Karma02:遠雷が聞こえる(6)


「声を上げるなよ。あいつら、耳は悪いけど大声を出せばさすがに反応するぞ」

「……魔女だな」


 ユーリスはそう口にする前、開いていた通信を咄嗟に遮断した。謎の人物はユーリスを攻撃してくるわけでもなく、機械獣モノの特性を知っているかのように微動だにしない。余裕ぶった振る舞い、纏う雰囲気も人ではない。だが敵意も感じないのは妙だった。現に、今までうるさいほど同じ文言を繰り返していた脳内の女の声も、この魔女を前にしてからだんまりを決め込んでいる。

「君たちを殺しに来たわけじゃない。個人的な用事で地上に来ていたんだが……そうだ、この際人間でも構わない。君、リュカオンという魔女を知らないかな。長い金髪で、二丁の銃を持った魔女なんだけど」

「……いいや」

「そりゃあ残念だ。先日の戦闘から行方が知れなくてね」

 何から何まで真意の汲み取れない相手だった。魔女だから女性なのだろうが、人によっては男のようにも聞こえるであろう声。魔女はユーリスの心を見透かしているかのように、くくと喉を鳴らす。

「でも無駄足ではなかったかな。面白いものを見せてくれた君たちにいいことを教えてあげよう」

 魔女は初めて腕を動かし、細い指でジェスチャーをしてみせる。遠くの方で触手が単調な電子音を立てた。

「焦りは禁物だ、まず落ち着いて正常な思考を取り戻せ。いいかい、このモノの核には規則性がある。最初に左に曲がった後、次の角を三つ無視して右に曲がる。その後は二つ無視して左に、次は一つ無視して右に、そして次の角はまたすぐ左に……たったこれだけを繰り返す単純な仕組みだよ」

「何が目的だ」

「人間にも君みたいな変人がいるように、魔女にもいるのさ」

 その時、魔女の背後から差していた陽光が遮られた。数本の触手のシルエットが蠢くが、敵味方の区別がつかないのか最初に魔女に狙いを定めて突進していく。だが魔女は近づいてきた根を片足で思いきり蹴り飛ばした。触手は文字通り木っ端微塵に吹き飛んでいて、その様はただ蹴られた衝撃によるものには見えなかった。

「飼い主の友人の顔ぐらい覚えろよ。全く、とびきり頭が悪いな!」

 魔女は周囲の触手を鉄塊に変えてしまってから、フードを脱いで場に不釣り合いな笑顔をユーリスに投げる。短い緑がかった黒髪、深藍の涼しい吊目を細めて彼女は手を振った。

「じゃあ端くれくん、今日のところはこれで。邪魔しないように別のゲートで帰るからさ。……命が惜しいなら、あまり悪魔の怒りを買わないようにね」

 手をひらひらさせて窓から飛び降りていった彼女を隠すかのように、また触手がまた光を遮ってやってくる。

「はた迷惑な奴だな……!」

 ユーリスは核が三階に着いたのを確かめて、触手が追ってくるのも構わず一直線に走った。あの魔女の助言が嘘か真かは見てみないと分からないが、どうせ自分では答えが出せなかったのならこの際頼ってやろうじゃないかという気になっていた。


 床に空いた一階まで貫くほど大きな穴を飛び越して核を見据える。濃い桃色のネオン光は相も変わらず触手の配線を頻繁に曲がって走り回っている。ユーリスは追ってきた触手を振り返りざまに一本切り落とし、もう一本を引っ掴んで床に叩きつけた。床が揺れるほどの衝撃が周囲に伝わって、また現れた触手がエネルギーを充填する音が聞こえる。ユーリスが自分の外套の端を持ってわざと大きく翻し、動体を誤認して布だけを撃ち抜いた触手の元を切り離した。

 じっと見ていると核は本当に魔女の言った通りに動いているようだった。なぜ彼女が自軍の兵器の弱点を明かしたのか。変人だからと言い訳していたものの、道化じみた彼女の考えを暴こうとするだけ無駄かもしれなかった。だが生死を賭けた場だからこそ、藁にもすがる思いで彼女の言葉を復唱する。触手の猛攻を掻い潜って核とすれ違おうとした時、進行方向を予測し触手の隙間に剣先を突き立てた。

 外した、と思ったと同時に突然視界の上下が反転して、圧迫された喉から変な音が鳴る。一本の触手が足に巻き付いてユーリスを逆さに持ち上げていた。身動きが取れないと一気に不利になる相手だ。ユーリスは勢いよく体を起こして足に巻き付いた触手に剣を刺し抉るように掻き切る。もう一本の触手が蠢いて脇腹を撃ち抜かれくぐもった悲鳴が出るが、着地と同時に痛みを振り切るように走った。

 フローズはしっかりと四階と三階を繋ぐ触手を切り落としているようで、核は四階へのルートを取らず、また二階へ戻ろうとしている。

「次の角を三つ無視して右、二つ無視して左、一つ無視して右……」

 腹の焼けるような痛みを呪文のように唱える文言で誤魔化し、核の進路に先回りする。核に二階に戻られてしまえば一気にこちら側が不利になる。スコールの援護があったとしても人型のいる二階で核を狙うのは厳しい。だからといって三階に戻ってくるのを待てば全員の体力が持たない。

 逃してなるものかと、ユーリスは核が移動する先の触手を切った。すると思った通りに核はすぐに来た道を引き返す。その動きは行く道を再計算したがための規則のリセットによって明白だった。歯を食いしばったまま、安堵の息を吐く。


「左だ!」


 思わず叫んだ通り、核が左へ曲がり次の角へと進もうとしたところを迷いなく、正確に貫いた。核の光が点滅し消滅した途端、触手全体に浮かんでいたネオン光が波が引くように消えていく。光を失った触手は糸の切れた操り人形のように次々と地に倒れ込んだ。

『ゲートの破壊に成功したわ!』

 今までの激闘を嘘にさえしてしまいそうな静寂を、フローズからの通信が破る。モノの動きが止まったことで、ゲートを覆っていた触手も剥がれたのだろう。彼女の声は息こそ切れているが心なしか嬉々としていた。


 その時だった。小石がぱらぱらと落ちる音を聞いてすぐ、音は何倍にも大きくなって、驚いて後ろを見上げるとユーリスのすぐ横の天井が抜け、バランスを崩して瓦礫と共に落下する少女が目に入った。

「フローズ!」

 見開かれた彼女の目を見た時にはもう駆け出していた。天井が抜けた場所はユーリスが先程飛び越えた穴が空いている場所だ。落ちれば一気に一階まで落下してしまう。ユーリスは一、二歩でフローズのところまで飛び腕を掴んで抱きとめて、今までいた三階の床を咄嗟に掴むが、ひび割れたコンクリートが二人分の体重を支えられるわけもなく。

「しまっ……」

 フローズと一緒に声を上げて、そのままどうすることも出来ず、ただ落ちた。背に受けた衝撃は大きく気が遠くなるが、幸いすぐに意識は鮮明になる。一階は触手によって床下まで破壊されていて、芽吹いた花や割れた窓から入り込んできた草の蔦で覆われていた。身体全体が痛むことに変わりはないが、コンクリートの床のままだったらと思うとぞっとする。

 目を開くと最上階まで穴が空いていたのか、恨めしいほど眩しい青空があった。流れる雲を呆けて見ていると、フローズが顔を覗き込んでくる。ああ、そうだ。彼女を守って自分が先に落ちるように背を下にしたから、彼女に怪我がなければいいのだが。

 フローズはしばらく口をわなわなさせていたが、急に堪えきれないといった表情で大きな笑い声を上げた。ユーリスは寝っ転がったまま、彼女が初めて見せる顔に口をぽかんと開けていた。

「ああ、おかしい! 私は亜種なんだから、こんなところから落ちるぐらい全然平気よ!」

「え? ……そうか、思って見ればそうかも……」

 確かに、彼女なら自分よりも上手くこの状況に対応できたのではないかとユーリスには思えた。運動神経はフローズのほうがいいに決まっているし、高所から落ちて怪我した亜種なんて聞いたことがない。フローズは笑いすぎて涙まで出てきてしまったのか、目元を擦って未だ引き笑いながら続ける。

「スコールから聞いていた通り、本当にお人好しなのね。私が花を踏まないようにしていたら、つられて自分も避けてしまうような人」

 彼女が差し出した小さな手で体を起こす。フローズはきちんと座り直してお辞儀をした。傷だらけで血の滲む頬は痛々しく、緩やかな癖毛にもモノのオイルがこびりついていたが、それでも陽光によって真白に輝いていて、光背さえ見えるような気がした。


「教会でちゃんと挨拶ができなかったこと、嫌な態度を取ってしまったこと、謝ります。疑ってしまってごめんなさい。でも今日一緒に戦ってみて……大した話もしていないけれど、あなたを信じてみてもいいかなって、そう思えました」


 魔女の子と呼ばれた少女は本当に、人より人らしい人だった。生まれだけで虐げられてきた少女は、少しばつが悪そうに眉を下げて、それでも気丈な声で一つ一つ言葉を紡いだ。

「私はフローズ・ルヴトー、地上王家の第五王女。でもそんな立場はあってないようなものです。だからどうぞ遠慮なんてしないでね。笑ってしまうぐらいに優しいあなたとなら、良いペアになれる気がするの」


 それでもユーリスはふと思う。もう一度差し出された手を握っていいのかが分からなくなってしまっていた。自分にこの少女の隣に立って戦う資格があるのか、問うても答えが出ない。だからこそ、微笑んで手を握るしかない。「よろしく」の一言も言えない自分のほうが余程薄情だ。

 上を見るとスコールが二階からこちらを見下ろしていた。彼はまた眉間を摘んでいたが、すぐに肩をすくめて引っ込む。ユーリスは彼の口元に笑みが見えたことが何だか嬉しくて、だがひどく後ろめたい気持ちを拭いきれず、少し呼吸が震えたのだった。

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