3.一条和佐との出会い
熱いシャワーで柔肌を照り輝かせた岬は三〇分後、寝間着に着替え、入り口で待機していたシスター蒼山と合流した。
下ろした黒髪をたなびかせ、暗がりの廊下を歩き出す。
「一条さんはこの時間はまだ起きてるはずよ。だけど、日が変わると自動的に部屋の電気が落とされてしまうから長話はほどほどになさいね」
「わかりました」
岬は頷く。シャワーブースであらわにした変態性はうかがえず、緊張した面持ちで白髪のルームメイトとの対面に臨む少女にシスターの目には映ることだろう。
三号棟の217号室の扉は鍵がかかっていた。呼び鈴を鳴らしても反応がないため、寮母はマスターキーで問答無用に室内へ突入し、気後れしながら岬も後に続いた。
玄関は暗かったが、磨りガラスが嵌め込まれた別の扉から明かりが漏れている。どうやらその先が居住スペースになっているようだ。
奥の部屋へ訪れると、そこにあるのは二つのベッド、二つのクローゼット、そして二つの学習机。学習机のうちの一つはすでに椅子が引き出されており、そこに一人の少女が腰を下ろして読書をしていた。
積もりたての新雪にも似た色の髪を持つ、ネグリジェ姿の美しい少女。
直に会った一条和佐は、写真で見るよりもずっと華々しい印象を誇っていた。髪と肌はそれ自体が淡い燐光を放っているかのようであり、写真では決してわからなかったネグリジェに包まれた肢体は岬の心を華やがせた。
均整がとれているだけでなく、非常に魅惑的な身体つきであった。たおやかなくびれと挑戦的に張り出された胸のふくらみ。ネグリジェの裾から覗かせた足の形も完璧で、スリッパも履いていないため、つややかな桜色の爪までもがはっきりと見てとれた。光沢のある灰色の瞳も、写真と比べると生気と知性に充ち満ちており、他人を嫌い続けて心を退廃させた少女のそれには見えない。
だが、こちらをうかがう視線はかなり排他的な色合いが強かった。
岬が白髪の美少女の容姿に見とれている間に、シスター蒼山は椅子上の彼女に歩み寄った。読んでいた本に目がけて手を伸ばす。取り上げるつもりだったのだろうか、その前に少女は本を閉じ、初めて訪れた二人と正対した。
シスター蒼山が笑顔で言う。
「今日だけはギリギリまで起きてくれたことに感謝するわ。彼女が新しいルームメイトになる上野岬さんよ」
「編入生の上野岬です。よろしくお願いいたします」
模範生の態度で岬は一礼したが、それを受けた少女の反応はけんもほろろであった。
「ふしだらな娘め。シスターと一緒に早々にこの部屋から去るがいいわ」
これがルームメイトになる少女の第一声なわけだから、岬も寮母も唖然とする他ない。
明白な敵意を示す和佐に、担当の寮母は眉をひそめた。
「あなたの物言いにもずいぶん慣れたつもりだけれど、ここまで酷いのは久しぶりね。上野さんの一体どこがふしだらと言うのかしら」
「彼女がシスターと一緒に来たということは、三年前のことはすでに知っているわけでしょう? その上で私のもとにやってきたのだもの。私に対して何かやましいことを考えているとしか思えないわ」
岬は表情こそ変えなかったが、心臓がぐっしょりと冷や汗で濡れる思いだった。和佐が言い放ったことは完全に言いがかりに違いないが、彼女に読心術でも備わっているのではないかと一瞬、本気で疑ったものである。
むろん、その動揺を顔に出してしまえば、彼女の主張を認めてしまうも同然であった。ここはしらばっくれるしかない。
「上野さんは、あなたのことを憂えてここまでやって来てくれたのよ。そもそも嫌がらせのキスでルームメイトを追い出したあなたが、会ったばかりの編入生さんをふしだら呼ばわりするとはどういう了見かしら?」
「さて、ね。とにかく私はこんな女とルームメイトだなんて御免こうむるわよ」
シスター蒼山は嘆息した。気高いが傍若無人の美少女との交渉の無意味さをさとると、編入生の少女に対してすまなそうな視線を向けた。
「……こういう子なわけだけど、どうする? もし彼女の態度が鼻につくなら考え直しても……」
「いえ、是非ルームメイトにならせていただきますよ」
やや食い気味な答え方になってしまった。せっかく直に彼女の姿を見てルームメイトになる決意をさらに固めたというのに、何を水を差すようなことをと思ったのである。
加えて、岬にはある予感があった。この白髪の美少女はルームメイトを追い出すために、わざと
岬はプルーン色の瞳を椅子上の少女に向けた。同室になる動機は不純だが、このとき彼女の顔は真剣であった。
「実際に彼女を見て確信いたしました。一条さんは本当はそれほど人を嫌ってるわけではない。きっと何らかの理由で人嫌いを演じているだけなんです」
「どういうこと?」
寮母は目を丸くさせた。発言内容もだが、それを洞察できる少女に驚いたのである。
岬は寮母の投げかけた疑問に応じた。
「少なくとも、一条さんはすべての人を嫌っているわけじゃないはずです。もしそうなら、ここまで自分の容姿に気を遣うはずがない。おそらく校内か校外にこの容姿を示したい、あるいは示す必要のある相手がいらっしゃるのではないのでしょうか?」
「お
和佐の静かな声は無理に感情を抑えた結果だった。全身から湧き立つ敵意はさらに濃くなり、灰色の瞳はさらに剣呑な輝きを増す。
しかもシスター蒼山までもが余計な口を挟んできた。
「あら? でも一条さん、あなたはかつて……」
「シスター」
和佐が語気を強めて、寮母の言葉をさえぎった。
そして一拍置いてからつぶやく。
「……了解したわ。私はこの少女をルームメイトに迎え入れることにする。これでいいのでしょう」
急な主張の転換だが、シスター蒼山は驚かなかった。
冷静さを保とうとする白髪の寮生に、意味ありげな微笑みを残して言う。
「そう、案外早く引き受けてくれて助かるわ」
「ええ……これであなたの気は済んだでしょう。ならば、これ以上この場に残っていても仕方のないことだわ」
シスターに向けて鬱陶しげに手をひらひらさせる。年長者に対してあまりにも偉そうな態度にさすがに岬は肝を冷やしたが、内心はどうあれ、初老のシスターは笑みを崩すことはなかった。
「やれやれ……ね。そういうことなら、お節介な年寄りはここで退散するとしましょうか。新しいルームメイトさんとくれぐれも仲良くね」
「彼女が自分から出て行きたいと言い出した場合、私は一切引き留める気はないから」
シスターはその言葉に応じず、立ち去る直前に硬い表情で編入生の少女にこっそり耳を寄せた。
「……上野さん、もし一条さんに酷い目に遭わされたなら、この棟の101号室を訪ねなさい。行く必要がなければそれに越したことはないけれど、私ももう少しだけ起きてるつもりだから」
「わかりました」
そんな時は決して来ないだろうと確信しつつ、岬は頷きを返す。
一条和佐が突然ルームメイトを認めた意図は岬にも読めていた。一対一に引きずり込めば、編入生一人など、どうにでもできると考えたのだろう。ありがたい配慮である。
寮母が部屋を去ると、岬はあらかじめ届けられた段ボールの中身を確認し、それから再び読書に耽った少女の顔を覗き込んだ。
「一条さん、一つお聞きしたいことが。…………っ⁉」
だが、和佐はここで想定外の行動に出た。
いきなり椅子から立ち上がると、両手を差し出し、黒髪の編入生の両頬を押さえたのである。読みかけの本がネグリジェの裾を滑って床に落ちたが、それを気に留める様子もない。
(ひゃあ……っ!)
岬は呆気に取られた。来たか! という感慨すら、このときは湧かなかった。
白髪の少女が嫌がらせのキスを迫ってくることは容易に想定できたが、それが寮母が退室して五分も満たないうちにだとは思わなかったのである。何とも性急な美少女ではないか。
そんなことを思っているうちに、岬の顔は至近距離まで一気に引き寄せられる。
「…………!」
彼女は時の魔女としての側面も持ち合わせているのかもしれない。
時間を忘れ、呼吸を奪われ、身体の感覚すら失われていた編入生の少女は、やかましく鳴り続ける心臓の鼓動を感じながら、ほてった頬を中和させる手の冷たさだけを実感していたのである。
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