Karma04:無明を照らせ(2)


 2207年10月12日 / 第九都市・クムダ / 快晴 / 月齢:19.2



 久々に触れた外気は秋の気候と相まって一層冷たく感じられた。

 10月8日、地上南西方面からの襲撃。ユーリスは第八都市・ウトパラにて、防衛ラインの第二陣として加勢し魔女の侵攻を留める――はずだった。同じく第二陣として合流してきたシリウスという軍人亜種の突飛な思いつきで、想定外の作戦に付き合うところまでは、まあ良しとする。大して関与はしていないが、魔女を二人食い止められたのも幸運であったし、交戦地点の周辺では怪我人こそいれど死者は出なかったそうだ。

 だがその代償として三日三晩寝込むほどの熱病に罹った挙句、幼馴染との埋められない溝、打ち崩せない壁を目の当たりにした。ようやく起き上がれるまでに回復してからも偏頭痛に悩まされ、夢を見る度にその夢の切れ端が頭の隅に残っていく。

 満月夜に見る夢は、失ったものを思い出させてくれる。リュカオンの言葉通り、ユーリスは先生の夢を――確かにあった過去を視た。だが高熱にうなされ数えきれない悪夢を見て、こうして外に出た後は荒廃した市街やおびただしい血の跡を、日常の風景ではなく「いつかどこかで見たことがある」と感じるようになっていた。


 二十四年もの間、見続けてきた光景に今更に覚える違和。ただの既視感デジャヴで済ませていいのだろうか?




 復帰早々、ユーリスとフローズに課せられた任務は現地調査隊の護衛であった。目的地は第八都市の北側に隣接する第九都市・クムダ。先日の襲撃でゲート近郊のエリアが巻き込まれたようで、被害の調査に向かえとのことだった。ユーリスは先に発ったフローズを追う形で輸送車に乗り込んだが、王都からかなり離れた僻地と言っても過言ではない市街のため、着いた頃には朝日が一周し瓦礫の隙から顔を覗かせていた。


 ようやく輸送車から降りたユーリスは思わず溜息を吐いた。フローズのパートナーで、異能が宿った「魔女の瞳」と呼ばれるオッドアイ。悪い意味で軍内でも有名人になってしまっているわけだし、軍関係者のみが乗った車内で肩身が狭くないわけがなかった。外套のフードを被りこんで何を囁かれようとだんまりを決め込み続け、ようやく解放されたかと思えば第八都市に負けないほどの熱気に包み込まれ気が滅入ってしまう。

 第八都市と同じく排他的で少数民族が多く暮らす地域だと聞いていたが、都市部は案外発達していたのか巨大なビルや現代建築が立ち並んでいる――魔女の襲撃に幾度も晒されたせいで、殆どが廃墟同然になっていたが。かつての繁栄が感じられるこの場所では、各地から派遣されたのであろう医師団が忙しなく駆け回っていた。

 フローズが待ち合わせ場所に指定したのは街中の廃ビル屋上である。誰も好き好んでは来ないと思う、というフローズの言葉通り一階のロビーは簡易的な遺体安置所になっていて、数十人の物言わぬ骸の脇に、襲撃を生き抜いた者たちが跪いていた。

 微かな嗚咽、大きな啼泣。数々の慟哭に包まれながらユーリスはフードを深く被り直し、彼らを尻目に足早にすり抜けていく。


 息子は出稼ぎに来てたの。お給料はいいけど危険な仕事だった。あの時やめておきなさいって引き止めていれば。


 間違いねえです、うちの女房です。ああ、こんなことになっちまうなら、つまらねえ意地なんか張ってねえでうちに帰ってやるんだった……。


「だから言ったじゃねえか、母ちゃん」

 ユーリスが上階への階段に足をかけたその時だった。

「神様なんていやしねえんだよ。もしいたんなら、父ちゃんはこんな死に方しなかった!」

 涙も流さず憤然と立ちすくみ、横たわる亡骸とそれに泣き縋る女を見下ろす少年がいた。彼の言葉を聞いて、ちょうど階段を昇っていたユーリスの足は殊更に急いた。それ以上を聞いて平静を保てる気がしなかった。



 誰もが幼い頃から救済の神の神話を聞かされてきた。我々は神によって生まれ、神に愛されし命であると。身に余る悲しみ苦しみが訪れし時、神の御手が差し伸べられると。

 しかし、人の目に映る神は次第に三局に分かたれていく。善か、無か、それとも悪か。「死」とはその分岐点になり得るのかもしれない。

 死者が安らかな眠りを享受できるよう、神に祈りを捧げる者もいる。神に大切な人の無事を祈り続け、物言わぬ裏切りに絶望する者もいる。


 来世でまた会える、来世で幸せになれる。何も怖がることはない。悲しみ続けることはない。


 輪廻なんて救いでもなんでもない。そんなものは無限に苦しみ続ける地獄でしかない。


 前世の記憶なんてない。それでは死の先に何もないのと同じではないか。


 幼いスコールのあの言葉を、当時は上手く飲み込めなかった。今思えば、彼はあの時から自分よりもずっと多くのことを考え、疑問を投げかけていたのではないかと感じる。

 ユーリスが初めて「死」というものを目の前にしたのは十五年前のことだった。たまたま訪れていた王都で起こった大規模な襲撃。数えきれない人間が死んでいくところを見た。一緒にいた母も行方知れずのままで、もう死んだものと考えるしかなかった。


 あの日から何もかもが変わってしまった。もし自分がを言わなければ、と何度思ったか知れない。母が死んだのは自分のせいだ。スコールが軍に徴集されたのも自分のせいだ。先生が死んだのも、その先の悲劇も全て、発端はあの日であり、自分だ。世界中の人間が「お前のせいじゃない」と慰めてくれたとしても、一生消えない後悔だ。


 誰しもがいつか、神の御手の及ばざる「死」を前にし、過去には戻れないのだと痛感する日が来る。辛苦の末に、後悔をしない選択をした「もしも」の世界を考えて動けなくなる日が訪れる。そしてこの争いが絶えない世界において、その後悔はたった一生のうちに何度も繰り返される。

 肉親、友人、恋人、そして自分。何度も、何度もだ。

 

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