2.服飾店の魔女

 三人の目的地は、新原しんばらと呼ばれる街の中にあった。若者の間で絶大な人気を誇っており、流行とファッションの最先端の地として、メディアからたびたび取り上げられている場所である。


 繁華街の外れの駐車場に車を停めると、白髪姉妹とそのメイドは歩いて目的地まで向かった。

 裏通りの間にある、さらに細い道、普通の人ならばまず目を向けないであろうか細い通りの先に、彼女たちが懇意にしている店は存在した。


『クラウンアリス』の看板が立てられたその店は、一見すると、うらぶれた英国の古民家を連想させた。新原の街においては限りなく地味なたたずまいだが、『知る人ぞ知る名店』というものは得てして自らを外装で誇示したりしないものである。


 扉を開けると、内装は驚くほど洗練されていた。


 壁紙の配色は明るく、天井からはシャンデリアがぶら下がっていた。店内をぐるりと見回すと、華やかな意匠の来客用テーブルや裸のマネキンがうかがえ、ガラス棚の中にはレースや生地のサンプルが陳列されている。カウンターの向こうは別の場所に通じているらしく、扉の代わりに分厚いカーテンで隔てられている。


 三人がしばらく待っていると、そのカーテンが重々しく開かれ、店の人と思しき女性が前に姿を現した。


「おお、黎明か。よく来なすった」


 口調こそは完全に老婆のそれだが、外見は円珠と同い年くらいの少女に見えた。


 落ち着いた声の持ち主は、可憐だが独特な格好をしていた。何せ、全身をゴシックロリータで包み、頭には魔女のものと思しきとんがり帽子、手にはロールプレイングゲームに登場しそうな木の杖を持っているのだから。


 普通の人が見たら面食らうに違いないが、相手は白髪の美人姉妹とそのメイドである。魔女の格好ぐらいでは非現実感において押され気味というのだから恐ろしい話だ。


 ゴスロリ姿の小柄な魔女は、柔らかな髪を青銅色に染め、カラーコンタクトレンズで瞳を飴色に変えていた。見た目は幼いが、瞳に宿した知性は外見にとことんそぐわない。


 心身ともに神秘的な魔女になり切っているこの女性を、和佐は知っていた。中等科の少女並みの見た目だが、黎明や風月とともに聖黎女学園を同期で卒業した女性である。名前は栗乃凛くりのりん


 凛はオーダーメイドの衣装店『クラウンアリス』の店長で、二十歳にして衣装製作の腕は卓絶したものがあった。専門はロリータ衣装であるが、リクエストに応じて風月のようなメイド服や和佐のようなシックな衣装も手がけてくれる。一条家の面々にとって、ゴスロリ魔女の店は揃いも揃ってお得意様というわけだ。


 カウンターを通り抜けた凛は、呆れた表情を浮かべて黎明の胸を杖で小突いた。


「おぬし、しばらく見ないうちにまた胸が育ったようじゃの? まったく、その歳になってまだ膨らむか。今までわしがあつらえた衣装もそろそろきつくなっているであろう」


 白髪の優美な馴染み客は、自身の豊かな胸をさすりながらにこやかに返した。


「ふふ、まだまだ余裕ですわ。でも、凛ちゃんに新作のアイデアがおありなら是非試させていただきたいですわね」

「そうでなくてはの。それで、和佐、風月、おぬしらはどうする? 代わり映えのない衣装ばかり頼みおってつまらんぞ」

「誠に申し訳ありませんが……」


 風月はかつての学友に対して力強い笑みをほどこした。


「私にとって凛様の逸品はこのメイド服と確信しておりますので」

「むう、褒めてくれるのは嬉しいがのう……」


 不本意と言わんばかりに、凛は頬を膨らませる。とは言え、無理に衣装を勧めることは彼女の商業の道にもとった。加えて、回答する風月の意志の堅さを見ると、食い下がっても無駄なのは自明である。


 風月としては彼女のメイド服が至高というのは紛れもない本心であったが、同時に、彼女からコテコテの衣装を着せられる隙も与えなかった。夜会用のドレスでも辟易していたというのに、ご主人様のような甘ったるいフリルのドレス姿になると考えると気が滅入るどころでは済まない。


 今の和佐も、姉のような衣装は好かないはずであるが、なぜかその彼女は声、態度ともに拒絶の意を見せつけようとはしない。

 そこにつけ込むように、凛が飴色の流し目で問いかけた。


「和佐よ、おぬしはどうする? 見れば随分と浮かない顔をしておるではないか。華やかな衣装を着れば、多少は晴れやかな気分になれるかもしれんぞ?」


 和佐は美しいかんばせに緊張が走った。

 三人のOGから好奇の視線を受けながら、彼女は確かに迷っていた。苦悩の内容は衣装を着るか否かのみにとどまらなかったが、そこまでは周囲に知らせる必要はないだろう。


 かけられた質問に対してのみ、白髪少女は決断を下した。


「そうね……せっかくだからお願いしようかしら」


 黎明と風月は驚いた。和佐が凛好みの衣装を着たがるはずがないと、白髪の姉ですら予想していたからである。

 勝手に発注した妹向けの衣装も箪笥の肥やし状態だというのに、一体どういう風の吹き回しなのだろうか。


 一方、和佐が乗り気になったことで凛は手を叩いて喜んだ。


「よう決めた! 和佐の相手はわし自らがいたそう。黎明の採寸は優秀な使い魔に任せるのでの」


 つまりは『クラウンアリス』の従業員ということだ。ゴスロリ姿は店長の凛と共通しているが、フリルは控えめであり、とんがり帽子の代わりにローブを目深に被っている。


 話がまとまると、一同はカウンターを通り、分厚いカーテンをくぐり抜けた。


 カーテンの向こうは狭い通路になっており、扉がいくつも連なっていた。和佐は凛と、黎明と風月は使い魔……もといスタッフに連れられて、それぞれ別の部屋に入る。内装は小規模なドレスルームといった感じの風情だ。


 魔女の店長は巻尺を取り出すと、さっそく採寸に取りかかろうとした。


「ふむう、その服では正確なサイズは測れぬの。ちと脱いでくれんか」


 和佐の全身がこわばる。自分から希望しておきながら、服を脱がなくてはならない点を完全に失念していたのだ。

 初めから採寸されることがわかっていれば、あらかじめ服の下に無難なものを着込むことができたのだが、今回の採寸は場の勢いで決めたところが大きかった。


 なぜ凛の誘いに乗ったのか、和佐は今さらながら自分の決断に疑問を感じていたが、恐らくキャリーの登場によって最適な判断が下せない状態にあったのだろう。魔女の店長の言う通り、気分を変える必要があると自分に言い聞かせる。


 凛の職業意識の高さは知っていたが、それでも和佐がブラウスのボタンに手をかけるまで、随分と時間がかかったものだ。変態淑女の笑顔が思わず脳裏にちらついたが、即座に追い払うと、恥ずかしさをごまかすように一気に服を脱ぎ出した。


 そして、ついにタイツと下着のみの姿になると、凛の口から素直な感嘆の声が漏れた。


「ほう、これはこれは……」


 込み上がる喜びは、むろん、変態淑女のそれとは異なる。最高のモデルに巡り会えたこと、加えて彼女のために衣装をしつらえられる期待から生じたものだ。どのような布地で覆うかと同時に、この流麗な体躯の線をどのように活かすかという職業的せめぎ合いに、凛は心を躍らせている。


「さすがは黎明の妹だの。実に衣装の作り甲斐のある体躯をしておる。採寸の結果が楽しみだの」


 声をはずませつつ、凛は白髪少女の肢体に巻尺を当て始めた。平べったい細い蛇が、バストやウエスト、黒い繊維に包まれたヒップ、太ももに次々と這いつき、触感を受けるたびに和佐は神経をざわつかせた。風月の採寸はさすがに慣れているが、彼女以外の相手となると、どうあっても警戒心が鎌首をもたげずにはいられない。


「まさかこうしておぬしの身体を直に測る機会が得られるとはのう。今までは風月からもらったデータを基におぬしの服を直していたのでな。どれ、何かリクエストはあるか? 言ってみるが良い」


 警戒心を解きほぐそうとしているのか、凛の呼びかけは親身であった。だが、魔女の気遣いもむなしく、和佐の次の発言は勇気を極めた。


「リクエストと言うか……着ている姿を見せたい相手がいますので」

「なんと!」


 凛の巻尺を持つ手が止まった。


「おぬしの口からそんな言葉がでるとはのう。しかも、その口ぶりからして黎明ではないな? ついに、おぬしにも親しい相手ができたということか! ふむ……心を閉ざしてから、実に長い時間であった」

「……ええ」


 和佐が口にしたのは、それだけである。


 内心でいくつもの感情が踊り回っていたが、一つ確実に言えることがある。

 昔をやたらと懐かしむ店長の姿は、口調と同じく、年寄り臭いと言うほかない。


 その魔女は白髪少女の皮肉に気づかぬ様子で、飴色の瞳をきらめかせていた。


「では、その者について、さらにうかがわねばならぬの。相手の好みがわからねば理想の衣装を作ることはかなわぬ。決して野次馬根性から聞いているのではないぞ!」


『社交辞令』の単語が脳裏をかすめたが、口に出すことはできない。次に放つ言葉はさらに勇気を有したからであった。


「相手は……同い年の清楚の皮を被った変態の少女です」

「ヘンタイとな⁉」


 驚きのあまり、凛の声が裏返る。


 和佐としても、どうしてここで岬の名前を出したのか不思議でならなかった。見せつける相手なら円珠でも良かったはずなのに、この瞬間、和佐の候補に彼女の名前はなかった。円珠とは、恋人ではなく妹のような存在として親交を深めたいと思っていたのである。


 自身の判断の理由を、和佐は考えてみた。岬の気を引こうと考えたのは、キャリーの存在を隠した姉に対する反発であることに間違いはない。そのために変態ルームメイトとくっ付こうという発想は、過去の和佐からすれば狂気の発想であるが、馴れ馴れしさと変態的な面を除けば、岬に対して和佐は角を立てることが少なくなっていた。こちらから誘いをかければ、篭絡させることはたやすいだろう。


 驚きと好奇心がひとまず落ち着くと、魔女の店長はたちまち職人の顔に戻った。


「なるほどのう。ただの変態娘であれば、ひたすら扇情的な衣装に仕上げれば済むものだが、その者は自身の清楚さで性癖を隠すすべに長けておるのだろう? ならば露骨なあざとさを見せるより、通な者にしかわからぬような色香を見せた方が有効であろうな。おぬしにも色々意見を聞かせてもらうぞ」

「……わかりました」


 正直なところ、何を着たところであの編入生なら狂喜乱舞すると思うが、一度決めた以上、和佐も徹底した性格である。

 岬よりも自分自身のために、満足のいく衣装案をいくつか頭に思い描いた。

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