5.少女たちをつなぐ鍵

 その後、和佐と円珠は大聖堂の入り口で待っていたシスター蒼山のはらかいによって、こっそり始業式に飛び入り参加を果たした。キノコアザラシのぬいぐるみはシスターの手に預けられ、後に洗濯に回して雪葉に返却されることとなる。


 始業式の後はクラスごとのホームルームがあるだけで、それも済むとライラック色の制服を着た乙女たちは学舎区の敷地内で保護者と合流し、様々なことを語り始めていた。


 円珠の母親は周囲から聞こえる談笑の華やかさとは真逆の表情で大校舎の入り口を見つめていたが、まるで別人のように明るくなって現れた娘を見て、思わず涙ぐんだ。円珠は迷惑をかけたことを素直に母親に謝ったが、彼女が謝罪すべき相手は彼女だけではなかった。


「あ、上野先輩……!」

「おはよう。昨日ぶりだね」


 編入生の先輩がやって来ると、円珠は彼女のもとまで駆けつけ、すかさず頭を下げた。一時期は姉様の恋敵として恨まれていた編入生は気を悪くする様子は一切見せず、それどころか、控えめで可愛い少女の制服姿に眼福し、歓喜で胸がはちきれんばかりの状態であった。

 もっとも、すぐさま円珠の母親が重ねて謝ってきたので、表向きでは品行方正かつ清楚な態度を装わねばならなかったのだが。


 謝罪の時間が終わると、岬と円珠は白髪の美少女と合流した。


 一条和佐は姉の黎明とメイドの風月と一緒だった。別所で思い思いのことを語り合っていたのだろう。話すべきことは各々たくさんあったはずだ。


 岬は黎女OGの二名からも謝意を受け、最後に聖花さまから直々に妹のことを託される。快く頭を下げ、聖花さまの妹と、その妹の名ばかりの『妹』とともにピンクのアルトラパンが去っていくのを見届けた。


 黎明と風月が引き上げると、三人は寮棟区内に引き返した。道中、岬はルームメイトに問いかける。


「それで、一条さんは黎明さまたちと何を話したんです?」

「つまらないことよ」


 そんなはずはないと思うが、岬は無理に聞き出そうとはせず、ルームメイトの端正な横顔を眺めた。

 彼女のかんばせは、時に口よりも雄弁に真実を語ることがあるのだ。


 和佐の足取りは軽やかだが、表情はどちらかと言えば晴天に薄曇りを被せた状態に近かった。大勢のファンの前では社交辞令的な挨拶しか交わせなかったかもしれないが、少なくとも、談話室から出たばかりに見せた死相は完全に消え失せていたので、岬はひとまずこれで良しと思うことにした。

 学校生活は始まったばかり。真実を聞き出す時間はまだまだたくさんあるはずである。


 昼食を挟み、三人は制服姿のまま三号棟の217号室へと赴く。憧れの姉様の寮部屋に円珠は心をそわそわさせていたが、いつまでもそうしてはいられない。


 岬の一案により、引き出しの鍵は円珠自身が開けることになったのだ。


「そ、それでは、開けますっ……」


 必要以上に力がこもってしまったが、それとは裏腹に鍵の開く音は実に軽やかだった。

 岬にうながされ、円珠は恐る恐る引き出しを開けて中を覗き込む。


 姉様の共犯者として隠匿していた物がそこにはあった。


 入っていたのはリボンやアクセサリーなど、そういうたぐいのものばかりである。

 日用品などに手を出さなかったのは姉様の情けなのだろうかと思いつつ、円珠は引き出しの奥に転がっていたあるものに目がいった。


「これは……」


 引き出しからそれを取り出したため、和佐も妹が手に持ったものを確認することができた。

 しまい込む時はそれほど深く意識していなかったが、よく見ると隠したものの中でこれだけ年季が入っていたように見える。


 それは精巧で彫られた白いフクロウのブローチだった。

 二人同様、それを見ることができた岬は心から胸を撫で下ろした。


「よかったあ。これがなかったらどうしようかと思ったよ」

「随分と使い込まれているみたいね」

「おばあちゃんからの思い出の品なんです」


 聞いた瞬間、和佐は何の気なしで話しかけたことにバツの悪さを感じた。同時に罪悪感も深まった。かけがえのないものと知っていたら、最初から手を付けることもなかったのに。

 円珠も心穏やかでいられず、改めて編入生の少女に謝罪した。


「せ、先輩。本当に本当に申し訳ありませんでしたっ。ご家族からの大切な品だというのに……」

「いいのいいの。最悪、寮母さんに頼んで鍵をぶち壊してもらえばいいだけだし。それより、日生さんが戻ってきてくれて本当に良かったよ」


 ひらひらと手を振った岬である。

 その喜び方に社交辞令も下心も感じさせず、先輩の心の広さに円珠は思わず胸を打たれた。


 だが、続いての岬の言葉には首を傾げたものである。


「だって日生さんは全生徒の中でも特に、特別な存在だからね」

「そ、そうでしょうか……?」


 自分の値打ちに関して、円珠はうぬぼれる気はなかった。ましてや、このような問題を起こした後となっては。

 怪訝な表情をとったのは円珠の姉様も一緒で、灰色の瞳をひらめかせながら発言者の少女に真意をうながした。


 岬は魅力的なほくそ笑みを浮かべて二人に応じる。


「だって、一条さんと暁音・雪葉の幼馴染コンビ両方につながりがあるのは日生さんだけだもん」

「あっ……」


 円珠は口をぽかんとさせた。

 幼馴染の先輩たちと、その先輩たちが忌避している姉様と交友関係を持っている点では、自分は確かに希少価値のある存在なのかもしれない。


 頷きかけて、円珠はすぐに次の疑問が浮かんだ。

 確かにつながりはあるが、編入生の先輩は、単にその事実のみを告げたかったのだろうか。


 その疑問に答えを出したのは友であり、今となっては名ばかりの姉様であった。

 麗しいかんばせをめいっぱい複雑なものにしてルームメイトに問いただす。


「社交辞令で聞くのも嫌なのだけれど……」

「どぞどぞ、遠慮なさらず♪」

「あなたまさか……円珠に私と暁音たちの仲の橋渡し役をやらせるつもりではないでしょうね?」

「いけませんか?」


 あっけらかんと岬は言った。


「嫌がらせのキスを受けた雪葉と一条さんを目の敵にしてる暁音を仲間に引き入れることができれば、今まで一条さんに非友好的だった人たちも考えを改めてくださるでしょう? そうすれば一条さんも周りからの視線で嫌な思いをしなくて済みますし、困ったときは協力を得ることができて一石二鳥じゃないですか。あたしも協力いたしますから、一条さんもどうか手を貸してくださいよ」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……」


 和佐の端麗なかんばせに狼狽の色が広がった。


「確かに、周囲との不要ないがみ合いは避けたいとは思っているわ。けれど、わざわざ彼女たちと親しくなる必要なんて……」

「おや、一条さん。照れてるんですか~?」

「て、照れって……!」


 それきり言葉が続かない。まるで岬の言葉がスイッチになったかのように頬が染まり、和佐はひりついた視線をその相手に投げかけた。

 むろん、それで岬がひるむはずもなく、逆に爽やかな笑みで言い返すのであった。


「えへへ、どうかこれからもよろしくお願いいたしますね、一条さん♪」


 和佐は深い深い溜息を挟み、無言の対峙を継続させた。素直に歓迎を示す意図も気概もないことは、寮生二人が自覚していることである。


 害意なくにらみ合う先輩二人を、円珠は胸が熱くしながら見つめていた。


 編入生の先輩は、誰もが諦めていた拮抗を本気で解消されるおつもりなのだろうか。姉様のために。


 円珠は小さく笑った。自嘲を込めた笑いだった。こんな先輩に対して自分は少しでも勝てるかもと思っていたのである。

 勝てるはずもない、いや、それ以前に先輩が真剣に勝負と見なしてくれるかどうかも怪しかった。


 鍵の返却後、このまま二人から身を引くことも考えたが、先輩の輝ける笑顔を見て、その意思は完全に変わった。

 もはや彼女は『恋敵』ではない。

 さすがに『仲間』と思うのはおこがましいが、姉様の理解者として、彼女とも親しくなりたいと思い始めていた。


「姉様、上野先輩、これからよろしくお願いいたします」


 唐突に呼びかけられ、岬と和佐は不意を打たれた様子でまばゆい笑みを浮かべた後輩少女を見やったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る