Karma04:無明を照らせ(6)
炭鉱夫たちががやがやと騒ぐ声が聞こえる中で、ユーリスたちは至極他愛もない話に花を咲かせていた。
シリウスとロキは第一都市は凍えるなんてもんじゃない寒さだったが飯と酒だけは美味かっただとか、市街に突如として出没した魔女ではなく熊を退治するために駆り出されただとか、話題には事欠かないほどの体験をしてきたようでそれらを面白おかしく語ってくれた。熊鍋という単語に反応したゲーレが「確かに熊は美味い」と同意したせいで皆々が熊肉を語り出し、ユーリスにも今度熊を食わせようという話になってしまう始末である。
そばかすの似合う店主の一人娘が運んできた料理は見たこともないものだった。薄いソースをかけた鳥の唐揚げのような料理は
この地上で巻き起こる、人間と魔女による惨劇など嘘のようだとユーリスは思う。周りを見ても誰一人として顔を曇らせている者はおらず、笑い声しか聞こえない。ふと故郷での在りし日を思い出して、ジョッキを持とうとした手が止まった。もしかしたら、誰もが先生の話を信じて懸命に明るく生きようとしていただけで、皆は影で泣いていたのかもしれない。気弱だった年下の少女も、兄貴肌だった年長の少年も、みんな。
スコールだけが、先生の話にただでは頷かなかった。先日見た夢、いや、確かにあった過去のことを思い出す。
スコールが本当に死の先に何もないと考えているのなら、彼を突き動かすものは今確かにある「生」だけなのか?
「もしかしてまだ
シリウスの問いかけで思考が現実に戻ったような感覚がした。彼は
「あれってケンカだったのか」
何やら辛そうなきのこの和物を頬張りながらロキが言う。
「やだねえ、これだから脳筋は。殴り合うだけが喧嘩じゃないっての」
「お前と義兄さんのおっかねえ罵り合い毎度毎度止めてやってるの誰だと思ってんだよ、バカにすんな」
ゲーレが不思議そうな顔でこちらを見ていたので、廃病院での一件を大まかに説明すると、彼女はううんと唸ってしまった。
「君たちがあの廃ショッピングモール攻略を完遂したと報告を受けた時は驚いたんだ。軍も手こずっていた案件であったし、チームが良く統率されていたのだろうと……勝手に仲が良いと思い込んでいたんだが、そんなことがあったとは」
ユーリスは思わず力ない笑いを漏らした。あの作戦についてはとてもじゃないがまとまっていたとは言えない。ヴィトニルは早々に行方不明になるし、スコールはそれに気づいてすらいなかったし、当時はフローズとも打ち解けていなかった。スコールがどう報告したのかは知らないが、あることないこと書いているのが目に見えるようだ。
「物事が分からねえ相手じゃないと思うけどなあ」
「どうだか。みんな魔女を殺すのに躍起になってるけど、あの人は中でも飛び抜けて異常。言葉でなんとかできたら苦労しない。ま、表立って義兄さんと仲良くするのは自殺行為だからしばらくは様子見してなよ」
「スコールは本当の身内にだけは温厚だからな。そのうち話す機会も生まれるだろう」
「そうそう、これ以上変な噂立たせたくないだろ」
三人はそういうものの、このまま静観したところで何かが変わるとは思えなかった。十五年、もしくはもっと以前からずれていった理想や価値観を、たったの“ しばらくの間 ”でどうにか出来そうなものなら、今頃こんなにも思い悩まなくて済んだだろう。
「俺らがあんたに忠告したアレもかなり体張ってるんだから無下にしないでほしいんだよね。王都で目立つような真似したくないってのが本音だけど、
まだ成人してもいないのに大人びた感じでウイスキーを
「君の力は二つとないものだ。私個人としては勿論だが、地上国民のためにも君を失うわけにはいかない」
それまではぐいぐいビールを呑んでいたゲーレはぴたりと手を止めて、隣に座るユーリスを見ている。軍の中でも特に最前線に立つ精鋭としての責任を常に背負っているからだろうか。スコールと揉めていたのを見ても、彼女は並々ならぬ正義感を内に宿していることが分かる。
三人とも、ユーリスが何か下手を打って魔女の嫌疑をかけられやしないかと案じているようだった。スコールは「魔女の血」
「今まで魔女裁判で何人殺されたんだ」
ユーリスが問うと、ゲーレは答えを用意していたかのようにすぐに答えた。
「公にされただけでも十七人は処刑された。地方の判例や、それこそ私刑も含める
となると数を把握するなど不可能だろう」
「殿下の母親が処刑されてからひどいもんだぜ。ただでさえ亜種が死にまくってるのによ」
「亜種でもお構いなしか……」
「前に俺の相棒だったカーラ義姉さんは亜種の中でも上位の戦績を収めていた。だけど殺された」
淡々と事実だけを口にしたシリウスの表情からは何も伺えず、彼の様子を見たロキが間髪をいれずに口を挟む。
「殿下の肩を持った亜種が同じ亜種に寝首かかれて殺されたってのもたまにあるんだよな。もちろん王命じゃなくて独断の行動だけど、こいつはフローズとヴィトニルに味方してたって言うだけで、じゃあ仕方ないで終わる。証拠も何もなくたって魔女の二文字を出せば平気で掌を返すんだ。脳味噌の皺がねえ連中に好き勝手され続けたらそれこそ自滅するぞ」
「変な意味で聞くわけじゃないけど、なら真っ先にフローズとヴィトニルを処刑するのが自然じゃないのか?」
ユーリスの問いかけに、ロキは身振り手振りをやめて首を捻った。
「えーっと、なんだっけ……ほら兄貴、あれだよあれ」
「踏み絵」
「そうそれ」
ロキが思い出したと言わんばかりに指をぱちんと鳴らす。
「大昔に異端をあぶり出すためにカミサマが描かれたものを踏ませた。踏めなかったやつは異端だとバレたって話がある。つまりそういうことじゃね」
「だからってなんで……」
「人類の中に魔女に与するやつなんていらない、っていう行き過ぎた同族意識のせい」
「自分より酷い目に遭ってるやつを見て安心したいからかもな」
シリウスとロキが思い思いに自らの考えを述べるが、ユーリスにとってはどれも信じ難いし許せなかった。そんなことでフローズとヴィトニルが、あんな年端もいかない子供たちが虐げられていいはずがあるかと、心の中で憤る。
「結局、人間は脅威を恐れてるだけさ。魔女による死の危険は勿論、親魔女派の人間はそもそも信用できない。だから炙り出して皆殺し。魔女は敵、魔女の存在を許す人間もまた敵。地上においては絶対的な不文律だね」
サラダを食べ終わったシリウスはようやく他人事のような顔をしなくなった。
「フローズの……彼女の母親の処刑についても上層が決めたことだろ? あれは独断なのか?」
「さあね。あの時は王都中で処刑を望む声が上がってたから、本気で魔女の仲間だと思って排除しようとしたのか、面目保つために処刑を決めたのかは分からない」
話が難しくなってきたと言わんばかりに黙々と料理に手をつけ始めたロキを横目に、シリウスは語る。するとそれまで考え込んでいたゲーレが思いついたように呟いた。
「類似性の法則……」
聞きなれない言葉だ。ユーリスとロキは反射的に彼女を見たが、対してシリウスは驚いたように眉を上げた。
「心理学の用語だ。人は自分と共通点のあるものを好きになる傾向があるというものでな。例えばの話、今まであまり親しくなかった二人の人間がいるとしよう。その二人には共通の苦手だったり気に入らない相手がいて、ふと顔を合わせた時にその人の悪口を言い合うとする。するとそこに同調が生まれて、二人の距離はなんとなく縮まるわけだが」
自分にも言い聞かせるかのように、ゲーレは指を二本立ててジェスチャーを始める。
「類似性の法則は裏を返せば、共通敵がいると人の団結力が高まるというものでもある。かつてこの法則を使って、自らに不利益な存在を仮想敵に仕立て上げ、民衆を洗脳し独裁体制を築き上げた指導者もいたそうだ。民衆の総意を得て邪魔者を排除できる、上手くいけば新たな敵の発生を抑止し、恐怖による統治も可能になる。つまり……」
「スケープゴート。王か軍上層が地上の支配を意図して殿下たちを犠牲にしたってこと?」
シリウスの言葉を受けたゲーレは小さく首を横に振った。
「真意は分からない。恐怖政治や独裁体制を取ったところで利があるかと言われれば疑問が残る。王や上層が自尊心を満たすためにやったかどうかまでは私たちには知る由もないことだし……人の心は自然に動くものでもある。誰も意図せず統率された差別意識が生まれるのだって有り得ないわけではない」
「正当な理由をつけられる差別なんかありゃしねよ。俺らだって余計な死人を減らすため、見知ったやつが殺されるとこなんざ見たくねえって尤もらしい理由つけておいて、吐くのは殿下の悪口だ。こんなもんが正義だなんて死んでも思わねえ。理屈こねたってイジメに加担してるわけだから弁明する気もねえし、許してもらえるとも思ってねえ」
ロキが苛立ったように声を上げた。彼は口に放り込んだ料理を強引にビールで流し込んだ後、彼はユーリスの目を見据えて言い放った。
「気の毒な話だけどよ、あの二人を救えるやつなんてこの世界にはいないんだよ」
四人の座るテーブルだけがしんと静まり返る。周りの炭鉱夫たちは依然としてやいのやいのと酒盛りを続けているのに、その声すら聞こえなくなったような気がした。
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