Karma02:遠雷が聞こえる(7)


 ヴィトニルは案外簡単に見つかった。フローズと一緒にあたふたとショッピングモールの内部と周辺を走り回っていたのだが、五分もせずにスコールから見つけたという連絡が入って、一気に肩から力が抜けた。

「どこに行ってたの! 離れるならちゃんと誰かに伝えてからにするようにって教わったでしょう!」

「だ、大丈夫ですよ、あちこち擦りむいたぐらいですから」

 そういう問題じゃない、とフローズは泣いて怒って、弟を抱きしめていた。ヴィトニルが言う通り彼に目立った怪我はなく、合流した時は心外だとでも言うように仏頂面だった。姉があまりにも泣いているからさすがに悪いと思ったのか、口を尖らせてごめんなさいと呟いている。大事にならなくて良かったという思いで姉の腕の中で固まっているヴィトニルを見ていると、彼はまた不機嫌そうな顔に戻る。

「なんだよ、別に逃げたわけじゃないぞ! 戦略的撤退だ!」

「それを逃げと言うんですよ、殿下」

「うるさいな! お前も半笑いで見てるんじゃない!」

 指を差されてユーリスは余計に笑ってしまった。それからもしばらくヴィトニルの文句が続きそうな勢いだったが、彼は急に口を閉ざして、入道雲が広がってきた北の方角に顔を向けた。

「どうしたの?」

「子供が泣いてる」

 ユーリスもそちらを向いて耳を澄ませたが、冷たくなってきた風の音がするばかりだった。だがスコールは靴底を鳴らし、ユーリスに目配せをして北へと歩き出す。

「お願い。私たちが助けてはいけないの」

 魔女の子だから、と続けたフローズからは歯痒さが滲み出ていた。ユーリスはただただ頷いて、スコールに追いつくよう走った。

 スコールは攻撃の激しい機械獣モノの人型部分と交戦していたためか、ユーリスたちよりも傷が多くあちこちに痛々しいほど血がこびりついている。彼は痛いと言いはしなかったが僅かに足を引きずっていた。ユーリスは気遣って声をかけはしたが、問題ないの一点張りだった。


 最初こそ何も聞こえなかったが、荒地を一歩一歩進むごとに少しずつ泣き声が聞こえ始め大きくなっていく。まだ小さな子供の声だった。スコールが立ち止まった場所は小さな家屋が集合している地区で、その殆どは屋根や柱が崩れおよそ人が住めないものとなっていた。熱された空気に腐敗臭が充満している。そこかしこに人が倒れていて、生死など一目瞭然だった。

 凄惨な住宅跡地を歩き回っていると、家屋の物陰の下でまだ十歳ぐらいの少女が、腕をいっぱいに広げてもっと小さな子供を抱きあやしているのを見つける。薄いワンピースの裾はぼろぼろで、身体のあちこちに瘡蓋が出来ていた。少女はユーリスとスコールを目に留めると驚いた顔をしたが、スコールの服を見て「軍人さん」と小さく零した。

「親はいるか」

 スコールの声は出来る限りの優しいものだった。女の子はふるふると首を振って、くりんとした大きい瞳に涙を溜め始めた。堪らえようと口を震えさせていたが、すぐに堰が切れて大声で泣き叫ぶ。

「あたしがっ、あたしが帰ってきた時には、もうおうちが壊れてて……マヤだけ、マヤだけが……」

 少女は腕の中で泣いている妹と思しき子供の名を繰り返し、わんわんと泣き続けた。スコールが言うには、この辺りは一週間ほど前に魔女が襲撃した区域に一致するそうだった。ということは、この少女は妹と一緒に死体だらけの故郷で暫くの間過ごしていたことになる。

「軍が見回りに来たはずだろう。なぜ保護してもらわなかった」

「だって、だってお母さんとお父さん、生きてるかもって……でも……」

 少女が見やった先には崩れた民家があった。散乱した煉瓦片と地面は赤黒く染められていて、少女は腕の中の妹と共に一層大きく泣き喚く。

 スコールがフローズとヴィトニルに二人の子供を保護した、と通信を飛ばしている間も、ユーリスは胸が締め付けられる思いに支配されていた。自分がいない間に何もかもが変わってしまったことへの絶望。何もできなかった己への嫌悪。少女を慰める言葉は見つかるはずだったのに、何一つ浮かんでは来なかった。ユーリスはあの頃の自分に慰めの言葉などかけられた試しがなかったから。


 夕暮れまでには「エリア31」の拠点に戻れそうだった。ユーリスとスコールは奇跡的に生き延びた二人の子供を連れて、日が傾きかける中を歩いていく。今まで安全の保証されない場所で気を張り詰めていたからか、子供たちは二人の背で寝息を立てている。

「あいつらは元気か」

 不意にスコールが尋ねてきた。あいつら、というのはユーリスとスコールの共通の知人のことだろう。二人がかつて住んでいた集落は小さかったが、代わりに結束は固く子供たちはみな仲が良かった。ユーリスは真実を話すか、嘘で塗り固めるかを悩む。どちらもスコールのためにならないと分かっていても「ああ」と呟いた。

「相変わらず、お前は嘘を吐くのが下手だな」

 きっとそう返されるだろうと分かってはいたのだ。嘘は見抜かれるものであって、ユーリスは幼馴染たちの中でも特に嘘を吐くのに向いてないだとか、散々なことを言われた記憶がある。もう戻れない、昔の話だ。

「守ったつもりでいたのに、何も守れていない」

 横目で見た彼は、目を閉じて口の端に乾いた笑いをたたえていた。

「俺はどうしたらよかったんだろうな……」

「……俺も分からないんだ」

 風が強くなってくる。鳥も虫も泣くのをやめて、じっと息を潜めている。

「過去に戻れたらどんなにいいだろうって、ずっと思ってる」

 俺は、とスコールが口を開いて、一度黙った。

「きっとはずだと信じているんだ」


 遠くの空から低い轟音がした。雨がぽつぽつと地面を濡らす前に、帰ろう、とユーリスは言葉を絞り出した。夢を見ている彼は、スコールの言葉を夢物語と笑うことはない。だが叶うかどうかを問われたなら――叶わないから、ユーリスは誰かが許しても自分が許さない罪を背負って、永遠に許しを請い生きていくのだと決めていた。


 王都の方角には相も変わらず巨塔が聳え立っている。天辺に鎮座し輝く極彩の宝石。お前が神だというのならば、どうか背で眠るこの子らが共に生き続けられるよう、運命でも何でも捻じ曲げてくれと、ユーリスは願った。

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