Karma02:遠雷が聞こえる(4)


「今回の任務は、ここから更に東にあるゲート及び機械獣モノの破壊だ」


 戦前は貴金属を加工するために可動していたという廃工場を元にした基地は静かだった。事務所として使われていた埃っぽい部屋でスコールは地図を広げ、隣接する「エリア32」を指す。「ゲート」とは地上と地下を繋ぐ転送装置で、戦前は交通機関として両種族が利用していたものだった。魔女はこのゲートを利用して地上に現れている。

「世界中のゲートの破壊で魔女の襲撃頻度は減ってきているが、エリア32のゲートは長らく放置されてきた。理由は知っての通り、番人がいるからだが……」

 スコールと目が合う前から、ユーリスも意味を理解していた。ゲートの前には必ずと言っていいほどモノがいる。魔女王の作り出した眠ることなき兵器だ。スコールの隣で、ヴィトニルは腕を組んで唇を尖らせた。

「番人の中でもとびきりよく分からない奴なんだ。一体の人型モノ……というか、あれは人なのか……?」

「体中に長い触手がたくさん生えた人間、或いは触手そのもので出来た人間。例えるならそうとしか言えないわ。触手は建物中に張り巡らされている。調査によれば監視と攻撃を兼ねていて、動体感知型、攻撃は光線系。形状以外はスタンダードな機械兵器よ」

 それまで黙って話を聞いていたフローズが淡々と喋る。抑揚はなく地図に目を落としたままだった。


「ゲートの場所が特定できていないのも理由のひとつだ。戦前は大型のショッピングモールだったが、半分が倒壊している。簡単な調査こそ行われたが、多重構造な上にモノが干渉できる範囲が広すぎて迂闊に近づけなかった」

 スコールが寄越した黄ばんだパンフレットには、かなり広い内観や地図、ショップリストが載っていた。五階建てで中央が吹き抜けになっていて、内部を歩く人の姿が写った写真が載っている。戦前ならそこかしこにあったであろうありふれた商業施設だが、モノの巣窟となった今は見る影もなくなっていることは想像に難くない。

「今までひとつのゲートを破壊するために何人費やしたんだ」

「亜種四人で向かうと一人帰ってこないぐらい? モノにただの人間ぶつけても死体が増えるだけだし」

「ユーリス、お前が言うように核が体内を走り回っているとして、亜種ではそれを視認できない。闇雲に叩いても破壊できる可能性は低すぎる。実際、開戦から今までの二十四年という年月があっても、お前以外がモノを破壊したという記録はない。ゲートだけ破壊することに専念しても、貴重な亜種を一人か二人犠牲にする覚悟がいる」

「だからといってゲートを放置し続ければ、もっと多くの人が短期間で死ぬ、か……」

 天井から吊られた電球がちかちかと点滅している。「エリア32」のゲートは今残っているものの中で最も王都に近い。このまま放っておけばどうなるかは明白だ。

「得られた情報はこれだけだ。ゲートがどの階のどこにあるかも分からない。モノに関しても予測が多いままだが……お前の透視でゲートの場所を特定し、モノと共に破壊する。軍上層からの司令だ」

 ユーリスは思わず口を歪めた。ゲートの破壊はただ魔女と交戦するのとは訳が違う。何重ものリスクを伴う危険な作戦とはユーリスも重々承知しているが、軍上層はこの四人のメンバーというよりユーリス個人の能力を重く見て今回の命令を下したに違いない。

「明らかに試されてるなあ」

「だが今までも一人でモノに挑んでゲートを破壊してきたんじゃないのか? いざゲート破壊作戦だって行ってみたら、もうゲートもモノも壊れてるってこともあって軍は大騒ぎだったんだぞ」

「あれ、行き当たりばったりでやってたんだ……情報とか殆どなかったし……」

 そう正直に言って笑うとスコールとヴィトニルが「は?」と声を合わせた。

「どこかから情報を盗んでいたのかと思っていたが、無謀すぎやしないか……」

「いや、情報収集ぐらい町中でもできるだろ!」

「そうしようかと思ったんだけど、客観的に見たら俺ってすごく怪しいなと思ってやめた」

「……懸命な判断かもなあ……」

 癖なのだろうか、スコールはまた眉間を摘んでいる。ヴィトニルはすぐに居直って尊大に胸を張った。

「今回は僕らがいるからまだマシじゃないか。一人で突っ込めって言われないだけ感謝することだな!」

 今まで何をするにも一人だったことを考えれば幾分か心が楽だ。スコールの戦績はかなりのものだとゲーレも言っていたし、フローズとヴィトニルも亜種なのだから戦力として全く申し分ない。そこでユーリスははっとしてスコールに目を向ける。

「怪我は大丈夫なのか」

 スコールは腹部に怪我を負っている。あまりにも平然としているから今になってやっと思いだしたのだ。彼が面倒そうに口を開く前に、ヴィトニルがスコールの腹をぺちぺちと叩いた。

「こいつ、クスリのせいで感覚がいかれてるんだ。腹えぐられても痛いって言わないっ……!」

 ヴィトニルが語尾を濁らせたのは頬を抓られたからだった。スコールは更にぱしんとパートナーの頬を軽くはたいて舌打ちをする。クスリ、というのは鎮痛剤のことだろうか。

「……心配いらない。骨が折れていようがいまいが、俺は魔女を狩るだけだ」

 スコールがブーツの踵を何度か鳴らして、腰に帯びた刀に手をかけた。

「今日任務を完遂しろとは言わない。しばらくはここに留まるし、情報が少ない中で無闇に動くのも危険だ。早くゲートを破壊するに越したことはないが……ああだこうだと言っていても仕方がない。とにかく、ゲートの周りが今どうなっているか見に行くぞ」

「おい、謝罪もなしか! 人の痛みが分からん奴はこれだから……!」

 足早に部屋を出ていくスコールをヴィトニルが追いかけていく。スコールは薬師の家系に生まれ薬学を学んでいたから、あまり大事にはならないと思いたかった。思いがけず心配が膨らんだユーリスだったが、二人を追いかけようとして足を止める。フローズがまだじっとしたまま、地図の片付けられた机の上に視線を落としていた。

「行かないのか」

 ユーリスが出来る限り優しい声色で尋ねると、フローズは僅かに顔をこちらに向けた。彼女は明らかにユーリスを警戒している。彼女は王宮で見聞きした通り不特定多数の悪意を受け続けているようだったし、人間嫌いになるのも無理もない。だがユーリスはあの丘で彼女が見せた笑みを見た。彼女は魔女の娘などではなく、弟を愛していて、花のひとつも踏むのを躊躇ってしまうような優しい人なのだろうと思う。

「……ユーリス、あなたは何のために戦うの」

 暗い瞳のままフローズが投げかけた言葉は予想もしていなかった。

「何って……戦争を終わらせるためだよ」

「本当に?」

 電球がばちりと音を立てて切れた。空けられたドアからの光はフローズの顔をはっきりとは照らさない。ユーリスは息を呑む。反射光だけを吸い込んだ彼女の瞳に、何もかもを見透かされている気がした。

「あなたが偽善者じゃないことを祈るわ」

 その言葉は体中を突き刺す硝子片のようだった。フローズはまた、何もない机上を見ている。

「行こう」

 気圧されてはいけないと咄嗟に出した声は大きかった。ユーリスはしまったと思ったが、フローズは少しの驚きを顔に滲ませながらも視線を合わせてくれた。動揺を隠すように笑いかけると、彼女はやっと足を踏み出した。



***



 軍人たちの快くはない囁きを背にしながら基地を出る。まだ陽は高い。先程までは眩しい限りの晴天だったが、今は厚い雲がユーリスたちを追うように生まれて迫ってきていた。例のショッピングモールまでの道のりは険しく、魔女の攻撃によって崩れた建物ばかりが横たわる中を進む。人間が十分も歩けば音を上げるような高低差が続くが、ユーリスや亜種なら疲労もしない。

 今にも崩れそうな具合に傾いたビルの影に入った時、ヴィトニルが不快そうな声を上げて鼻をつまんだ。

「どうしたの?」

「もう油臭いです、帰りたい……」

 ショッピングモールはまだかなり先にあるはずだが、ヴィトニルは鼻がいいのだろうか。

「モノの相手するの面倒なんだよなあ。普通に戦っても勝てないし……嫌になってきた……」

「駄々をこねていないで、亜種なら亜種らしく腹を括ってください」

「お、お前、僕がどれだけ苦労してると思ってるんだ!? 自分の図体よりでかくて訳の分からん光線撃ってくるやつの相手を好んでする変態がどこに……」

 ヴィトニルはそこまで言ってすぐ後ろを歩いていたユーリスを見た。スコールやフローズにまで無言で見られて、困ったユーリスは誤魔化し笑いで自分を指差す。

「……まあ一番危険なことはこの変態に任せておけばいいわけだ。仕方のない奴め、足止めぐらいならしてやっても構わんぞ!」

「変態って言うのやめてくれないかな……?」

 なぜか急に機嫌をよくしたヴィトニルが忙しなく喋り続けるのを聞いているうちに、ショッピングモールが見えてきた。更に近づくとやっと機械兵器特有のオイルの臭いがしてくる。普通の機械に差す油のように鼻につく臭いではなく、むしろ無臭に近いというのにヴィトニルはまた文句を垂れ始めた。


 ショッピングモールの少し手前、コンクリートの倒壊物に身を隠して様子を窺う。五階建ての巨大な建物は左半分がえぐられたように崩れていた。ユーリスの目はいとも簡単に、所々が崩落したエスカレーターだったり、フローズが言った通り黒い触手のような機械が壁を覆うように張り付いている内部の光景を視せてくれる。およそ人が踏み入るべきではなくなってしまった繁栄のしるしの中に、時代錯誤な球体が浮かんでいるのが見えた。

「四階の東側にゲートがある」

 傍らのフローズが目を見開いていた。まさに、信じられないというような顔だった。

「でも普通じゃない。触手がゲートを包んでいる……のかな。引き剥がさないと壊せないと思う」

「核は?」

「本体にはない。周りにも見当たらない」

「なら機械全体を伝って移動しているんだろう。厄介だな」

 モノの大きさによっても違うが、核は機械の配線に沿って走っているため極々小さい。この距離と広い敷地では核がどこにあるかも分からなかった。

「今までのゲート破壊作戦では魔女の乱入はなかった。だがモノは地下女王の異能そのものだ。俺達の襲撃は間違いなく地下に伝わっている」

「矛盾してるよな。ゲートは魔女にとって地上に出るために不可欠なものだぞ。当然守り通したいに決まってる。ならゲートの襲撃なんて見逃せないし、モノを援護するのが自然なのに。そうもしないくせに番人をつけるのは訳が分からん」

 ヴィトニルは手袋のたるみを直しながら適当な調子で喋っている。聞いてはいるがさして興味はないらしい。

「罠か、もっと他の考えが女王にあるのかは分からない。けどその罠に飛び込むぐらいはしないとね……」

「前例がないとはいえ可能性はゼロではない。一人二人ならまだ応戦できるがそれ以上となると分が悪い。警戒は怠るな。作戦に支障が出ると判断した場合は速やかに撤退する」

 作戦通りに、とスコールが告げたのと同時に、四人は二手に分かれた。スコールとヴィトニルは一階から、ユーリスとフローズは最上階から侵入し、施設全体とゲート周辺の状況を探る手筈になっている。最上階の窓ガラスが割れた場所を見つけて、人が手入れすることもなくなり好き放題に伸びた木に登って高さを合わせた。


 足を踏み入れた瞬間にモノは動く。無数の触手が攻撃を仕掛けてくるだろう。手数は敵側が圧倒的に多く一撃も重い。だが隣に立つ少女が生死の賭け引きを前にしてひどく冷静なのが、ユーリスにとっては心苦しく感じた。


 戦え、そして勝ち残れ。この苦海を生き抜くために。


 ノイズ混じりの女の声が脳を、身体を、神経を占拠する。震える手が自然と剣の柄にかかる。死地に赴く時に、まさに死を目前にした時に、しつこいほど聞こえる女の声だ。 

「……うるさいわね」

 フローズが自分の頭をこつんと叩いてすう、と息を吸い吐く。

「どれぐらい戦える?」

 剣を抜きながらフローズに問うた。目だけで見上げてくる彼女は疑念にまみれているであろう心を抑えて、表情を変えずに剣を勢いよく抜き空を切る。

「あなたが思ってる以上に、よ」

 あまりにも力強い言葉に、ほんの少し口角が上がってしまう。耳につけた通信機の先でスコールが合図をしたのに合わせて、二人同時に窓に飛び込んだ。


 女の声が止まない。二人と同じ木に止まっていた鳥たちが、突然の振動に驚いて飛び去る羽音すら聞こえなかった。

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