Karma02:遠雷が聞こえる(8)


 エリア31への駐屯は一週間で終わった。モノとゲートの破壊を成し遂げても、基地の軍人たちは祝杯の一つもあげようとはしなかった。軍でさえ手間取っていた相手をたったの一日で片付けてしまう、ユーリスの異能はより化け物じみていると、基地内部でも囁かれているのが聞こえてきたものだ。魔女の襲撃は一度もなく、帰還命令が発されると共に四人は王都へと戻った。保護した子供たちは一足先に王都へと送られていったが、その後どうなるかまではユーリスたちには知らされなかった。


 ここしばらく悪天候が続いていて、雨が止んでは降りを繰り返している。雨がぬかるみきった地面をしとしとと叩く中、ユーリスは王都を出て中央区の住処へと向かった。雨のせいか身体中の傷の痛みがぶり返していて、何度も立ち止まってしまう。

 人一人寄り付かないような街外れ、森の奥にある小屋で、蝋燭の光が微かに揺らいでいた。ドアノブを回すと、きい、と錆びついたような耳障りな音がして、中の人物は火に照らされた顔を見せる。

 この世のものとは思えないほど美しい銀髪が、灯りの揺らぎの中で浮かんでいた。火によって一層色を濃くした焼け付くような紅い瞳が、じっとユーリスを見据える。彼の頬や腕にガーゼが見えたのが心配らしく、椅子に座ったままの女性は唇を動かした。

「あなたも酷い怪我ね」

「治りかけだから大丈夫だよ」

 女性はふうと息をついて、目の前のベッドに視線を落とした。

「具合は……」

「容態は安定しているわ。出血は酷かったけれど、予想以上に治癒力が高い」

 傍らの台に置かれた乳鉢やガーゼが、ネメアの持ち込んだ鞄の中に直されていく。代々、薬の調合師を生業とする一族の生まれであるネメアは、医療が発達してからも薬草や動物の一部といった材料を使う一族代々の手法を守り通していた。ユーリスも子供の頃から彼女の調合した薬に何度も世話になったが、不思議なことによく効くのだ。時代錯誤と何度言われようと、大っぴらに商売ができなくなってしまってからも、今も古くからの知人の伝を使って細々と生計を立てているらしい。

 ネメアが絶えず気にしている横のベッドには金髪の女性が横たわっていて、じっと目を瞑ったままだった。

「……本当に、また会えるなんて思ってなかった。あなたからの知らせを受けた時は嘘なんじゃないかって」

 ネメアは眠っている女の頬に手を当てて、懐かしげに目を滲ませている。ユーリスはスコールと再会したあの日、この住処に着いた時に血の臭いを嗅ぎつけた。血の臭いなんて今やどこでもするというのに、なぜか必死になって辺りを探し回って、この女性が血塗れで倒れているのを見つけたのだ。

 長い金髪、その傍らに落ちていた二丁の拳銃。未だ眠るこの女は、ユーリスがゲート破壊作戦において遭遇した魔女が探していた、魔女だった。

「いざ目の辺りにしても不思議な話よね。私が王都で会った時と全く容姿が変わっていない。あれから二十四年も経ったのに……叔母さんが生きていたら会わせてあげたかった」

 ネメアが幼い頃からずっと口にしていた、昔に出会ったという魔女の特徴をユーリスは覚えていて、この大怪我をした魔女をひと目見た時に確信したのだ。近くに住むネメアに伝えると彼女はすぐに飛んできて、ユーリスが「エリア31」にいる間もずっと介抱してくれていた。


 不意に眠っていた魔女の瞼が震えて、呻き声が漏れる。ネメアは驚いて手を引っ込め、台に置かれていた紙切れをユーリスに寄越した。

「私はもう帰るわ。必要な薬はここにおいていくから、このメモの通りに使って」

「話さなくていいのか?」

「いいの。……もし声を聞いたら、泣いてしまいそうだから」

 ネメアはくるくると巻いた癖毛を揺らして急ぎ足で家を出ようとしたが、扉の前でユーリスに頭を下げた。

「お願い、悪いようにはしないであげて。この人の優しさは誰より私が知っているの」

 だからどうか、と重ねて請うたネメアは、返事も聞かずに雨の降る夜道を走っていった。君の弟に会えた、とユーリスは最後まで言えないままその場に立ち尽くしていると、ごそごそと毛布が擦れる音がして、目覚めた魔女がゆっくり身体を起こした。彼女はユーリスが横に立っているのを見て、小さく悲鳴を上げて固まってしまった。

「大丈夫だ、何もしない」

 ユーリスは腰に帯びていた剣を後ろの壁に立てかけて、両手を上げる。魔女はしばらく怯えて呼吸を荒くしていたが、一度息を大きく吸った。

「……どうして助けたの」

「あんな酷い怪我をしてる人を放っておけない」

「女が倒れてたら魔女かもしれないって、人間は疑わないの?」

「君が魔女だということは初めから分かってたよ」

「だったらなぜ……」

「君が生きるのを願っている人がいる」

 彼女はそれきり黙った。自分に施された手当の跡をじっと見て、頬やら腕やらをしきりに触って確かめている。一週間で治るような怪我ではないはずなのに大して痛がっている様子もない。知ってはいたが魔女の治癒力は驚異的だ。

「何だか懐かしい匂いがするわ。このツンとした薬の臭い、ずっと前に友達が作ってくれたものに似ている……」

 魔女はそこでユーリスを一瞥して、悟ったようにまた黙る。

「地下に帰るなら、近くのゲートを教えるけど」

「……帰りたくないって言ったら笑う?」

 眉を下げて、彼女は力なく笑った。視線を落として彼女は続ける。


「帰りたくないの。女王陛下は……ヘカテーはもう偉大なる王でも何でもない。ただの暴君よ。人間は敵なんかじゃない、殺したくなんてない。ヘカテーにも、彼女に従う魔女たちにも賛同できない。自分の意思を曲げてまで地下にいたくないの」

 魔女は長い髪を肩から零しながらベッドから抜け出てくる。全てを諦観したような鮮やかな緑の瞳が、蝋燭の火に照らされていた。

「ごめんなさい、もう出ていくわ。あなたに迷惑はかけられないから」

「行くあてはあるのか」

「…………」

「地上で魔女が一人で行動するのは危険だ。君の顔はおそらく軍に割れている。まだ完全に傷が癒えてない君が彼らを退けられるとは思えない」

 魔女をここまで追い詰められるとしたら、恐らく亜種だろう。ネメアも剣による傷が酷かったと言っていた。討伐の一歩手前で見失い、彼女は逃げ延びることが出来たのか。その亜種がまだ生きているなら間違いなく顔は覚えられているし、軍のデータベースにこの魔女の情報が揃っていても不思議ではない。

「君さえよければここにいたって構わない」

「私は魔女よ。全部演技だったらどうするの。明日にも気が変わってあなたの寝首を掻くかもしれないのに」

「君から僅かでも敵意を感じていたなら、俺だってこんなこと言わない。君が生きるのを願っている人がいる、だからこんな提案をしているんだ」

 ゲート破壊作戦で出会ったあの魔女を前にした時のように、頭の中の女の声は聞こえなかった。命に危険が迫ると語りかけてくる女の声は、今やユーリスの行動の指針にもなっている。この魔女も人間に対する明確な敵意を持っていないようだった。魔女は丸い目を瞬かせてから、急にすとんと腑に落ちたように気を抜いて、ユーリスに微笑みかけた。

「……あなたによく似た人を知っているわ。だからかしら。……ええ、きっと、あなたは本心からそう言ってるんだと思う」


 お言葉に甘えてしまってもいいかしら、と彼女が差し出した手には、最近出来たものではなさそうな細かい傷跡がいくつか残っていた。同じように笑顔で手を差し出してくれたフローズが思い出される。ユーリスはまた逡巡しながらも、細くて少し皮膚の硬い魔女の手を握った。

「私はリュカオン。しがない整備士で、元地下軍属の魔女よ」


 遠雷が響いた。風が強くなり雨が窓を叩き始める。リュカオンが言った、ユーリスによく似た人。彼はその人物が誰なのか検討はついていた。その人に憧れて、頑なに自らの意思を貫いて生きているつもりでもなかなか上手くはいかないものだ。


 隙間風で揺らぎを大きくする灯りの中で、ユーリスは守るべきものが増えすぎた左手をきつく握りしめていた。

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