5.メイドさんまでやってきた
足音の主が長椅子の部屋に訪れたのは岬が長椅子から立ち上がってから、わずか十秒後のことである。すんでのところで岬は他者に、自分の痴態をさらさずに済んだのだ。
憮然としながらスカートの裾を直していた岬は、やって来た人物を見てプルーン色の瞳を見開かせた。
その人物はライラック色の制服でも白の修道服でも教員らしいスーツ姿でもなく、クラシカルなメイド服という格好だったのである。
年齢は白髪の聖花さまと同い年くらいか。身長も彼女と大して変わらないが、幼顔の彼女に比べてずいぶんと落ち着いた印象がある。切れ長の瞳は藍色で、ホワイトブリムを乗せた黒髪は光の関係か、わずかに青みがかって見えた。
メイド服の女性は、長椅子の上でのたうち回るドレスの美女に対して呆れた声を出す。
「ご主人様、一体何たる事態ですか、これは」
聖花である女性を『ご主人様』と呼ぶことに、岬はさして強い驚きを抱かなかった。黎明さまの纏うセレブリティな雰囲気を考えれば、側仕えが存在していることは決して衝撃的な事実ではない。
そのご主人様は顔の下半分を手で押さえながら、金の瞳を潤ませていた。
「ううう……お鼻が潰れるかと思いましたわ……」
「言っておきますが、不可抗力ですからねッ」
強い語気で岬は自身の潔白を主張した。これは黎明さまよりも、そのメイドさんに向けての弁明である。
聖花さまとのまぐわいを口にする気はないが、理由もなく聖花さまに手を上げたと曲解されるのは不本意の極みというものだ。
もっとも、そのメイドさんは話のわかる人物のようだ。
「どうせ、そこのご主人様が行き過ぎた悪ふざけをしたのでしょう。返り討ちに遭うのが必定というもので、岬様が特に気に病む必要はございません」
様づけで呼ばれることにむず痒さをおぼえた岬だが、事情は汲んでくれたようでひとまずは良かった。
頭を下げると、メイドの美女も鄭重に一礼を返した。
「突然の闖入、大変失礼いたしました。私は一条家長女の専属メイドをつとめる
『お嬢様』というのは次女の一条和佐のことだろう。
それにしても、風月の主人に対する態度を岬は気にせずにはいられなかった。言動自体は
しばらくして、ご主人様こと黎明さまも鼻の痛みもどうにか引いたらしく、長椅子から勢いよく立ち上がって、自身の専属メイドの傍まで寄り添った。すっかり笑顔が戻っており、岬としては「やれやれ」の心境である。
「ふうちゃんはわたくしと同学年でね。かつては寮長職もつとめていたこともありますの」
「なるほど」
ようは沙織子おねーさんの所属する寮生委員会のトップというわけか。ふうちゃんこと子夜風月がメイド服で寮内を駆け回る姿しか想像できなかったが、その風月は現在、白髪の主人に対して何やら申し上げているところだった。
「それで、ここへ訪ねた理由でございますが……」
風月の話によれば、そもそもご主人様と別行動をとっていた理由は寮棟区におもむき、ファンたちの暴走を抑える都合があったからであった。聖花来訪の報せを受ければ、彼女に憧れてやまない乙女たちが一斉に押し寄せてくるのは目に見えており、岬と二人きりになりたい黎明にとって都合が悪い事態である。そのため、忠実な(?)メイドを抑え役として派遣されたというわけだ。
「彼女たちの忍耐はそろそろ限界です。どうにか今は大校舎前で待機するようお願いしておりますが、しびれを切らしてここまでなだれ込む可能性も低いとは言えません」
「まあ、それは大変。彼女たちのこともきちんとなだめてあげないとね」
にこやかに黎明さまが応じる。規模にもよるだろうが、好意を寄せる人にファンサービスをほどこさなければならないとなれば、元聖花という立場も大変なものだ。岬としては想い人と二人きりの世界に浸れればそれで十分なので、大勢に慕われたところで社交辞令以上の振る舞いはできないような気がする。
特別会議室を後にし、大校舎の玄関へ向かう。
その途中で、岬はメイド服の女性にそっと耳打ちした。聖花さまにされたことを告げ口したいというより、彼女の思惑をこのメイドさんがどこまで知っているかを聞き出したかったのだ。
だが、風月の返答はかんばしくなかった。
「ご主人様がお嬢様と距離をおきたがっているのは存じ上げております。ですが……申し訳ありません。ご主人様の厳命により、その理由を打ち明けることはできないのです」
いくら慇懃無礼なメイドさんでも何でも発言することはできないらしい。岬としても「そこをなんとか」と無理強いするわけにはいかず、そのまま風月の次の言葉を受けた。
「それにしても、あの方は妹との離別をご自身で告げず、岬様に言わせるおつもりだったのでしょうか」
主人の背中に皮肉めいた視線を投げかけ、ささやきにはかすかな悪意を浮かび上がらせる。指摘されて、岬はその事実を見落としていたことに気づいた。気づいたところで、いい気分にはなれなかった。なぜ自分で言おうとしないのかという苛立ちが、プルーン色の瞳をきらめかせた。後背を覆う波打った白髪をまっすぐ睨みつけ、正面玄関にやってくるまで離さなかった。
正面玄関の外では、すでにライラック色の制服の人だかりが待ち構えており、燦然と輝く白いドレスが見えた瞬間、何層もの歓声とともに少女たちがなだれ込んできた。
「わあ、聖花さま! 今日もまた神々しい……‼︎」
「再び聖黎女学園でお会いできるなんてなんたる
「子夜先輩も、お会いできて嬉しく思います!」
「辛抱できずに学舎区まで来てしまいましたが、会談を邪魔したわけではないですし、結果オーライですよね?」
「罰するなら、私たち全員にしてくださいませ!」
歓びの声が炸裂し、黎明と風月は瞬く間にその中に囲まれてしまった。編入生の少女の存在など、胸をときめかせる彼女たちには眼中にない。
風月がアイドルの敏腕マネージャーというべき手際の良さで密着する乙女たちをさばいている。
「お触り厳禁です! 破ったものは当面、ご主人様とのお目通りが叶わぬことを覚悟していただきます!」
だが、その風月自身にも少女たちの喝采が浴びせられたのだった。どうやら、そのお付きのメイドさんも中々に人気らしい。確かに、聖花さまとは別ベクトルで美人さんなわけであるから、注目されるのも当然と言えよう。
岬はさりげなく乙女の包囲網から離れ、様子をうかがうことにした。それしかできなかったのだ。ないがしろにされたこと自体は別に気にならないし、何より目の前の光景に圧倒されていた。
代わる代わるにファンから詰め寄られる黎明さまを、岬は何とも言えない表情で眺めた。表層的には非常に眼福ものの光景だが、これを和佐が見たら何を思うか。
あまりにも聖花さまと(彼女のメイドと)ファンとのやり取りに夢中になっていたため、編入生の少女はこっそりと近づいてくるものの存在に気がつけなかった。
「まったく、見るに耐えない光景ね」
ぎょっとした。
玲瓏だが恐ろしく不機嫌な声に、岬は心当たりはあまりにもありすぎた。だが、ここへ訪れることを彼女は散々渋っていたはずではなかったか。
驚愕の面持ちで岬はプルーン色の瞳を声の主に向ける。
制服姿の一条和佐が立っていた。
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