外伝3 白いフクロウのブローチ

ブローチの秘密

 入学式から一週間が過ぎた日の夕方のこと。

 寮棟区の敷地内を散歩していた岬は、そこで偶然円珠を見かけて声をかけた。


「あ、円珠。奇遇だね」

「これは岬先輩、ご機嫌麗しゅう」


 呼び名が『上野先輩』から変わっている。それだけ円珠は彼女に心を許すようになっていたのである。岬も親交の証として後輩少女を呼び捨てし、実の妹のように目をかけていたのだった。

 いつか『岬姉様』と呼ばれる日が来ることを期待していた岬であるが、ここで言うべきことを思い出し、円珠に顔を近づけて声をひそめる。


「日生さん、今ちょっと時間空いてる? 二人きりで話したいことがあるんだ」


 反射的に円珠は身構えた。

 親しくなれたものの、変態淑女らしいお付き合いまでできるかと言えば話は別である。


「二人きりとはどういう……」

「えへへ、だいじょうぶ。今回はやらしい意味じゃないから」

「今回は、って……」


 かえって不安に駆られた円珠だが、変態淑女は「すぐ終わるから」と爽やかに微笑んだので、仕方なくいつもの非常階段まで訪れたのであった。

 何を語るんだろうと円珠は全身をこわばらせたが、岬の第一声は彼女の想像を裏切るものだった。


「あのフクロウのブローチのこと、おぼえてる?」


 予想外の言葉に円珠は面食らったが、すぐさま背筋を伸ばして応じた。


「はい、岬様のおばあ様からの思い出のお品だとか……」

「あれ嘘」


 円珠は胡桃色の瞳を大きく見開き、この流れにおいてごく自然な疑問を口にした。


「えっ? では、あのブローチは一体誰の……」

「まあ、思い出の品には違いないんだけどね……」


 はにかみながら、岬はあたりを警戒しながら小声で告げた。


「……あたしの『初めて』の相手だよ」

「!」


 絶句した円珠だが、考えてみれば納得できる話である。

 稀代の変態淑女だって、別に生まれた瞬間から変態淑女だったわけではないのである。


「中学校時代の先輩でね。あたしよりずっと美人で頭も良かったんだ。さすがに一条さんには負けるけど」


 円珠の心境は複雑だった。姉様のために尽力した先輩から『昔の女』の話など、正直なところ、聞きたくはなかった。

 この先輩はルームメイトである姉様一筋だと、そう信じていたかったのに……。


 声と表情を硬くして、円珠が問いかける。


「あの、そのことを、姉様には……」

「まだ言ってない。機会を見計らって話すつもりだよ」

「それを、どうしてわたしには話されたのです?」


 思わず軽い非難を込めて尋ねると、岬もさすがに気まずく感じたのか、自分の頬をぽりぽりと掻いている。


「いやあ、さすがにあの場で本当のことを話すのもどうかと思って。でも嘘を抱えたままってのもしんどくてね。だから円珠にだけには打ち明けようと思ったんだ」

「それは……ありがとうございます」


 礼を言う必要があるかは疑問だが、他に言う言葉も思いつけず、社交辞令でも感謝するのが無難と言えよう。

 円珠の顔を曇らせたのは、その事実だけではなかった。


 自分は、この先輩について何も知らない。


 会ってからまだ二週間も経っていないから、詳しく知らなくても当然のことだと思うが、この三つ編みの先輩の本心がどこにあるのか、円珠はふと気になってしまった。姉様に対する友好は疑いようのないものと信じたいが、この先輩は必要とあればいかなる嘘を吐くこともためらわない。


 姉様も恐らくルームメイトの過去は知らないだろう。その過去が、姉様との今後の関係において不都合のないものであることを、円珠は願った。


「……円珠、おーい。応答願えます~?」


 気づけば、黒髪の先輩が目の前で手を振っている。

 そこまで意識が集中していたことに驚きつつも恥じ入り、どうにか姿勢を持ち直す。岬が清楚の笑みで話を続けた。


「最後にいちおう言っとくけど、あたしがいいと言うまではこのことは秘密にしといて。もし漏らしたりなんかしたら……」


 こなれた様子で片目をつむってみせる。


「日生さんの人には言えない秘密がもっと増えることになるかもよ♪」


 無邪気に釘を刺されたが、意味を知って円珠は顔を熱膨張を知ったような有様にさせてしまう。

 その後、夕食を誘われるも、円珠としてはすぐに本棟に引き返すわけにはいかなかった。


 先輩との間に妙な噂を立てられぬよう、手鏡で自分の顔を確認し、赤みが完全に消えるまで待たなくてはならなかったのである。


(ライラック色の少女たち【1・下】終わり)

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