4.騒動の後で

 赤城沙織子は五分後に意識を取り戻した。


 その彼女と寮棟区の本棟で別れた後、岬と暁音は101号室に訪れて、寮母に事のしだいをすべて話した。


 赤城先輩に箝口令かんこうれいを敷くことも考えたが、応急処置でガーゼを鼻に詰めたことを誤魔化すことは非常に難しいと判断して諦めたのだった。いずれシスターの耳にも届くことになるだろうから、その前にすべてを白状し、心証の悪化を抑える道を選んだのである。


「困ったことをしてくれたわねえ……」


 報告を聞き終え、シスター蒼山は深い溜息を吐いた。


 もともとシスターは二人が来ることはわかっていた。暁音が編入生の少女をプールに突き落としたと聞いたから、その事情を尋ねるためであったのだが、編入生の行動と沙織子おねーさんの失神は完全に予想外であったのだ。


「まさか、上野さんがこんな騒動を起こしてくれるとはね。あなたはもう少ししっかりした子だと思っていたのに」

「お言葉ですが、沙織子おね……赤城先輩が闖入ちんにゅうしなければ全員が不本意な結果に見舞われずに済んだんです」

「あら、赤城さんのせいにするつもり?」

「とんでもない。先輩はただの被害者です」


 シスター蒼山の仕事部屋は、寮生の住まう部屋と内装はさほど変わっていない。ベッドと椅子と机も二つずつあり、その二つの椅子に岬と暁音がそれぞれ座っている。二人の寮生を座らせた本人は立ったままだ。


 事件のもう一人の被害者である東野暁音は今まで二人の会話にほとんど口を挟まなかったが、ここで疑わしげな様子で寮母に問いかけていた。


「……シスターは岬の本性を知ってたんですか?」

「隠していたことはお詫びするわ。別にわざわざ知らしめる必要もないと思っていたからね。……赤城さんがああなってしまった以上、誤魔化すわけにもいかなくなったけど」


 寮母は話題を変えた。


「それで東野さん、これからどうするの? 上野さんと一条さんとの寮生活をこれからも妨害するつもり?」

「はぁ……もう結構です」


 うんざりしたように肩を落とす。結局、一条和佐だけでなく、この編入生にもしてやられたというわけだ。

 もう編入生の身を守ることなど、どうでも良くなった。白髪少女といちゃいちゃするのが希望なら迷惑のかからない範囲で勝手にやりやがれという心境であったのだ。


「襲われた東野さんには同情するけどね。あなたには部活動の練習を抜け出したこと、上野さんをプールに突き飛ばした件があるからね。とりあえず水泳部の顧問に処遇を決めてもらい、悔悟室に入れるべきかはそれから決めましょう」


 暁音の顔が絶望に染まり、次いで岬に対して激しい怒りをほとばしらせた。

 この編入生が余計なことさえしなければ、顧問に脱走のことを知られることもなかったのにと恨めしげであるが、寮母の意向には逆らえない。


 悔悟室という言葉を受け、岬は不安そうに白衣の寮母の表情をうかがった。


「あの、あたしは……」


 シスターの下した決断は、暁音よりもさらに厳しかった。


「上野さんには本日いっぱい、悔悟室での生活をおこなってもらおうかしら。理由は私の言いつけを破ったこと、それから生徒たちを不要に動揺させたことの二点よ」

「うええぇぇ……」


 世にも情けない悲鳴を上げ、それからぼそりと嘆く。


「実際突き落とした暁音のほうが罪は大きいのに……」

「ああ⁉︎」

「およしなさい、東野さん」


 噛みつく暁音をなだめ、寮母は二人に対して厳しい視線を向けた。


「理由はどうあれ、あなたのやったことは評価されるべきものではないわ。上野さん、あなたもね。せめてあなたの良いところが知られたうえで嗜好が明かされていれば、周りの被害も衝撃も最小限で済んだでしょうに……」


 とにかく今日一日はここで生活ねと宣告され、岬は白髪美少女との濃厚な時を奪われる事実に強い憂いをおぼえた。頭の切れる少女とは思えぬ見苦しさで寮母に食い下がる。


「あのお、ここであたしが過ごしてしまったら、寮母さんの本懐である一条さんの心のケアが……」

「う・え・の・さん」


 未練がましい抗弁を、悔悟室の主は慈悲の欠片もなく両断してのけた。顔は笑っているが、眼は全然笑っていない。

 反応はむしろ暁音のほうが顕著だった。

 椅子に座ったまま後ずさろうとし、岬に対して「いいからとっとと受け入れろ」と目で訴えかけている。


 岬もさすがに肝を冷やして謝罪し、そこにシスターが仕上げの一言を放った。


「あなたも聖黎女学園の一員になった以上、特別扱いは認められないわ。まあ、悔悟室が嫌だというなら、代わりの物件でも紹介しましょうか。敷地外に『出る』と噂されている旧礼拝堂もあるけど……どっちがいいかしら?」


 岬の表情が凍りついた。暁音が黒い瞳を丸くさせて青白い顔色を浮かべた編入生の反応をうかがう。やがて編入生の少女が示した頷きは、人間というより絡繰人形のそれに近いものだった。


     ◇   ◆   ◇


 そして、不本意な結末に見舞われたのは一条和佐も同じであった。


 正午から数時間が過ぎ、水泳部顧問にこってり絞られた暁音から事のしだいを聞き出した円珠は、その情報を持って図書館裏まで訪れた。禁帯出資料室から現れた和佐に一連の出来事を報告したが、聞き終えた時の姉様のかんばせは満足から程遠かった。


「どうやら東野先輩は、姉様と編入生さんのルームメイトの件について、これ以上介入する気はなさそうです……」


 そう告げた円珠の表情は、近親の通夜に参列したときのそれに限りなく近かった。

 姉様の反応も怖いが、暁音の思いつめた表情を思い返すと、悪いことをしてしまったという罪悪感に駆られてしまう。だからといって、姉様との関係を明かすのは論外であったが。


 このときの和佐の視線は抜き身の刃より鋭かった。


「それで、円珠……」

「ひ⁉ は、はい……!」

「誰があの女をキスまみれにしたですって?」


 円珠は極限まで表情を引きつらせた。東野暁音を怒らせるために噂にだいぶ脚色をしたが、それが完全に仇となってしまった。

 もっとも、姉様がそのことで自分に罰するとは考えにくい。あるとすれは、罰すらも与えられず関係を打ち切られる未来だけだ。


 だが、和佐は名ばかりの妹をこれ以上なじろうとはしなかった。彼女を追い詰めても仕方がないと自分を戒めたのかもしれない。社交辞令のねぎらいを投げかけて、暁音の話に戻った。


「東野暁音は他に何を言っていたかしら」

「は、はい。確か『とんでもない編入生だった』とか『もう二人で勝手にいちゃいちゃしてやがれ』など……」


 和佐は苦い顔をさらに苦くし、抑圧しきれぬ息の塊が吐き出された。

 円珠はこんな状況でもキノコアザラシのぬいぐるみを持ち込んでおり、今や窒息しかける勢いでそれを抱き締め、姉様の次の言葉を待っている。


「……社交辞令で聞くのも馬鹿らしいけれど、私たちの関係は暁音にさとられてないのでしょうね?」

「あ、はい。それは気づいてない様子でした……」

「そう……」


 和佐は白い髪をかき上げて言った。


「それならいいわ。今回はあなたの責任ではない。ただ単にあの女が不甲斐なかっただけよ。次の作戦が思いついたら、またあなたを呼ぶことにするから、それまでは大人しく待っていて」

「わかりました。すべては姉様のために……」

「そこまでかしこまらなくていいわ。別にあなたに難しいことを頼むつもりなんかないから」


 そう言い残すと、和佐はミディアムボブの後輩を引き下がらせたのであった。

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