第2話 和風中二病少女の深刻な悩みとバッジに込めた想い

 市街区島のショッピングモール内にある喫茶店カフェ、『ハーフムーン』のパンケーキは、とても美味との評判で、現在、地元の女性客を中心に人気のあるオシャレな喫茶店カフェだと、A ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク記憶掲示板メモリーサイトには記載されてある。

 その記憶掲示板メモリーサイトを、ネットサーフィンでなにげなく見つけた観静みしずリンが、休日のヒマつぶしに、事実かどうか確かめるため、午前一○時の開店時間のその店に入ってそれを注文した。噂は本当だったという結果に、リンは大層よろこんだ。なんでも、一周目時代の二十一世紀日本で流行したそのデザートの製造法を、遺失技術ロストテクノロジー再現研究所が再現に成功し、オークションにかけられたその権利を、『ハーフムーン』が落札したゆえに出せたメニューらしい。いずれにしても、これからは行きつけの店にしようと、リンがパクパクと食べながら心に決めると、顔見知りの二人の男女が店内に入ってきたのを見て、声をかける。


「――あら、勇吾ユウゴアイじゃない」


 名を呼ばれた糸目の少年とツーサイドアップの少女は、窓際のテーブル席にいるショートカットの少女に視線をむけると、そこまで足を運ぶ。


「――リンさん。偶然ですね。ここで会うなんて」


 糸目の少年こと小野寺おのでら勇吾ユウゴは、その糸目をさらに細めて喜びに弾んだ声でいう。


「――でも、ちょうどよかったです。実は相談したいことがあって……」


 そう前置きした勇吾ユウゴの口調に翳りが差す。それを感じ取ったリンは、その隣に立つ鈴村アイに視線をむける。元気溌剌な童顔の表情には、いつものそれがなかった。思いつめたかのように暗く沈んでいた。正面の席に座るよう、勇吾ユウゴとともにうながしても、終始無言であった。ただならぬ様子であると、リンは察する。


「――それってアイについて?」

「……はい、そうです」


 そう答えて、勇吾ユウゴは隣に座った自分の幼馴染を見やる。アイは元気のない表情でテーブルに視線を落としている。それを心配そうに見やりながら、勇吾ユウゴは続ける。


「――さっきそこで会ったのですが、話しても口数が少なくて。なにか悩んでいる様子だったので、相談に乗ろうと、どこかの店に入って訊こうと思ったら――」

「――アタシと出会ったと」

「……はい。正直、僕ひとりでは心細かったので、リンさんも一緒に相談に乗ってくれたらとても助かるのですが……」

「なに言ってんのよ。そんなの、当たり前じゃない。アタシたち、友達なんだから。その関係にした張本人がいまさらなに遠慮してるのよ」

「……そ、そうですよね……」


 勇吾ユウゴはタジタジの態でうなずく。この三人の少年少女は、第二日本国国防軍陸上防衛高等学校の一年の生徒で、この場にいない龍堂寺イサオも含めて、同じ校舎でともに学んでいる親友の間柄なのである。

 本日は休日なのて、三人とも制服ではなく私服姿である。


「――それじゃ、訊いて見ましょう」


 そう言ってリンは食べ終えたパンケーキの皿にナイフとフォークを置くと、


「見つけたわっ! 観静リンっ!」


 店内の喧騒を上回る声が、店内にひびきわたった。


「……げっ、アンタは……」


 その声を聞いたリンが、他の来客と同時に声の主を見やると、サイドポニーの髪型に動きやすい私服を着た少女が店の出入口付近に立っていた。そして、猛然とした足取りで観静リンたちが座るテーブルのそばまで歩いてくる。

 右耳の裏に装着してあるエスパーダという三日月状の小型機器から手を離さずに。

 リンを凝視するその瞳には、好奇心と探求心にあふれた輝きを放っていた。


「――あれ? この女子ひとは、たしか……」


 勇吾ユウゴが言いながら、幼馴染の童顔に似た、だが、どこかディティールの異なる顔立ちを検索条件に、自分の脳内記憶やエスパーダの見聞記録ログをあさり尽くす。そして、


「――下村しもむら明美アケミさんではないですか。この前の連続記憶操作事件について僕たちを取材していたジャーナリストの」


 という検索結果が出て、それを口にする。都立上島高等学校に在学する一年生で、将来は当然のごとくジャーナリスト志望である。現在は新春社という週刊雑誌の出版社で働きながら勉学に励んでいる。


「――そうよ。でも、今日はアンタに用はないの。だから、ちょっと黙ってて」


 だが、下村しもむら明美アケミ勇吾ユウゴの身元確認の言を冷たく無視してリンのとなりに座る。

 相変わらずエスパーダから手を離さないでいる。

 見聞記録ログの機能を確実に保持するために。

 その姿を見て、リンはげんなりとした表情と口調で明美アケミに言う。


「……なによ、いったい。連続記憶操作事件やアタシやアタシの母さんについてなら、もう散々訊いたじゃない。なのに、これ以上なにを――」

「ちがうちがう。今日はそれらとは別のことを訊きに来たのよ」


 明美アケミは頭と左手を振る。


「――では、なにを訊きに――」


 勇吾ユウゴが横からたずねる。だが、明美アケミは質問者に対して見向きをせずにこう答えた。


「――もちろん、ヤマトタケルについてよ」

『――?!』


 リン勇吾ユウゴの全身に戦慄と驚愕の電流が走る。二人のその様子に、下村明美アケミは気づかずに続ける。


「――警察は認めてないみたいだけど、事件解決に多大な貢献を果たしたのは、ヤマトタケルと名乗った謎の少年だという話じゃない。第二日本国の危機を救った謎の美少年イケメンっ!! ジャーナリストにとって、これほど知りたい取材対象はないわっ! その正体もね」

「……そ、そう……」


 今度はリンがタジタジとなる。


「――それで、ヤマトタケルについて、なにか知らない、観静。事件の時、いっしょに行動してたんでしょ」


 明美アケミ身を乗り出してたずねる。


「……さ、さァ。たしか、連続記憶操作事件の主犯格の一人が、小野寺家に代々仕える裏小野とかいう影の一族の末裔とか言ってたけど……」


 リンがとまどいながらも答える。とりあえず、ウソは言ってないつもりである。すべての事実までは伝えてないが、無論、真実など論外なので、これは意図的に隠匿せざるを得なかった。


「――裏小野? なに、その中二設定?」


 明美アケミは眉をしかめて言う。しかし、そのあとなにかに思い当たったようなフシの表情に変わる。



「……そ、そんなこと言われても、アタシは自分の耳で聞いた事実を言っただけで……」


 リンは弁解するが、それを聞いた明美アケミの表情やまなざしは納得や得心にはほど遠かった。このままではしつこく訊かれるのは目に見えているので、


「……そ、そうだわっ! ヤマトタケルと直接会話した見聞記録ログがあるわ。これをテレメールであなたに送信するから」


 そこから目をそらすような情報を提供する。


「ホントッ!? じゃ、さっそく送って。もう、それがあるならはやく言ってよ」


 それに食いついた明美アケミは上機嫌ま声で言いながら、リンから送信されたテレメールを受信する。


「――よしっ。これをネタに特集を組むよう編集長デスクに進言しおうっと。これでヤマトタケルの正体にまた一歩近づいたわ。いったい誰なのかしら。あのエセアイドルから第二日本国を救った救世主って。いずれにしても、このアタシがいつか必ずあばいて、世間をアッとおどろかせてやるわ。一周目時代にあったピューリッツァー賞を上回るスクープを引っさげてね」


 一通りその場でテレメールの内容を吟味した下村明美アケミは、両眼をギラつかせてセルフ宣言する。それを耳にしたリンは、その熱意に引きながらも、内心で安堵する。ジャーナリストを志望しているだけあって、時事ネタと情報収集能力には長けているが、それに反して観察力はとぼしいようである。なぜなら、


「――だって、目の前にそのヤマトタケルがいるのに、それに気づく様子が全然ないんだもの――」


 ――からである。本人があからさまにオタオタしているにも関わらず。

 そう。ヤマトタケルの正体は、そこの席に座っている糸目の少年――小野寺勇吾ユウゴなのだ。

 普段はマッシュショートの髪型をした糸目の穏やかな顔立ちだが、感情がたかぶると、オールバックの髪型とツリ目の野性的な顔立ちに変化するのだ。むろん、外観だけではなく、声質や性格も変化する。この事実を知っているのは観静リンただ一人で、しかも、正体がバレていることに、本人である小野寺勇吾ユウゴは知らない。幼馴染である鈴村あいですら気づく気配がないのだ。


(――この調子じゃ、ヤマトタケルの正体に気づく前に寿命が尽きてしまいそうね。それぐらい、ジャーナリストとしての才覚がないわ。ギアプの使用を考慮しても。はっきり言って、ただのミーハーな女子高生じゃない)


 と、リンは結論づける。だが、そのあと、それは過小評価かもしれないと、考えをあらためる。なので、それが正しいか否か、確認の言葉を投げかける。


「――ヤマトタケルの正体ならいま思い出したわ、下村」

「えっ?! ホントっ!? だれっ!? その人っ!」


 思いっ切り身を乗り出して問いただす明美アケミ。それを耳にした《アイ》も、驚いた顔でリンの顔を興味深く見つめる。無論、興味を抱いたのは、ショートカットの美貌ではなく、その持ち主の発言の内容である。見つめられたリンはおごそかに答えた。


「――そこにいる小野寺勇吾ユウゴよ」

『ええぇっ?!』


 突然の不意打ちに、糸目の少年は驚愕の声を上げる。むろん、デタラメを言われたからではなく、正体を見抜かれたと思って。


『……………………』


 四人の間に沈黙のメリーゴーランドが無音でまわる。

 それが長く続くと思われた矢先、


「――あっはっはッハっハッ。そんなわけないでしょ、観静」

「ええ、ただの冗談。冗談よ、下村」


 そう言ったリンの語尾に笑い声が続き、明美アケミのそれと唱和する。


(――やっぱりね――)


 こうして、リンは確信を決定的なまでに深めた。


(――ホッ……)


 そのやり取りを聞いて、勇吾ユウゴは心から安堵する。当然、リンに自分の正体を知られている事実に、気づくことはなかった。

 だが、


(――フンッ、冗談ですって?! バカにして。彼の正体はまぎれもなくヤマトタケルよ。アタシのカンがそう告げているわ。小野寺につきまとっていれば、必ずその確証がつかめる。アタシの目はフシ穴じゃないんだから――)


 下村明美アケミも確信する。リンの意図に反して。とはいえ、表面的には、


「――わかってるわよ。こんなヤツがヤマトタケルなわけないでしょ。知ってるわ。女子にイジメられている上に、その女子にイジメから守られているっていう、超ヘタレなヤツなんでしょ、その男子。まったく、陸上防衛高等学校に入学した士族の子弟とはとても思えない軟弱ぶりね。連続記憶操作事件じゃ全然活躍してなかたっし」


 けなす形で取りつくろう。本人の目の前で。勇吾ユウゴにむけられた視線や口調も侮蔑に満ちていた。

 ――その直後だった。


「――ユウちゃんをバカにしないでぇっ!!」


 ひときわ大きい声が店内にひびきわたった。

 ツーサイドアップの少女――鈴村アイが、立ち上がりながら叫んだのだ。

 聞き捨てならない発言を聞いて。

 それはカマをかけたリンも同様であったが、アイに先を越されたのだ。


「――なんにも知らないくせに、知った風なクチで言わないでっ! ユウちゃんはヤマトタケルとともに須佐すさ十二闘将の一人に選ばれるほどの勇気のある強い男の子なんだからっ! でなければ、あの時、守ってくれなかったわっ!」


 ふたたび叫びを放たれた明美アケミは、だが、動じたりはしなかった。


「――アタシに知らないことはないわ、鈴村。この前の事件の取材でも言ったでしょ。それが小野寺勇吾ユウゴの真実よ。アンタが重度の中二病にかかっているかわいそうな人間だってことは知っているし、そんなヤツの証言を信じるわけないでしょう」

「なんですってっ?!」


 アイは目をむくが、


「――いいんです、アイちゃん。そう釈られても仕方ないのですから」


 他ならぬ勇吾ユウゴになだめられ、しぶしぶと矛をおさめる。いずれにせよ、喫茶店カフェ『ハーフムーン』の店員の介入はひとまず回避された。


「――それよりも、よかったです。今日のアイちゃん、元気がなかったですから」


 勇吾ユウゴが言うと、アイは途端にさきほどまでの元気と威勢に良さをうしない、静かに着席する。


「……どうやらそれは一時的なものだったみたいわね、勇吾ユウゴ


 リンが冷静なまなざしで判断する。と、同時に、三人がここに集まったのが、鈴村アイのことについて、本人を交えて相談するためだったことを思い出す。


「……どうしたのですか、アイちゃん」


 勇吾ユウゴが心配そうな表情でのぞき込むようにたずねる。リン勇吾ユウゴとおなじ表情になるが、隣に余計な部外者の下村明美アケミが図々しく着座していることに気づき、


「――ちょっとアンタ、席を外してくれない?」


 退席を要求する。表情を迷惑そうなそれに変えて。


「――いいじゃない、別に。せっかくだから。ネタは多く拾っておくことに越したことはないんだから」


 だが、明美アケミが拒絶する。明美アケミの空気を読めなさに、さすがのリンもカチンと来るが、


「――これよ」


 アイがかまわず言い出したので、怒鳴りそびれてしまった。

 アイは藍色の小箱をテーブルに置くと、そのフタを開けて、一同に中身を見せる。


「……これは……」


 リンがたずねる。


「……バッジよ。鷹の形をした――」


 アイは静かに答える。


(……このバッジ、どこかで……)


 それを見て、勇吾ユウゴが何かを思い出しかける。


「――この鷹のバッジがどうかしたの?」


 無遠慮に、もしくは無神経に問うたのは下村明美アケミである。アイはこれも気にせず、静かに答える。


「……七年前、暴漢に襲われそうになったアタシを、全力で助けてくれた人が落とした物なの」

「――ずいぶんと昔な話ねェ。で、いったい誰なの? アンタをたすけてくれた人って」


 再度明美アケミにたずねられたアイは、ためらいながらも答えた。

「……ヤマトタケルよ」

「なんですってっ?!」


 今度は明美アケミが叫び声を上げる番になる。


(……そうだ。このバッジ、いつの間にか失くしたと思ったら、七年前のあの時に落としたんだ……)


 勇吾ユウゴは完全に思い出す。


「――ということは、ヤマトタケルはやはり――」


 一方、下村明美アケミは熱を帯びた口調で独語する。

 そこへ、一人の人影が控えめな歩調で控えめに近づいてくる。


(……ああ、ついに来ちゃったか……)


 リンは内心でため息をつく。これだけ店内で大騒ぎすれば、店員から注意ないしクレームが来るのは火を見るよりも明らかである。リンは顔を上げると、自分たちのテーブルのそばまで来た店員――

 ……ではなかった。

 『ハーフムーン』指定の、緑色を基調とした地味なデザインの制服を着用していないのが、なによりの証拠である。

 代わりに着用しているのは、黄色を基調としたハデなデザインの衣服であった。

 チョビ髭とパンチパーマにサングラスをかけたその容姿は、二十歳前後のようであった。


「……な、なによ、アンタ……。だれなの?」


 明美アケミがひるみながらも誰何するが、パンチパーマの男は無視して、テーブルの上にある小箱を無造作に拾い上げ、二、三回、上に軽く放り投げてはキャッチする。

 ニヤリと笑いながら。

 観静リンとは悪い意味での、他人の不幸をあざ笑う表情であった。


「……ちょ、ちょっと、なにを――」


 アイがふたたび立ち上がって声を上げかける。その瞬間、パンチパーマの男は、これ見よがしにその場から走り出す。

 茶色のマフラーをなびかせながら。

 店員や客にぶつかることなく、脱兎のごとく店を走り去って行った。


『……………………』


 あまりにも突然の出来事に、四人の思考は二瞬ほど停止してしまうが、


「――バッジを盗られたっ!」


 アイが上げた叫びによって、三瞬後には事態を把握した。

 四人はもつれながら逃走したパンチパーマの男を追いかける。

 だが、すでにパンチパーマの男の姿は見失っている。

 いまさら追跡しても捕まえられるわけがない。

 四人はそう思いながら店の外に出る。

 広大で重層的なショッピングモールの建物と広場が、目の前に広がっていた。

 通行人の往来も多い。

 四人はそれぞれの視線で広場を見回すが、見当たらない。


「――あ~あァ。逃げられちゃった」 


 明美アケミが他人事のように現状を述べる。そんなことはわかっていると、リンがさけぼうとしたその時――


「――いたっ!」


 アイが指さすと同時にさけんだ。

 その方角に視線をむけると、広場の噴水の縁に腰をかけているパンチパーマの男が、そこにあった。

 リンがその姿を視認した時には、アイはそこへむかって走り出していた。そのリンもそれに続く。

 パンチパーマの男は、あからさまにわざとらしくおどろくと、こちらに背を向けて逃走を開始する。

 明らかに追跡者をもてあそんでいた。

 それを悟ったアイリンは、怒りの形相で追いかける。

 まるで猛牛のように。


「……やめよう」


 だが、下村明美アケミだけが追跡を断念していた。


「――アタシの足じゃ、追いつかないし、なにより疲れるわ」


 その表情と視線は冷めきっていた。


「――たかがバッジに、ご苦労なことね。ま、ヤマトタケルの所持品には興味あるけど」


 明美アケミが肩をすくめて独語していると、


「――お客さま」


 背後から声をかけられ、肩越しに振りむく。

 そこにいたのは、『ハーフムーン』の店員であった。


「――あのー、お会計を――」


 『ハーフムーン』の店員は喫食代を明美アケミに請求する。

 それも四人分の。


「――えっ?! ちょっと待って。どうしてアタシだけが――」


 明美アケミは追いかけていった二人を呼び止めようと正面に視線を戻すが、その姿はどこにもなかった。


「――あ、そうだ。あのヘタレに払わせれば」


 だが、そのヘタレたる小野寺勇吾ユウゴも、いつの間にか姿を消していた。

 ――結局、喫食代はなにひとつ注文していない下村明美アケミだけが、その場で支払うハメになった。




「――待ちなさいっ!」


 鈴村アイはさけびながらパンチパーマの男を追走する。

 双方ともショッピングモールのオブジェや通行人の隙間をすり抜けながら。

 だが、そのたびに、徐々にだが、逃走者と追跡者の距離が少しずつ開く。


(――どうしよう。このままじゃ、逃げられちゃう――)


 疲労によってかいた顔の汗に、冷たいそれが混じる。

 しかし、事態は好転する。

 パンチパーマの男が、人気のない袋小路の裏路地に入ったからである。

 そして、建物の壁に囲まれた袋小路を前に、パンチパーマの男は立ち止まる。


「――もう逃げられないよっ!」


 その背中を、アイの声が叩いた。


「――それは、アタシにとってとても大切なものなのっ! だから、返しなさいっ!」


 アイは鋭い声で要求する。それに対して、パンチパーマの男は、ゆっくりと振り向き、鈴村アイと対面する。

 その表情はニヤニヤと笑っていた。

 自分のしたことに、罪の意識など微塵も感じさせない不敵て不遜な笑いであった。

 その笑みを見て、怒気を刺激されたアイは、バックから光線銃レイ・ガンを取り出して構える。

 今月なって陸上防衛高等学校から支給された護身用の武器である。

 なので、麻痺様式パラライズモードしか実装されてないが、相手を動けなくするだけなら十分な出力が望める。

 鈴村アイも、ギアプと訓練のおかげで、この距離でも相手に命中させるだけの技量まであがったのだ。

 発射に必要な精神エネルギー量も。

 しばらくの間、両者は無言で対峙する。


「――返しなさいっ! さもないと――」


 アイが再度要求する。だが、最後まで言い終えぬうちに、パンチパーマの男はその場から消えた。

 なんの前触れもなく、突然に。


「――なっ?!」


 アイは驚愕のうめきをもらす。思いも寄らぬ現象と事態に、だが、すぐに気づく。


「――しまったっ! テレタクだわっ! あいつはそれで――!」


 光線銃レイ・ガンを下ろしたアイは悔しげにさけぶ。頭上を見上げると、一台の防犯カメラが設置されてある。テレタクで空間転移テレポートするには、防犯カメラの前に立って、テレポート交通管制センターの管制員にその姿と位置を知らせなければならない。パンチパーマの男は、袋小路に追いつめられたと見せかけて、テレタクの空間転移テレポートで逃げるつもりで、あえてそこへ入ったのである。しばらくの間、そこで立ち止まっていたのも、テレタクの利用手続きを取るのに必要な時間を稼ぐためだったのだ。空間転移テレポートした先がわからない以上、追跡は不可能に近かった。


「――安心しなさい。アイちゃん」


 背後から声をかけられた。

 親しみのあるその口調に、アイが身体ごと振り向くと、ショートカットの少女が、そこにたたずんでいた。

 観静リンであった。


「――警察にはもう通報しておいたわ。だから、アイツが空間転移テレポートした先は、逃亡先ではなく、警察署の勾留場よ」

「ホントッ?! リンちゃんっ!」

「――ええ。アイツの姿はアタシのエスパーダの見聞記録ログにばっちりってあったから、通報のとともに送信したの。警察もテレポート交通管制センターに通知して、アイツがテレタクを利用したら、そこへ誘導するよう要請したわ」

「――それじゃ、アイツは――」

「――ええ。今頃はそこで地団駄を踏んでいるでしょうね」


 リンは愉快そうに笑う。


「――それじゃ、さっそく警察署に行って、バッジを取り返さないと」


 アイがうれしそうに言ったその時、


「――バッジってこの箱の中に入っているもののことかい?」


 冷ややかであざけりの調子を込めた声が、二人の少女の鼓膜を刺激した。

 聞き覚えのない男の声だが、それが聴こえた方角に振りむくと、見覚えのある容姿の男が、ショッピングモールをいきかう通行人を背後にたたずんでいた。

 ハデな黄色い服装を着込んだその人は、パンチパーマの男であった。

 右手には藍色の小箱がある。

 鈴村アイが所持していたものである。

 間違いなく『ハーフムーン』で鈴村アイから小箱を盗った窃盗犯である。


「――なっ?! どっ、どうして、アンタが、ここに……」


 リンがうめきに近い疑問の声を発する。アイにいたっては声にならないさけびを上げる。


「――ヒヒヒヒヒ。それはどうしてかなァ。わかるかなァ、お前たちバータリンに」


 パンチパーマの男はあざけりの笑みを絶やさずに応じる。

 明らかにからかっていた。

 警察署の留置場に空間転移テレポートされたと思い込んでいた二人に対して。

 だが、現実はこの通りである。


「――かっ、返しなさいっ! それはアンタなんかのものじゃないわっ!」


 アイが声帯を振りしぼって要求したのは、しばらく経ってからであった。

 それに対して、パンチパーマの男は、声高な、だが下品な笑い声を上げる。


「――ヒヒヒヒヒ。バッカじゃねェの。返せと言われて返す盗賊がどこにいやがる。そんなアホなことするくらいなら、最初からりゃしねェよ」


 パンチパーマの男はおどけた態度で応える。


「――それに、返せと言われたら返したくなくなるのがオレの性質タチなんだよ。だれが返すかってんだ」


 そう宣言すると、パンチパーマの男は小箱を懐にしまう。


「~~アンタってヤツはァ~~」


 アイはうなり声を上げて光線銃レイ・ガンを再度かまえる。全身が怒りによって震える。だが、パンチパーマの男は、恐れるどころか、さらにあおり立てる。


「――ヒヒヒ。怒れ怒れ。これはもうオレのものだ。オレが盗ったものはな。なぜなら、オレから取り返せたヤツは今までひとりも――」


 だが、そのセリフは最後まで言い終えられなかった。

 地面にねじ伏せられたからであった。

 何者かによって。

 その手際はあざやかで、抵抗のヒマすら与えられなかった。


「いてててて、なんだ、いったい?」


 うつ伏せで腕をとられたパンチパーマの男は、背中にのしかかっている拘束者を見上げる。

 オールバックの髪型にツリ目をした少年であった。

 パンチパーマの男には見覚えはなかったが、二人の女子にとっては見間違えようがなかった。

 エスパーダの脳内記憶の完全保存機能を利用しなくても。

 その少年の名は、


「――ヤマトタケルっ!?」


 アイがおどろきの声を上げる。


「……ヤマトタケルぅ? へェー、こいつがウワサの……」


 パンチパーマの男は苦しげにつぶやくが、その表情に不遜さは失われていなかった。


「――タケル。そいつからエスパーダを奪って。精神感応テレパシー通話ができないようにしないと、また空間転移テレポートで逃げられてしまうわ。テレポート交通管制センターのテレタクで」


 リンの指示に、タケルはしたがった。パンチパーマの男の右耳に装着してあるエスパーダをはずし、リンに手渡す。


「――ヒヒヒヒ。そんなことをしたってムダさ。オレは誰にも捕まらねェ。警察は元より、ヤマトタケル、テメェでももなァ」


 だが、パンチパーマの男は、危機感を覚えるどころか、余裕とあざけりを混合した笑みを浮かべて宣言する。


「なに言ってるのよっ! 現にこうして捕まってるくせに、強がりを言うんじゃ――」


 そこまでアイが言った時、またしても信じられない現象が起きた。

 パンチパーマの男がふたたびその場から姿を消したのだ。

 なんの前触れもなく、忽然と。

 ねじ伏せていたヤマトタケルが、姿勢を崩して転倒するが、すぐさま立ち上がり、周囲を見回す。

 だが、パンチパーマの男は、今度こそどこにも見当たらなかった。いくら待っても。


「……空間転移テレポートだわ、また……」


 リンが茫然とつぶやく。


「――でも、テレタクの利用に必要なものは、全部取り上げたはずだし、与えたりしなかったはずよ。エスパーダも、時間も、金銭おかねも、精神エネルギーも」

「……それなら、なぜ……」


 アイが茫然とした表情と口調で問いかけるが、リンもとっさには答えられない。リンアイとおなじ状態では。


「……それじゃ、あのバッジは、もう……」


 アイが泣きそうな表情でそこまで言った時、


「……すまない。バッジを盗ったヤツを取り逃がしてしまった……」


 ヤマトタケルがこうべをたれてアイにあやまる。


「えっ!?」


 しかし、あやまられた方はとまどいの表情を浮かべる。


「……そ、そんな……」


 そして、なにかを言いかけたその時、頭を上げたタケルとアイの視線が合う。

 その瞬間、


「――ひっ!」


 アイがすぐに視線をそむける。

 おびえた表情で。

 まるでDVにあう前のようである。


「…………………………」


 タケルはなにか言いたそうに口を動かしかけるが、結局、口を閉ざしたまま立ち尽くす。

 だが、それも長い時間ではなかった。

 通報を受けて駆けつけてきた警官たちの気配に気づくと、その場から走り去る。


「――あっ、待ってっ!」


 今度は呼び止めるアイであったが、ヤマトタケルの足は止まらないまま、ショッピングモールを行き交う通行人たちの向こうへと消えた。


「……行ってしまった……」


 アイは悄然とつぶやく。その表情には、後悔の念が苦渋となってにじみ出ていた。

 ヤマトタケルに対して取った反応リアクションに対して。


「…………………………」


 リンはそんなアイを黙然と見やっていた。




「……そないなことがあったんかい。災難やったなァ。大丈夫なんかい……」


 龍堂寺りゅうどうじイサオは、鈴村アイから提出された盗難届の用紙に目を通すと、同情といたわりの言葉を本人に述べる。

 イサオはいま、超常特区警察署の休憩室のテーブルに座って鈴村アイから事情を聴いているところであった。

 アイの隣には小野寺勇吾ユウゴが同席して、二人のやり取りを聴いている。

 事情は現場に駆けつけた警官たちからの報告で知っていたが、イサオが本人たちの口から聞いて確認したいということで、このような場を設けたのだ。


「……しかしアイツか。鈴村はんの物をパクったっちゅうのは」

「知っているのですかっ!? 龍堂寺さん。その窃盗犯を」


 勇吾ユウゴが身を乗り出してたずねる。


「――ああ、よく知っとるで。コイツの名は久川くがわ比呂ヒロ。元々は士族の子弟やったんだが、親子ともども犯罪に手を染めて、称号を剥奪されたんや。母親はすでに他界し、父親の方は七年前の少女誘拐事件で逮捕したのち、裁判で有罪判決が下された」

「……七年前の少女誘拐事件って……」

「……まさか……」


 勇吾ユウゴアイはおどろきを隠せない顔で見合わせる。間違いなかった。アイが地元の士族くずれに誘拐されたあの事件である。実行犯の一人の名字が、それと符号する。まさに奇遇であった。無論、悪い意味で。ムナクソな気分がこみ上げるが、二人ともそれに浸ることなくイサオに視線を戻し、イサオの話に耳をかたむける。


「――せやけど間もなく刑務所でぽっくりと病死し、久川比呂ヒロは天涯孤独の身になり、だれからも束縛されることなく、自由を謳歌しとるっちゅうわけや。窃盗の常習犯、かつスペシャリストとして」

「……よくある話ですね。時代の変化についていけなくなった士族が、武士の道をはずして犯罪者に堕ちてしまうのは……」

「ホンマや。同じ士族として、とても恥ずいわい。そう思わんかい?」

「……ええ。ひとりの人間としてでも、同感です」


 勇吾ユウゴが同調すると、イサオは嘆息する。


「……せやけど、これも恥ずい話で恐縮なんやけど、まだ一度も逮捕できたことがあらへんのや」

「――どうしてなのっ?」


 大きな声で問いかけたのは、これまで沈黙していた鈴村アイであった。


空間転移テレポートや。犯人ホシはそれを駆使して窃盗や逃走にまんまと成功しておるんや。警察も指名手配して追うておるんやけど……」


 イサオの答えに、アイは納得できなかった。


「――でも、テレタクを犯罪者の逃走に利用したら、自動的に警察署の拘留場行きになるはずじゃ……」

「テレタクじゃあらへんのや、それが」

「……それじゃ、いったいどうやってテレポート交通管制センターやA ・ S アストラル・スカイ・・ Nネットワーク管理局の支援サポートなしで空間転移テレポートを……」

「――簡単な話よ」


 休憩室にはいない誰かが言った。三人は声のした方角に視線を転じると、


「――そいつは空間転移能力者テレポーターだからよ。それも、ふたつの施設からの支援サポートがなくても、自力で空間転移テレポートができる純潔の空間転移能力者テレポーター。だから、それで網を張ったって、捕まりはしないわ、絶対に」


 休憩室の出入口に立っているショートカットの少女が、そのように答えた。


「――リンさん」


 勇吾ユウゴがその少女の名を呼ぶ。


「――今までどこに行っておったんや。ワイらの友達ダチが窃盗にあったっちゅうのに」


 イサオが不機嫌そうな詰問調でリンにたずねる。


「――テレポート交通管制センターの所長に会って来たの。ちょっと話があってね」

「なんの話や?」

「それは内緒。今回の窃盗事件の窃盗犯捕縛についての以上のことは言えないわ。警察には」

「なんで言えへんのやっ!」

「だってこのまえの事件のようなことがあったら困るもの。全然信じてくれなかったし」

「うっ……」


 痛いところを突かれて、イサオはうめく。それをよそに、勇吾ユウゴが身を乗り出す。


「――それじゃ、盗まれたアイちゃんのバッジは――」

「――ええ。戻ると思うわ。窃盗犯のオマケつきでね」

「……でも、相手は純潔の空間転移能力者テレポーターなんですよね。捕まえらえるのでしょうか?」

「――だから所長に窃盗事件解決の協力を取りつけたの。テレポート交通管制センターの機能なしでは、捕まえられない相手だからね。だから、安心しなさい」


 リンが力強くうなずくのを見て、今度は満面の笑みを勇吾ユウゴは浮かべる。


「――そうですか。よかったですね、アイちゃん」

「……うん……」

「……どうしたのですか。戻ってくるというのに、元気がありませんが……」

「…………………………」


 アイはうつむいたまま沈黙する。その様子を見て、勇吾ユウゴはあることに気づく。


「……もしかして、喫茶店で僕たちが相談に乗ろうとしていたことと関係があるのですか?」

「…………………………」

「――そういえば、相談に乗ろうとした矢先に、あのイエロージャーナリストが現れたんだっけ? それで本題に入りそびれてしまい、ようやく入ったと思ったら、あのイエローファッションの盗っ人にバッジを盗られてそれっきりになった。で、いいんだよね?」


 リンがその時の状況を整理する。


「――そして、鷹の形をしたそのバッジは、七年前、暴漢から助けてくれたヤマトタケルが、その時に落としたものだったと」


 その本人である勇吾ユウゴに視線を動かしながら。


「…………………………」


 今度は小野寺勇吾ユウゴが沈黙する番になる。だが、リンはこれ以上の事実確認の形をした追求は止めて、疑問点を述べる。


「――でも、アイちゃん。ショッピングモールでタケルと視線が合ったらおびえた素振りをしたり、かと思えば、タケルが立ち去ろうとしたら、今度は『待って』って言うし。なんだかアイちゃんの言行に一貫性がないっていうか、矛盾してるっていうか……」

「…………………………」

「――いったいなにがしたいの。そして、なにを思い悩んでいるの、アイちゃん」


 観静リンの問いに、鈴村アイが答えたのは、だいぶ時間が経ってからであった。


「……返そうと思っていたの。ヤマトタケルが落とした鷹のバッジを」


 それを聞いた龍堂寺イサオは、肩すかしをくらったような表情になる。


「――なんでそないなことで悩む必要があるんや。恩人が落としたものやったら、そのまま返せばええやろうに。いけすかんやっちゃやけど」


 率直にそう言った直後、隣に座っていた観静リンから肘鉄を横っ腹に喰らい、悶絶する。


「……確かに、恩人よ」


それをよそに、アイが静かに答える。


「……でも、怖いの。ヤマトタケルが……」


 辛そうな表情で。

 七年前の|誘拐事件と、前回の連続記憶操作事件で、鈴村アイは、ヤマトタケルに二度にわたって助けられた。それ自体に問題はなかった。問題だったのはその助け方にあった。鈴村アイに害を及ぼそうとしていた相手の抵抗力を奪うには武力が不可欠だが、それがあまりにもやり過ぎだったのである。トラウマになる程に。一度目の時はそれが刻まれ、二度目の時はそれが呼び起こされた。そして、七年前の誘拐事件で助けてくれたのが、前回の事件で助けてくれたヤマトタケルと同一人物であることを知ると、これまで大事に保管していたヤマトタケルのバッジを持ち主に返さなくてはならないと思い始めていた。二度にわたって助けてくれた命の恩人なのだから。

 だが、それは同時に、自分のトラウマに向き合わなくてはならないことを意味していた。七年前の誘拐事件で助けてくれた少年が、自分アイが勝手に名付けた、ヤマトタケルというツリ目の少年である事実を知らなかった頃は、須佐すさ十二闘将最強の戦士だの、小野寺家に仕える裏小野という影の一族だのと、和風中二病患者らしく、色々と中二設定を盛り込んでいたが、両者が同一人物だという事実を知ってからは、ヤマトタケルに対して、そういう扱いをするには、抵抗感を持つようになっていた。恩人とはいえ、凄惨な助け方をしてくれたことで。それは日が経つにつれてじょじょに強まり、それにともない、自身の中二病としてのキャラが薄まってしまった。小野寺勇吾ユウゴをイジメることでまぎらわせていたトラウマが次第に顕在化したことも手伝って。そして最近では、夢にうなされるようにまで重症化してしまったのだ。これを克服するには、直接ヤマトタケル本人に会って、鷹のバッジを持ち主に返すしかないと。たとえどんなに怖くても。むろん、感謝と謝罪を添えて。


「……それで思い悩んでいたのね」


 リンは得心した素振りを見せるが、実は八割がたは察知していた。なのに代弁しなかったのは、不自然だからである。この情報源ソースは、正体を知られた時の勇吾ユウゴから得たもので、そんなアイの内面を知っているのは、小野寺勇吾ユウゴただ一人だけだと、勇吾ユウゴ本人は思っている。ゆえに、小野寺勇吾ユウゴもそんなことをしたら、ヤマトタケルの正体が自分であることがアイイサオにバレてしまう。だから勇吾ユウゴも代弁しなかったのである。


(……やれやれ、気を遣う上にややこしくなっちゃったわねぇ……)


 リンは内心で嘆息するが、むろん、そんな素振りはカケラも見せなかった。


「……そうやったんだ。そら無神経なことうてすまへんかった」


 この件に関してなにひとつ知らないイサオアイに謝罪する。


「――おわびにワイが全力でバッジを盗んだ犯人を捕まえたるわ。せやから安心せい」

「――なに言ってるのよ。警察なんだから、当然でしょ。そんなの」


 リンが冷たい視線と口調で言って捨てる。


「……ま、まァ、その通りなんやけど……。せやっ! バッチの行方を追いたい今のおまいらにうってつけのところを紹介したるわっ! 今から紹介状をしたためるさかい」


 立ち上がったイサオが両手を広げて告げる。


「――なんて言うところよ。それって」


 リンがたずねる。


「決まっとるやろ。前回の事件で無法むほうが紹介したところや」

「えっ?! それってあそこのことっ!?」


 アイがおどろきの声を上げる。


「……でも、そこじゃなにひとつ手がかりが……」

「今回はだいじょうぶやって。ウワサじゃ、失せ物を見つける装置の開発に成功したっちゅう話やし。もしかしたら、盗られたバッジの行方がわかるかもしれへんで」

「ホントっ!? それって」


 アイが喜色を浮かべて身を乗り出す。その肩を、リンがおさえる。


「ちょっと慌てないで、アイちゃん。過大な期待をするとカラ振りした時のショックがデカくなるわよ。前回の事件でさんざん味わったじゃない」

「わかってるわよ、リンちゃん」


 アイは心得た表情をつくる。


「――もし在り処がわこうたら警察ワイに知らせてや。そこは犯人の隠れ家かもしれへんから」

「――わかりました。――それじゃ、行きましょう、皆さん」


 勇吾がイサオに応じると、二人の女子をうながす。そのあと、


「――見つけたわっ!」


 甲高い声が、休憩室にとどろいた。

 一同は声のした方角に視線をそろえると、サイドポニーの少女が、眉間にしわを寄せて出入口に立っていた。


「――あら、下村じゃない。どうしたのよ。いったい」

「『どうしたのよ』、じゃないわよ、観静っ! アンタ喫茶店の会計、払ってなかったでしょっ!」

「――ああ、そういえばそうだったわね。それじゃ、アンタが代わりに払ってくれたんだ。悪いわね」

「なに言ってるのよっ! そんな金銭かね、あるわけないでしょっ! おかげで警察に突き出されてこの通りよっ!」


 叫びわめく下村明美アケミの背後には、イサオの部下である楢原ならはらが彼女の腕をとっていた。どうやら無銭飲食の現行犯として、警察署ここまで連行されて来たようである。その楢原に。


「――よくも将来最有望なジャーナリストになるこのアタシの経歴にドロを塗ってくれたわね。こうなったら、あることないことをアンタの特集記事で書きまくってやるわ。いくら超心理工学メタ・サイコロジニクスの産みの親の娘だからって、容赦なんかしないわよっ!」

「――ちょ、それはやめてよ。ちゃんとあやまるわ。ごめんなさい。代金ならちゃんとアタシがあの店に払っておくから」


 リンは慌ててなだめるが、


「ふん、ずいぶんと安く見られたものだね。あれっぽちのワイロでこのアタシを買収しようとするなんて。甘く見ないでちょうだいっ! このことも記事に書き加えてあげるわっ!」


 逆効果であった。


「……いったいどーしろと……」


 頭を抱えたリンは途方に暮れる。


「――こらコラ。それはアカン。故意の虚偽報道は立派な犯罪やで」


 警官であるイサオ明美アケミに注意するが、耳に入ったかどうかはなはだあやしい。


「――ちょっと下村。リンちゃんは謝っている上に代金も支払うって言ってるじゃない。これ以上なにをすれば気がすむっていうのよ」


 たまりかねたアイが声を荒げて問いかける。問いかけらた明美アケミは、このように提案して答えた。


「――そうね。それじゃ、記事のネタになるものをちょうだい」

「記事のネタ?」

「――そうよ。言っとくけど、この前の連続記憶操作事件で、陸上防衛高等学校の生徒なのに、二度も記憶を操作されたり、何度も人質になったりと、事件解決どころか、その足を引っ張る足手まといな活躍しかしなかった某重要参考人のようなネタじゃないからね」

「だれのことを言ってるのよっ!?」


 更に荒げた声を上げて、アイ明美アケミに詰め寄ろうとする。


「――下村さん」


 その間に、小野寺勇吾ユウゴが、アイを背を向けて割り込む。


「――下村さんはヤマトタケルさんについて調べているんですよね」

「――ええ、そうよ。それがなにか。士族の子弟なのに、活躍もしなければ足も引っ張らなかった、ネタにもならないただのヘタレさん」


 明美アケミは冷めた口調で挑発的な悪口を言うが、勇吾ユウゴは怒らなかった。


「――そのことなんですけど、僕も協力できると思うんですよ。リンさんほどではないですが、あの事件で僕もヤマトタケルさんと接していますから。リンさんとは別のネタを提供できると思います。だから……」


 それを聞いた瞬間、明美アケミの表情が喜色満面に早変わりする。


「――なによォ。アンタもヤマトタケルについての情報を持ってたんだァ。もう、二人して出し惜しみしてェ」


 そんな意図はどちらともないのだが、言ってもムダそうなので、勇吾ユウゴリンも黙っていた。


(――でもだいじょうぶかな、ユウちゃん。そんなこと言って――)


 リンは糸目の少年を見て心配する。他の誰でもない、ヤマトタケル本人からの情報なのだから、これほど信憑性の高い情報源はない。だが、よく選別して情報を提供しないと、いくら偏見と先入観に凝り固まった下村明美アケミでも、猜疑心を抱くかもしれない。そのあたりの見極めが、気が弱い性格の小野寺勇吾ユウゴにできるのだろうか。『ヤマトタケル』になりきっている状態ならともかく。


「――いいわ。それで手を打ってあげる。それじゃ、さっそく――」

「――あ、でも、これから僕たちは行くところがあって、下村さんは――」

「――もちろん、いっしょについていくわよ。構わないよね」


 明美アケミから同行の許可を求められたリンアイは、たがいの視線を交わしてからうなずいた。小野寺勇吾ユウゴもためらいがちにうなずくが、そのためらう理由が、リンにはわかる。下村明美アケミに事実上の密着取材をされたら、ますますヤマトタケルの正体が発覚する可能性が高くなるのだから。かといって、いまさら拒絶するのはきわめて不自然であった。


「――じゃ、行こう」


 明美アケミにうながされて、三人の男女はそれに続いた。


(――しめしめ、うまく言ったわ。小野寺の密着取材に――)


 うながした方は内心でそのようにつぶやいた。

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