 強盗犯Eが強盗団のリーダーによって殴り倒されると、残されたのは、パンチパーマの男ひとりだけとなった。その表情は混乱に極に達していた。どうしてこの期におよんで他ならぬリーダーが造反したのか。


「――『|精神体分身の術アストラル・アバター』ね」


 凛が強盗団のリーダーの正体を看破する。あれはヤマトタケルが|精神体分身の術アストラル・アバターで強盗団のリーダーの外見を似せて作りだした精神アストラル体なのである。おそらく、脱出路の捜索に一人で行った時、タケルの襲撃に遭って入れ替わったのだろう。だとすれば、強盗団のリーダーは、今頃記憶銀行メモリーバンク内のどこかに閉じ込められているか、気絶しているか、いずれにしても、身体の自由は奪われているには違いなかった。

 ちなみに、|精神体分身の術アストラル・アバターの使用中は、本体の意識は喪失状態になるのだが、『並列処理マルチタクス』を併用しているので、本体の身体操作に支障はない。

 パンチパーマの男は、胸中の混乱を抱いたまま、身をひるがえして逃走する。人質たちとは別の方向に。


「――逃がさないわよっ!」


 アイが叫びとともに光線銃レイ・ガンの銃口から青白色の閃光を撃ちはなつ。捕まった時、幸いにも見つからずにそのまま所持していた護身用のそれは、みごと相手の背中に命中する。パンチパーマの男は、倒れる際に半身をカウンターにぶつけ、半回転して背中から倒れこむ。麻痺様式パラライズモードなので、死んではないが、さすがに苦痛は避けられない。


「――やったァッ!」


 アイが嬉しさに満ちた叫び声を上げてあおむけに倒れているパンチパーマの男に駆け寄る。


「……これでバッジを取り戻せるわ。そして、タケルに……」


 その表情に憂いさが差すが、それに負けまいと笑顔をたもつ。


「……変ね……」


 アイとは対照的に不審のつぶやきを漏らしたのはリンであった。


「……なんだろう、この違和感、もしかして……」


 そこまでつぶやいたその時、


「――ちがうっ! そいつじゃねェッ!」


 ヤマトタケルがさけんだ。


「――えェっ?! ……どっ、どういうこと……」


 足を止めたアイが、身体を一瞬ビクッとさせてから肩越しに問いかける。その表情は、親に叱られた子供のようにおびえていた。


「――バッジを盗ったヤツとは違うっ! そいつは久川比呂ヒロとの外見が瓜二つなまったくの別人だっ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る