Karma04:無明を照らせ(1)
冬の木漏れ日射す窓の際。自然の温もりが冷気を薄める木小屋にて、子供たちはお伽話をせがむように、先生を取り囲んで座っていた。
「ねえ先生、かみさまって本当にいるの?」
問いかけたほんの幼い少女に先生は、豪奢な純白の民族衣装を揺らし、薄いベールの下から微笑んでみせる。ええ、と頷く彼女に、少女は念を押した。
「ほんとにほんと?」
「先生は嘘は吐きません」
宝石を転がすようでいて、花が一輪静かに咲くような。先生は不思議な声音で、遠い昔を思い出すように語り始めた。
昔々、それも気が遠くなるほどの。この世界で目覚めた神は、まず人間を創った。男と女は仲睦まじく暮らしたが、世界には二人の他に誰もいなかった。二人の抱えた孤独に、神は手を差し伸べた。神は二人の友人として、魔女を生んだ。
男と女と魔女。三人は手を取り合って世界中を旅した。その中で生まれた男女の子に、神は再び魔女という友人を与える。そうして世界には愛が満ちていった。
いつしか、人と魔女とが生きる世界は神が目指す理想郷であると。神の御手は救済を垂らす光輝であると。詩人たちはリュートを手に、時には鳥が羽ばたく市中の真中で、時には夜の帳が下りた酒場で謳い歩くようになった。
そして流れた数十年。男が死んだ。胸の病であった。女と魔女の涙が枯れることはなかった。その様子を嘆いた神は、満月が僅かに欠けた日に雨を降らせ、彼女らの涙さえ洗い流す。
数年後、女がある捨て子を拾った時、魔女は摩訶不思議な瞳を光らせて、天啓を受けたように呟いた。
「彼が帰ってきた」と。
「死に分かたれようと、いつかまた出会えるのです。輪廻転生……月を通して巡り巡る魂の旅。人も魔女も、万物が輪の中で生きているのですよ」
「でも、僕らには前世の記憶なんてありません」
黒髪の少年が、先生のものとは色だけが違う、黒い民族衣装のローブの隙から先生の目を捉えた。
「それでは死の先がないのと同じではありませんか、先生」
「あなたが信じるのであれば、それは存在するでしょう。信じないのであれば存在しない。信仰とはそういうものです」
ユーリスは隣に座るその少年をじっと見ていた。得心がいったのかそうでないのか、彼はそれきり黙り込んでしまう。彼の隣に座る白い民族衣装の少女も、同じように少年を見つめていた。
「じゃあ先生、俺もいいかな」
ユーリスはふと思い立って、静かに手を挙げた。
「神様は、もし俺たちにつらいことや悲しいことがあったら、助けてくれるの? その最初の人間たちを助けてあげたように」
「……信仰は魂を救うでしょう、ですが……ここからは先生個人の考えです。あなたたちにもいつか必ず、教えを請うだけではなく、自分自身で考えて生きていかねばならない日が来ます」
先生の教えではなく、独白に近かった気がする。いずれにせよ、幼い子供たちに彼女の語る難解な言葉が理解できたとは思えない。
「信仰に心身を任せ切るのは、自我を捨てるのと同じこと。生きとし生きるもの全ては己の力で生き抜かなければならないのです。己で道を選び取って歩かなければならないのです」
あなたたちが選ぶであろう道は、自然とあなたたち自身の救済を掲げる道となるでしょう。より良き未来、より良き理想を追う道となるでしょう。それが善の道であろうと、悪の道であろうと同じ。この世に正義が数え切れないほどあるのと同様に。
「神を、世界を、見誤ってはなりません。真の救いは己の内側にある……」
それは焼けつくような紅い瞳。それは凍てつくような蒼い瞳。ユーリスは先生の、どこか遠くを見据える
ユーリスはやっと、これは夢だと気づく。突然、小さかった自分の身体は大人のそれへと変貌し、目の前に座る先生と子供たちを見下ろしていた。そして同時に、幼くして感じていた、先生の周りに渦を巻く冷たいものの正体を見抜く。
先生がずっとずっと昔から、或いは彼女が生を受けたその瞬間から纏っていたもの。それは、何かを諦めてしまったような寂しさであった。
目が覚めた時、ユーリスはまず昨日廃病院で手に入れた紙切れを探した。彼女が本当に存在していたのか、急に自信がなくなるような心地がしたからだった。
まだ熱が引いていないのか体はひどく重く、秋の早朝に森を流れる冷気も気休めどころかより体を蝕んだ。既に起きていたリュカオンが心配そうな顔で、脇のテーブルに丁寧に畳まれたユーリスの外套から紙切れを取り出した。
・エスブイ・ゼロサンハチ。通称「ニル」。意識は覚醒したまま痛覚だけが麻痺する特殊麻酔。
・2194年に使用解禁。機能身体に支障のない怪我であれば、…………。
―――――――――
追記:…………主材料は第三都市ハイドラ、エリア75『ストリ鉱山』より採掘される鉱石・ニドライト。責任者は――。
無機質な文字で、確かに彼女の名前が書かれていた。
「夢みたいな人だった……」
彼女を見た人は、みな彼女を忘れられないと言った。善か悪かその様相は違えども、記憶から引き剥がすには度を越して強烈なものが彼女にはあった。されどどこか現実味のない、夢のような人。今は月の向こう側にいるその人。
「先生は確かに生きてたんだ。その証は、今はこんなものしかないけど……」
「……いいえ、きっとあなたと私も、その一つよ」
リュカオンは弱弱しく、けれど懐かし気に微笑んで見せた。
彼女が言う「友達」。ユーリスに似ているという人間。スコールとネメアの叔母にして、「先生」と呼ばれた薬師。
善と悪とをその身一つで背負う、矛盾の体現。
シンハ・ニルヴァーナ。それが彼女の名前だった。
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