Karma02:遠雷が聞こえる(5)
ユーリスとフローズが施設の床に転がり着地した瞬間、硬質な黒い触手に濃い桃色のネオン光が線を引いて浮かび上がった。触手の先端が持ち上がり、目玉のようなネオン球を瞬かせ、二人に向かって仕組みも不明な光線を放つ。ぐりんと動く一つ目、背骨のように無数の突起がついた形状、ぬらりとした金属の光沢が一層おぞましい。
入り乱れる光線はユーリスの外套を掠め焦がしたが、彼にとっては慣れたことで、ネオン光の走る装甲の僅かな隙間に剣を突き立て刃を返すと、案外簡単に触手は千切れた。どす黒いオイルが血のように吹き出してユーリスの外套を汚していく。フローズもすばしこく走り回っては装甲の隙を的確に突いていた。分断を四、五度繰り返せば、触手は地に叩きつけられてみみずのように蠢くのみになったが、すぐ最初に切った触手が新たな先端を構築して起動音を立てた。
「一分もせず再生するわね。早く片付けないと消耗する一方よ」
「核を壊さないことには終わらない。もっと広い範囲が見える場所へ行こう」
再び光線の甲高い発射音が響き渡る。床が焼ける臭いは閉鎖空間にすぐ充満した。置き去りにされたアパレルショップや玩具屋、ゲームセンターは根によって破壊し尽くされ、暗さも相まって不気味だ。
フローズについて吹き抜け構造になったすぐ横の廊下を走ると、抜けた天井からやっとまともな光を得られる。触手がずるずると這い二人を追いかけてくる音が焦燥を煽る中、触手の中を走り回っているはずの核を探す。床に張り巡らされた触手さえ不規則に動くせいで足場は悪く、頭の中では「戦え」と繰り返す女の声がサイレンのように鳴り響いたままだ。
『あの本体に見える人型、やっぱり人の形になるように触手を寄せ集めただけみたいだぞ。丸まってるというか絡まってるというか……』
金属と金属のぶつかる音が聞こえる階下から、ヴィトニルが通信を繋いできた。
『人型から出ている触手も他のものと同じだ。つまるところは集合体――移動もできるし攻撃こそ激しい』
スコールも至極冷静に話してはいるが、淡々とした声の向こうでは五階とは比べ物にならないほど光線の音がひっきりなしに続いている。
「……核と本体を繋ぐ触手を切り離せば止まる?」
「モノは本体と核が繋がっていない限り完全には壊せない。短く分断しても本体と一続きじゃない場所に核を追い込んでしまえばそこでまた再生するんだ。でもモノの弱点が核なのには違いないから、核の破壊に専念したほうが確実だと思う」
吹き抜けをつたって四階へと飛び下りると、廊下の先の広場に触手が巻き付いたような異物があった。追いかけて下りてきたフローズもあれがゲートだと分かったようで目と目が合う。二人はひたすらに視界の広い廊下や広場を走っていたが、触手の追跡は止まらず段々と頬や腕、腿に傷が増えていった。あちこちに焼けるような痛みが走る。すぐ横を走るフローズも歯を食いしばっていたが、その表情は鬼気迫るものだった。底知れぬ意地によって驚異を薙ぎ払う彼女に、ユーリスは思わず「大丈夫か」という言葉を飲み込む。
追いかけてくる触手が減っては増えるのを繰り返す中、吹き抜けを挟んだ向こうの廊下を見やると、壁に張り付く根の中に、下方へと素早く動く小さな光をついに見つけた。
「核を見つけた! やっぱり触手の間を移動してる!」
『狙えそうか?』
今度はスコールが通信を飛ばしてくる。核はじぐざぐに走り回って三階へと下りていった。
「難しくてもやるしかない!」
ふと後ろを振り向くと、背後に迫る触手は二本になっていた。廊下の奥の方にはびたびたとのたうち回っているものあったが、再生にはまだ数十秒あるはずだ。ユーリスは踏み出した足を反転させ、フローズが声を上げるのも聞かずに触手の懐に飛び込んだ。一瞬ユーリスの姿を見失った触手が先端をぎゅるぎゅると回転させている間に、一本目の根本を切り捨てる。二本目には照準を合わせられただろうが、側面を力一杯蹴り飛ばしそのまま装甲の隙を剣先で抉った。ユーリスは崩れ落ちる触手を潜り抜けて、すぐ先にいたフローズの手を掴み文具屋と思しき店の角を曲がった。
「動いちゃ駄目だ。あれで撒けたはずだから」
動体感知型はその特性ゆえに、視界の範囲にいても動かないものには反応しない。近距離なら位置を予測して攻撃してくるが、一定の距離をあけて物陰に隠れられれば、追っては来るが巡回体制に入り攻撃を仕掛けてこなくなる。今までモノばかりを相手にしてきたユーリスはそれなりの攻略方法を見出していた。
壁に背を預け息を潜める。再生を終えて角を曲がってきた触手は二本だった。速度を落とし地を這い彷徨う音がやけに大きく聞こえたが、先端を揺れ動かしながらも二人の姿を見つけることはなく、すぐ前を通り過ぎていった。心臓の律動まで見抜くほど高性能ではない機体なのが救いだ。
根が吹き抜けの方へと曲がるのを見送って、フローズは息をついた。
「核は下へ行ったのよね? なら私は四階と三階を繋ぐ触手を切るわ。そうすれば移動範囲は狭まるし、ゲートもすぐに狙える。あなたは真ん中の三階で待ち伏せて上がって来たところを叩けばいい」
「でも一人じゃ危ない」
フローズはまた怪訝な顔をしている。彼女からは呆れが見て取れたが、けれども微かに笑ったようだった。
「心配性ね……言ったじゃない。あなたの予想を超える自信はあるって」
触手の群れの死角を縫って、まだ崩落していないエスカレーターへと駆け抜ける背中。彼女はまだ幼くとも軍人なのだと嫌でも分かった。触手が他所を向いているうちにユーリスは階下の手すりに飛び乗る。やけに静かになった三階につくと、ちょうどスコールがこちらに向かって走ってきていて、「来い」という彼の言葉に従い後を追う。振り返るとばらばらになった無数の触手が倒れ伏していた。
「本体は二階にいる。動きは遅いが二、三分もあれば一階分は移動できるらしい。俺が足止めするから、お前は殿下が言っていた通りここで核が来るまで待て」
動かなければ触手も勘付かないであろう物陰に案内される。スコールは刀の状態を確かめてすぐに吹き抜けへ走ろうとしていたが、ユーリスが違和に気づかないわけもなかった。
「ヴィトニルは?」
一緒にいるはずの少年がどこにも見当たらない。スコールは言われて初めて気づいたような顔をしたが、焦る素振りも見せずそのまま二階へと飛び降りていく。亜種四人で挑んで一人帰らない、そんなヴィトニルの言葉が脳裏を掠め寒気がした。
「おい、探しに行ったほうがいいって!」
『あいつなら大丈夫だろう』
「根拠もないことを……!」
『あるさ』
通信が途絶した。再び階下から激しい音が聞こえ始める。スコールにその気がないのなら、核が来るまでに自分だけでもヴィトニルを探すべきだとは思ったが、壁の向こうでは触手が再生する音がしていて息を呑むしかない。
床下、恐らくは二階の壁を這っている核が透視で視え始めるまで三分もしなかっただろうが、ひどく長い時間が経ったように思える。ひたすらに妙な動きをする核を目で追っていたが、つのるのは焦燥のみだった。
普通のモノであれば配線も然程複雑ではなく、規則性を見破らずとも核を狙うのは容易い。だがこのモノは建物一棟を覆えるほどに巨大で、短距離で核が移動可能な範囲が広すぎる。こうなればともかく核を狙って攻撃する他ないが、無数の手数をほぼ常時展開してくる敵相手にはそれも難しいだろう。
一層激しさを増す階上と階下の物音、ヴィトニルからの応答は全くない。しばらく微動だにしていないのに、心臓の鼓動がやたらと早くなって、胸の奥が冷たくなっていく。
「お困りのようだね、そこな青年」
突然の聞き慣れない声に肩が跳ねた。声の先にはひょろ長い背丈の人影があった。割れた窓からの逆光や深く被られたフードでよくは見えないが、歯を見せてにたりと笑う顔は男とも女ともつかない。だが明らかに見知った人物ではなかった。
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