Karma02:遠雷が聞こえる(1)


 ライラプスは苛立ちを隠せなかった。共に出撃していたはずのリュカオンたちとあれきり通信が繋がらない。首から下げた通信機に何度呼びかけても応答は望めなかった。人間が退避し静まり返った区域。元は人類と魔女が使用していた、地上と地下を繋ぐ転送装置『ゲート』を前に、ライラプス率いる班は足止めを食っている。

「本当に誰も彼女たちの行方を知らないの?」

「知らなあい。ケリーは見た?」

「見てない。だってケリーたち、リュカオンとは反対の方にいた」

 班員の双子の姉妹がまるで緊張感のない声で話す。日はとっくに暮れていた。常に薄暗い地下暮らしな魔女にとっては大した障害にはならないが、再び交戦となれば話は別だ。

 多くの魔女は能力の使用時間の条件として「一時間以内」という制限を持っている。クールタイムはまだ終わっていない。地上軍の追撃に備え第四班が控えてはいるが、このまま地上に留まり続けるのは得策ではない。


 あの時ライラプスと違う方向に向かった第二班はリュカオンを含め五人が属していたが、全員との連絡が取れていない。唯一のリュカオンからの通信はあまりに遅かった上に他の魔女の信号で一瞬のみ送られてきた。まず通信機から破壊されたのだ。相手の退路も援軍も断つ、一方的な殺戮のための一策。

 あの長い三つ編みの貴族に――スコールに遭遇した時に全班に警告したはずだったのに。通信機に内蔵された装置から映されるホログラムインターフェイスにも、リュカオンや他班員の生体反応はなかった。

「陛下、そちらの方で何か情報は」

   堪りかねて司令の指示を仰ぐが、返答は分かりきっていた。

『戦闘は狼機体で記録したが、損壊の再生中に振り切られた。こちらでも行方は掴めない』

「第二班の生体反応は全て途絶しています。ですがわざと反応を消している可能性も――」

『捨て置け。どの道、生きているはずがない』

 軍の総司令とは非情であるべきだ。彼女の在り方は一瞬一瞬で正しい。反逆の二文字など露ほども浮かばない絶対的正義だ。

「……承知致しました」

 通信を切り最初に出たのは溜め息だった。濃い桃色のネオン球と、それを囲むように回転する輪。不可思議な形状の転送装置に触れ次々と地下に帰投する魔女たちを見送る。最後の一人になったライラプスは装置に触れるのを躊躇ったが、地下に帰らないという選択肢はなかった。女王の正義に反する気などない。生けるものはいずれ死ぬのがこの世の摂理だ。夢想を嫌うならば帰らなければならないのだ。


 行方の知れぬリュカオンは、ライラプスが唯一惜しみない親愛を注いだと言ってもいい魔女だった。違う道を選んでも互いを気遣い、開戦後は共に戦地に身を晒した、姉妹に等しき存在である。



***



 王宮内部は想像より落ち着いた様相だった。金銀光り絢爛豪華、といったものはあまりなく、群青や黒の石を用いた内装が目立つ。所々に飾られた花瓶や絵画の値は張りそうではあったが、どれもこれも彩度が低く地味だ。磨かれた壁床の石の隙には金が細く引かれていて瑠璃のようにも見えた。

 謁見の間にて、王家の象徴である狼を模した石像が立ち並ぶ中、ユーリスは頭を垂れたままこそりと目線だけを上げる。階段の先にはこの地上を治める王がいるようだが、金糸のあしらわれた青い幕が下ろされていて顔はおろか姿も見えない。

 周りの兵たちはユーリスと同じく跪き、物音一つ聞こえないのがありもしない冷気を生んでいるようだった。王が会いたいと言ったのかどうかまではユーリスも知らないが、どうせ軍の上層部と話をつけるぐらいだろうと高を括っていたから胸のあたりが薄ら寒い。地上に甚大な被害を与えてきた機械獣モノを破壊できる存在はそれほどまでに興味の対象であり、イレギュラーだということか。


 ユーリスは同郷の幼馴染と数年ぶりに再会した後、どうか抵抗するなと彼に請われ、陽が瓦礫の向こうに沈むのを見ながらこの王宮に連れられてきた。彼の名を口にした時、彼は遮るように、北方で信仰されたとある神話で、太陽を喰らったという狼の名を呟いた。スコールは九年を共にした名を「捨てた」と一言で終わらせた。彼はすぐ隣で跪いていたが、腹部にひどく血が滲むほどの怪我をしていたはずで、それが何より気がかりだ。

「ソロ、お前が人類に手を貸すというのなら悪いようにはしないが」

 初老の男の声が聞こえた時、その場にいた誰もが姿勢を正すような、布が擦れたり金属と金属がぶつかる音がした。声の主は地上を統べる王に違いない。

「それとも魔女という嫌疑をかけられたまま、ここで死ぬかね」

 ユーリスは僅かに虹彩のたがった瞳を魔女の呪いだと罵られたことがあった。右の澄んだ空色も、左の柔らかな緑も、幼い頃から聞かされていた通り異様なものなのだと故郷を出て思い知った。


 人間は最早、魔女をただの災厄としか見ていない。この時代に魔女に通じたり関与を疑われでもすれば処刑台に送られる。まるで全人類の総意であるかのようにその死は肯定され、首が落ちるのを、肌が焼け爛れるのを安堵の目で見届ける。真実そのものにさしたる価値はない。人は目に見えないものより見えるものを信じ、嘘を真実に捻じ曲げることができる。


「俺だけが機械兵器を……モノを壊せるなら、この力は人類のために振るいます。俺はそのためにここに来ました」

 だからこそユーリスは軍人となる道を自ら閉ざした。わざと魔女に親しい力をひけらかして機械兵器を破壊し、人類の味方であることを世界に轟かせることで、自らから魔女というレッテルを半分引き剥がした。人類がユーリスを機械兵器を破壊するための道具として、少しでも捉えた今ならば軍に協力しない理由はない。

 無難も無難な返答こそが望まれているものだ。王は満足したのか静かに笑い声を上げた。

「スコール、これも何かの縁だろう。お前もあの能無しとではなくソロと――」

「私は殿下以外と組むつもりはない……!」

 その声色は思わず身が竦むほど静かで怒りに溢れていた。恐る恐る覗いた隣の男の、青灰せきはいの瞳は獲物を睨めつける狼そのものだ。静まり返っていた場に波紋のようにざわめきが広がる。スコールの言葉は王に対する物言いではない。無礼だ不敬だと、周囲の亜種や軍人たちが囁く声など聞こえないかのように、彼は立ち上がり幕の先の王を見据えた。


「もうよろしいでしょう。亜種といえど私は一介の兵士にすぎない。ただの魔女を狩るためだけの道具です。いま最上の結果が得られているなら、それを崩すのは得策ではないはず。ソロの処遇については私が口を出すことではありません。私にも考えがあってのこと。今回と同様、成果は必ず挙げてみせます」


 だから俺のやることに口を出すな。そう続くに違いなかった。スコールはまるで誠意のこもっていない一礼から踵を返し立ち去ろうとする。何人かの軍人が物申そうと進み出たが、彼はその尽くを無視して廊下へと消えた。不遜な態度に王は何か言ったかもしれないが、異端に向けられる囁き合いの方が大きく心境を知る術はない。もうこの場にいないスコールに投げかけられ空に消える心無い誹りの数々。その中でも一言聞こえた言葉が耳から離れなかった。


 魔女の血は気狂いまで生むのか、と。






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