Karma02:遠雷が聞こえる(3)


「おい、何か話してくれないと僕が気まずいんだが」

 そう言われても、とユーリスは口を曲げた。フローズが言っていた王宮前の丘に赴いたまではよかった。まさか青天井の傾斜に座り込んで、飛び回る蝶を暇そうに目で追う先客がいるだなんて思わないじゃないか。スコールと目が合った時にはどちらともがぎょっとしていて、横にいた少年は気の抜けた疑問の声を上げていた。

 十五年ぶりに再会しても今日までちゃんとした話をする機会はなかったし、いざ話せるとなっても言葉が出てこない。もう二十歳を超えたスコールは当然背も高く、顔つきも昔の面影は残しているが纏う雰囲気は鋭くなっていた。あの頃よりも細くなった、くすんだ青灰の瞳のせいだろうか。彼の長い三つ編みが、あれから長い時が過ぎたことを思い知らせてくる。

「ほんとに幼馴染なのか? 俺の知ってる幼馴染と違うんだが。もっとこう、再会して、わーってなるんじゃないのか。元気そうで何よりだぜ!とか言うんじゃ……」

 スコールの横で身振り手振り、変な演技をしている少年の言葉が引っかかったお陰で、なんとか沈黙を破った。

「幼馴染だって話したのか」

「……問題はない。ヴィトニル殿下やフローズ殿下以外となると話は別だが」

 スコールがやっと口を開く。敵意は感じられず、思っていたより深刻な溝はなかったことに息をつく。腰を上げたスコールの横に立った少年が、じっとユーリスの顔を覗き込む。記憶に焼け付きそうなほど虹彩の赤い瞳だ。大きく丸い目のせいか、顔にはまだ幼さが残る。赤いリボンで一つ括りにされ、右肩に流されている白とも黒ともつかない髪色には見覚えがあった。

「ああ……君がヴィトニルか」

「気安く名前を呼ぶなよ出来損ない! 僕は王子だぞ!」

 ヴィトニルは語気を強めて自分の胸を掌で二回叩いた。むすっとした顔はまさに拗ねた子供でまだ可愛いものだ。ヴィトニルは口を尖らせたままユーリスに詰め寄る。

「大体、亜種でもないくせになんで機械獣モノを倒せるかが分からない。どういうことか説明しろ」

「あの機械の装甲の下を小さい光が走り回ってるんだ。たぶん核だと思う。あれを壊しさえすればモノは再生しなくなる」

「そ、そんなもの見たこともないぞ」

「俺は透視ができるから……」

 ヴィトニルにとっても聞き覚えのある話だったのだろう。片眉を曲げてぼそぼそとおうむ返しをしている。スコールとペアを組んで行動しているのなら、先日スコールが魔女ライラプスの調査をしたことも知っているはずだ。〝透視〟というライラプスに似た能力を持つ、つまりは魔女の能力に親しいものを宿した人間が存在する。ヴィトニルは驚いてはいたようだが随分と早く理解を示した。

「そんな変な力があるんじゃあ、魔女の仲間だって疑われても仕方がないな……それよりスコール、こいつの異能を知ってたのにソロの正体に気が付かなかったのか? 透視ができる奴がいるなら核うんぬんについても予想がつきそうなのに」

 ヴィトニルにじとっとした目を向けられたスコールは眉間を摘んで口を歪めた。

「……認めましょう、その件に関しては私に落ち度があります。私はユーリスの性格まで考慮していなかった。彼は戦場には来ない、という過信があったのが原因です」

 喋りながら溜息をつくようなスコールに、ユーリスは一気に心の臓が冷える思いがした。もう言ってしまったほうがいい。そう考えて口を必死に動かしたが、歯切れは悪く段々と頭が下がっていく。

「そ、その、謝りたいことのひとつが正にそれで……結局俺もこうして戦うことを決めたのは、お前にきっと怒られるとは分かってたんだけど……ごめん……」

 足元に咲いていたクリサンセマムが陰の下で暗く見える。怒りも何もかもを甘んじて受け入れるつもりだったのだが、彼はユーリスを責めてはくれなかった。

「何もお前が俺に謝ることはないだろう。元より避けられなかったことだとも思うし、今更悔やみ合っても仕方がない。それにお前にしかモノが倒せないなら、協力はありがたいことだ」

 ユーリスは恐る恐る顔をあげたが、スコールは呆れたような顔で肩をすくめるだけだった。本当に、責める気はないらしい。拍子抜けたと言えばいいのか、長年抱え続けてきた悩みのひとつが、彼の手がそっと翳されただけで否定された。

 謝りたいことはいくつもあって、否定されても簡単には消えないというのに。胸の中で渦巻くものを考えることに必死で、いよいよ喋ることすら忘れてしまった。気づいた時にはヴィトニルが一際明るい声を上げて、坂を走って下っているところだった。

「姉さま!」

 ヴィトニルがにこにこ顔で抱きついていたのはフローズだった。弟に向けた柔らかい眼差しに、教会で見せたような陰鬱さはない。遠くて声は聞こえないが、ヴィトニルの年相応の無邪気な笑顔と、フローズの子供らしくはない微笑みはよく見える。


 魔女の子と呼ばれ人々に虐げられている姉弟は、ただの人間にしか見えなかった。


「行くぞ、ユーリス」

 未だ聞き慣れない大人になった幼馴染の声。姉と話し込んでいたヴィトニルが、何か言いながら仏頂面でユーリスを指さしていた。フローズはユーリスと目が合うと、弟とはまるで違う氷のように澄んだ薄青の瞳を伏せ、ぺこりと頭を下げる。ユーリスもつられてぎこちなく頭を下げた後、花咲く丘を下りた。

 フローズはヴィトニルとは年子だと聞いていたが、弟より背の高いフローズは大人びて見える。ヴィトニルと談笑しながら先を歩くフローズの足は、クリサンセマムの花を踏まないように更地を探して変な歩き方になっていた。ユーリスは目の前の覚束ない足取りをじっと見ながら、彼女の心を踏みつけないように必死に同じところを歩いた。



***



 ユーリスたち四人の持ち場は、しばらくは王都の北東にある「エリア31」の防衛拠点となるそうだった。戦前は発達していたという交通機関も今やほぼ機能しておらず、フローズやヴィトニルの事情もあって歩いて向かうのが殆どだという。「エリア31」は王都に隣接しているため、クリサンセマムの丘から三十分ほどしかかからないからまだ楽だった。道中に翼のような突起がついた鉄の塊が転がっていたが、昔はこれが空を飛んでいたらしいことをユーリスはまだ信じられないでいる。


 二十四年前、人間と魔女が共に築いた世界を揺るがしたのは、極一部の人間による反魔女過激組織が実行したテロだった。開戦の引き金となった、あまりにも突然の動乱。魔女の目的は略奪でも征服でもなく、同胞を殺した人類への復讐である。ゆえに魔女は領土に頓着せず、ゲリラ的に襲撃を仕掛けては人類が干渉できない地下に撤退するパターンを頑なに繰り返している。人類にとっては地上の全領土を城とした籠城戦のようなものだ。復讐を原動力とする相手に対して降伏の選択など意味はない。誰も彼もが魔女と戦うことを選び肯定したが、ただの人間では敵うはずもなく。

 地上と地下を繋ぐルートは、人類と魔女の長きに渡る交流の名残として世界中に点在しており、全方位から攻められたことで人類は地上中央に後退するしかなかった。例え海を背にしたとして、魔女は空を飛べるのだからどちらにしろ同じだったが。普通であれば、この圧倒的に不利な状況でも戦い続けるのは全くの愚策である。だが降伏したとして待っているのは一方的な虐殺なのだから、人類が生き残る可能性は勝利の先にしかない。


 「エリア31」の基地にいた軍人は、戦闘への高揚と死への恐怖という矛盾を孕んだ目をぎらつかせていた。城は既に崩れる一歩手前にある。



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