3.熊谷瑠乃亜
沙織子が千佳を始めとする寮生たちによって「回収」された後、三号棟の101号室ではシスター蒼山を中心とした深刻な話し合いが行われた。
集まったのは一条和佐、東野暁音、春山雪葉、そして一号棟からは日生円珠と、上野岬と関わりの深い少女たちが揃い踏みである。
まず暁音と雪葉から、沙織子おねーさんの失態について手短に報告された。
先輩の奇行よりも変態淑女が変態行為について『ふしだら』発言したことに、和佐と円珠は驚きを隠せずにいた。
寮母の咳払いによって一同の意識はリセットされ、真摯な表情で切り出す。
「東野さん、春山さん、ご報告をどうもありがとう。そして、あなたたちを呼んだのは他でもないわ。上野さんがご存知の通りの有様だから、内緒にと頼まれていたのだけれど、彼女の昔のことについて話しておこうと思ったのよ」
「いつの間に聞いていたの?」
腕を組みながら和佐が偉そうに問う。このとき和佐は純白のネグリジェを身につけており、他の面々も寝間着姿であった。入浴後に集合となっていたのである。椅子に腰かけているのは雪葉と円珠の二人で、これは幼馴染と姉様が譲った結果であった。
ネグリジェの美少女の質問に初老の寮母は答える。
「入寮期間中に聞いたのよ。さらに詳しく言うならば東野さんと上野さんが喧嘩した後に呼びつけたの」
そのことに心当たりがあるのは東野暁音だけである。
このときも雪葉をめぐって激しく言い争いをしたものだが、今となってはすでに思い出話に近い。
念願の幼馴染のキスを果たせたのも、ある意味で変態淑女が取り持ってくれたおかげであり、その立役者が精神の荒廃に打ちひしがれているのはさすがに見ていて辛かった。
「まず上野さんの性癖についてだけれど、さすがに彼女とて生まれつき変態ではなかったようね。彼女の『初めて』は中学二年生、生徒会長だった先輩に誘われてしてたみたい」
「世も末だわ」
和佐が厳しく言い放つ。正論かもしれないが、嫌がらせのキスのした人間が言うことなのかと、ここにいる彼女以外の人物たちは思わずにはいられなかった。
シスターはさらに話を進めた。
「名前は
「結構な話じゃない。なぜその先輩のもとについていってやらなかったの」
変態淑女のルームメイトはなおも苦々しく言ったが、それに対する寮母の回答は重く、同情的な響きがあった。
「彼女、第一志望校に落ちたみたいなのよ」
「…………」
「と、言っても、そのショックがわかるのは編入組の日生さんだけでしょうね。何にせよ、狙っていた志望校に行けなかったのを期に、熊谷さんは最終的な進路を明かさぬまま卒業してしまい、それきり音信不通となってしまったの。上野さんは何度も接触を試みたそうだけれど、何度も門前払いを食らった結果、ついに先輩との接触を断念したみたい。上野さんが遠くから聖黎女学園への編入を果たしたのは、先輩との想いを断ち切ろうとする意図もあったのかもしれないわね」
「大したものね。昔の女のことなど綺麗さっぱり忘れて色情人生を謳歌できるなんて」
ぼやいてから、和佐は奥歯に物が挟まる思いをした。
「昔の女」という言葉で、不愉快な三枝キャリーの存在を思い出してしまったのである。
円珠が白髪の姉様をなだめるように言う。
「ですが……岬姉様は完全に先輩のことを忘れたわけではないと思いますよ? その証拠に白いフクロウのブローチを思い出の品として大事に持ってましたし」
「確かにそうね」
様々な意味で思い出深いブローチの存在を思い返すと、ここで予想外なところから声が上がった。
「フクロウのブローチって、ゆきはが取った、あれか?」
「どういうことかしら、春山さん」
唐突な発言についていけていないのは寮母と和佐の二人だけだ。
怪訝な表情をとるシスターに、暁音が代わりに説明をした。
「連休中、雪葉と円珠とでコラボカフェに行った後、秋ヶ原の大きなゲーセンに寄ったんです。円珠が気になってて、雪葉がその景品の台に挑戦したら一発でした」
わずかに誇らしげな口調になるのは幼馴染ならではであろう。
寮母としては「あら、すごいわね」としか言いようがなかったが、この些末な情報を白髪少女は無視できなかった。
「そのブローチは今、誰が持っているの」
「もうえんじゅにやったぜ。そもそも、えんじゅにせがまれたもんだしな」
雪葉が白髪少女に応じる。かつて嫌がらせのキスを受けた相手だが、岬の非常事態において過去を気にする余裕もないようである。
和佐は灰色の瞳を椅子上の妹に向けた。
「円珠」
「は、はい、姉様」
「一時的でもいい。それを預からせてもらえるかしら」
円珠は胡桃色の瞳を見開かせたが、すぐに頷いた。
「もちろん構いません。……岬姉様のためですよね?」
「ええ。あいつのトラウマに昔の女が関わっているなら、これに何らかの反応を示すはずよ。むろん、原因を彼女と決めつけるのは早急かもしれないけれど……」
「でも、試してみる価値はありそうね」
シスター蒼山がそう締めくくると、話し合いはそこでお開きとなった。
101号室を出た後、和佐は円珠からフクロウのブローチを受け取った。年代物に見えるが、最初からそう映るように
あのルームメイトは『月の魔女セレナ』を知っているのかしら……と思いつつ寮部屋に戻ると、編入生の少女はいかなる質問も受け付けられる状態ではなかった。三つ編みを解かず、ライラック色の制服姿のまま机に突っ伏し、そのまま微動だにしない。巡回の教員に連れ戻されてから、ずっとこの調子であった。
和佐は美しいかんばせをしかめさせながら言い放った。
「あなた、食事を摂らなかったのね。それどころか入浴すらしてないのではないの。そのような不潔な生き方を私が許すと思っているの?」
「……おせっかいですよ、一条さん」
顔を動かさずに岬はうめいた。和佐の心にさざめきがはしった。その声が重く湿っているのは、不在中に散々泣いていたからではなかろうか。
「それに、あたしは別に一条さんに許してもらう気はありません。あたしの態度が気に入らないっていうなら、さっさと追い出してくださればいい」
少しでも同情をおぼえた自分が愚かしく思えるくらい、この編入生の発言は和佐の不快感をあおった。
熱を孕んだ口調で言い放つ。
「本末転倒とはこのことね。そんなに私から離れたかったのなら、なぜこの寮部屋に戻ってきたの。なぜ聖黎女学園に帰ってきたの。誰とも関わりたくないというなら、退学でもなんでもして実家から出てこなければいいじゃない」
「そうですね。失敗したかもしれません」
言葉の割に、岬の口調に後悔はなかった。ただひたすらに気だるげで、ルームメイトの指摘などどうでも良さげと言いたげだった。
むろん、そのような態度を見逃す和佐ではなかった。さらに怒りを募らせて岬の耳元で机を手で叩いた。
「あなた、いい加減にしなさいよ。人嫌いを気取っているわけだけれど、ただ単に誰かに構ってほしいだけじゃない。助けを求める気があるなら多少なりとも身の振り方について心がけておくことね」
何だか過去の自分にも向けられているような気がして、和佐は自分の言葉で美しいかんばせをしかめさせた。
もっとも、その渋面も突っ伏したままのルームメイトに届くことはなく、そして黒髪の彼女は助けを求める気はまったくないようだった。返答に窮したのか、興味が失せたのか、それすらも判別がつかぬまま、身体を微動だにせず口も貝のように閉ざしてしまった。机を叩いたときの音にも反応を示さず、完全に処置なしといった有様だ。
和佐はついに苛立ちが爆ぜた。黒髪を引っ掴んで机に叩きつけたい衝動を語調に換え、去り際に怒りの言葉を叩きつけた。
「ああもう、何もかも気に食わないなら、一生そうしていればいいんだわ!」
平手を与えるのと変わらない叫びにも、やはり今の岬には効果がなかった。
和佐はルームメイトの意固地ぶりにさらに腹を立て、眠りに就くまで彼女と口を利くことはなかった。
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