Karma04:無明を照らせ(7)

 これだけの話を聞いていても、「どうして」と思ってしまう。フローズが一人の魔女を庇ったことを契機にして始まった悲劇。姉弟の母が身代わりとなって処刑され、二人は死ぬまで「魔女の子」と呼ばれ生き続けなければならないのか? 本当に救う術はないのか。考えても思い付かないのならば、それは無いのと同じだ。


「殿下たちが化け物になったんじゃない、俺たちが化け物にしたんだ」

 沈黙を破ったのはシリウスだった。

「魔女だってそう。人間があんな馬鹿げたテロを起こさなきゃこんなことにはならなかった。人間が声を上げた瞬間に相手は化け物になる。化け物を生み出すのはいつだって俺たち人間なんだよ」

 彼はグラスに残っていたウイスキーを一気に飲み干し、急に空を仰いで大声を上げた。

「あーあ、なんでさあ、こんな日にまで頭使って辛気臭い話しなきゃいけないわけぇ?」

 そう言ったかと思うとまた急に俯く。ロキが小声で「酔ってんな」と呟いたのが聞こえた。見る限りウイスキーをロックで三杯は呑んでいたが……。

「さっきまで普通に喋ってたよね……?」

「この子はな、酒が入っても固い話をしている時だけは流暢に喋る。だが本人がもういいやと思うと一気に酔いが回るタイプだ」

「ど、どんなタイプだ……」

 てっきり空気を変えるために大声を出したと思ったのだが。ゲーレは手のかかる弟を見るような、それでいて愛おしそうな笑みで笑った。

「元はと言えばお前がユーリスに義兄さんの話振るからだろ」

「いいや、この楽しい席で辛気臭い顔した新入りの方が悪い! せっかくだからもっと楽しい話しようよ! ああそうそう、前からずっと聞きたいことがあったんだけど……


 お兄さん、彼女とかいんの?」


 ユーリスがビールを吹き出すより早く、ロキがシリウスの頭をすっぱたく音が青空にこだました。



***



 炭鉱夫たちの快笑がひとつふたつと消えてゆき、日が傾きかけた頃にはユーリスたちも酒場を後にした。

 シリウスは以来ずっと軽口を叩いていたが、普段の調子に機嫌の良さが加わった程度のもので、多少厄介に絡んできたぐらいだった。今だって一人ですたすたと先を歩いていってしまっているし、酔ったふりでもしているんじゃないかと思うほどだ。

「いつもは俺が先にへばるんだけどなあ。カーラ義姉ねえさんが少しでも絡むとすぐブッ潰れやがる」

 ロキは頭を掻いて、少し思案した後に話し始めた。

「義姉さんな、あんたみたいなとんでもないお人好しだったんだ。正義感が強くて、不正が嫌いで、弱い者いじめが許せないような」

 その話を聞いて得心がいった。だからこそ、カーラはフローズが暴力を受けているのを黙って見過ごせなかったのだろう。

「あんたの前で一芝居打つって最初に言ったのも兄貴。あいつは戦闘センスはポンコツだけど、変に頭と勘がいいから目ぇ見りゃ相手の人となりぐらいすぐ分かるんだろうさ」

 三人が土を踏みしめる音が響く。夜の気配に烏が鳴き始めている。ロキは真っ直ぐ、少し先をゆくシリウスの背を見据えていた。

「俺がもっと強かったら、あいつの義姉さんは死ななかったかもしれねえんだ」

「……アスターの死が、彼女のあの行動に直結したとは言えないだろう」

「どうだかなあ。本当のとこは義姉さんにしか分からねえけどよ」

 ロキを案じるようなゲーレの声色には、いつものような凛とした力強さはなかった。カーラはただフローズを庇ったわけではないようだが、今となっては彼女の思惑を知ることはできない。

「だからこそだ。やり直したいことがあっても過去には戻れねえなら、こんな不毛な後悔してる暇は惜しいんだよ。あいつがやっと前を見るようになったんだから、俺もそうしねえと、同じとこ見れねえだろ」

 ふと、ロキはユーリスを振り返ってニッと笑った。垂れ目を細めて、八重歯を見せて、笑ってみせた。

「あんたもさ、義兄さんと同じとこに立って同じとこを見られるようになれば、あとはなんとかなるんじゃねえかなって俺は思うぜ」

 その屈託のない笑顔には不思議な力が宿っているように思えた。そうだ、いつか、いつかきっとそうなるような。どんなに遠くてもそんな日が来る気がするほどの。

「この話をしたってこと兄貴には言うなよ。まあ、酔った勢いってことで片付けといてくれ」

 そう言ってロキはシリウスのもとに走っていく。先をゆく二つの影法師を見ていると、自然と笑みが溢れた。彼らは自分なんかよりよほど強いし、二人でいる限り曲がることなく生きていけるのだろうと思えた。


「シリウスを助けてくれたこと、私からも礼を言うよ。あの子はカーラの忘れ形見だから」

 ゲーレが二人の背中を遠くに見ながら呟く。

「知り合いだったんだな」

「……君が覚えているかどうか分からないが、十五年前の王都襲撃で私と一緒に会っているはずだ。長い黒髪に赤い瞳の――」

 まさか、と思った。自分がカーラに会ったことがあるとは夢にも思わなかったのだ。

「軍の情報部にアクセスするといい。公表可能な部分だけで簡単な情報しか載っていないが、それでも顔は思い出せるだろう」

 傍を歩くゲーレの横顔を見た時、言葉を失うような感覚がした。たとえ奇跡が起こったとしても埋められないような寂しさが、そこにあった。先のシリウスとロキが立ち止まって二人を待っているのを見て、ゲーレはその寂しさを少し和らげるように微笑んだ。


「私は、……そうだな。ただ、あの日々が夢だったのではないかと思うのが怖いだけなのかもしれない。我が儘だろうが、彼らを知る人が一人でも多く生きていてほしいんだ」





 その日の夜。兵舎の一室、僅かな灯りの中。ユーリスは通信端末で軍の名簿データを見ていた。並んだ三人の顔は、確かに王都襲撃の際に見た子供たちの面影を残していた。


 アステリオン・ガルム

 2206年、当時最強格とされた魔女アルテミスを討伐するも相討ちとなり戦死。当時27歳。

 【歴代パートナー】

  カーラ・ガルム……カーラの負傷後、アステリオン自ら解消を申告・受理。

  マカミ・ガルム……マカミの戦死により解消。

  プロキオン・ガルム……最終パートナー。

 ツーブロックにした灰混じりの黒髪に、人好きのしそうな薄紫の垂れ目が印象的な男だ。


 カーラ・ガルム

 2206年、第十四魔女裁判にて《魔女擁護罪》有罪判決。火刑に処す。当時26歳。

 【歴代パートナー】

  アステリオン・ガルム……カーラの負傷により解消。

  ジェヴォーダン・ガルム……ジェヴォーダンの失踪により解消。 

  シリウス・ガルム……最終パートナー。

 真っ直ぐに切り揃えられた灰混じりの黒髪に赤い瞳。真面目そうな顔つきの女性。


 フレキ・ガルム

 2206年、エリア35防衛戦にて戦闘中行方不明。当時25歳。

 《補遺》ジェヴォーダンの実妹。両者共に失踪。情報求む。

 【歴代パートナー】

  ゲーレ・ガルム……最終パートナー。

 灰と金が混ざる黒髪をツインテールにしている。金の瞳だが右目には眼帯をしており、歳の割にはかなり幼く見えた。


 

 ユーリスは言い知れぬ虚脱感に襲われて、糸が切れたようにベッドに倒れ込んだ。ゲーレに再会できた時から、もしかしたらと思っていた願いが尽く消え去った。ゲーレと、彼女の同期だったという三人の少年少女たち。ユーリスは彼らのお陰でここにこうして生きているのだ。他の三人にも会えるかも知れないと、やっと助けてもらったお礼を言えると思っていたのだ。

 知れて良かったのか、知りたくなかったのかも分からない。ゲーレが知ってほしいと言っていたのだから、これで良かったのだと無理矢理思い込んだが。


 何もかもが自分を置き去りに、先へ先へと走り去っていく感覚がした。自分だけがどこへ行くかも決められないまま、ずっと一点に立ち止まっている。


 ユーリスは白い天井を仰いで、静かに目を閉じた。明日は満月だ。せめて明日の夜に見る夢くらいは、光さすだけの夢であってほしいと願うしかなかった。

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