Karma04:無明を照らせ(5)


 2207年12月5日 / 中央区・王都 / 快晴 / 月齢:14.3


 先日はらりと降った雪など嘘のような青空であった。北風も幾分か弱まり、非番の軍人たちはこれからしばらくはお目にかかれないであろう陽気を浴びに陽の下に出て来ていた。

 地上軍の兵営は各棟を廊下を通じて行き来でき、中庭にも自由に降りられる構造だ。話に花を咲かせる女軍人たち、一人暢気に寝っ転がる若い亜種などを見下ろしながら、ユーリスは兵舎の一室で通信端末を睨んでいた。


 ユーリスに部屋が与えられたのはつい最近のことである。今まで放し飼いにされていたのは大方ユーリスの普段の行動を監視するためだろう。あちこちの空き家だったり宿だったりを点々としながらの生活も、ユーリスの性には合っていたし慣れたものだったので問題はなかった。どこをほっつき歩いてもお咎めなしという監視の緩さを警戒して、リュカオンの家を尋ねる時は近くの住処に通信端末を放り込んだりと気休めの小細工は仕掛けていたが――そんな日々を続けるうち、急に兵舎の一室に案内されたのである。聞けば、ユーリスの野良犬じみた生活を知ったゲーレが何かと取り計らってくれたらしい。

 とは言っても、好きな時に使えばいいという適当な案内だった。だからやはり監視は緩んでいないのだと踏んで、部屋には極力私物を置かなかったし、いざとなれば居所を偽装したりと相変わらずの日々を送っていた。ただ、寒さの厳しい冬に暖かな寝床が保証されたというのはありがたいことではあった。

 

 ルー・ガルーと名乗った少年について調べても、現実味のない存在だという感想がまず先に出た。貴族での名は「ルー・ガルー・ガルム」。精鋭を除く亜種の中ではスコールに次ぐ実力者で、討伐した魔女は計五十三体。しかし、軍属となったのは一年前で、特例扱いとしてパートナーを持たずたった一人で任務にあたっているというのが妙だった。

 たった一年の間に、誰のサポートも受けずここまでの戦績を叩き出すのは只者ではない。精鋭を含めても間違いなく亜種の頂点を争うほどの力がある。あの小柄な少年が一騎当千の猛者だとはどうにも信じられなかった。

 

 悩ましいことは多くあった。ルー・ガルーのことは勿論、魔女の企みやフローズの元相棒たちのこと、スコールとの間にある壁のこと、様々なことが次から次へと積み重なっていく。特にスコールとは廃病院での衝突以来、大した話もしていない。向こうが避けているのか、こちらが無意識に避けているのか、そもそも顔を合わせられるような機会が少ないのか。いずれにせよスコールの心中を推し量るほどの余裕がなかった。

 この数々の靄が晴れる日は果たして来るのかと、その時を手繰り寄せることが出来るのかと考えても、自信は少しずつ消えていく一方だった。

 ユーリスがううん、と唸ってベッドに背中から倒れ込んだ途端、通信端末に着信があった。見るとゲーレからだったが彼女から連絡が来るのは珍しく、何か切羽詰まった問題でも起こったのかと身構えたが、電話に出た声はまったく明るいものだった。

『やあ、急にすまない。君、今から何か予定は?』

「特にはないけど……」

『そうか。実は君に会いたいと言っている子たちがいてね。君さえよければ少し時間をもらえないだろうか』


 構わない、と返してユーリスは指定された中央区の市街に向かった。久々に顔を合わせたゲーレは凛々しい瞳を細めて笑んだが、何より彼女の両脇でにやりと笑った二人の青年を見て、ユーリスは思わず驚嘆の声を上げた。





 俺は嘘は吐くけど約束は守る男だよ、と涼しげに笑ってみせたシリウスの軽口は相変わらずだった。二ヶ月前の廃病院の一件で、礼に奢ると言ったことを律儀に果たしに来てくれたらしい。

 ロキに聞けば今朝方ようやく第一帝都から戻ったばかりで、その足でゲーレにばったりと会い、久しぶりに食事でもという話になったという。それならば、とゲーレ伝いにユーリスへと連絡を寄越したそうだった。

「まさか君たちがゲーレと知り合いだったなんて思わなかったよ」

「そりゃあこっちのセリフ。俺らガキん頃からねえさんには世話になってんだ」

「もう七年来の付き合いになる。二人ともかわいい弟分だよ」

「ええ? ロキは別にかわいくないじゃん。俺はかわいいけどね」

 何やら上機嫌なシリウスは冗談ばかり口にしていて、ロキはその度に呆れ顔になった。

「クソ寒い雪国で二ヶ月間ずっとこいつの相手してたんだぞ。おカミもちっとは気ぃ使ってくんねえかな、面倒臭え相棒手当で三万ぐらい請求してえ」

「お疲れ様……」

 ユーリスとゲーレが思わず労うほどには切実な要求に聞こえたが、一癖ある相棒の相手はもう慣れっこなのか、ロキは終始晴々しいような表情だった。


 三人に連れられて辿り着いたのは第三都市ハイドラの王都近郊。『シャンティ』と書かれた質素な看板が、これまた質素な小屋の前にかけられている小さな酒場だった。だが小屋の中は倉庫兼厨房のようで、青空の下に薄汚れた木箱や樽などを転がして、カウンターや席を作っただけの粗雑なビアガーデンといった風だった。

「おいオッサン! 酒だ酒!」

 ロキが酒場に足を踏み入れるなり粗暴な第一声を上げると、方々で飲んだくれていたオヤジ達が一気に騒ぎ出した。

「おっ、久しぶりに来やがったぞ犬ころが!」

「どこ行ってやがったんだ、まあたド田舎に飛ばされたのかやんちゃ坊主どもめ」

「相変わらずうるっせえな、今日は連れがいんだからちょっとは大人しくしてろっての!」

 はは、と苦笑するゲーレの横で、ユーリスはただただ場の騒がしさに呆気に取られていた。スキンヘッドに傷やら刺青だらけといかにも柄の悪い風貌の男ばかりだったが、ここまで満円の快笑が飛び交う光景は久しぶりに見たような気がする。それほど、良い意味で異質な場所だった。

「誰かと思ったら精鋭のあねさんと……おいおい、そっちのでけえのはお騒がせのソロか! こりゃあたまげた!」

「おおい、一匹狼の兄ちゃん! 握手してくれ握手!」

「誰かカメラ持ってねえのか! こんな面白えことはねえぞ!」

 ユーリスの眼のことも知っているだろうに、お構いなしとばかりに男たちは笑っていたのが心底不思議だった。ぎゃあぎゃあと明るい大声が飛び交う中、シリウスはカウンターにいた店主に声をかけていた。

「生憎、今は値の張る酒しかねえぞ」

「別に良いよ、それより食い物頼む。とりあえず三品ぐらい」

「お坊ちゃんの口に合うかは分からねえが」

「あのなあ、そのネタいい加減しつこいぜ、オッサン」

 シリウスがふんと鼻を鳴らすと、店主はへえへえと形だけ悪びれて奥に引っ込んだ。それからのユーリス達は酔っ払い共をどうにか宥めるのに必死で、料理が運ばれて来るまでそれぞれがしばらくオヤジ達の話相手をする羽目になった。



「ここのオヤジらとは俺が軍属になる前からの知り合いでな。言っちゃあなんだが、家族同然で俺の面倒見てくれてた奴らだ。王都のお固い頭の連中よりかはよっぽど信用できるし、人間だの魔女だのうるさくねえからよ。あんたも安心して飯食えるかと思って。ああ、真昼間なのは勘弁してくれな」

 やっとのことで酔っ払い達がそれぞれの席に帰っていくと、ロキはビールが注がれたジョッキをユーリスの前に置きながら、愛嬌のある垂れ目を細めて笑った。

 第三都市ハイドラは数々の鉱山で有名な街で、この酒場のすぐ近くにも鉄鉱石が採れる採石場があるらしい。酒場の常連客はほとんど炭鉱夫だという。

「酒臭いけど裏表がないからさ、頭使わずに相手できるし良い人たちだよ」

「確かに気はいい人たちだったね。ちょっと厳ついけど……」

「はは、その調子では慣れるのに時間がかかりそうだな」

 ゲーレが初めてこの酒場に来たときは、こんなボロの酒場には間違っても縁がないような女軍人がやってきたと驚かれ、やたらに歓迎されたそうだ。その話を聞くだけでも鉱夫たちの心意気良く人間味ある人柄が伝わってくる。


 そこではた、とユーリスは気づいた。シリウスもロキもさも当然のように酒場に出入りして、目の前にジョッキやグラスを置いているが……。

「君たちって未成年じゃないのか……?」

 確か、二人とも十七歳だと聞いている。地上では二十歳以下の飲酒は禁止されているはずだ。だがシリウスもロキも今更何をといった顔をしていた。

「法なんてあってないような世界で何言ってんだよ。人のこと気にして生きる余裕なんて誰も持ってねえぞ」

「いや……病気とか色々心配で」

「私もそうやって何度も止めたんだがな……」

 ゲーレはジョッキを片手に溜息をついている。ユーリスは今日飲む酒も何年振りかというくらいには飲酒の習慣がなかった。そもそも戦時中の今、酒の価格は暴騰していたし、下手な所で買えば水増しの密造酒だったりするしで手を出そうとは思えなかった。

「俺ら亜種だし、生き延びたってどうせ四十そこらで寿命が来て死ぬんだからさ。遊べる時に遊ばないと損するよ、オジサン?」

「七つぐらいしか変わらないだろ……」

「俺にとっては年上はみんなオジサンだもん」

 にやと笑いながらシリウスはウイスキーのグラスをゆらゆらと振ってみせた。

「まあ、今日は俺の奢りだから。好きに飲み食いしてくれていいよ。それじゃあ、生きてまたこうして友人たちに会えたのを祝して――」


「乾杯!」


 小気味よいグラスの音が青空の下で響く。命を戦場に晒す軍人たちのささやかな宴を、南西に聳え立つ白い巨塔が見守っていた。

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