2.白髪の姉妹(2)

 和佐を含めた四人は、長椅子の部屋ではなく、その手前にある大きなテーブルの部屋に集合した。まだ午後にはなっていないから、人払いの効果はまだ有効であるはずだ。


「エミリー、どうかわたくしのことを好きなどと思わないでちょうだいな。あなたのことはむろん大切な存在だと思ってますけど、あなたの想いに応えることはできないの。できれば岬ちゃんとともに、新しい幸せの道を模索していただくと嬉しいわ」


 長椅子でのやり取りは一体何だったのと岬が舌打ちしたくなるくらい、黎明はあっさりと妹に自分の願いを口にしたのであった。

 白髪少女の衝撃はさすがに大きかった。だが、完璧に打ちのめされたというほどではない。もしかしたら薄々言われるのを予期していたのかもしれなかった。重く息を吐くと、激情を押し殺した声で姉の要求をしりぞける。


「ふざけたこと言わないで。私はずっとあなたの姿だけを見て過ごしたのよ。今さら他の人間と生きたいと思うつもりはないわ」


 岬は目を見張った。ルームメイトが姉を好いていることはすでに知っていたが、ここまでストレートに想いを打ち明けてくるとは思わなかったのだ。

 だが妹の告白に、黎明は白いかぶりを振った。


「やはり、簡単に聞き入れてくださらないというのね」

「どうして聞き入れる必要があるのよ。事情も話そうとしないくせに。私のことを夢中にさせておいて、いきなり切り捨ててしまうなんて身勝手だわ」

「勝手。そう、確かにわたくしは勝手な女ですわ。そんなわたくしにあなたが想いを寄せる必要などありませんことよ」


 和佐は愕然とした。このようなかたちで開き直られるとは予想できなかったようである。黎明の重たげな表情から和佐は姉が本気で距離をおこうとしていることをさとり、気高いかんばせを薄弱のものに化してしまった。


「……わかった。黎明がそう言うのなら、これ以上あなたにかかずらうことをやめることにする。それであなたは気が済むのでしょう」

「エミリー……」

「ただ、一つだけ条件があるわ」


 黎明の金の瞳が驚きで迎えられる。


「もし、それを満たせなかった場合、私は自分の発言を撤回することにするからね。いきなり心変わりしろと言われてもそう簡単にできるものではないわ」


 話に乗ってくれるとわかり、黎明は少し気を軽くなった状態で頷いた。


「確かに一理ありますわね。それで、エミリーは一体何をお望みなのですの?」

「私を抱きなさい、黎明。編入生にしたのと同じように」


 黎明だけでなく岬まで面食らった。ちなみにメイドの風月はこのとき闖入者にお引き取り願うために廊下で待機していたが、彼女ですら呆気にとられたに違いなかった。


 こんな状況だが、岬の心は舞い上がってしまった。変態淑女の編入生の悪い癖だ。ルームメイトの言う「抱いて」が単なる抱擁であるとは思えず、長椅子の上で展開される芳醇な絡みと息遣いを想像して血を熱くさせてしまうのである。それと同時に、白髪少女がなぜこのような挑発に出たのかと考える冷静さを持ち合わせている。理非善悪はともかく、一見清楚に見える三つ編みの少女は、シスター蒼山が称すようにただものではなかった。


 だが考察してから、岬は不吉な悪寒に襲われた。果たして和佐が勝算もなしに自分が不利になるようなことを口にするだろうか。もしかして、姉が駆け引きに負けることを妹は初めから確信しているのではないか。


 真相は、聖花さまの次の反応に如実に現れた。


「だ、だめ……っ!」


 黎明さまは、小さな悲鳴を上げてしりぞいた。大切な存在と言ったはずの妹に対して。


 あえて聖花さまを擁護するならば、彼女の表情に妹に対する嫌悪感はないように思われた。だが、紛れもない恐怖の感情が青くなったかんばせを彩り、妹に対する弁解はもはや不可能であった。


「……もういい、十分だわ」


 その声は落胆と失望と憤怒と悲壮感のすべてを、静寂をベースにして混ぜ合わせたようなものだった。


「五年前からずっと疑っていたけど、これでようやく確信できたわ。あなた……私に触ることができないのね」

「え、エミリー……違うの! これは……」

「違う? 何が? あなたはたった今、自分の行動で自分の言葉を否定したじゃない。そもそも、これだけ近づいてやったのに手を伸ばそうともしないのはどういうつもり⁉」


 傍観者である岬のほうが胸が痛くなってきた。確かに和佐の言うとおりだ。自身の愛情を証明したければ、たとえ社交辞令でも妹に接触しようと努力すべきなのである。だが現実は、聖花さまの両手は自身のドレスの裾を掴んだまま。


「……っ、うぅッ……」

「何よッ、泣きたいのは私のほうなのに」


 和佐は怒りを叩きつけた。言葉の通り、和佐の声も泣き出す寸前の有様だったが、その姉は妹の悲憤などお構いなしに嗚咽を奏でていた。うなだれ、前髪に隠れてしまった瞳から雫が音もなくつたう。


 痛ましい光景だった。岬は基本は終始、一条和佐に肩を持っている。聖花さまの態度は不自然だし、言動はお世辞にも好感をもたらすものではない。それでも、今の黎明さまを責めることはしのびなかった。

 彼女の苦しみが何から起因しているのか岬には知りようがなかったが、ここまで辛そうに涙するのを見ると、よほど深い事情があるに違いない。


「一体何たる事態です、これは?」


 そのとき、メイドの風月が会議室の扉を開けて現れた。ただならぬ事態を察したのだろう。

 岬が一連の出来事を説明すると、秀麗なメイドは藍色の瞳を閉ざし、軽く嘆息した。


「確かに五年前から、ご主人様はお嬢様との接触を避けておりましたが……」


 それから白髪のお嬢様に視線を送る。


「まさか、お嬢様のほうから触れてほしいとはご主人様も予測できなかったのでしょう。姉に甘えたいと口になさるはずがない、それはお嬢様にとってこの上ない恥辱であると、ご主人様は高をくくっておいででしたから」


 聞いていた三人は、それぞれの顔で風月に対する不信感を表明した。風月の言葉と態度は静かだが、そこからにじみ出る悪意が意図的であり、黎明に好意を抱いていない岬ですら気分を害さずにはいられなかったのである。

 だが、メイドの美女は冷静さを保ったまま、さらに言い募った。


「こうなってしまった以上、もはや隠し通すことはままなりますまい。ご主人様がお嬢様に触れられなくなった所以、お二人の耳にだけでも入れておく必要はございましょう」

「ふうちゃん! それは言ってはいけない約束ですわ‼」


 黎明が顔と悲鳴を同時に上げた。今まで見せたことのない決死の形相だが、後ろ暗いところがあると自分から認めたようなものだ。

 和佐だけでなく、岬も懐疑的な目つきで聖花を見た。


「どういうことです、黎明さま?」

「言えません。それだけは死んでも言えませんわ……」


 自分の身体を抱いて震え上がる。どうやら本気で怖がっているらしい。尋常ならざる聖花さまの様子に、岬が思わず口をつぐんでしまうと、


「ご主人様」


 白髪の聖花さまに対し、風月は初めて私的な感情をあらわにした。諫めるともたしなめるとも違う。今のメイドの口調は『なじる』というものがふさわしかった。


「ご主人様が渋るのなら、私が代わりに説明させていただきます。五年前のことは私の心にも大きな傷を与えたもの。これ以上押し殺して生き続けるのは私にとっても、もはや耐えがたいことなのですよ」

「ふ、ふう、ちゃ……」


 愕然とし、黎明は声を出すのもままならない。その反応を見る限り、メイドの美女が主人に対して牙を向けたのは初めての事態であろう。刃の気質を込めた藍色の視線を受け、白い髪のご主人様は全身を小刻みに震わせている。

 そして、そのご主人様の妹としても驚きを隠せない。


「何よ、これ……どういうこと、風月。説明なさい」

「だめよ、ふうちゃん! 言わないで!」


 白髪姉妹のそれぞれの要望に対し、メイドの反応は異質であった。ことさら丁寧な態度であるが、その内実は二匹のネズミを面白半分にもてあそぶ猫のようであった。


「事情を語りたいのはやまやまですが、すべてを話してしまったら、そのまま午後を迎えてしまうでしょう。ご主人様はこれ以上の貸し切りの延長は望まれませんでしょうし……」

「勿体ぶって……ならば、どうするつもり?」

「私から一つ提案があるのですが」


 悠然と一条家のメイドはのたまった。


「お二人とも、我が主の屋敷まで足をお運びいただけないでしょうか?」

「屋敷? 一条さんのお宅ですか?」


 岬が面食らって聞き返した。


「さよう。もっとも、我々も都合がございますゆえ、お迎えに上がれるのは午後六時頃になりますが……。むろん、ささやかながらおもてなしはさせていただきましょう。お二人がお望みとあれば、シスター蒼山氏から外泊許可を受け取られてはいかがかと」


 お泊り!


 岬の心がさらに色めきだったが、同時に一抹の不安も禁じ得なかった。黎明さまの反応を見る限り、外泊の提案は子夜先輩の独断のようにしか映らなかったからだ。いくらなんでも僭越せんえつが過ぎるのではないかと心配になり、和佐は和佐で別の理由でメイドの提案に疑問を感じていた。


「どうしてわざわざそんな手間を? 話が終われば、さっさと黎女へ送り返せば済む話なのに」

「ご主人様と積もりに積もった話をするには絶好の機会かと思われまして……。特に、五年前の真実を聞いた後では時間がいくらあっても足りなくなるはずでしょうし」

「だから話しちゃだめって言ってますでしょう⁉ お家に招くのは構いませんけれど……あの話を打ち明けるなんて冗談じゃありませんわ‼」


 黎明が怒りの声をほとばしらせた。彼女の二十年の人生を通しても、これほど激情をあらわにすることは滅多になかった。だが、彼女の渾身の怒りは、メイドの冷ややかな態度を助長させるだけだった。声だけがひたすら慇懃である。


「ご主人様……あなたはご自身の立場をわかっておいででない。私はその気になれば、この秘密をファン一同に暴露することも可能なのですよ? お嬢様も岬様も聡明なお方。大勢に知られてしまうくらいなら、いたずらに口外しないであろう二人に打ち明けることくらいなんだと言うのです?」


 このメイドは、明らかに主人を脅迫している。それだけ聖花さまの秘密には力があるというわけか。岬もそうだが和佐も言葉が出ない。

 風月の脅迫に、せっかくの黎明さまの闘気も呆気なくしおれ果て、彼女はもはや豪奢な白いドレスを纏っただけのひ弱なあしと化してしまった。


「それで、いかがでしょう? 屋敷に来ていただけるという流れで話を進めてしまっても構わないでしょうか?」

「え、ええ……」

「はい、あたしも……」


 何食わぬ顔で尋ねられ、制服姿の二人は上の空で返答するしかなかった。


「ご協力感謝いたします。そうと決まれば、早いところ歓迎の準備をしなくては。ほら、ご主人様、いい加減その表情を改めなさいませ。ファンに見られたら色々と面倒なことになりますよ」


 自分で追い詰めたくせによく言うが、とにかくファン一同を別所に誘導させるために黎明と風月が先に大校舎を出ることになった。二人の廊下の歩く音が小さくなると、残された二人はどちらからともなく息を吐いた。


 何だか聖花さまよりもメイドさんの一声で今後の方針が決定されてしまった。岬としては、彼女の意図について考えずにはいられなかった。なぜメイドさんは主人の意向を無視して話の主導権を握ることがのか。彼女の思惑は果たしてどこにあるのか。


 あることを思い返して、岬は嫌な胸騒ぎをおぼえた。そもそも、一条和佐がここにいるのはなぜであったか。彼女をこの学舎区へ呼び出した人物……それは他ならぬ子夜先輩ではなかったか。

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