Karma03:泥梨を這う獣たち(7)
「おーい、大丈夫なのほんとに」
些か困惑したような声が投げかけられる。二人揃って無事に廃病院を脱したまでは良かったのだが、やはり瘴気に当てられたのか。答えるのも億劫なほどの熱がユーリスの体中を這っていた。
「君は平気なのか……」
「まあねえ、腐っても亜種だからさ。耐性あるんじゃない? 少なくともあんたよりは」
シリウスは冗談めかして言ったつもりだったのだろうが、ユーリスが乾いた笑いを漏らすとついには顔をしかめ、彼の髪を掴んでくしゃくしゃと掻き乱す。
「瘴気っつったって死ぬほどのもんじゃないから元気出しなって。最悪でも一日二日寝込むぐらいで済むってハナシだし」
「頭痛いんだからやめてくれ……」
「うるさーい、先輩が励ましてやってんだから文句言わないのー」
照れ隠しなのか、シリウスは誤魔化すようにやいのやいのと騒いで手を離してくれない。意外と心配性なのかもしれない、とユーリスは苦笑った。
晴天穿つ巨塔を横目に、雑草が生い茂る廃病院の敷地を出る。足早になるのは、少し先の白い瓦礫の向こう側で宙を飛び回る影が見えたからだ。
「魔女の襲撃からもう一時間だ。まだ引き上げないつもりなのかな」
「あの双子の態度見てるとそんな大した作戦じゃなさそうだったけど? モノも逃げたのか見当たらないし――」
突如、瓦礫の上から飛び出してくる影。宙を飛ぶロキと目が合った次の一瞬には、彼はユーリスとシリウスの前にすとんと着地していた。派手に土煙が上がる中、続いてフローズがロキと同じ軌道で華麗な跳躍を決める。砂埃の向こう、瓦礫の上には双子魔女がこちらを窺いながら浮遊していた。
「ちょっと、なんで連れてくるのさ」
「タイムリミットだ、もしまだ仕掛けて来ても四人いりゃあ退路ぐらいは開ける。それよりこいつら、新入りに用があるらしい」
三十分近く魔女を二人も相手にしていたというのに、ロキは大した怪我もなくけろりとした顔で、青空を背にした魔女たちを顎で指した。対するフローズは服を所々赤く染めながらも、どれも致命的な一手にはさせず上手く立ち回っていたようだ。特徴的な色の髪はフードに隠し、腰から肩に掛けた剣帯の布も取り払っている。
「やっと見つけた! 一匹狼のお兄さん、あのねえ、陛下からの伝言があるんだよ! ちゃあんと聞いてね!」
短髪の少年然とした魔女オルトロスは硝煙絶えぬ戦場に不釣り合いな快活さで、確かにユーリスへと話しかけた。他に言わなきゃいけないことがあった気がする、とケルベロスが話していたのを思い出す。ミルクティーのような色合いの、二つにまとめた長い髪を隣で靡かせるケルベロスが静かに口を開いた。
「これはけいこくだ」
しん、と空気が澄むような感覚。辺りを駆け巡る風の音だけが瞬間を支配する。
「
さもなくば、我が
八重歯をちらつかせ喋り切ったオルトロスに、今まで愚直なまでに纏わりついていた幼い子供の影はない。冷然とした、恐ろしく無情な声だった。
「……だって! あんまり陛下を怒らせると怖いよ~!」
一気に無邪気さを取り戻しけらけらと笑ってみせるオルトロス。たったの一言だけ喋ったケルベロスも、その隣でうんうんと頷いている。何か間の抜けた声を出したロキによって、ユーリスはふと我に帰った。
「そりゃそうだわな、モノを壊しまくるってこたあヘカテーに直接喧嘩売ってるようなもんだし」
「そういうつもりでやってるんじゃないんだけど……」
「本気で言ってる? あれだけ派手に動いてるんだから何か策があると思ってたんだけどなあ」
シリウスが呆れて手をひらひらとさせた瞬間、隣でただ押し黙っていたフローズがぴくりと顔を上げた。反射的にその視線の先を見るユーリスたち。魔女の後ろ晴天を斬り刻むかの如く、白く閃く刃光。
「わ、わわ! やだなあもう、人間ってどうしてこう頭が悪いの!?」
「その言葉、そっくりそのまま返してやろう。呑気に地上に留まっていたのを後悔する事だな!」
キンキンと打ち鳴る金属音。双子魔女の兵装であるリボンが伸縮し、容赦なく振りかぶられる刀を何度か弾いた。刀の主は長い三つ編みを翻し、陽光を刃で舐めるよう、弧に反しながら果敢にも二人に攻め込んでいく。
「なんでスコールがここに――」
何かが違う。ユーリスは漠然と思った。そうだ、以前目にしたスコールの戦闘とまるで違う。例えるならば何も恐れていない動きだ。痛みも、死も、何一つ。
そこで初めて、真剣と真剣がぶつかる鋭い音がした。第三者の介入をスコールは瓦礫の側面を落ちながら蹴り回避する。ようやと地面に降り立ったスコールの前に、軽々と着地したのは黒いドレスの。ナイフの如き美しさの。
「またお会いできて光栄だわ、狂犬さん」
同じくして悠々と、地でハイヒールを鳴らす女。長く真っ直ぐな茶髪を手で流し、不敵に微笑むライラプス。双子魔女は彼女の背後に隠れるようにしてゆっくりと降下してきた。
「ライラってば遅いよう! 僕らもうちょっとで死んじゃうとこだったじゃん!」
「そーまとーが見えちゃったね」
「元はと言えばあなたたちの物覚えが悪いからでしょう。陛下もなぜこんな仔犬たちに言伝を頼んだのかしらね……」
ぷっ、とスコールが口内の血を吐き捨てる。こちらに背を向けたスコールの表情は分からなかったが、魔女たちを修羅の如く睨んでいるのだけは確かだ。
「死とは生あるものに等しく訪れる。ただ早いか遅いかだけの話よ。だからリスクを冒してまであなた達をここで殺す必要もない」
「そう言うな。もう少し付き合えよ、猟犬女」
「嫌だわハイになっちゃって……特別に加減をしてあげてるのよ。それぐらい理解なさい。それに私、弱い男はタイプじゃないの。お生憎様」
ライラプスが青い瞳に憫笑を見せたと同時に、三人の魔女はゆっくりと浮遊を始める。
「ご機嫌よう、狼さんたち。悪徳の時代を制す、我らが王による審判の日は近い。世界が終わるその時まで、せいぜいこの苦海を足掻いてご覧なさいな」
すうと空を滑るよう飛び去っていく姿。手さえ振ってのけた彼女らをスコールは追わなかった。何を思ったのかは知らない。だがその右手に握られた、というより包帯できつく巻きつけられた刀の
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