4☆★.狂乱
寝床に入った和佐は朝を迎える前に、実に冴え冴えとした意識で目を覚ました。
時刻はわからないが、消灯時間内であることは間違いないだろう。血流の高ぶりがいまだ残っているのを実感し、編入生の少女に対する苛立ちと疑念の深さに和佐はやれやれと溜息が出るばかりである。
(まったく、岬はどうしているのかしら。さすがに今は眠っていると思うけれど……)
和佐が最後に見た岬の姿は、制服姿のままで机に突っ伏したものだった。食事と入浴は果たせずじまいとは言え、せめて寝間着に着替えてベッドに入ることぐらいはしてほしいものである。
ルームメイトへの意識が自然と膨らみ、和佐は夜目で岬の学習机を確認した。
そこには誰もおらず、どうやら編入生の少女は机に突っ伏したまま一夜を明かすつもりはないようであった。
思わず安堵してしまい、和佐はさらに彼女の寝姿を確かめるために隣のベッドに視線を向けようとした。
その瞬間である。
「うわああぁぁッ‼︎ ごめんなさいごめんなさいごめんなさあいっ‼︎」
和佐の心が一瞬で総毛立った。
毛布を払いのけ、慌ててベッドから飛び降りる。
上野岬は眠ってなどいなかったのだ。胸を締め付けられるような叫びは部屋の外から響いており、動悸を抑えながらネグリジェの少女は素早く行動に移った。
玄関に駆けつける直前に握りしめたのは円珠からもらった白いフクロウのブローチだ。就寝前は感情が高ぶって示す機会を逸してしまったが、思い出の品と同じ意匠のブローチが彼女に対して何らかの効果を発揮すると白髪少女は信じていた。
寮の玄関は洗面台とトイレにつながっており、この一帯は消灯時間の洗礼を受けていない。夜中に目を覚ました寮生が真っ暗闇で御手洗を使わせるのはさすがに気の毒であるからだ。
扉の向こうでは岬の嗚咽が悲痛さをともないつつ流れており、和佐はドアノブを引っぱるだけの行為にかなりの勇気を費やした。
洗面台の電気はついていない。照明をつけると、和佐はトイレの扉に鋭い視線を投げかけた。
トイレには寮生が引きこもるのを警戒して、最初から鍵が設けられていない。
代わりに全寮室に『空き/使用中』の札がドアノブにかかっており、不運な鉢合わせが生じないよう生徒たちの良識に呼びかけている。
現在、その札が示していたのは『空き』の方であった。そんなはずはないのだが、暗がりのまま個室に突入したと考えると札を直す暇もないのだろう。
心に薄ら寒さをおぼえながら、白髪少女はゆっくりと扉を開け、ついに暗がりの内部に立ち会うことになった。
すすり泣きの主である少女は、トイレの床にうずくまっていた。ライラック色の制服を着たままで、体育座りの姿勢で顔を埋めている。
物音とわずかでも漏れている光に気がつかないはずがないが、このときの岬の状態は正常ではなかった。息を殺しながらの「岬」の呼びかけで初めて顔を上げ、逆光から見下ろす白髪少女に悲鳴を呑み込む。
「ひっ⁉︎ 一条さん、どうして……」
「どうして、ではないわ。あなたこそ、そんなところで何をしているの」
ブローチを握りしめた手をさりげなく後ろに回しつつ、白髪少女は岬の表情を観察した。
暗がりのため完璧に見透かせるわけではなかったが、少なくとも従来の変態性も犀利な少女の一面もうかがえなかった。
詰問する和佐に、制服姿のルームメイトは泣き腫らした顔を再び膝の中にうずめた。
「……何でもないと言ったはずです」
「ならばせめて社交辞令でも普通の素振りをしてみせることね。大体、寮部屋の片隅で泣くという発想が甘ったれなのよ。本気だというなら、せめて敷地から出て山奥で泣き叫ぶことぐらいすればいいのに」
「もうほっといてよ‼」
うなだれたまま岬はわめいた。
変態淑女だが快活で聡明な少女が悲しみに打ちひしがれる姿は和佐としても痛ましさをおぼえる光景だが、変化を期待できない編入生の行為に反感がくすぶっていたのも、また事実であった。
頑なな態度を取り続ける少女に荒療治が必要だと、このとき和佐は強く感じた。
意を決し、ネグリジェに包まれた膝を床に着ける。フクロウのブローチをさりげなく背後に置いてから、四つん這いでルームメイトに肉薄した。
岬が顔を上げたのは、至近距離にルームメイトの美しいかんばせがあったからではなかった。
太ももの裏をさすられ、変態淑女は小尻を浮かせ、紺のハイソックスに包まれた両脚をきゅっとすぼめた。こぼれた悲鳴は驚きと甘さに満ちていた。
「ひあっ⁉ な、何するの……っ」
「あなたが望んでいたことよ。さあ喜びなさい」
沙織子おねーさんの報告はすでに受けていたが、変態淑女が嫌がるさまを直に見てしまうと、改めてその衝撃が思い知らされる。
岬は膝に置いた腕を解き、目の前にある和佐の身体を払いのけようとした。
だが主導権を奪い取れず、逆に両手首を押さえつけられ、身体をさらに密着させられた。
完全に自由を奪われた岬は、弱々しく全身を揺すりながら変態らしからぬ抗議の声を漏らした。
「や、いやだっ……こんなこと、したくない、は、はなして……っ」
「離したら嫌がらせにならないでしょう」
最初に会った日の夜のことを思い返しながら、和佐は声に力を込めた。以前はこの娘にいいようにしてやられたが、今度はこちらから一方的に手玉に取ることができる。とはいえ、あのときと比べて心境にかなりの変化が生じているが。
編入生を壁際で押さえつけながら、彼女の力のなさに和佐は改めて慄然とした。
過去にこの少女に容赦なく押し倒されたこともあったのに、その彼女を、今は楽々にあしらうことができる。もしかしたら、実家にいる際もまともに食事を摂っていなかったのではないか。
「後で自分の姿を鏡で眺めるといいわ。どれだけひどい有様になっているか余すところなく晒してくれるでしょうよ」
嘆きつつ、和佐は自身の美しいかんばせを編入生のそれに近づけた。岬は顔をそむけたが、抵抗もむなしく、ルームメイトの唇を受け入れるしかなかった。
だが一体何の不都合があろうか。好意を寄せている白髪少女からキスされることは、変態淑女にとって何よりの喜びであったはずではないか。
「んんっ、んむぅ、はぅ、やぁ……ん」
岬の吐息は苦悶を孕み、まるで和佐の妙技から逃れたいかのようであった。
だが岬が微細な抵抗を続けている間にも、和佐は唇から水音を立てながら次の手を打っていた。胸元の臙脂色のリボンをほどき、腰のベルトをさらりと外す。
そしてライラック色のワンピースに包まれた肢体を丹念に撫で回したのだった。
「ひぅッ⁉︎ やぁ、そ、そんなとこ……あンっ」
「腰をくねらせているのは自分の方じゃない。どうやら心は病んでいても、変態の本質は変わっていないようね」
毒づいて、白髪少女は今度は紺のボレロをはだけさせ、変態淑女の体躯をさらにまさぐった。腰、脚、胸と、感度が高ぶるように執拗にさすり倒す。
洗面台から光は入っているものの、トイレの個室は薄闇に閉ざされたままで、そこに衣擦れの音とキスの水音、少女たちの息遣いのみが響き合っていた。
岬が実際に以前より痩せたかどうかは、白髪少女には断定できない。
彼女から入念に触られたことはあっても、自分から編入生の体格を確かめる機会はなかったからだ。むろん、あったとしても好き好んで変態淑女の肢体を堪能しようとは思わなかったが。
この時も例外でなかった。ルームメイトがぐったりとなるまで『嫌がらせ』を果たした白髪少女は、ぬめった唇を引き離すと、官能の余韻もなく問い詰めた。
「聞かせてもらおうかしら。あなたが強がっている理由を」
「ううっ……いやだっ、いやだあぁっ……」
乱れた制服をそのままに、岬は腕で顔を隠しながら再び泣き崩れた。
拒絶が漏れる口には唾液の跡がみっともなく張りついている。
(そろそろ切り札を出す頃合いかしら)
そう判断した和佐は、背後に忍ばせていたフクロウのブローチを掴むと、それを勢いよく岬の前に突きつけた。
「ほら、あなたが口をつぐんでいるのはこれが理由なのでしょう⁉」
声量に圧倒され、岬は顔を覆う手を解いた。
そして逆光の中、網膜でそれを捉えた。自分が『大切な思い出の品』と謳っていた代物とまったく同じ意匠のブローチを。
岬の受けた衝撃は、和佐の予想を遥かに上回った。プルーン色の瞳を極限まで見開かせ、可憐な顔は窒息寸前まで引きつられる。歯の隙間から漏れ出たうめき声が、少女のそれとはとても思えない。
「あ……ああ……あああ……ああああ‼」
一秒ごとに、岬の悲鳴が禍々しい生き物の咆哮に変わりつつあった。
和佐は息を呑んで事の成り行きに対処しようとしたが、突発的な事態に対する機転の欠如は和佐自身も自覚している。
加えて、次いで発生した岬の取り乱しぶりは常人でさえ容易に受け止められるものではなかった。
「わあぁぁああッ‼︎ なんでナんでなんデなンで⁉︎ なんで埋めたはずのブローチを一条さんが持ってるんだよ⁉︎」
岬はがむしゃらに和佐に掴みかかった。
力が弱っているとはいえ、腕に食い込む指の痛みは、否が応でも緊張を抱かずにはいられない。
悪鬼に取り憑かれたような岬の狂乱に、和佐はつとめて平静さを装って断じた。
「やはり熊谷瑠乃亜とかいう女が、あなたの変化に関わっているようね。音信不通だったはずの彼女とどのように連絡をとり、落ち合ってから一体何が起こったというの」
「黙れ黙レ黙れ捨てて捨テて捨てテ今すぐそれを捨てて‼︎」
すでに編入生はいかなる言葉も質問も聞ける状態ではないようだ。
戦慄の滝が背筋を駆け巡るのを感じながら、和佐は清楚な少女のかたちをした猛獣を押さえようと試みた。
メイドの風月なら一発で編入生を昏倒させることもわけないだろうが、力なき白髪少女ができることは非常に限られていた。
結局、自分らしいやり方でしか岬を落ち着かせる方法を思いつけなかった。すなわち嫌がらせの継続である。
襲いかかってきた編入生の動きを逆に封じ、乱れた制服に包まれた肢体を抱きしめて接吻を浴びせかける。
岬の反応は先ほどとは異なっていた。身体は確実に責めの悦びを受け入れているが、絶え絶えに吐き出された言葉の嫌悪感は尋常ではなかった。
「ぐうアあぁ……いやだッ、もうやだぁぁァ……‼︎」
まともな泣き方ではない。涙をだらだら垂らしながら、理性を失った顔で現実をただひたすらに拒み続けている。
「…………ウウっ、ぐ、がぁぁぁぁッ‼︎」
岬は最後の抵抗をおこなった。
どこに残されていたのかと思えるほどの渾身の力で和佐を突き飛ばすと、そのまま両手の指を自分の首筋に食い込ませようとした。
「岬⁉ 駄目ッ‼」
焦りの悲鳴を和佐はほとばしらせた。
突き飛ばした力のまま首を絞めるとなると無事で済むはずがない。
死力をかけて彼女の手を引き剥がす覚悟であったが、その意気込みに反してルームメイトの指はあっさりと外すことができた。
白髪少女は呼吸を整えつつ岬の様子をうかがった。
彼女は指を奪われたことに憤る余裕もなく、ぐったりともたれかかって和佐よりも激しく胸を上下させている。
「はあ……はあッ……はぁ……っ」
(さ、さすがに死んでいないわよね……?)
頭で否定したくても、そうとしか思えないほどの岬の気迫である。
恐る恐る脈をとり、とりあえず命に別状がないことは確信できた。
胸を撫で下ろし、和佐は大人しくなったルームメイトをさらに観察した。
異常な混乱を示した少女はまぶたを閉ざし、悪夢にうなされているような表情で荒い呼吸を繰り返している。肌にびっしりと薄汗が張りついており、それをタオルで拭ってやると、和佐はルームメイトの身体を抱えてベッドまで運んだ。制服のままであるが、着替えさせるところまでは気が回らなかった。
(まさか、恐怖から逃れるためにトラウマでごまかすなんて……)
和佐はかつて岬に陵辱されかけたとき、無我夢中で首を絞めかけたことがあった。
あれは間違いなく彼女のトラウマになっていたに違いないが、まさか逆にそれを利用してしまうとは。弱っても彼女の機転は健在といったところか。
そして、それを使わずにはいられないほどの絶望が、少女の精神の中核に巣食っているわけである。
ようやく部屋に静けさが満ちると、和佐も身体を休めるために毛布をかぶった。
目をつむるも胸騒ぎは収まらず、寝つく瞬間など永遠に来ないように思われた。
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