Karma03:泥梨を這う獣たち(6)


 308号室は他と比べて小さな病室だった。引き戸だが上下左右の四隅に黒い機械が取り付けられている。外からは見えなかったが、すぐ隣には天井や部屋の壁を打ち抜くように巨大な穴が空いていて、光が燦々と降り注ぐ。病室だったのであろうその残骸部分には黒曜石のような破片が大量に散らばり、シリウスは「やっぱりね」と不満気に鼻を鳴らしていた。この粉々になった石こそが魔女の遺物なのだろう。

「外のモノがこっちまで来ないか見張ってて。五分ぐらいで解除できる」

「ほんとに頑丈なんだな」

「二重三重のロックだからね。バレたら俺の首が飛ぶ……いや、生きたまま燃やされるのほうが正しいか。それ程のものがここにはある」

 シリウスが308号室のドア前に携帯を置くと、複数のホログラムインターフェイスが起動した。青白い光で構成されたキーボードを叩くシリウスをしばらく見ていたが、目まぐるしく切り替わるディスプレイの表示は僅かも理解できそうになかった。

「殿下とロキが心配なんでしょ。大丈夫だって。殿下も亜種の中じゃ結構やるほうだよ。うちの相棒も精鋭を除けば三本の指に入る筋肉バカだし。何より呪われてるしね」

 外のざわめきに耳を澄ませていただけで心の内を見透かされる。それもあるが、とユーリスは一度は噤んでおくべきとした思案を口にした。

「君のお姉さんは、その――」

「処刑された。暴力を受けていたフローズを庇ったせいでね」

 言い淀むこともなくきっぱりと、予想通りの返答だった。シリウスはディスプレイから目を離さないままで、表情は窺い知れない。

「あの姉弟の母親が処刑された時、あんた王都にいたの?」

「……いや。でも大まかなことは知ってる」


 六年前のことだ。世歴2201年、王都は二度目の襲撃を受けた。フローズは自室の窓から侵入してきた魔女の兵を身を挺して庇った。自分を殺しにきた相手を、自分を守りにきた人間から。後々の調べでは、その魔女は戦闘には全く役に立たない異能者で、ただ銃だけを武器とし、外見は十歳にも満たないような子供だったという。

 フローズは魔女の嫌疑をかけられ幽閉の後に処刑される運びとなった。だが彼女の母は、娘を洗脳したのは私だ、真に排すべきは私なのだと声を上げる。妃は小瓶に入った薬を軍に渡し、それを飲ませれば娘にかけた洗脳は溶けると話したそうだ。以来フローズは魔女を擁護する思想を一切口にせず、魔女を庇ったのも覚えていないと主張した。

 一方で己は魔女の仲間であるとの言い条を決して曲げなかった妃は、間もなく火刑に処された。確かに愛をもって慈しんだ、幼子らの眼前で。


「妃に元からいい噂はなかった。あんたと同じで左右の目の色が違う、先天性ヘテロクロミア。得体の知れない民族の生まれで、時代錯誤のアナログな薬師。強制されたとはいえとんでもない薬も作っちゃったしね」

 言葉の一つ一つが突き刺さるようだった。フローズとヴィトニルが「魔女の子」と呼ばれる理由。その真の起源をシリウスは知らないのだと、ユーリスはまたほぞを噛む思いを全身に受ける。

「洗脳なんて嘘に決まってる。薬瓶の中身なんてただの水か何かでしょ。愛する人のために一芝居打てる人なんていくらでもいる。フローズは妃の意を汲んで共存派の思想を封じた、妃は娘のために魔女派を偽った。馬鹿で狂った人間はそれを信じた。人類の敵である魔女に繋がるものは排除して、疑わしきも全て罰する。それが今の地上に蔓延る排斥思想」

「……君は、お姉さんが死んだのはフローズのせいだと思ってるのか。だからあんな、彼女を貶めるようなことを」

「殿下はとばっちりを受けてるだけでしょ。俺もロキも、あの二人をただ虐げるような奴らとは違う。責任の所在を探すのも、責任を背負いこむのも、不毛って言ったらそれまでなんだからさ」

 ようやくディスプレイに浮かんだ解除までのカウントダウン。シリウスはそこで初めて振り返った。色を正しユーリスを見つめる深藍の瞳に、怒りや憎しみは映っていない。

義姉ねえさんが死んだのはフローズのせいだなんて思ってない。生まれてくる場所なんて選べないし、どんな思想を掲げようが人の勝手だけど……それでも許し難いことはある。それならそれで良識を以て動かなきゃならない。俺は目先の敵を見つめすぎて、人が背負うべき罪を見誤るような人間じゃない」

「ならどうして」

「義姉さんみたいな優しい人が、フローズやヴィトニルを庇って殺されていくのはもう御免なんだよ。愛した人が殺されるのを涙も流せずに見ているだけの苦しさなんて、知らないほうがいい」


泣いてしまえば疑われる。涙を流してしまえば殺される。炎から目を逸らすな、内に燃える瞋恚しんににも投げつけられる悪意にもただ黙せよ。でなければ炎はやがて己を焦がすことになる。


「……後で、街のど真ん中で泣き叫んで死んでやろうかとは思ったけどさ。俺とロキはあんたみたいなお人好しそうな奴が王都に来るたびに、それとなく一芝居打ってるだけ。王都の、地上の掟を知らない奴は今でも多い。特に遠方から徴集された亜種。閉鎖的コミュニティの出身者や孤独に生きてきた人たちね。異端の炙り出しが目的なんだから、わざわざ懇切丁寧に教えてくれる人なんていないでしょ」

 画面上で忙しなく切り替わっていた数字がゼロの羅列に落ち着く。シリウスがまたキーボードを叩いた。

「フローズとは半ば共謀関係ってことになるかな。あの人は俺らの思惑を知りながら黙認している。あの人自身が自分を庇って死ぬ人間を出したくないと望んでいる。これは俺たちの正当化じゃない、はっきりとした事実」

 ピピ、と電子音が鳴る。シリウスが扉を開けたが、中に窓は一つもなく、足を踏み入れると同時に今まで以上の鬱々たる淀みが纏わりつく。拘束具のようなベルトがぶら下がる医療ベッドが一つ、配線が絡み合う機械がいくつか。そして部屋の奥の壁に、神教徒の装身具『ハリ』がひっそりと飾られていた。輪を十字で裂いた金属製のシンボルは赤い紐で結ばれている。シリウスの義姉はこれをブレスレットとして身につけていたのだろう。

「お墓を作ることも許されないんだよ。骨も灰も何ひとつ残してもらえない。こんな闇の中に、気休めに眠らせてあげることしか」

 魔女の娘であるフローズを庇い、自らも魔女の一味の嫌疑をかけられ処刑された女。そんな者の遺物を有することすら罪なのだろうか。

 墓石代わりのブレスレットの前には光を絶たれ萎れきった花。シリウスは鮮やかさも失われたそれを拾い上げる。彼はきっとこの場所を解放してほしかったのだろう。陽を見せることは叶わずとも、せめて会いには行けるように。

「生きろ、という言葉は呪いだ。大事な人のために嘘を吐いて自分まで騙して、それでも生きていかないと、呪いをかけた人の願いを叶えられない」

 呪われている。何度も彼が口にしていた文句だ。誰しもが誰かを呪い、誰かに呪われている。そう思わせるだけの悲壮が横顔に滲んでいる。

「……俺は、フローズの気持ちは理解できるつもりだよ。誰に何を言われても、何をされても、たったひとつのものを命綱にしてようやく生きてる。でも俺はそこを通り過ぎてしまった。だからこそ、俺には彼女を救えない」


 ならば、誰が彼女を救えるというのか。それは人の形をしているのか、それとも目には見えないものなのか。


 シリウスが部屋を出ようとしてぴたりと立ち止まる。視線の先、部屋のすぐ外でこちらを伺う機械仕掛けの狼。

 ぐ、と喉がなり、ユーリスは剣を抜きかけたが前の青年はそれを静止した。行儀よく足を揃え座るモノはまるで日向ぼっこをする飼い犬のようで。狼は濃桃色の一つ目をきゅるきゅると回した後、小首を傾げてそのまま走り去っていった。

「ま、人生悪いことばっかじゃないよ。悪いことの方が断然多いけど」


 希望が一つでも見えているうちは死ねないさ。


 はは、と暗闇の外で笑う紅顔の青年。彼は狐につままれたような顔のユーリスに微笑みかけて、枯れた花を風に攫わせるかのごとく、陽の下へ優しく放った。

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