第四章 白いドレスの聖花(前編)

1.聖花さまがやってくる(1)

 上野岬は悔悟室で過ごす時間を無駄にはしなかった。

 悔悟室では寮母の管理するスケジュールにのっとって生活しなければならなかったが、反省文さえ提出できれば、空き時間は比較的自由に使えたのである。


 もっとも、その反省文の提出は容易ではなく、岬もシスターから容赦なく指摘を受けたものだ(それでも他の生徒より指摘はかなり少なかったらしいが)。文章慣れしていない生徒からすれば、地獄と感じてしまうのも無理もない。


 こうして自由時間を手に入れてからは、岬はシスターの力を借りて寮生活についてさらに学び、就寝まで聖書や聖歌の内容に徹底的に触れた。その勤勉ぶりに変態淑女の様子は微塵もうかがえず、寮母も思わず感心したものだ。

 そして翌日、四月六日の朝を迎えたときには、知識に限定すれば岬は周りの黎女生と遜色そんしょくないものになっていた。


 この日、岬は起き抜けに寮母にこう告げられた。


「今日、上野さんのもとにお客様が訪れるわ。予備の制服に着替えて九時までに大校舎へ赴きなさい」


 仮に目と頭が冴えていても、岬の反応は鈍かったに違いない。急にお客様と言われても、編入したばかりの岬に心当たりなどあるはずがなかった。


「あたしにお客さま、ですか?」

「そうよ」

「一体どなたがあたしにお会いしたいと?」

「『聖黎女学園の最後の聖花せいか』と呼ばれている方よ」


 聖花と言われても、やはり岬にとって心当たりのない人物のようだ。

 もっとも聖花の名称自体はまったく知らないわけではなかった。昨夜、学校紹介の冊子を通して、岬は初めてその存在を知ったのだ。


 聖花せいかさいは毎年、十一月下旬に二日間にわたっておこなわれる。

 二日目は一般開放される文化祭が開催され、一日目は生徒向けに各部活の出しものが披露され、その中で聖花さまの最終選考が執り行われるのである。


 聖花さまというのは高等科の最上級生から選出される、今期最高の黎女生の称号である。いわば『お姉さま』的ポジションに該当されるが、創作物ではともかく、実在の人物として出会うのはむろん岬は初めてだった。


「その聖花さまがあたしにお会いしたいと?」

「実を言うとね、その聖花さまを呼び出したのは私なのよ」


 プルーン色の瞳が驚きに見開かれる。


「その方から一条さんにルームメイトがついたら是非報告してほしいと頼まれたものだから、昨日の夜に連絡を入れさせてもらったの。東野さんの登場で一時はどうなることかと心配だったけれど、どうにか残ってくれてよかったわ」

「その方は一条さんとどのような関わりがあるのです?」

「彼女のお姉さんよ」


 一瞬で眠気が吹き飛んだ。

 編入生の少女は流した黒髪を揺らし、ベッドから転げ落ちる勢いで身を乗り出した。


「一条さん、お姉さんがいらしたんですか⁉︎」

「そうよ。知らなかった?」

「いえ、もうぜんぜん! えへへ、なるほど。一条さんにお姉さんかあ……」


 感慨しきりである。あの一条和佐のお姉さんのことだ、さぞ素晴らしい美人に違いない。

 そもそも生徒たちにとってもお姉さんは『聖花おねえさま』と讃えられる存在なのだ。素晴らしい存在でないわけがない。


 岬はさらにお姉さまの詳しい情報を聞き出した。


 聖花さまの名前は一条いちじょう黎明れいめいというらしい。和佐の五つ上の二十歳で、先月、聖黎女学園の附属短期大学を卒業したばかりであった。和佐と同様、美しい白い髪の持ち主で、容姿端麗、頭脳明晰というのはもはやお約束であろう。


「まあ、上野さんが知らないのも無理はないかもね。一条さんが進んでお姉さんのことを話すとは思えないもの」

「一条さん、お姉さんと仲悪いんですか?」

「あなたもよくご存知の性格よ。……と言いたいところだけど、上野さんは一昨日の夜のことを覚えていて?」

「あたしが一条さんと初めて会った日の夜ですね?」

「ええ、その夜よ。その時、あなたは一条さんに対してこう言っていたわよね。彼女が美しくあり続けているのは、意中の相手がいるかもしれないって」


 とたん、岬の顔に笑みがはじけた。


「あ! もしかして、そのお相手というのが……」

「お姉さんであると私は確信しているわ。本人は決して認めたがらないでしょうけれどね」


 岬は興奮を隠しきれなかった。あの気難し屋の一条和佐にそんな微笑ましい一面があるなんて。

 これは是非とも寮部屋に戻って話をうかがわなくてはならない。


 鼻息を荒くする編入生の少女にシスター蒼山は苦笑する。


「まあそうがっつくものではないわ。一条さんにあれこれ尋問するのは腹ごしらえの後でも遅くはないでしょう」


 悔悟室の拘留期間は翌日の朝食を摂り終えるまでと決まっていたのだ。

 岬は急いで三つ編みを結わえ、軽く身だしなみを整えてからシスターとともに食堂へと向かったのである。


 献立にあった英国風クラムチャウダーに舌鼓を打ちながら、岬は寮母に聖花さまについてさらに聞く。


「それにしても、二年前に卒業された方がいまだに『最後の聖花』と呼ばれ続けているのも不思議な感じがしますね」


 本来なら昨年度に就任した人物が最後の聖花になるのではなかろうか。

 彼女の疑問を汲み取るように、お茶をすすりながら寮母は応じてみせた。


「昨年度の聖花さまはいらっしゃらないわよ」

「えっ」

「前々年度もね。冊子には書かれてなかったでしょうけど、聖花は毎年選出されるわけじゃないのよ」


 思わず食事の手を止めた岬に、シスターは聖花についての説明の必要性を感じた。


「今年度の聖花祭が締め括られると、生徒会のメンバーから次年度の聖花祭運営委員が組織され、その人たちが高等科二年の生徒の中から特に評判の良い人を聖花候補生として選び出すの。むろん、毎年毎年注目を引くような候補生が現れてくれるとは限らないし、選出された子が辞退したりすれば、聖花の就任式も無しということもあり得るわけ」

「お断りすることがあるんですか、候補の方が?」

「まったくないということもないわね。候補者は基本、運営委員による推薦制だけれど、当人の意思が何よりも優先されるの。まあ当然よね。皆が皆、聖花を目指して努力しているわけではないから、祭り上げられるのが嫌だという場合、その役目を降りることもできるの。まあたいていは、根強い愛好者ファンに推されて、やむを得ず参加する場合がほとんどでしょうけれどね」

「そうなんですか……」


 岬がつぶやくと、寮母はどこか懐かしむような顔つきになった。


「黎明さまは……歴代の生徒の中でも特にカリスマ性に秀でていたからね。ファンも大勢ついていて、卒業後も彼女を慕う子がいまだにいるくらい。……彼女と比較されちゃうことを考えると、次に聖花に就任される子はかなり肩身の狭い思いをすることになるでしょうね」

「だから『最後の』聖花さまと呼ばれるわけですね」


 納得しかけて、岬は新たな疑問に首を傾げた。


「寮母さん、さっきからお姉さんのことを『さま』付けで呼んでらっしゃいますが……」

「ああ、そう言えば」


 今、気づいたと言いたげな寮母の反応である。


「生徒の皆がそう呼んでたから、ついつい移ってしまったわね。まあ実際に会えば、上野さんも彼女たちがそう呼びたくなる気持ちがわかるでしょう」

「なるほど、それは是非ともこの目で確かめねばですね」


 意気込むと、岬はさっさと残りの朝食を片付けて本棟でシスター蒼山と別れた。悔悟室生活もこれでめでたく終了というわけだ。


 久々の娑婆シャバの空気、と言ったら大げさだが、それだけの解放感があったのは確かだ。

 岬は全身を大きく伸ばしながら、三号棟の217号室へと帰還した。

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