Karma03:泥梨を這う獣たち(3)


 いまだ陽は高く、爽やかとも言える陽気に似つかわしくない喧騒であった。王都を囲むように引かれた水路を渡る際には、橋の上で王都に逃げ込む人々に押し返されそうになった程だ。

 地上軍は王都近郊の要所に防衛ラインを設けているが、全ての魔女を押し止めるのは不可能に近い。王都に逃げ込んだところで生き残れる保証などないのだが、それでもより遠くへと走る。生存本能に抗う理由も術もないのだろう。そう他人事のように思いながら、ユーリスは防衛ラインの第二陣として第八都市ウトパラへ向かった。

「第八都市、エリア47のゲートか……」

 現存しているゲートの中では王都から離れている方だが、高速飛行を可能とする魔女には些細な距離差である。

「避難は進んでるのか」

「第二都市や第三都市方面への経路は全て開放されたわ。王都北東の人たちはそちらまで逃げ切れるでしょうけど……先日は魔女の王都への侵入を許した。今回は意地でも止めないと」

 ユーリスの隣を走るフローズの声は確固たる決意の下に発されていた。一国の姫としてか、一人の軍人としてかは分からないが、彼女はいつの時も人間を守ろうと必死であった。どんな悪意を、好奇の目を向けられようと、歯を食いしばりめつけながら、最後の最後にはふと笑うのだ。彼女は今日の日も変わらず、まず他を案じた。ユーリスは常々彼女に、心底がざわつくような憐憫を抱いている。

「西部は故郷に留まりたいと頑なに動かなかった人々が多いわ。王都から離れれば離れるほどに……第八都市の人たちは、地を守るという信仰心に支配されている」

「瘴気か……」


 第八都市には毒性のある風が吹く地域があった。主に熱病を発症させるという研究結果が出たが毒の出処は分からず終いなせいで、精神汚染を引き起こすやら不治の病に侵されるやら、物騒な噂が未だに流れている。環境汚染説、感染症説もあれば呪いだの祟りだのと非科学的に解釈する者もいたが、この地に住む人間は不思議と耐性を持ち合わせていて、山から降りてくるとされる未知の風と、風が吹き荒れるこの地を神聖視していた。地上で一般的とされる「神教」とはまた違う、異境の信仰。


「俺たち神教徒には分からないものがあるんだよ、ここの人たちには」

「……本当に、神って、一体何なんでしょうね」

 ユーリスはフローズの顔色を伺ったが、彼女はそれきり何も言わなかった。


 エリア10番台を抜け、20番台に差し掛かった時には既に風が激しく重苦しいものに変わっていた。毒性の風、俗に言う瘴気だ。砂漠の都市らしく砂塵が舞う中、十人中五人の魔女がエリア30番台の防衛ラインを突破したとの通信が入った。交戦も時間の問題だろう。

 次第に例の女の声がサイレンのように頭に鳴り響き、ユーリスは顔をしかめる。戦え、そして勝ち残れ。この苦海を生き抜くために。

「まったく、毎度毎度しつこい」

 フローズがそう独りごちて自分の頭をこつんと叩いた。そういえば、とユーリスは過去に意識を飛ばす。あの廃ショッピングモールでも、フローズは同じように独り言を呟いて頭を小突いていた。

「もしかして君にも聞こえてるのか」

「何の話?」

「これから魔女やモノと戦うって時に聞こえないか? なんというか……ノイズの混じったような、女の人の声が」

「……嘘」

 傍らを走るフローズは目を見開く。

「だって、誰もそんなの聞こえないって言ってたのに。スコールも、ヴィトも」

「何だって……?」

 自分だけに聞こえていると思いこんでいた。他人も聞こえているのならユーリスの認識は間違っていたことになるが、このように限定的な現象となると奇妙な話だ。 


 フローズが急に足を止めたので、ユーリスも慌てて立ち止まった。白い石造りの住居が立ち並び、何か民族の紋様のようなものが描かれた布が閃く街。風の吹き荒れる音だけが聞こえる閑散とした地であったが、確かに人の気配は感じられた。あまりに不気味な静けさに、既にフローズは深呼吸で頭を切り替えてしまったようだ。

「長居は禁物よ。少しでも体調に変化が出たら、すぐに――」

 その時、物陰から飛び出してきた影があった。幼い少年は、手に何かを握りしめて、鬼のような形相で腕を振りかぶる。

「フローズ!」

 ユーリスはフローズを庇おうとしたが、彼女はそれを逆に制止した。ユーリスの腕を引っ掴んで後ろに追いやった彼女は頭を一瞬仰け反らせていたが、ゆっくりと顔を上げる。

「でてけ! まじょのむすめ!」

 少年が肩をひくつかせながら鼻水を啜っていた。大粒の涙を流しながら口を引き結ぶ彼の顔からは憎悪と恐怖が見て取れる。恐らく、フローズは石を投げられ顔に食らったのだろう。彼女は何も言わず、ユーリスからはその表情は窺い知れない。

 するとすぐに同じ物陰から、民族衣装と思しきローブを被った女性が飛び出してきた。少年の母親と思しき女は、口の端を震わせて子を抱きしめながら、鬼気迫る目をじろりとこちらに向ける。魔女の娘に激情が向けられるその瞬間をユーリスは初めて目の当たりにした。彼女に向けられる感情は悪意ではなく怯えと行き場のない怒りだ。彼らは己の正しさを盲信していて、その正当性を地上という国家が保証するのだ。

 踵を返して隠れようとする親子を前に、なぜ彼女がこんな仕打ちを受けなければならないのだ、と叫び出しそうになるのを必死で堪えていると、フローズが弾かれたように顔を上げ飛び出した。

「下がって!」

 フローズに突き飛ばされた親子は一瞬何が起こったのか分からないといった顔をしていたが、すぐに母親が悲鳴を上げた。親子がいた場所は焦げのように黒く抉れていて、奇妙な煙を燻らせている。頭上で蠢く影に、ユーリスは目を疑った。

「花……?」

 毒々しい紫色の花弁はまだいい。雌しべがあるべき場所に歪な歯、涎のように垂らされる溶解液。そして何より人間を有に超える巨体が、住居の屋上に陣取り揺れていた。

「早く逃げなさい、母親でしょう!」

 フローズの叫声に呼応するように、女は子を抱いて駆け出していく。その様子を花が奇妙にも、さも目で追うように花弁を動かしていた。その怪物の横に、何処からか少女がふわりと降り立つ。


「こんにちは」


 ベージュの長い髪を高く二つに結った、裸足の少女。桃色の双眸が開かれた時、感じるのは得体の知れぬ不安であった。その左目は、幼く愛らしい顔に似つかわしくない、飢えた獣の如き四白眼。

 ユーリスは剣を構える手に力を入れたが、少女――魔女は通信機で誰かと話しているようだった。

「ねえオルト、お兄さん見つけた。どうしよう」

 フローズがユーリスの方ににじり寄ってきても、魔女は何もせずただただ二人を見つめながら、首から下げた通信機に話しかけている。

「……ケルベロスよ。必ず双子の姉妹と一緒に行動している。気をつけて」

「俺を探してたみたいだ。目的は分からないけど、場合によっては君が切り札になるかもしれない」

 フローズは微かに頷いた。そこで初めて気づいたが、彼女の額は投石によって切れていて、少しの血が流れていた。

「ねえ、お兄さん。が怒ってるよ」

 少女らしく細く高いが抑揚のない声。風に揺られる髪と、静かなまばたき。表情からは一切の感情が伺えない。

「陛下って……ヘカテーのことか。どうして」

「……何でだっけ? 忘れちゃった」

 ケルベロスは手枷の鎖を手で弄りながら、間の抜けた答えを返す。

「聞きたいことがあるの。魔女を見なかった? 蜂蜜みたいな色の髪で、ええと、メロンソーダみたいな目の色で、銃を持ってて……リュカオンっていう子」

「前にも聞かれたよ。案外、仲間意識が強いんだな」

「ちょっと、呑気に話をしてる場合……?」

 フローズが少し苛立ったように咎めてきたが、ユーリスはそれを小声で制した。

「珍しく素直に物を話してくれるタイプだ。魔女の、ヘカテーの目的が分かるかも知れない」

「目的って言ったって、人間の殲滅以外に何があるのよ」

「……俺には、奴らの目的が本当にそれだけとは思えない」

 案の定フローズは怪訝な顔をした。ケルベロスは傍らの怪花を、犬の頭でも撫でるかのように触る。防衛ライン突破時に怪我でもしたのか、そのか細い腕からは血が滴っていた。

「お兄さん、知ってる? 狼って群れで狩りをするの。でもね、たまに群れない子がいて……一匹狼っていうんだけど、その子は他の群れを襲って乗っ取ったりするんだって」

「裏切りを恐れてるのか?」

「裏切られても別に気にしないよ。ただ、生きてたらだからって、へいかが言ってた」

 よしよし、と自分より一回り大きな花を撫で続けている彼女には、警戒心というものがおよそ感じ取れなかった。

「そのリュカオンって魔女を探し出して始末するつもりなのかしら。何か持ち出されてはまずい情報を握っていたりとか」

 どうだろうか。リュカオンは地下軍でも末端の一兵士に過ぎないと言っていたし、彼女がユーリスに話した地下の情報もこれといって意外なものや重要そうなものも無かったように思う――彼女が嘘をついていなければの話だが。

「あるいはその魔女自体に秘密がある、か……」

 推測の域を出ない。ヘカテーはただ不安分子を排除したいなのだけかもしれないが、事はそう単純ではない気がしてならなかった。リュカオンを発見する契機となったあの得体の知れぬ感覚が全身で燻っている。

「知らないならいいや。……何か他に言わなきゃいけないことがあった気がするけど、忘れちゃった。今日はね、本気出さなくてもいいってへいかが言ってたの。……ケリーは番犬、苦しみの海から逃げる人を食い殺すさだめ」

 ケルベロスがスカートについた砂埃を払った瞬間、彼女の髪を結う黒いリボンに濃桃色のネオン光が浮かび上がった。


「でも今日は、ちょっとだけやさしくしてあげるね」


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