第五章 白いドレスの聖花(後編)
1.白髪の姉妹(1)
一条家の次女はライラック色の制服を華麗に着こなしていた。紺色のボレロもきちんと羽織っており、膝丈のスカートから黒いタイツに包まれた脚が伸びている。私服の時とは違い魅惑的なふくらはぎがあらわになっており、それを眺めると、彼女の姉から受けた屈辱もかなり昇華されるように感じられるのだった。
「じろじろ見てないで」
白髪の令嬢のご機嫌を損ねてしまい、編入生の変態淑女は慌てて視線を正面に向き直した。そこには、麗しの聖花さまが大勢のファンたちから熱狂を受けている。和佐はよくファンたちに気づかれずにここまで来れたものだ。
「えーっと……それで、一条さんは、一体どのようなおもむきでこちらへ?」
お姉さんが距離をおきたがっていることを口にするわけにはいかず、最も無難で興味深い疑問を岬は投げかけることにした。
和佐は持ち前の美しい白髪をかき上げて応じる。
「さっき風月から連絡があったのよ。黎明があなたに対して何か秘密を打ち明けるかもしれないと」
「子夜先輩が?」
メイドの呼び名が思いつかず、岬はファンの使った呼称を借り受けることにした。それにしても、子夜先輩は何を思ってお嬢様……和佐にそのことを告げたのだろう。
だが、実際に口にしたのは別のことだ。口元にからかうような微笑を浮かべて言う。
「……ということは、あたしに知られたくない秘密が一条さんにはあるということなんですね?」
失言をさとって和佐はバツの悪そうな顔になったが、すぐさま持ち直す。
「秘密だろうが何だろうが、あなたに語るべきことなど何一つないわ……って、ちょっと待って」
ふいに語調を改めると、続く行動は唐突であった。
岬のボレロを掴んで引き寄せると、白髪少女はその胸元に顔を近づけたのである。匂いを嗅がれ、岬はくすぐったい感触に襲われたが、和佐は編入生の狼狽に構う余裕もなく、やがて低い声でうなった。
「……黎明の匂いがする」
「えっ」
「長時間密着でもしない限り、ここまではっきりと残り香が移らないはずよ。あなた、黎明と何をしたの⁉︎」
一喝されて、岬の心臓は一気に凍えた。聖花さまに何をされたかなんて、今の和佐相手に口にできるわけがない。
だが幸い、岬はルームメイトの追及をかわすすべを持っていた。我ながら卑怯だと感じつつもそれを口にする。
「何とも思ってない相手の匂いをそこまで気にします?」
今度は和佐が押し黙る番となった。美しいかんばせが本音と建前のせめぎ合いで揺れ動き、自身の葛藤に耐えかねた彼女はついに本心を言葉で表明した。
「……気になるわよ。なるに決まっているじゃない。幼い頃から、私はあいつの姿をずっと追い求めていたのだから」
プルーン色の瞳が見開かれたが、内心では「やっぱりか」という感想がより多く占められていた。
和佐がボレロを握りしめたまま、半ばすがるような口調で再度問いかける。
「私はあなたの質問に答えたわ。次はあなたが私の疑問に答える番よ」
岬は困り果てた。珍しく正論を言い放った和佐に不誠実な態度をとりたくはなかったが、想い人と長椅子の上でもつれ合っていたなどと語ったら、彼女の受ける心の傷は根深いものとなるだろう。
編入生の少女が沈黙している間に事態は動いていた。
ファンたちの相手をしていた聖花さまが制服姿の妹の存在に気づき、メイドの風月とともに駆け寄ってきたからである。
217号室の寮生二人の表情は、このときばかりは息を合わせたかのように渋面になっていた。愛情深いが、白々しく聞こえる声で歓迎される。
「まあ、エミリー! お会いできて嬉しく思いますわ」
「よく言うわ。連絡すら寄越さなかったくせに」
和佐の声は反発より沈鬱の色が強かった。
黎明に対してひりつくような視線を向けたのはむしろ岬のほうだ。距離をおきたがる妹相手に、よくもまあぬけぬけと笑顔を向けられたものだと思ったのだ。
白髪の妹が姉を指弾する。
「この編入生が語らないなら、代わりに黎明に聞くわ。どうしてこいつにあなたの香りが移っているのよ」
「エミリー、『こいつ』はよくないですわ。岬ちゃんは将来、大切なお友達になるかもしれませんのに」
黎明は回答をはぐらかした。これは妹を欺くというより、周囲のファンたちに配慮しての発言だろう。
メイドの風月から『お触り厳禁』を命じられた彼女たちが、ぽっと出の編入生との濃密な絡みを知ったら納得いかぬとなって憤慨するのは必至である。苛立ちと嫉妬はむしろ岬に向けられる可能性が大だが、聖花さまも責任の一端は免れ得ない。
ここで風月が控えめに、さっと動き出した。
白髪のご主人様に耳打ちをし、頷きを得ると、ファン一同をかえりみて口を開く。
「皆様、どうか冷静にお聞きください。ご主人様はどうやらさらなる内緒話をご所望のようです」
憧れの聖花さまともっと接したいと願ってやまない少女たちの反応は渋かった。だが、口では表明しない。聖花さまと双璧を成す美人OGは、表立った知性と威厳さにおいてはそのご主人様をも上回る。その彼女と正面から渡り合うのは容易なことではなかった。
風月は和佐と岬の両名を見直した。
「お嬢様、お話の続きは例の会議室で。岬様もどうかご同行を願います」
ファンたちの間からどよめきが上がった。鬱憤が
慇懃だが、はっきりとした抗議の声がついに出た。
「この場には数年以上前から聖花さまをお慕いし続けている方もいるのです。そんな彼女たちを差し置いて、そちらの編入生を特別扱いしてしまうのは……」
「岬様は普通の編入生の方ではございません。お嬢様のルームメイトを自ら買って出た方で、ご主人様が関心を抱くのは無理からぬことと思われますが?」
ファンの少女が言葉を詰まらせる。聖花さまが妹にルームメイトがつくことを切望していたのは知っており、知っていながら、妹の態度を恐れて今まで誰も立候補しなかったのである。
憮然となるファンに、風月はなだめるように付け足した。
「ご主人様の目的はあくまで岬様がお嬢様のルームメイトにふさわしいかどうかを見定めるため。この一件であなた方への寵愛に不都合が起こらないことは、この子夜風月が約束いたしましょう」
「で、ですが……」
なおも食い下がろうとする少女に、風月は今度は静かに笑いかけた。
クールな彼女であるが、そのかんばせに浮かぶ笑みはことのほか魅力的だ。
「スーパースペシャルブロマイド、一枚で」
「……はい?」
「ここにいる皆様方にご主人様の秘蔵の一枚をご提供いたしましょう。むろん、ご主人様のサイン付きで。色々と思うところはありましょうが、どうか今回はこれで手を引いていただきますよう……」
一同に新たなざわめきがはしった。先ほどのような緊張感はなく、全体に興奮のオーラが立ち込める。
頬をつやつやさせながら、ファンの少女は大きく頷いた。
「……絶対ですよ。約束してください」
「ええ。お約束いたしましょう」
それで手を打っちゃうんかい。
呆れ果てた岬だが、その彼女も現在の心理状況でなければ聖花さまのブロマイドに興味をおぼえたかもしれない。
ともあれメイドのお墨付きを受けて、岬は特別会議室へと引き返すことになったのだった。
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