Karma02:遠雷が聞こえる(2)


 月明かりを反射した石畳は暗闇を青く染めていた。月光だけを頼りに渡り廊下を歩く。前を歩く女軍人とユーリス、二人の靴が石床を叩く音が夜闇に溶けるようにして消えていった。

「先の戦闘で一人、新興貴族ガルムの亜種が死んだ。その穴を補ってもらうことになるだろう」

 ゲーレと名乗った短い黒髪の彼女は気丈な声で切り出した。彼女もやはり新興貴族の亜種だという。女性の亜種も珍しくなく、その身体能力は性差によって天秤が傾くことはないらしい。個々の才能の差だけが亜種の天と地を分けるのだ。

「まさか、あのお騒がせのソロが王都に来るとは思わなかったよ。何だって今ここに?」

「魔女じみた異能を持った人間なんて、人間じゃないようなものだから……説得で疑いを晴らせる気がしなかったから実力行使に出たんだ。君の言うように世間を騒がせた今なら大丈夫かと思って。一人で戦うのはなかなか骨が折れるし……」

「その通りだな。私も軍人になってもう随分経つが、魔女と一騎打ちとなると今でも冷や汗が出る」

 振り返って笑むその凛とした顔立ち。空気を裂くようでいて優しい声。記憶を辿ると、炎と硝煙の臭いがするような錯覚に包まれた。

「……どこかで会ったことがある?」

 ゲーレが僅かに首を傾げた。月が薄雲から出て一層光を強くしたことで、ユーリスは確信を得た。見覚えのある藤色の瞳。彼女の声と同じように、切れ長だが柔らかな眼差しだった。

「十五年前、中央区で……エリアゼロで戦っていた?」

「驚いたな。君はあの場にいたのか」

 両眉を上げ目を丸くしたゲーレはまた笑っている。エリアゼロ――地上を十三に区分した時、世界の中心となるここ王都を含む『中央区』はそう呼ばれることがあった。


 ユーリスが十五年前、母に連れられ中央区の王都を訪れたちょうどその時。戦史に刻まれるほどに大規模な魔女の襲撃があった。魔女から逃げ惑う人々に押されて石畳に転んだ時、振り返るといつの間にか四人の少年少女がいて、彼らが声をかけてくれたからこそユーリスは起き上がって走り難を逃れた。

「人より目がいいからかは分からないけど、見たものはよく覚えているんだ。あの時は助かったよ」

「はは、その言葉を聞いたら彼らも喜ぶだろう。実はあれが私を含む同期の初陣でな。君の前で格好つけてはいたが、みな手も足も震えていたんだ。懐かしい話だよ」

 久々に心根の温かな人に会った気がして、ユーリスは心嬉しくなった。同時に、ずっと尋ねていいか迷っていたことに彼女なら答えてくれるかも知れないと打算的な考えも生まれていたが。

「一つ聞きたいことがある。あいつは……スコールは、軍ではどう見られているんだ」

 そこで初めてゲーレの目が疑念を宿したが、さして逡巡はせず素直に口を開いてくれた。

「彼は私の弟分にあたる。王族、貴族の亜種の中でもトップの魔女討伐数と調査完遂率を誇る……だが評判は君が王宮で見聞きした通りだ。性格や功績、経歴が彼を孤立させている」

「徴集された時はあそこまで棘のある性格じゃなかったと思うんだけど」

「君はあの子と何か繋がりでも?」

「幼馴染だ。十五年前のあの襲撃以来、一度も会っていなかった」

 彼女は思いの外、感情が表に出てしまうらしい。驚いて息を呑んだゲーレはしばらくして「成る程」と零し続けた。 

「……確かに幼少の彼はひどく気が弱かったと記憶しているが、こんな環境ではああ育つのも無理はない。貴族に招かれた時点でもう人間ではなく魔女を殺すためだけの道具として見られる。戦えなければ役立たず、死んでも使い捨ての駒が一つ消えただけ。自分を守り生き抜くためには強くなるしかないからな……」

  鬱々たる溜息を吐いて、ゲーレは再び歩き出した。

「スコールとの関係は他の者に明かさないほうがいい。今や人間の大半が狂気に支配されたと言ってもいい。彼と関わりがあったことは知られないほうが君の身のためだと思う。君は元より一歩間違えば危うい立場にいるから尚更に」

 彼女の後をひたすらに追って着いたのは、王宮の門の前だった。ユーリスは思わず口をぽかんと開けてしまう。

「牢にでも閉じ込められるかと思ったんだけど……」

「私たち貴族も常時拘束されているわけではない。だが逃げられるわけでもないんだ。ここ王都に来てしまった君にもう逃げ道はない。もし君が人類を勝利に導くという義務を放棄するのなら、我々貴族が君を世界の果てまでも追いかけ制裁を与える。そう忠告しておこう」

 胸の前で拳を作り敬礼したゲーレは、微笑んで踵を返した。

「またいつか、君と昔話ができるといいと思っているよ」


 世界の果てまでも追いかける……ぞっとしなかったと言えば嘘になる。嫌疑を完全には晴らせていないユーリスを自由の身にするということは、好きに泳がせておいて少しでも疑わしければ罰する気なのだろう。ユーリスは確かに常人より身体能力は高いが、ゲーレのような細身の女性ながらも亜種という種族には、純粋な力の強さでは確実に劣るしただ戦うだけでは勝ち目はない。ユーリスは亜種として完成されるための怪力を、右目が物体透視の異能を宿すための代償としたと根拠のない予想をしていた。


 彼女が門の向こうへ消えるのを見届けて、ユーリスは世界各地を周りながら見つけた住処の一つに向かう。地上の中心である中央区は温かくも寒くもない。それは夜も同じだった。中央区の更に中心には石造りの塔があり、雲のある日はそれらを貫くほどに聳え立つ。

 塔の最上にはまるで宝石のような球体が浮かんでいるのが見えた。隣の三日月に照らされ虹色に淡く光るあの石は、幼い頃に図鑑で見たオパールという宝石によく似ていると、ユーリスは空を見上げる度に思っている。


 あの石こそが、生きとし生ける全ての命を救済する神だと信じる者がいた。あの石こそが世に最大の災厄をもたらす悪神だという者もいた。


 多くを考えながら機械のようにただ歩く。気づけば中央区の外れにある住処の一つ、打ち捨てられた無人の小屋の扉に立っていたが、ユーリスは得体の知れぬ悪寒が背を駆け上がるのを感じて、血の臭いを嗅ぎつけた時には来た道に沿って駆け出していた。



***



 先日、ゲーレに向かうよう言われた王宮内部の教会へ続く扉から、多くの軍人が出てきていた。先日の戦闘で戦死した者たちの葬儀だったのだろう。数人が啜り泣いているのを横目に、ユーリスは軍人たちに「例の男だ」と囁かれるのも気に留めず人の流れに逆らい教会に入る。人も疎らな中、祭壇の前で未だ一人祈りを捧げる少女がいた。

 白とも黒ともつかない髪、と聞いていた。神と死者への祈りを終えた少女は、最初から気づいていたように立ち上がってユーリスを見据える。水色のリボンで一つに纏めた長い巻毛、氷のような薄青の瞳。懐かしい面影のある、幼いながらも整然とした美を思わせる顔だちだった。鮮やかなステンドグラスの光を一身に受けているにもかかわらず、彼女はなぜか無色透明に見えた。

「……ユーリス・マナウルヴル。あなたの話は聞いています。私はフローズ・ルヴトー、地上王家の第五王女です」

 彼女の口は義務感だけで動いているかのように淡白だった。ユーリスはこれから組むことになる相手を前にして、どう接せられても「よろしく」ぐらいは言っておかないといけないと考えてはいた。だがフローズは彼が口を開くのを見た瞬間に、遮るようにして早口で喋りきった。

「後で王宮前の丘に来て。クリサンセマムがたくさん咲いているところよ」

「え……」

 フローズは足早に脇を通り抜けていく。ユーリスは反射的に彼女を追ったが、教会の扉を出たところでたむろしていた軍人たちに行く手を阻まれた。彼らは明らかにフローズに向かってひそひそと言葉を投げつけているようで、ユーリスがやっとのことで人混みから抜け出た時には彼女の後ろ姿も見えなくなっていた。


 自分は一度でも魔女の疑いをかけられた存在、と理解しているユーリスは、フローズが挨拶も程々に逃げるように去った原因はそれだと思った。だが軍人たちの話に耳をすませていると一概にそうとは言えなくなった。考える暇があるなら、素直にフローズの言っていたクリサンセマムが咲いている場所とやらに行くべきだろう。ユーリスはその場を後にしようと回れ右をしたが、後ろから近づいてきていた二人の男に気づいたのは、片目を隠すために不自然に伸ばした前髪を掴まれてからだった。

「へえ、噂通りの風貌だね」

「マジで左右の目の色違うんだ? こんなの初めて見た」

「ちょっと……!」

 顔を覗き込んできた二人の男の手を振りほどく。咄嗟に前髪を直すと、彼らはにやついた顔でユーリスを見ていた。二人とも少年とも青年ともつかぬ年齢に見える。灰混じりの黒髪、ひと目で亜種と分かった。

「急に何なんだ……」

「あんたの先輩だよ。新入りのお兄さん」

 ふわふわした猫毛なほうがユーリスの頬をつつきながら言う。二人ともがいかにも悪戯っ子といった表情だった。背格好も殆ど同じで、ユーリスより少し背が低い。猫毛は整った吊目を動かして言う。

「よりにもよって魔女の娘と組むの? かわいそうに、幸先悪いね」

「魔女の娘……」

「随分前に王家に嫁いだ女が魔女だと疑われて処刑された話、あれだけ騒ぎになったんだからあんたも知ってるだろ。その女がフローズの母親ってわけ」

 長髪で垂れ目のほうがフローズが消えた廊下の先を親指で示した。周りの軍人たちもそのような話をしていた。「魔女の子」と呼ばれる者がいて、軍人たちのみならず多くの人間から忌避されているのはよく聞く話だったが、あの年端もいかない少女がそうだとは。

「弟のヴィトニルは無能だしね。組んでる相手も狂犬じみてて愛想は悪いし……姉弟揃っていい噂がない」

「悪いことは言わねえから、あの姉弟とは関わらないほうがいいぜ。フローズと組んだ貴族は全員ろくでもない死に方してるんだ。今回の奴は頭が潰されてて顔も分からなかったらしい」

 今回の奴、というと今日葬儀が執り行われた亜種の一人だろうか。教会の方を振り返ると、まだ残っていた軍人たちがこちらを見ていたが、先程までとは空気が違う。怖れと疑念の目は好奇を宿すようになっていた。中にはくすくす笑っている者もいて、彼らはやっとこの場を去り始めた。

「その前なんか首根っこだけ残して後は全部木っ端微塵だったってさ」

「おお、怖」

「でも気落とすことないよ、一匹狼くん。運が良ければなんとかなるでしょ」

「冗談だろ? 運が良けりゃハナから魔女の娘と組まされたりなんかしねえよ!」

 長髪の男がけたけたと声を上げながら、ユーリスの肩を叩いて手を振りその場を去った。猫毛のほうもそのままユーリスの隣を通り過ぎると思ったのだが。


「あの姉弟はあんたを試すための罠だ」

 二人にしか聞こえないであろう小さな声、すぐ横で立ち止まった彼と目と目だけが合う。その青と緑の混ざる瞳に、今までの軽薄さなどまるでなかった。

「嫌な死に方したくないなら自分を偽れ。ここ王都で、嘘を吐かずに生き残れると思うな」

 男は笑わない。青い外套を翻して、長髪の男を追い廊下の曲がり角へと消えた。


 魔女との関与を疑われれば処刑台に――。「魔女の子」として忌避されるフローズやその弟と関わるのも同じ話だということだろう。フローズは亜種と組んでいた、ということは義務で接するだけなら構わないはずだ。恐らく、人目につく場所で親しげにしていれば疑われる。フローズが一方的な会話で去った理由はこれか。

 二人組の男も参列者もいなくなった廊下は静かすぎて、誰もいなくなった世界で一人置き去りにされたような気分になる。箱庭のように切り取られた中庭、陽光にあたって機嫌よく鳴いていた二匹の小鳥は、突然降り立った烏に驚いて陰に追いやられていた。ユーリスは昨日ゲーレが見せた遣る瀬なさの滲む表情を思い出して、烏が大手を振って歩くのをしばらく恨めしい気持ちで見ていた。

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