3★.シャワールームで×××

 屋内プールに付属されたシャワールームは、床面の広さもシャワーの数も一部活の部員たちが交代で浴びるには申し分なかった。

 ただ寮棟のシャワーブースと違って仕切りは存在せず、同じ空間にいる相手に裸体を見せつけ合うことになってしまう。


「こんな開放的なつくりで大丈夫なのかな? すっぽんぽんに抵抗のある子がいたら大変だと思うけど……」

「他の運動部との折り合いだよ。水泳部だけ専属のシャワー室があるのに、そのうえプライバシーまで完全に守られてるとなれば、共同で使ってる部員らから盛大に恨まれることになるだろ」

「そっちのシャワー室には仕切りがあるんだね」

「そういうこった」


 答えつつも、暁音の表情には覇気がない。岬を突き飛ばした後ろめたさもあるだろうが、一条和佐にいいように使われていたと指摘されたことが相当に堪えたのだろう。


 プールに落とされた岬のほうがむしろ平然としていた。もっとも、その岬は内心では暁音のみずみずしい裸体を見て歓喜に打ち震えていたわけであるが。

 彼女の肢体は日頃から運動しているだけあって岬よりも引きしまっており、浅く日に焼けた肌に水滴が張りつき、スポーティな色香を引き立たせていた。


 ここではシャンプーは各自持ち込みで、当然岬は持っていない。そのため暁音からシャンプーを借り受けることにしたが、岬はすぐには自分の場所には戻らなかった。


「あたしの裸を見てみなよ」

「ぬなッ」

「変なことを想像しないで。あたしの身体にキスマークが本当についてるか確認してほしいって意味なんだけど」


 変なことを期待していたくせに、ぬけぬけと言い放つ。


 暁音は露骨に胸を撫で下ろすと、噂の真偽を確かめるために、編入生の裸体を至近距離から眺め回した。憎き一条和佐の罪を証明するために熱心に検分したが、ややあって彼女の表情に変化が訪れる。沙織子おねーさんほど大袈裟ではないが、短髪の少女の中に狼狽と恥じらいが訪れたのだ。


 それだけの値打ちが岬の体躯にはあるかもしれない。三つ編みはすでにほどかれ、余すところなく晒した白い肌に長い黒髪が蠱惑的にまとわりつく。全身の肉づきもたおやかで、同性からしても陶然とするものなのかもしれない。


 もっとも、平静でないのは暁音だけではなかった。


 一糸纏わぬ姿を舐め回すように見つめられた岬は、唇を引き結び、熱い吐息を押し殺した。後背にキスマークがあるかどうかを確かめるために長い黒髪を持ち上げられたときは、思わず清楚の殻が割れ、変態淑女の本性がはじけ飛びそうになったほどであった。


 岬の裸体を調べた暁音は、流れた噂が嘘であると観念せざるを得なかった。

 虚報に散々振り回されて疲れた様子で肩を落としたが、黒い瞳を見る限り、ルームメイト解消の件はまだ諦めきれいないようだった。


「……デマでも一条の思惑通りでもいい。お前を絶対、あいつのもとに居続けさせるわけにはいかないんだ」

「こだわるねえ。理由を聞かせてくれる?」


 ここまで来ると、単に一条和佐の態度が気に食わないだけとも思えない。

 何か特別な事情がなければしつこく食い下がることもないはずだ。

 岬の問いに暁音は非常に言いづらそうな反応を示したが、彼女を突き飛ばした負い目もあったのだろう。

 やがて、ぽつりと語り始めた。


「……幼馴染なんだ」

「えっ?」

「一条の三年前のルームメイトは、私の幼馴染なんだよ」


 予想外の回答だったが、それだけで岬は暁音の想いを把握することができた。声が同情するものに変わっていく。


「なるほど……ね。そりゃあ暁音が恨むのはもっともだ。最初からそれを話してくれればよかったのに」

「幼馴染がキスされて頭に来てるのはあくまで私個人の事情だからな。そんな理由じゃあお前のことを納得させられないと思ったんだ」

「暁音の怒りは理解できるよ。でも、ルームメイトをやめろって言うのはやっぱり聞けないかな」

「結局、駄目なのかよ……」


 悔しげにうつむく暁音だが、そんな彼女に岬は魅力的な笑みを浮かべて顔を近づけた。


「……で、暁音はその幼馴染さんのことがどれくらい好きなわけ?」

「ばっ!」


 文字通り、暁音は飛び上がった。


「ば、馬鹿言うなよ! 幼馴染って女だぞ⁉」

「そりゃ女子校の寮生ならそうでしょうよ。それに女の子どうしで愛し合ってもあたしは別に気にしてないよ? 同性にファーストキスを奪われて腹を立てるなんて、よほど幼馴染さんが大好きでないとできないと思うんだ」


 ここまで堂々と踏み込まれると、腹を立てるのも馬鹿馬鹿しくなる。

 暁音は湯気よりも濃い溜息を吐き出し、額を押さえた。


「確かに、あいつは私とずっと一緒で、関係も悪くないとは思ってるよ。それが愛だが何だがは知らないがな。その大事な幼馴染が、一条の勝手な都合で傷つけられたんだ。許せるわけがないだろ」


 黒々とした瞳に見えない炎が燃え上がる。


「お前はまだ事の重大さをわかってないからな。だが、あいつにキスされたことをいつか後悔することになるぞ。好きでもない相手に身体をもてあそばれた時の屈辱や絶望感を、これ以上誰かに味わってもらいたくないんだ」

「暁音は優しいね」


 岬は静かに暁音を見つめた。嫌味のない、心からの賛美であった。

 その気持ちが通じたようで、暁音は褒められ慣れていない調子で顔を背ける。


「なら、あたしも一条さんのルームメイトになりたがる理由を教えてあげないといけないね」

「……一条の将来を心配してたんじゃなかったのか?」

「もちろんそれもあるけどさ、というか、そっちがメインなのは今でも変わらないから。最初にそれだけは断っておかないと」

「ずいぶんもったいぶるな。理由とやらはどうした?」

「理由、ねえ。これがそうだよ」


 言うと同時に、岬は暁音の肩甲骨に指を滑らせた。かなり意味ありげななぞり方であった。

 引き締まった暁音の肢体がピアノ線のようにピンと張り、目を白黒させながら編入生の少女の顔を見つめる。


 何しやがる、と問う隙も与えず、岬はスポーティな少女を壁際に追いやり、壁に手を押し当て、前身を近づけた。たおやかな曲線を張った乳房が触れ合う直前まで迫っている。


「騒がないで。誘いかけてこない限り何もしない」


 変態淑女の笑みを清楚なかんばせに飾りながら、岬は念を押した。

 信じてもらえるかは限りなく怪しいが、暁音は完全に平常心を失っているようで、その言葉に応えるどころではないようだ。


「ただ、あたしが一条さんに何を求めてるかを知ってほしいだけなんだ。あたしが一条さんと寮部屋で密かにいちゃいちゃしてようが、暁音は別に気にならないでしょ?」

「いや、気になるとかそういう問題じゃ……」


 ついさっきまで人畜無害そうだった編入生の変容に、暁音はまだ置いてけぼりの状態だ。

 もっとも、身動きがとれなかったのは事態についていけないだけでなく、岬の艶麗な肢体と雰囲気に呑まれたせいもあった。


 編入生の表情はきわめて扇情的で、暁音は貞操の危機を脳裏に描いた。

 ついには壁にもたれてずるずると崩れ落ち、尻餅をつきながら悲鳴交じりに叫んだ。


「ち、ち、近づくな‼」


 平時であらば手も足も十分に振るえた暁音も、真に危機的な状況におちいると虚勢めいた声を張り上げることしかできない。

 そんな彼女に視線を合わせて、岬は四つん這いになって顔を近づけた。


「暁音のこと、もっとドキドキさせたいなあ……」


 色っぽいささやきとともに、岬は投げ出された暁音の手に自分の手を重ねた。手と手が触れ合うだけで、暁音の心臓が小魚のように跳ね上がる。腰がさらに砕け、口から出るのは呼吸だけだ。室内にシャワーの水音だけが満ちている。


 花も恥じらう変態淑女が喜悦に満ちた表情で暁音の困惑するさまを見つめていた時、突然シャワールームの扉が勢いよく開かれた。

 二人が反応するより先に、呑気な声が響く。


「上野さーん、蒼山さんに頼まれて制服と下着を届けにきたんだけど……」


 中を覗いた赤城沙織子の表情が一瞬で凍結した。

 変態淑女の少女も四つん這いの姿勢のまま、突然現れた先輩を見て全身をこわばらせている。不敬にも編入生の少女は、ポニーテールの先輩に尻を向けるかたちとなってしまったのだ。


 おねーさんの視界には、壁際にまで追い詰められた暁音を編入生の少女が手籠めにしているとしか映らなかったに違いない。暁音からすればそれは決して間違いではなかったが、その暁音はいまだにショックから立ち直れず口を動かすことができない。


 沙織子おねーさんから錯乱寸前のうめき声が漏れた。

 一糸まとわぬ二人の絡みに完全に脳がショートした結果、人間と思えない悲鳴が吐き出された。


「ぴッ……ぴゃああぁぁああぁああっっ⁉」

「沙織子おねーさん⁉」


 二人の叫びもむなしく、ウブなおねーさんは新たな鼻血をまき散らし、白目を剥いて倒れてしまった……。

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