2.先輩は『おねーさん』
「
シスター蒼山の指名を受け、その少女は長いポニーテールをひるがえして振り返った。
直毛の髪は紅茶を透かした色艶をしている。寝間着姿で眠たげではあるが、顔は愛嬌に満ちており、それでいて先輩としての風格も確かに持ち合わせているように岬には感じられた。
そのポニーテールの少女は、意識をシャキッとさせて二人に対してしっかりと頭を下げた。
「蒼山さん、おはようございます。あっ、そちらの方は……」
「そうよ。編入生の上野岬さん。赤城さんに学校案内をお願いしたいのだけれど構わないかしら?」
「きたきたきたッ。はい、喜んで、お任せくださいっ」
何だか異様なほどの張り切りぶりである。
岬が呆気に取られている中で『赤城さん』と呼ばれた寮生は揚々と自己紹介をした。
「初めまして、どうかよろしくね上野さん。私は高等科二年の
「寮生委員?」
「各棟にいる寮母さんのサポート、それと寮に関するイベントの企画、運営を取り仕切ってるの。とってもやりがいのある仕事よ」
沙織子のさらなる説明によれば、寮生委員は中等科一年を除く五学年から各棟二人ずつ選出されて構成されるとのことだ。来週におこなわれる新入生向けの入寮説明会も彼女たちの管轄らしいが、中途編入した生徒に対しては各寮棟の寮生委員が個別に対応してくれるそうである。
シスター蒼山は沙織子に後を任せて立ち去り、二人は本棟の最奥にある食堂へと向かった。
赤城沙織子寮生委員は外見通りの裏表のない気さくな先輩で、寮生をサポートする人材として実にふさわしい。だが、その使命感が明後日の方向に行くことがあるようで、食堂にたどり着くまでに岬は「沙織子おねーさんとお呼びッ」と二回も言われてしまった。
本来なら様々な料理の立ち並ぶ食堂であるが、春休み中ということもあって、メニューは非常に限定的だ。
食堂の基本的な使い方を教わると、岬は親子丼定食、先輩はスパゲティナポリタンをそれぞれ注文して席に着く。
それぞれの
「黎女は道路を一本挟んで
「なるほど。ちなみに大校舎は中等科と高等科が一緒くたになってるんでしょうか?」
「ええ、そうよ。中等科高等科で合同に授業をおこなうこともあるから、先輩後輩の垣根は他の学校より低いかもしれないわね。と言っても、他の学校がどんな過ごし方してるかは私もよくも知らないけど」
沙織子は幼稚舎からの純・黎女生だということで、他校との交流はあれど、その生活がどういうものかはあまり実感できていないらしい。共学の小中学校の話でもしたら彼女は大いに関心を寄せてくれるかもしれない。
朝食を済ますと、沙織子は一度自分の寮部屋に引き返し、ライラック色の制服に着替えて再び岬と合流した。
制服姿の沙織子は一条和佐ほどではないが、岬の心を華やがせるものであり、しなやかな身体つきもしゅっと引き締まった脚も、目の保養に十分足り得た。
「黎女の寮生さんは学舎区に入る際は制服でないといけない決まりなのよね〜。面倒くさいけど。上野さんも蒼山さんからあらかじめ話が入ってるみたいね」
何のことだと岬は一瞬思ったが、どうやらこの先輩は自分が寮母の説明を受けてライラック色の制服に着替えたと考えているらしい。本当は違うが、わざわざ訂正するようなこともでもない。
曖昧に微笑みながら、先輩とともに本棟の外へ出た。岬にとって、日が昇ってからの初めて見る寮棟区の光景である。
塀の外から見える箱谷山の雄大な自然と、敷地内の手入れされた緑の対比が見事だった。闇のヴェールが払われ、視覚的な清涼感が訪れた少女を歓迎するかのようだった。
それから横断歩道を通って学舎区へ。学舎区の風景は自然公園を思わせる寮棟区のそれとは異なり、箱谷山の鬱蒼たる森の一部が色濃く残っていた。
「見て見て上野さん。もうすぐ隙間から大校舎が見えるわよ」
赤城先輩の指す緑の群がりを、岬は注意深く見据える。目を凝らしつつ歩き続けると、枝葉の隙間は大きくなり、白亜の壁面が見えたときには、すでに岬はプルーン色の目を細める必要がなくなっていた。
壮麗という言葉が似合いそうな建物で、穢れのない白い外壁にはアヤメの花をモチーフにした聖黎女学園の校章が掲げられている。燦然と輝くそれを見ると、岬は改めて少女のためだけの楼閣の一員になったことを実感したのであった。
しばらくアヤメの校章を見つめていた岬は、やがて視線を下ろし、隣のポニーテールの先輩に呼びかけた。
「あの、赤城先輩……」
「沙織子おねーさん」
「……」
「…………」
口をへの字にして黙り込んでしまったので、岬はやれやれと思いながら彼女に対する呼び方を改めた。
「……あの、沙織子おねーさん、ちょっとうかがいたいことがあるんですが」
「なになにー、おねーさんに何か用ー?」
やたらと調子のいいおねーさんに、岬はどうにか溜息を押し殺して尋ねた。
「ご存知の通り、あたしはここに来てまだ数日も経っておりません。そこでお聞かせ願いたいんですが、一条さんはどんな感じの生徒だったんですか?」
「一条和佐さん⁉ ああ、あなたのルームメイトね、うん」
沙織子の露骨な挙動不審ぶりに、岬は訝しげな視線を投げかけた。
白髪少女を憎んでいるわけでもなく、怯えているのとも違う。
あえて文章で起こすとすれば「きたか」という表現が一番近い。
だが、何が「きたか」なのか、このときの岬にはまったく見当がつかない。
だから、彼女の本心がこぼれ落ちるまで自由に話させることにした。
「一条さんねえ。まあ、人間嫌いだとは聞くけど、少なくとも彼女が自分から進んで嫌がらせをしたという話は聞かないわね。自分の縄張りに異常に執着する子だけど、相手を冷ややかに睨みつけるだけで解決できてしまうから。彼女が喧嘩っ早い性格だったら、最低でも五回はカイゴ室送りになってたでしょうね」
「カイゴ室? 誰かのお世話をするとか……」
「
悔悟室は各寮棟の101号室にあるという。つまり寮母の仕事部屋と兼用なわけだ。最初からその呼び名があったわけではなく、過去の生徒の誰かがそのあだ名を使ったことで定着していったらしい。
悔悟室行きを宣告された生徒は、寮母の管理する予定で一日を過ごさなければならず、長大な反省文で合格を得られなければ解放させてもらえないのだとか。
思ったよりも面倒な処置に岬が鼻白んでいると、おねーさんは後輩の懸念を愉快に笑い飛ばした。
「あはは! 別に何も起きなきゃ、悔悟室なんか一生お世話にならずに済むわよ。あまり深刻にならないで」
「いやあ、それはもちろん……あはは」
岬の口から乾いた笑いが出た。
昨夜、和佐を襲ったことはルームメイト成立のためのやむを得ない処置として寮母からお目こぼしを受けたわけだが、何度もそれが認められるはずがない。こちらとしては白髪少女とはキス以上のお付き合いをいたしたいわけであるが……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます