Karma03:泥梨を這う獣たち(5)
廃病院の内部は
ユーリスは病院が苦手だった。看護師だった母を思い出して、酷く息苦しい。
そんな苦しさを吹き荒れる瘴気のせいにして、入り口でうろついていた狼型モノを三匹片付け、また三匹に追い立てられながら二階への階段を目指す。三階B棟、308号室。ユーリスとシリウスの目的地はかなり深部にあるという。
「三階なら外から飛び込んでも良かったんじゃ……」
「それが出来るんならやってるよ。308号室はかなり奥まった所にあるし、俺が電子ロックを仕掛けてるから簡単には開かない。飛びきり頑丈にしてあるからね」
シリウス曰く、彼は相棒であるロキと共に308号室を第二の拠点としていたそうだ。無論、王都には黙って。この病棟に突如モノが大挙して押し寄せてきたのは二週間前で、今ではすっかり機械狼の棲家になってしまったそうだ。
「奴らを何とかしないと解除にかかる時間を稼げないんだよ。それにここのモノの挙動はおかしい。あんたにも予想できない行動を取るかもしれない。下手に動くよりかは実直に攻めたほうが賢明でしょ」
「挙動がおかしい? 故障でもしてるのか」
「長くなるから簡潔に言うけど、院内に魔女の遺物があって、それから出てる磁波がモノを狂わせてるみたい」
ユーリスは目を
「うわ、挟まれてら」
二階に上がった途端、廊下の先から駆けてくるモノを認め「げ」と舌を出したシリウスはそう言いながらも向かいから迫る狼に突っ込んでいく。
「ちょ、ちょっと!?」
「俺は大丈夫だからこいつ何とかして」
シリウスは勢いそのままに
「おお、ナイスシュート」
「人の気も知らずに呑気だなあ……」
「肉体労働は苦手なのさ。そういうのは出来る奴に任せんの。適材適所だよ」
「じゃあ君は何が得意なんだ」
シリウスは口角を上げ、指でこめかみをトントンと叩きそのままユーリスの背後を指差した。
「後ろから来てるぞ」
「分かってるよ、もう!」
先を走るシリウスを追いながら、隙を見てモノたちに剣を突き立てる。シリウスといえば本当に必要な時に剣を振るうぐらいだった。運動神経はいいのだろうが、先程足を滑らせて落ちてきたことやロキの言い分を考えると、亜種らしからぬ失敗が多く戦闘はよほど不得意と見える。
気づけば三階。とどめを刺したモノの数は六体。彼らは特殊なモデルでもなくユーリスにとっては楽な相手だった。より手強いのは仮にも命懸けの戦いの最中に、割れた窓の向こうにスマートフォンのカメラを向けている青年だ。食えない子だなとユーリスは苦笑うしかない。
「そういえば今晩は満月かあ。明日は雨だな」
息を整えるついでに倣って外に目を向ける。外で響き続けている轟音、むせ返るような熱を纏う毒風が頬を撫でる。ここの風は熱病を運ぶとの噂を思い出すが、体の火照りは気のせいということにした。眩しい晴天にはひつじ雲が浮かび始めていて、それを掻き分けるように聳える例の巨塔は白さを増し輝く。天辺の石は相も変わらず陽光を極彩色に染め上げきらきらと光っていた。
「モノはあと一体かな。俺がさっき下に落としたあいつ」
「ああ、うん、多分」
「……ここに入る前にも多分って言ってたね」
「確かなことが言えないだけ。さっきの狼たち、動作不良を起こしてなかったでしょ」
「特別変な様子はなかったと思うけど」
「もしかしたらもう遺物が壊されてるのかもしれない。奴らがここに来たのも十中八九あれの破壊が目的だろうし。そうなるとあと一匹が魔女につくか
小走りに院内を進みながら、シリウスはスマートフォンに目を落とし「うーん」と唸っている。シリウスの言葉の真意は計り兼ねるし、何を見ているのかはどうにも教えてくれそうにない。
窓から差し込む光を頼りに連絡通路を通り抜けると開けた場所に出た。ぼろぼろの回診カートやパソコンが打ち捨てられ、カウンターの上部の文字は辛うじて「ナースステーション」と読める。壁には「300~310号室」との案内があった。
辺りを見回すと、奇妙なことに足元が煌めいていた。花弁型の琥珀のような塊が至る所に散らばっている。ユーリスは最初こそこれが魔女の遺物とやらかと考えたが、魔女の死体が花のような宝石になるという噂を思い出した。だがそれにしては――僅かな違和感はナースステーションのカウンターに置かれた一枚の紙によって頭の片隅に追いやられる。
「SV038……?」
廊下を走るシリウスを見失わないよう追いながら、勝手に拝借した紙に目を通す。整然としたフォントで印刷された、薬に関する資料だった。
・エスブイ・ゼロサンハチ。通称「ニル」。意識は覚醒したまま痛覚だけが麻痺する特殊麻酔。
・2194年に使用解禁。機能身体に支障のない怪我であれば、痛みを無視し平常通りの戦闘を可能にする。
・デメリット:身体マネジメントが困難。発汗、眩暈、重度の幻覚、筋弛緩等の禁断症状が強く、薬物全般への耐性が強い亜種は大量投与が必要となり、結果依存度が高くなる傾向にある。
・2196年、亜種への使用が禁止され、後に人間への投薬も禁止。製造凍結。
追記:生存本能の抑制が現状不可能と判断され、戦闘不能にも関わらず戦闘行為を欲する兵士たちの発狂を抑止するために開発を要請。主材料は第三都市ハイドラ、エリア75『ストリ鉱山』より採掘される鉱石・ニドライト。責任者は――。
刹那、ほんの僅かな空を切る音と共に、窓から差し込む光を影が遮った。一瞬のこと、されど緩やかに錯覚する。地上軍のスタンダードな軍服をはためかせ真っ直ぐ落ちた人影。深く被ったフードで見えない目の代わりに、口には隠そうともしない
ユーリスは慌てて窓から身を乗り出したが、透視でようやく王都の方向に走っていくのが見えたぐらいで、背丈など詳細は分からず終いだった。シリウスもあの影を見ていたのか、余裕綽々とした笑みは鳴りを潜め、目を丸くしている。
「何だったんだ、今の」
「関わらないほうがいい」
ぴしゃりと言い放ち歩を早めるシリウス。知り合いなのかと問える空気でもなく、未だ続く喧騒に背を押された。
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