Karma04:無明を照らせ(4)


 2207年12月4日 / 中央区・王都 / 曇天 / 月齢:13.3


 秋寒は疾く過ぎ去り、一層の寒風が吹くようになった頃。ユーリスが王都の軍属となって早二ヶ月半が経った。

 二ヶ月前の廃病院の一件から今日までの間、大きな波乱は起きなかった。言ってしまえば気味の悪いほどに穏やかな日々。スコールの指摘通り、魔女の襲撃は頻度を落とす一方だった。これまでも決まった周期はなかったとはいえ、二週間以上襲撃が起きないという開戦以来初めての記録が打ちたったらしい。

 当然、魔女がだんまりを決め込んでいる間も地上の軍人たちは各地の警備に勤しむ。ユーリスとフローズは主に王都近郊西部を担当することが多かったが、対してスコールとヴィトニルは各地遠方の防衛ライン際まで赴いてばかりで、顔を合わせることは殆どなかった。ゲーレも主要都市付近の最前線に立ち続けているらしいし、シリウスとロキも第一都市での任務からまだ戻っていない。

 たまにリュカオンの様子を窺いに行くと、彼女はいつもにこりと微笑んで出迎えてくれた。二ヶ月前、彼女は何やら思い詰めた様子でユーリスの身を案じ、より一層周囲に注意するよう言われたのだが、幸いこれと言って不審に思えたことはなかった。満月の夜に決まって嫌な夢を見るという新たな悩みの種は増えてしまったが。


 本当に、穏やかな日々だった。様子のおかしかったフローズも次第に少々気が強く凛々しい、けれど優しい少女に戻っていった。あの日の「人間を殺した」という告白など、まるで嘘であるかのように。


 ユーリスは目を逸らしている。あの、空に蠢く白い手は右眼が見せた幻覚だと思い込むよう努めた。あれが神の御手だというならば、心の臓も肺も凍るような怖気を感じるなど道理に合わない。

 あんなものは実在してはならない、そんな気がしてならなかった。





 世界の中心に位置する王都の冬の訪れは十一月下旬とされていた。例年よりやや遅い寒波が王都に迫っているという予報を携帯端末から聞き流す。ユーリスは西部での任務を終え王都に戻り、王宮から少し離れた市街地を歩いていた。凍雲に満ちた空に近づくようにして、ある三階建てのアパートの屋上を目指し階段を昇っていく。理由は、そこに見知った人物の姿を認めたから。

 屋上の扉を開けると緩やかな風が吹いた。折れ曲がったテレビアンテナに、何かの布が引っかかりはためいていた。ユーリスは辺りを見渡したが人影はどこにもない。見間違いだったのだろうか、そう思って踵を返そうとした瞬間だった。

「ばぁ!」という大声と共に屋上扉の上から身を乗り出してきた影。ユーリスは当然驚いて素っ頓狂な声を上げた。

「驚いたか出来損ない! 正真正銘、王家の亜種である僕を脅かそうだなんて百年早いぞ!」

 がおーとおどけた声を出しながら、両手の指を曲げたポーズで無邪気に笑う幼い少年。いやはや参ったとユーリスは苦笑う。ヴィトニルは妙に気配を消すのが上手いのだ。

「はは、久しぶり……こんなところで何してるんだ?」

「何って、今日は非番だから僕の好きにしてるだけだぞ」

 屋上扉から飛び降りたヴィトニルは、フローズと似たような帯紐のある軍服を着ていた。外套を燕尾のようにしていたりいかにも少年らしい短い半ズボンだったり、好き勝手改造したものなせいで遠くから見ても一目で彼だと分かるものだ。ヴィトニルは有事の際はなぜか決まって亜種が着る普通の軍服を着ていたが、非番の時は今日のような派手な格好をしていた。

「あ、そうだ! お前がいるってことは姉さまも帰ってきてるんだな!? それなら長ぁい暇を潰さなくても済む!」

「まだ王都には到着してないよ。別々に帰ることにしてるんだ。あまり一緒にいるのはまずいし」

「なんだ、つまらん……」

 にこにこと顔を綻ばせたと思えば、すぐ拗ねて口を尖らせる。ヴィトニルの感情はかなり起伏の激しいものだが、年相応といえば年相応だ。ユーリスのことも亜種と呼ぶには心許ない能力を揶揄して頑なに「出来損ない」と呼ぶし、周囲の目も気にしないし、こと対人関係については何も憚らないような子だった。

 よく言えば純粋、悪く言えば無神経。相棒のスコールとは身長も性格もでこぼこしたコンビで、世辞にも仲が良いとは言えなかった。戦績まで天と地ほどの差があるのだから、壊滅的に噛み合っていないようにすら思う。有数の実力者であるスコールが怠け者で臆病なヴィトニルとのペアに固執するのはかなり不可解だった。


「……なんだお前、すごく油臭いぞ……」

 ヴィトニルは急に鼻を摘んだまま嫌そうな顔をユーリスに向けた。ぎょっとして袖を嗅ぐが、そもそも今日は魔女ともモノとも戦っていない。モノのオイルは無臭に近いし、残っていたとしてほんの僅かだろう。

「そんなに臭う……?」

「あのなあ、僕は亜種なんだぞ! 出来損ないのお前より鼻がいいに決まってるだろ」

 そういえば、ヴィトニルはショッピングモール攻略の時もモノのオイルの臭いを嗅ぎ分けていた。やはり五感が非常に優れているらしい。それはそれで難儀だなと思いながらユーリスはなんとか話を逸らそうとした。

「昨日の襲撃、この辺りは大丈夫だったみたいだな」

「まあな。まったく、久々の警報アラートで飛び上がる羽目になった……だが王都にまで魔女がやってくることなんてそうないぞ。中央区に入られても王都前で何とか食い止められる。十五年前の大襲撃が特殊だっただけってみんな言ってるけどな」

  ヴィトニルはまだ十三歳だ。あの忌々しい王都襲撃の時にはまだ生まれていない。あの日を経験していない子がこんなにも大きく成長しているのかと、本当に長い時間が流れたことを痛感する。

 ユーリスは王都襲撃の話を聞くと嫌でも連鎖的に過去を思い出してしまう。連なり合う悲劇の先で起こったこと、自分も最近気づいた真実。

「彼女と組んだ相手が酷い有様で死ぬっていう話」

 ふと考えなしに呟いていた。フローズを溺愛する弟にこんな話を振るなんて相当不味かったかも、と思ったが、ヴィトニルはいやに平静な顔をしていた。

「信じてるのか?」

 信じるも何も、事実なのだ。フローズは相棒を殺したと告白した。だが一つおかしい点がある。話に聞く限りこれまでに死んだフローズの相棒は一人ではない。ロキも「首根だけが残った死体」の話をしていたし、それ以外にも変死を遂げた相棒がいたと調べがついている。フローズの身辺を探るような些か気の引ける調査ではあったが、ユーリスは疑問を捨てられなかった。

 

 フローズがその全員を殺めたのか、或いはのか?


 ヴィトニルは仁王立ちで溜息をついた。触れたくない話だろうに、彼は不機嫌ながらも口を開いてくれた。

「そんな噂が建ち始めて以来、姉さまを気味悪がる奴が増えて表立った暴力も減った。前はもっと酷かったんだぞ。顔に痣があるなんて当たり前だった」

「やっぱり彼女が……?」

「もしそうだったとして当然の報いじゃないのか。姉さまの相棒は揃いも揃って屑ばかりだった。そんな外道らがどうなろうが僕の知ったことじゃない」

 吐き捨てるような声色だった。記憶に焼けつくような紅い双眼がユーリスの目を射抜いて縫い付ける。


「僕は姉さまを傷つけるやつがこの世で一番嫌いなんだ」


 それは、年端もいかない子供が持っていい感情ではない。ユーリスはただそう思うしかなかった。他に形容し難かったのだ。その感情は、幼い身体に余りあるものだと。


 紅から目を離せず、身動みじろぎもできない時間は終わる。ほんの一瞬のこと。ヴィトニルが不自然に視線を外したのを見逃さなかった。

「あれは……」

 その視線の先、アパート下の通路に目をやると、亜種用の黒い軍服を着た人影がこちらを見上げていた。顔は外套のフードで隠されて殆どが見えないが、僅かに覗くにやけた口元を見てすぐに合点がいった。

「ごめん、もう行くよ!」

 ユーリスは走り去る影を追って屋上から飛び降りる。

「あっおい! まったく忙しないやつだな……!」

 背にヴィトニルの呆れた台詞が投げかけられたが、ユーリスは構わず右眼で影を捉え続けた。




 気づけば雲が厚さを増していた。冷たい風を切りながら、小路をじぐざくに走り抜けて辿り着いたのは何かの倉庫と思しき場所だった。屋根は所々抜け鉄筋が剥き出しになっており、朽ちた木箱が散乱している。

 ユーリスは一歩一歩と中へ進む。追ってきた影は倉庫のちょうど真ん中で、彼を待っているかのように木箱に腰掛けていた。

「やあ、わざわざ追いかけてきたのか。殊勝な好奇心だ、結構結構」

 少年の声だった。まだ声変わりもしていないぐらいの、あどけなさの残る高さの声色。背丈もヴィトニルと同じくらいで亜種にしては小柄だ。未だに顔は見えないが、口元には絶えず嗤笑を浮かべている。

「……廃病院にいたのは君か」

「なかなか鋭いな青年。ああそうか、君の眼には魔女じみた異能があるらしいな。だからここまでつけて来れたと。視力もよほどいいと見える」

 廃病院で上階から飛び降りた人影はまさしくこの子だ。見た目に似合わず尊大な口調で、少年は名乗る。

「僕はルー・ガルー。ご存知かな? ……知らないか、君は覇権争いには興味がなさそうだ。精鋭抜きの亜種の中じゃ上から二番の実力者ってところかな。いや、決して自慢じゃないが、簡潔で分かりやすいだろう?」

 ということは、スコールとプロキオンに挟まれる形で戦績上位の亜種だ。亜種の才能は男女や年齢で左右されないとはいえ、こんな小さな子供が軍有数の実力者とは。悠々とした口ぶりといい何もかもが釣り合ってないようにすら思える。

「なんであんなところに」

 二人してじっと動かず話している隙に、烏が数匹舞い降りてきた。石畳の合間をつつきながら辺りを闊歩するのを尻目に、ユーリスは尋ねる。あの廃病院はシリウスとロキの拠点だ。彼らの義姉の墓だってある。彼らの秘密が暴かれるのはユーリスの望むところではない。

「はは、知りたいのかい。ふうん。君になら教えてやってもいいんだがな。下手に喋ってあいつらにどやされるのは御免だ」

 くつくつと笑うルー・ガルーは烏を目で追いながら饒舌に言葉を紡ぐ。

「あそこにいたこと自体には大した意味はない。が、気になるなら自分で探ってみればいいんじゃないか? 人から教えてもらうだけでは愚鈍な人間になるぜ。いつか月の向こうに着いた時、雨が降るまで暇潰しの話をするために、手品の種を暴いておくのも一興じゃないかな」

 ルー・ガルーは静かに腕を動かして、フードの端を押し上げた。覗いた左目がきらと輝く。

 その瞳は――そうだ。ニルヴァーナの薬師が解毒薬に使う宝石、エメラルドによく似た色彩。鮮やかな緑が細められ、その手は勢いよく天に捧げられた。途端に驚いた烏が飛び立ち、ユーリスも思わず腕で顔を庇う。


「どうせ皆、死ぬんだからさ」


 そんな声が聞こえた。目の先にいるはずの少年は忽然と姿を消していた。まるで手品のショーでも見せられているかのように。

 黒い羽がひらりと舞い落ちる。それを白く染め抜かんと、雪がしんと降りてくる。茫然と立ち尽くすユーリスの身体を凍させる冷気が積もっていく。


 狼男に化かされたその日、王都に冬が来た。

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