Karma03:泥梨を這う獣たち(4)
一陣の風かと思われたのは衝撃波。鋼鉄でもなければ打ち破れないであろう石壁を、あのリボンは砕いてみせた。ユーリスとフローズは横っ飛びで何とか事なきを得たが、壁に突き刺さったリボンはしゅるしゅると伸縮し、勢いよく二人を追尾する。
「硬度操作と切断を主にした兵装……面倒ね」
多くの魔女は能力補助や戦闘力強化を目的とした機械的な武器を有している。ケルベロスの場合はあのリボンらしい。縁を飾るネオン光に触れてしまえば人間の体など一溜りもないだろう。
「彼女は自分の血を媒介にして、あの気味悪い花を作るそうよ。もう血を流してたし、無闇やたらに近づいても足をすくわれる。すぐ増援が到着するわ。上手く四人で叩ければいいけど……」
確かに、通信機のホログラムでは軍人が二人こちらに近づいてきているのが分かったが、表示されている名前に覚えはなかった。
「でも双子の片割れもすぐ近くにいるかもしれない。この二人も先にそっちと鉢合わせる可能性だってある」
「……撃破を目標にするべきじゃないわね。一時間ここで持ち堪えるほうが現実的だわ」
魔女の異能には一時間の発動時間制限がある場合が多く、そのせいか襲撃も一時間以上継続した例は殆どない。ここで魔女を二人押し止められれば被害も小さくなるだろう。
ユーリスとフローズは王都とは逆方向に走りながら追撃をかわす。すぐ近くで何か叫び声が聞こえ始めた時だった。素早く地を蹴る鉄の音と唸り声が聞こえ、間髪入れず黒い影が上空から飛びかかってきた。
「モノ……!」
その数、二体。咄嗟に避けた方向はフローズとは逆方向で、石造りの壁の間を縫うように走りながら彼女の名を呼ぶ。通信機からの応答が入った時には、ユーリスの背を追う狼は四体に増えていた。
『無事よ! こちらにも四体いる!』
「合流しよう、君じゃ倒せない!」
『ならあなたは八体も同時に相手できるの? 私でも時間稼ぎなら出来る、任せて!』
通信が切れると同時に牙を剥いて飛びかかってきたモノに回し蹴りを食らわせ、入り組んだ路地へと入り込む。壁を蹴って追ってくる三匹のモノ、前方には例の怪花。花が身をくねらせたのを見計らって、ユーリスは後ろを振り返った。ちょうどモノの額に見えた移動式コアを狙い突き、その悲鳴も聞かずに二匹目を薙ぎ払う。三匹目、突進してきた狼の牙に刃を噛ませ、腹を蹴り上げた。再び振り返れば、花から噴射された溶解液が迫る。ユーリスは転がり身悶える狼を躯体を持ち上げ、溶解液めがけて放り投げた。
溶解液はコアごと機体を溶かし尽くした。残ったのは異臭と黒いオイル、電子音の絶叫。あの怪花は機械獣よりも
「わあ、すごいね。そんな使い方する人はじめて見た」
「そりゃどうも……!」
追いついたケルベロスはふわふわ漂いながら呑気に声を上げていた。彼女は宣言したとおり全力を出していない。また路地裏に逃げ込むユーリスを見ても、それを尻目に花を撫でているだけだった。
ユーリスは少し離れた路地裏に身を隠した。二人組の軍人が双子の片割れと戦っているのか、銃声と喚き声がすぐ近くで聞こえる。先程攻撃を食らわせたモノは、透視で見る限りユーリスを見失い探し回っているようだった。動体検知型なのだろう。奇襲を仕掛ければ倒すのもそう難しくはない。フローズの援護に向かうためにも、と腰を上げた時だった。
「うわっ!」
まさに降ってきた。足でも滑らせたのか、少し高い瓦礫の上からすっ転ぶようにして落ちてきた人間を見て、ユーリスはつい声を上げてしまった。ああくそ、と頭から被った石やら砂やらを払い、打った脇腹を擦っている彼の癖毛には見覚えがあった。
「おいバカ兄! またドジやりやがって、今度こそおっ
「よそ見はだめ〜!」
「うるせえゾンビ犬! さっさとボロ小屋に帰りやがれ!」
瓦礫の上からひょこりと頭を覗かせ怒号を浴びせる男。あの長髪も見たことがある。
「呪われてるからそう簡単に死なないって」
「君、前に教会前で声をかけてきた……」
青年のじとりとした目が見開かれる。間違いない。整った眉を動かして、彼は溜息を吐きながら起き上がった。
「出たな一匹狼……まだ五体満足?」
仏頂面を隠すことなく、パーマのかかったような、ふわとした頭を乱雑に掻く。その言い草にユーリスはついむっとした。
「彼女と組んだから、なんて嫌な噂流さない方がいいよ」
「先輩に説教? 能天気そうな顔してるけどほんとにそうなんだ。いい度胸してるね。噂じゃなくて事実なんだけど。フローズに関わったやつは本当にろくな死に方しない――」
突然跳ねたように青年がユーリスの頭を思いっきり掴み、地面すれすれまで押し付けた。あまり急だったので近距離の銃声すらはっきり聞こえた気がしなかった。
「死んでるくせにヘッドショット狙うとか、なんか生意気」
青年に急かされ立ち上がったユーリスが目にしたのは地上軍の軍服を纏い、こちらに照準を合わせる男。その胸はおびただしい血糊で汚され、顔には生気がなく白目を剥いている、ぞっとする出で立ちだった。ユーリスと青年が路地を逃げ回っても、男は操り人形のようなおよそ人間ではない動きで追跡してくる。
「何なんだあれは……」
「本気で言ってる? あんたも軍人になったんなら魔女の資料ぐらい目通しときなよ」
「そこまでのデータベースのアクセス許可がまだ下りてないんだって!」
「許可ぁ? なに
「そんな無茶な――」
突如響き渡ったのは壁が打ち砕かれたような轟音。
「てめえらはアホか! 戦場でしょうもねえ喧嘩してんじゃねえぞ能天気ども!」
背後の開けた道から砂塵と共に飛び出して来たのは先の長髪と、双子の魔女。ケルベロスはなおも無表情だったが、傍らの少年然とした魔女――オルトロスは哄笑をやめず浮遊して追ってくる。ユーリスも青年も堪らず情けない声を上げて、長髪男の前を必死で駆けた。
「ちょっと……わざわざこっちに連れてくる馬鹿がどこにいるわけ?」
「一人に二匹の相手させるお前の方が馬鹿だろが!」
「そーだよねー! 僕らを一人で倒せるわけないでしょ、おバカさん!」
「ねー、おばかさんだね」
オルトロスはおかしさを抑えきれないと言った様子で肩を震わせながらくすくす笑っている。双子らしくケルベロスと同じ髪色をショートカットにし、一方で鏡合わせのように青い瞳は右が四白眼だった。
「ね、ケリー、面白いからこのままずっと追っかけちゃおっか!」
「いいよ。本気出さなくてもいいもんね」
「ってなわけで、お兄さんたち! 僕らが鬼だから頑張って逃げてねー!」
「こういうのをカオスって言うんだよなあ」
「だから嫌だったんだよこいつらの相手すんの! 一匹叩けばもう一匹手ぇつけられねえバケモンが出てきやがる!」
嫌気全開で面倒そうな顔の癖毛男と、引っ切り無しに文句を言い続ける長髪垂れ目の男。やはり生粋の亜種だけあって、ユーリスには追いつくのがやっとだ。
「おいあんた、魔女の娘はどうしたんだよ!」
長髪男に大声で問いただされて、ユーリスは萎縮する。
「は、はぐれちゃって……」
「はぐれたぁ!? ったく新人はこれだから!」
フローズの居場所は分かる。マップを見る限りは無事なようだが、どう考えても退っ引きならないのはこちら側だった。相も変わらず楽しそうに追いかけては先回りする魔女二人と、意表をついて現れる怪花や銃を構えた死体のような軍人たちに挟まれ続ける。
「どっちでもいいから早く何とかしてよ、この状況。俺もう疲れた」
「こんなこと言ったらあれだけど、魔女相手は本業じゃないんだよ……」
「なんだそりゃ、じゃあ機械相手なら本気出すのかよ!」
「そっちのほうが得意ってだけの話!」
加えて前を走る亜種の全力疾走ときたものだから、ユーリスも流石に
「ねえ、モノ相手なら本気出してくれるの?」
本気というより本領発揮が正しいが、と頭が回らなくなってきたユーリスはなんとなく考えていたのだが、長髪のほうは露骨に嫌な顔をしている。
「やべえことを考えてる顔だ。ついに今日が命日か……」
「うるさいよ。ねえ、どうなの? やれるかやれないかどっち?」
「分かった分かった! そこまで言わなくたって俺に出来ることならやるよ!」
いよいよ投げやり極まったユーリスは咄嗟に声を上げてしまったが、理解の追いつかないうちに癖毛に腕を引かれる。
「なに!? ちょっと!」
「ロキ、後は頼んだ」
大通りを逸れ狭い裏路地をなおも走る。二人を追ってきたのはケルベロスだったが、住居の屋根に登った長髪男が彼女に斬りかかって魔女を双方堰き止めたのがかろうじて見えた。
『おい、まじで俺の命日にする気か!?』
「骨は拾ったげるから恨むなよな」
ロキと呼ばれた長髪はまだ何やら喚いていたが、癖毛――ホログラムの表示から、こちらは恐らくシリウスという名だろう。彼はいやに真剣な顔つきでだんまりを決め込んでいる。
『一人で僕らに勝てると思ってるの? もしかして英雄気取り?』
『笑わせやがって! 俺は英雄って言葉がこの世で一番嫌いなんだよ!』
微かに拾われた中性的で幼い声、青年の一層大きくなる怒声、地を蹴る音。吹き荒ぶ熱風を掻き分けるようにして、ユーリスはシリウスを見失わぬよう路地を疾駆する。
「一体どこに……」
「少し先にある廃病院。いつもは狼型モノが巣食ってるんだけど、今は半数があの双子魔女の援護に回ってる。深部に潜り込むなら今だ。こんなチャンス二度とないかもだから、一緒に来てよ」
「あいつを置いていってもいいのか!?」
「そう簡単には死なないよ。俺と一緒で呪われてるから」
見えるのは亜種にしては華奢な背中ばかりで真意は読めない。それきりシリウスは押し黙り、廃病院らしき荒れるに任せた建物の前で、やっと立ち止まった。教会のような外観だったが、窓ガラスは割れきり石造りの壁にも数え切れないほど亀裂が入っていた。
「あんたならあそこのモノたち、蹴散らせるよね?」
少し肩で息をするシリウスが、玄関口の先でぼんやり光る濃桃色の光を指差す。先程見たものと同じ、狼型のモノが辺りを見回るように跋扈していた。
「あの先に何が……」
「
シリウスは食い気味で、はっきりと呟いた。暗がりの院内を真っ直ぐ見つめる瞳には、先までのちゃらけた色はない。ただ事ではないなとユーリスが直感した時、ふと通信機からジリとノイズが聞こえた。
『モノはなんとか撒いたわ。あなた、シリウスと一緒にいるの?』
緊迫から半端に解放されたためか、フローズは溜息混じりに早口で喋りきった。ユーリスは傍らの青年を横目に口ごもる。
「それが……」
シリウスもロキも、魔女の娘を敵視している。その逆も然りだろう。シリウスはじっとユーリスを見るばかりだった。フローズに話しても良いものかと思いつつもいきさつを話したが、返って来たのは意外な言葉だった。
『あなたはどうしたい?』
一つ思ったのは、試されている、ということ。ユーリスが真意を汲もうと黙っていても、フローズは何も言わないままだった。
「……協力する。俺の力が誰かの役に立つなら、なんとかしたい」
『そう言うと思ったわ』
呆れたような、それでいて納得のいったような声。彼女はきっと笑っているとそう思えた。
『彼の願いを叶えてあげてください。魔女は私たちで止めてみせる』
「殿下、ちゃんとロキの援護できる?」
『……甘く見られたものね。そんな無駄な問いかけ、二度と出来なくさせてやるわ』
「ま、お姫様はそれぐらい気が強いほうがいいんじゃない?」
シリウスが通信に割り込んできた途端にフローズは語気を強めたが、彼は綽々とした嫌味を返している。ロキからの通信は戦闘の激化で聞こえづらかったが、声の端には妙な高揚を滲ませていた。
『ったく、これが上にでも下にでも知られりゃとんでもねえことになるな……新入り、殿下は責任持って守ってやる。だからお前も兄貴を死なすんじゃねえぞ!」
「君たちフローズのこと嫌いなんじゃ……」
『訳ありなんだよ! 話は後だ後!』
当然の疑問を即座に撥ね付けられて、通信は途絶えた。あ、切れた、と呑気に呟いたシリウスは、一昔前の携帯電話――スマートフォンという代物だったか。それを懐に仕舞い込みユーリスに一瞥をくれる。元の調子に戻ったのか、その顔は皮肉るような薄ら笑いになっていた。
「やっぱりお人好しだったか。俺の目に狂いはなかったってわけだ」
フローズとロキがあの双子魔女相手に耐え凌げるか未だ気がかりであったが、シリウスがようやく剣を抜いたので覚悟を決める他なくなる。
「三階B棟、308号室。モノは多分七体。そこまで俺を連れてって」
シリウスはまた真剣な面持ちでじっと廃病院を見上げた。
「じゃ、臨時バディってことで。よろしく、お兄さん」
「……よろしく。道案内は任せるよ」
表情も声色もころころと入れ替えて、彼は端麗ながら意地悪っぽい笑みを寄越してくる。灯りの乏しい廃墟に足を踏み入れながら、ユーリスは柄を強く握り直した。
温く刺々しい風が真正面から吹きつける。ごうごうと気味悪く吹き荒び反響する風音は、さながら奈落を嘆く群狼の遠吠えだった。
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