3.聖花さまがやってきた

 沙織子おねーさんと先日歩いた道を今度は一人で進み、待ち合わせ時間の五分前には岬は大階段の前までたどり着いていた。


 すぐさま校舎の方向から足音が響き渡り、岬はその人物を仰ぎ見た。


 相手が階段を降りていくたびに、プルーン色の瞳が大きく見開かれていく。


「あら?」


 こちらを睥睨へいげいしておられる方が待ち合わせの相手で間違いないだろう。

 穢れのない白髪が、彼女の正体を如実に物語っていた。


 ただ、ルームメイトのお姉さまは、岬が想像していた以上に美人だった。というより、絢爛である。


 妹と異なり、波打たせた髪は腰までたっぷり流しており、全身を包んでいたのはフリルとレースをふんだんにあしらった純白のロリータドレスであったのだ。裾は足首まで覆っており、手首も襟首も布地で詰められている。妹の和佐も十分華やかな容姿をしていたが、それを上回るとは、さすがは白髪少女のお姉さまである。


 岬は放心状態におちいっていたが、それが消えると情報を提供してくれたシスターに内心毒づいた。情報提供してくれるのならば、まず服装について話してほしかった。


 強い印象を放つ女性だが、ロリータドレスの衣装は意外なほどしっくり馴染んでいた。年齢の割に顔つきが幼く、岬と同年代にさえ感じさせられる。それでいて柔らかくも暖かな母性も感じさせ、両眼の金の瞳も慈愛に満ちていた。


「うふふ、わたくしの姿にすっかり言葉もない様子ね」


 春の柔らかな日差しを思わせる笑みを受け、岬はようやく白いドレスの美女に頭を下げた。


「お初にお目にかかります。一条和佐のルームメイトになった、編入生の上野岬です」

「一条黎明と申しますわ。どうかよろしくお願いいたしますわね。エミリーのルームメイトになったこと、心より感謝いたします」

「えみりー?」


 そんな外国人な名前の方とルームメイトになりましたっけ? と思っていると、白ドレスのお姉さまは笑顔で付け足してくれた。


「わたくし、妹のことをそう呼んでおりますのよ」


 本名とまるで関係ないような気がするが、岬のささやかな疑問は黎明が動き出したことで中断された。

 下りたばかりの大階段を軽やかに上っていき、岬は白いドレスの聖花に従うかたちで大校舎の中に入っていく。


 岬が連れてこられたのは四階の、ずいぶんと奥まった部屋であった。


『特別会議室』のプレートが掲げられ、黎明の解説によれば、聖花の選考に関わることなど、特に秘密色の強い話し合いをおこなうのに使われる場所とのことだ。特別会議室の議題に参加できることは黎女生にとって一種のステータスらしく、編入されたばかりの岬が本来おいそれと立ち入れる場所ではなかった。


「現会長の子にお願いして、午前中だけ貸し切りにしてもらってますの。岬ちゃんと二人きりでお話がしたくて」


 過去最高と謳われた聖花さまならではの荒技であろう。特別会議室は大きな円卓の置かれた会議室の他にもう一つの部屋があり、そこには異様な空間になっていた。狭い室内に豪奢な長椅子が一つあるだけである。


「特別な撮影をする時に使われますの。機材は別室にしまってありますけど」


 説明しながら黎女OGは迷いなくその長椅子に腰かけ、岬に隣に座るよううながした。うながされるままに少女は分厚い生地の上に小尻を乗せる。

 大きな長椅子に見えたが、二人が座るとことのほか窮屈であった。


「岬ちゃんのことはシスター蒼山さんからうかがっておりますわ。エミリーの嫌がらせのキスに返り討ちをし、プールのシャワールームで裸の女の子に襲いかかろうとしたとか」


 岬の頬の筋肉が引きつった。ボレロに包まれた肩を縮こまらせ、聖花さまが笑顔でこのことを指摘する意図を思案せずにはいられなかった。


「あのう……もしかしてお説教しにいらしたとか?」

「お説教? とんでもない。エミリーとルームメイトになるにはこれくらいできないとつとまらないと思ってますし、もし岬ちゃんが妹と親密になりたいというなら、これほど嬉しいことはございませんわ」


 聖花さまの懐の深さに変態淑女は安堵したものの、これ以上この話題に触れられるのは非常に都合が悪い。

 早々に話題を変えることにした。


「ええっと、黎明さま」

「んー、なんですの岬ちゃん」


 彼女を『さま』付けで呼ぶことに、岬はまったく抵抗をおぼえなかった。シスター蒼山の予言は誠に的確で、白髪の優美な女性に多くのファンに慕われるのもごく自然のように感じられたのだ。

 だが岬のまっすぐな視線は、ファンの持っている敬愛とは無縁のものだ。


「一条さんに連絡を入れなかったのはどうしてです?」


 黎明の表情が初めて変化した。

 笑顔が消えたわけではないが、春の陽光の笑みに薄曇りのヴェールがかかり始めたのだ。


 玲瓏な声にも複雑な色合いがにじみ出る。


「岬ちゃんにちょっとお願い事がございまして……」

「一条さんに秘密にすべきことですか?」


 岬は聖花さまの思惑を先読みした。妹に連絡を寄越さない理由など、内緒話を持ちかける以外にないと思っていたが、黎明は豊かな白いかぶりを振ってみせた。


「そうではありませんの。岬ちゃんからエミリーに伝言を頼みたいと思ってまして」


 妙な話である。別にこちらを介さなくとも、言いたいことがあるなら妹に直接打ち明ければいいものを。

 この聖花さまの妹に対する想いを、岬は正確に測りそこねた。


「一条さんに一体何をお伝えすればよろしいので?」


 無難な問いかけに対し、白い髪とドレスの美女は声にわずかの緊張をはらませながら応じたのだった。


「わたくしはあなたの想いに応えられそうにない……どうか妹に、そう伝えてやってくださいな」


 岬は押し黙った。

 この発言で聖花さまの評価を変えてしまうのは性急だと自分に言い聞かせていたが、それでも急速にせり上がった不信感を完全に払うことはできなかった。


 編入生の態度に、白い髪とドレスの聖花さまは表立った反応は示さず、笑みを消して静かな口調で続けた。


「あの子がわたくしに強い想いを秘めていることはわかってますわ。素直に口にするとは思えませんけど、血を分けた姉妹ですもの。わからないはずがありませんわ」


 岬はようやく口を開くことができた。


「どうして? あなたは一条さんを嫌ってるんですか? それとも、他に好きな人ができたから彼女を遠ざけようと考えているんですか?」

「いいえ」


 聖花さまは断言してのけた。


「わたくしは今でも妹を愛してますし、あの子以外に強い思い入れを持つつもりはありませんわ。ですが、いくらエミリーと相思相愛になれたところで、一緒にいることで幸せになれるかどうかはまったく別の問題ですわ」

「何があったんです?」

「それは……ごめんなさい。詳しい事情は申し上げることはできませんの」


 本当にすまなそうに黎明は目を逸らしたが、岬としては眉をひそめざるを得ない。

 理由もわからないまま、ルームメイトに想いを諦めろなど、言えるはずがなかった。


「申し訳ありませんが、一条さんを傷つけることなんか言えませんよ。一条さんがお姉さんのことを密かに好いているなら、その想いを形にして何が悪いんです?」

「悪いけど、それはお教えすることはできませんわ」


 かたくなかつ深刻な、聖花さまの反応である。

 その精神に呼応したわけでもないが、白髪のルームメイトの心を守るために、岬も意固地になることを決めた。


「どうかお考え直しください。あなたは妹の気持ちを何だと思ってるんですか。事情は知りませんが、あなたの一方的な都合で踏みにじっていいものではないはずです」


 プルーン色の視線をまっすぐ受け、黎明さまの心の揺らぎは表情を介して描かれた。

 もしかしたら思い直してくれるかもしれない。だが、岬の期待は裏切られた。


 黎明はついに物理的な反撃に躍り出た。

 岬の肩を掴むと、そのまま肢体を長椅子の上に横たわらせたのである。

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