沈まない太陽はない①
昔、両親が僕の目の前で死んだ次の日の事だ。病院のベッドで医者にこう言われた事がある。
「本当に酷い高熱だ。後少しこの病院に来るのが遅れていたら、君は死んでいたかもしれない」
この言葉は嘘だったかもしれない。医者は、両親が信号を無視してまで急いだことは正しかったと、両親の死は無駄では無かったと、僕を慰めようとしたのかもしれない。感動的な価値観を、僕に植え付けようとしたのかもしれない。
僕はその頃まだ五歳だったし、高熱も完治していなかったので、医者が噓を吐いたのかどうか分からなかった。今ではその医者の顔を思い出すこともできない。
この言葉が本当だったのか、嘘なのか、どういう意図の物か。僕は知らない。
ただ、いずれにせよ、僕は好ましくない態度を取ったと思う。
両親が僕のために死んでしまったなんてとても悲しいし、僕が、信号無視などという安全を度外視した反則によって生かされているなんて耐えられなかった。
両親の信号無視は愚かで、ただただ無意味な行為であった。そんな答えが、五歳の僕にとって一番正しくて優しい物だったのだ。
……では、今の僕にとってはどうだろう。
僕は、人を助けるために、自分の身を危険に晒して走った。これは、両親が僕にした事と全く同じ事だ。
僕は無意識に、自然に、当然のように、走った。それを愚かだと断定するのなら、いつもの僕は一体何なんだ?
違う指針が必要だ。
今までの僕は間違えていたのだ。『安全こそが幸せ』というのは、間違った物差しだ。五歳の僕が現実逃避するために作った紛い物だ。
では、元々僕はどんな物差しを持っていた?
分からない。思い出せない。ただ、その物差しにおいて、両親が自分のために死ぬのはとても辛い事であるという事は確かだ。だから五歳の僕は耐えられなかった。
そしてそれは、おそらく『命を賭けてでも人助けを行うべき』とか、そういうお人好しな物ではない。あるはずがない。
もっと独り善がりな、独善的な物だったはずだ。
両親の顔を思い出す。
背中に火傷を負いながら僕を抱いて守っていた時、僕を車内から救急隊員に手渡す時、両親はどんな顔していたか。
分からない。思い出せない。
・・・・・・
次に目を開けると、木造の天井が見えた。
僕はその部屋で、ベッドに横たわっていた。カレンダーを見ると、ハリネズミと戦ったあの日から、三日経っていた。
「あ、起きたー」
側から声が聞こえる。首元を動かし、声の方向へ視線をやる。その時、背中の右側に、やすりで撫でられるような違和感を感じた。
「おはよう。石橋遥くん」
声の主は、若い女だった。見覚えがある。ギフトで駄々をこねていた客だ。その人が白衣を身にまとって、僕が横たわるベッドの隣で椅子に腰を下ろしている。
「これは、一体」
「わっはっはー。何と私は闇医者だったのだー。杉越さんから依頼があってあなたを治しましたーっと」
……何を、言っているんだ?
「はーい。噓です普通の医者です。あ、でもこの治療は私が個人的にやった事だから。あんまり他の人に言っちゃダメね。私怒られちゃう」
すると彼女は椅子から立ち上がり、側のテーブルから黒い帳簿を手に取った。手の込んだ冗談ではないなら、彼女が医者であるというのは本当らしい。
「えーっと、右足に穴が七つー、切り傷が一つー、あと軽い骨折ー。それと右肩から背骨の真ん中辺りまでにかけて
彼女が間延びした口調で僕の怪我を読んでいく。改めて自分の体を見回すと、右足が包帯でぐるぐる巻きになっていた。背中にも、ガーゼのようなごわごわとした感触と、火傷らしき痛みがある。
「背中の火傷さー、結構かっこよかったよー。こう、漢の背中って感じがしてさー。でも足の方はダメだなー。グロい。刺し傷の所なんかほとんど肉が千切れてたしー」
帳簿を捲り、怪我の写真を僕に見せる。どちらもグロかった。
「でもまあ、全部完治すると思うよー。トイレに居たってのが功を奏したねー。爆心地から窓まで直線だしー、水道がなんやかんやして火の手も比較的弱かったってー。あと、奏ちゃんがすぐに来たっていうのも大きいかなー」
「はぁ……」
間延びした口調で、色々語られる。僕は目覚めたばかりで、生返事しかできなかった。情報を処理しきれない。
「後二日ぐらいで、松葉杖込みで歩けるようになって、一週間ぐらいで普通に歩けるようになるかなー。はーい説明終わり、闇医者さん帰りまーす」
彼女は帳簿をパタンと閉じて、鞄を持ち上げて部屋から出ようとした。
「ちょ、ちょっと……」
まだ聞き足りない事が山程ある。寝起きだから、具体的な質問は思いつかなかったが、山程あるに違いない。
僕がを呼び止めようとすると、部屋のドアが開いた。彼女が開けたのではない。
ドアの前には、関ヶ原が立っていた。
「あら奏ちゃん、こんにちは」
彼女が関ヶ原を奏と呼ぶ。あいつが下の名前で呼ばれる所を見るのは、屋上以来だった。
「こんにちは、
関ヶ原が、あの時ハリネズミの家から採取した物をまとめたビニール袋を、彼女に手渡した。びじょだいら……という名前らしい。杉越が言っていたのは彼女の事だったのか。
「はーい。
関ヶ原がこの部屋を覗き込む。目が合った。
「……よう」
「そんじゃバイバーイ」
そうして、女は部屋から出ていった。代わりに、関ヶ原が入って来る。
「……おはよう」
さっきまで闇医者が座っていた椅子に、関ヶ原が座る。
「えっと……何か、助けてもらったみたいだな。その、ありがとう?」
あの時、トイレの窓に足をかけてからの記憶がない。そのせいかいまいち実感が湧かず、何か引っかかる事もあって、礼の言葉が上手く言えなかった。
「別に。あの程度なら私が居なくても助かってたでしょうよ。背中の火傷はもう少し酷くなっていたでしょうけど」
事も無さげに、関ヶ原はそう言った。どうやら彼女の中では、まだ僕に義理を通した事にはなっていないらしい。
僕は何故か、その事に対して安心感のような物を感じていた。
「ここはどこだ?」
木造の部屋を見回して、関ヶ原に問い掛ける。
「作戦会議に使ったカフェ、ギフトの二階よ。栗原さんの私室を借りてるの」
言われてみれば、この木造の雰囲気には見覚えがあった。おそらく、また杉越のコネクションで場所をもらったのだろう。
「杉越は……どうなった?」
恐る恐る、関ヶ原に質問する。すると、関ヶ原は無言でベッドの下を指差した。
ベッドの下を覗いてみる。
「やぁ」
杉越が居た。
驚きで前のめりにベッドから転げ落ちそうになったが、ふちを全力で掴み体をバタバタする事でどうにかした。
「おいおい、怪我人なんだからそんなに暴れちゃいけないよ」
そう言いながら杉越がベッドの下からずるりと這い出て立ち上がった。
「お前なぁ……」
「まぁ、君がそうやって体を張ってくれたおかげで、僕は今こうしてここに居る訳だけど」
杉越が部屋の壁にもたれる。彼にしてはわざとらしくない、自然体の仕草だった。
「あなたの無事を確認した後、私が『時計』を使って生き返らせたの」
「後もうちょっと遅ければ、契約切れで私が回収してたわよぉ」
杉越のポケットからララの声が聞こえる。契約者が死んでから契約が終了するまで、何時間かの猶予があり、その間、道具の回収は行われないらしい。
「二人共、助けてくれてありがとう。君達を頼って良かった」
僕と関ヶ原の目を見て、杉越は気持ち良くそう言い切った。口下手の僕とは大違いだ。
「……いいよ、別に。僕が勝手にやったんだ」
「私も、特に褒められるようなことはしていないわ」
そう言いつつも、僕は少し誇らしかった。
「それで、これからは」
どうするんだ。と、聞こうとした所で、関ヶ原から遮りが入った。
「石橋。その前に、私から聞きたい事が有るのだけれど」
律儀に、腕をぴんと天井に伸ばしていた。
「……なんだ?」
僕の反応を見て、関ヶ原は腕を下ろし、口を開いた。
「作戦って、なんだったの?」
僕は、一言目では質問の意図を理解することができなかった。作戦?
僕が答えあぐねていると、包帯でぐるぐる巻きの右足に、関ヶ原が乱暴に足を乗せた。右足に痛みが走る。
「痛っ」
「あなたがマンションを出る時、作戦があると言って私を部屋に残らせたじゃない。その作戦は何だったのかと聞いているのよ」
僕はそこでようやく、確かにそんな事を言ったなと思い出した。
「……忘れていたの?」
関ヶ原が踵でぐりぐりと、僕の右足に更なる負荷を掛ける。
「いや、その、あれは……」
痛みのせいで、言い訳も思いつかなかった。
「……つまり、あれは私を部屋に残すための嘘だったという訳ね?」
関ヶ原の怒りで震えた声と共に、右足の痛みが濃くなっていく。痛みをどうにか外へ逃がそうと、体が勝手にのけぞった。
杉越は黙っている。
「せ、関ヶ原、ちょっと」
ストップをかけようと、手のひらを関ヶ原に突き出す。そして体勢を戻して関ヶ原の顔を見ると、僕はぎょっとした。
彼女の眼に、ほんのうっすらとだが、涙らしき物が見えたからだ。
さっきの声の震えの正体は、怒りではなかった。
関ヶ原が、ゆっくりと僕の右足から踵を下ろした。
「命を救ってもらった恩を返さずには、私はのうのうと生きていけないと言ったでしょう」
関ヶ原が、少し震えた声で続ける。
「あなたがこれで死んでいたら、私はどうすれば良かったの」
そう言って、彼女は赤みがかった瞳で、僕を睨みつけた。
僕は、謝ろうとしたが、何かが違うと思い、やめた。
ただただ、彼女の責めるような涙目に、しばらく見つめられている事しかできないと思った。
「……もういいわ」
そうして、関ヶ原は親指の腹で目尻をなぞった。それだけで彼女の瞳はいつも通りの物に戻っていた。そして席を立ち、僕の手を取った。
「借りを返すまで、絶対にあなたの側を離れない。絶対に」
握り返す事も、振り払う事もできなかった。彼女が僕のために命を使うなんてもちろん肯定できないし、彼女の生き方を、一方的に否定できない。
真っ直ぐ見つめ返せず、視線を下に逸らすと、彼女の鎖骨に薄い切り傷ができている事に気付いた。
「お前、これどうしたんだ」
傷を指差し、関ヶ原に問い掛ける。
「あなたの治療が済んだ後、織川加奈に食料をやろうとしたら『四人目』にやられたわ」
杉越が説明を受け継ぐ。
「扉を開けるなり、突然だった。僕の時と一緒で、空中から腕がびゅんって。どうやら、あの娘に近付けさせたくない理由が有るらしい。あの娘自身も、あそこから出ようとしていなかった」
僕が眠っている間に、そんな事があったのか。
「でも、あの娘は餓死してなかったよ。食料も倉庫に放り込んどいたし、敵方には『ワープゲート』が有るから、扉を開けなくても餌は供給されるはずだ。これからも餓死はないだろう。あと、これ返すよ」
杉越は僕に『鍵』を手渡した。倉庫を開ける時に使ったようだ。
「お久しぶりです。お元気で何より」
飛び移ってきた指輪から声がする。ガガの声を聞くのも久しぶりだ。
もう一度、関ヶ原の傷を見る。おそらく鎖骨を掠ったのだろうが、あと5センチも横に居れば、確実に関ヶ原の喉笛を割いていただろう。
どうやら、ハリネズミを殺しても、この事件は終わらないらしい。
「……ん」
一つ、気にかかる。
「どうしたんだい?遥」
杉越が僕の顔を覗き込む。その表情は、いつも通りの余裕ある笑顔だった。
「僕の家は、どうなった?」
「はい」
杉越がスマホを取り出し、僕に画面を見せた。そこには203号室を中心に崩れ落ちた、僕のアパートの成れの果てが、待ち受けに設定されていた。
「運良く、住人はこの時誰も居なかったってさ。良かったね」
そもそも、あの安アパートでまともに生活しているのは僕くらいで、他の住民は居ること自体が珍しいのだが、それは黙っておくことにした。それよりも、もっと重要な事がある。
「……賠償金は?」
アパート一棟が何円かなんて、考えた事もない。
「ああ、大丈夫だよ」
そう言って杉越は僕に請求書なる物を出した。アパート一棟分と思しき金額が、記されている。
僕は青ざめた。
「
誇らしい気分が薄れた。
・・・・・・
「晩飯だよ」
このカフェのオーナー。栗原さんがトレイを三つ持って部屋に入ってきた。部屋の中に、シチューの香りが広がる。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
杉越と二人でお礼を言う。関ヶ原は僕の肩で眠っていた。手のひらはきっちりと掴まれている。
僕を助けたり杉越を生き返らせたりで、色々疲れていたのだろう。僕が意識を失っていたという事もあって、休むに休めなかったはずだ。そっとしておいてやろう。
「……一皿下げとこうか」
栗原さんが関ヶ原の寝顔を見てそう提案した。
「はい。お願いします」
「ん。じゃあその娘が起きたら呼んで」
僕と杉越の前に、シチューが乗ったトレイが置かれた。
「そこの階段降りた所がトイレ。後、ここの右の部屋が私らの部屋だから。何かあったら右ね」
栗原さんが無駄なくこの家の間取りを説明していく。……私『ら』の部屋?他に誰か住んでいるのか。
「栗原ちゃーん、まだー!?」
下の階から、栗原さんを呼ぶ声が聞こえる。あの女性客、びじょだいらとかいう医者の声だ。もう営業時間は過ぎているはずだが。
「それじゃ、お大事に」
栗原さんが、手のひらをひらひらさせて、下の階へ降りていった。
目の前に置かれたシチューを見る。インスタントラーメン以外を口にするのは久しぶりで、心なしか湯気も柔らかに感じた。
「どうして、ここに?」
杉越に問いかける。
今まで通り、杉越の家に籠城していた方が良かったのではないか。ここから公園を監視するのは難しいだろう。
僕の問いに、杉越はシチューを一口食べてから答えた。
「人の手料理が、食べたかったから」
シチューを飲み込み、満足そうだ。僕は白い目を投げかけながら次の言葉を待った。
「というのは、半分で、もう半分の理由は、栗原さんのお父さんが警察のお偉いさんなんだ。事件から匿うには、ここが最適でね。揉み消すまで、ここに居てもらうよ」
知れっとアウトローな言動が出て来る。
「まぁ、君を公的な機関に拘束しても何の意味もないからね。今の日本の警察に悪魔課なんて物はないから」
「……お前、どんな生き方して来たんだ?」
謎のコネクションや、いつから『左過時計』を所持しているのか。謎が多い。
「お、ようやく聞いてくれたねぇ。中々尋ねてくれないものだから、やきもきしたよ」
一生やきもきさせてやれば良かったかなと思う。
「と言っても、語りたい事なんてほとんどないけどね。武勇伝っていうのは、知る人だけが知っているから面白いと思うんだ、僕は」
杉越が妙な持論を述べる。僕も強いてこいつの自慢話を聞きたいとは思わない。
「という訳で、君は何が聞きたい?」
杉越が僕へ『左過時計』を突き出しながら問いかける。
「じゃあ……お前は何年前から不老不死なんだ?何歳なんだ?」
一番気になっている事を質問する。
「何歳だと思うー?」
杉越が両の頬に人差し指を突き立て、満面の笑みで首をかしげる。シチューを投げつけてやろうかと思ったがもったいないのでやめた。
「分からん。二百歳ぐらいか?」
話を進めるために適当に答える。何も言わなければ、ずっとあのムカつくポーズを続けていそうだ。
「ははは、そこまで人外的な年月を生きてはいないよ。今年で丁度、七十歳。体の年齢は十七歳のままだけどね」
七十歳……。覚悟はしていたが、やはり二つ年上では効かないようだ。なんだか一気に壁を感じる。
「引くなよ」
顔に出てしまっていたようだ。
「七十歳でも、感性は君たちとほぼ変わらないよ?なんせ同じ時代の同じ学校に通っている訳だから」
杉越が得意気に言う。
「ちなみに、栗原さんと美女平先生とは同級生なんだ。元演劇部だったんだよ、あの二人」
道理で。おそらく、不幸にもあの二人は在学中に、何らかの借りを杉越に作ってしまったのだろう。
……闇医者の方は、楽しんでやっている感じがあるけれど。
「……本当に青春を長く楽しみたいから、『左過時計』を契約したのか?」
「そうだとも。人生で一番楽しい期間だよ?それが人生で三年間しか無いなんて、寂しいじゃないか」
人生で一番楽しい期間……。杉越が言うには、僕はそのど真ん中に居るらしいが、そんな実感はなかった。
しかし、僕はともかくこいつにとっては、確かに何物にも代えがたい時間なのだろう。それはもう七十年続けても飽きないほど。
「この『時計』のためなら、四十年も安かったね」
杉越が満足気な表情で、手首の『時計』をさすった。
「……は?四十年?」
「はぁい、この『左過時計』のお値段は寿命四十年よぉ」
杉越の悪魔、ララが答える。
……道理で、そんなに強い効果を持っているわけだ。
「私の『支配鍵』なんて二年ですけどねぇ」
「ふふ、二年か。まぁ、君のちんけな『鍵』じゃ、そんな所だろうね」
杉越が馬鹿にした声を出す。
「四十年って……」
齢十七の僕からすれば、途方もない年月だ。それを払うなんて事が、普通出来るだろうか。
日本男性の平均寿命は約八十歳。さらに、十七歳の頃に契約したようだから、こいつ残りの寿命は二十年程しかないではないか。
「不老不死になれるんだから、関係無いだろう?」
いや、これはあくまで平均の話であり、最悪の場合。
「お前、契約した瞬間に死んでたかもしれないだろ」
「それは君の『鍵』も一緒だろう?」
「二年と四十年は一緒じゃないだろ……それにお前、毎日自分を戻してきた訳じゃないだろ?」
自分以外の誰か、何かを戻した経験も、彼の武勇伝にあるはずだ。
その度に、こいつは一日分、死に近付いているのだ。普通に生きる人間なら当たり前の話だが。
「ああ……それも考えると流石に十七歳じゃないな。十八歳ぐらいにはなってるね」
「という事は、次に自分以外の何かを戻した時、そのまま寿命が訪れる可能性だってあるんじゃないか」
「そうだね。僕は今ぎりぎり人生最期の日を毎日繰り返している可能性もある……でも、その時はその時だよ」
杉越がそう言うと、彼の妙に達観した雰囲気が、より強まった。
「その時はその時って……」
僕は彼の言葉を繰り返す事しかできなかった。
「ま、もう七十年生きた訳だし、十分だよ」
そう語る杉越に悲壮感は欠片も感じられない。
「長生きする理由があるんじゃないのかよ」
「おや、僕が居なくなると寂しいかい?」
杉越が悪戯っぽく笑う。
「……別に」
精一杯ぶっきらぼうに言い放ち、ベッドの背もたれに粗雑に背中を預ける。ぼふっという音と共に、ベッドが少し揺れる。背中の火傷も擦れて痛かった。全く、こいつがそんな態度なら、僕は何のためにこいつを助けたんだ。
「拗ねるなよ」
困ったような笑みが目に映る。違うと強く言い切れないのが、少し悔しかった。
「んう……」
そこで僕の肩に乗っている関ヶ原の頭が動いた。さっきの衝撃で起こしてしまったらしい。
「……おはよう」
「関ヶ原さん、おはよう」
「おはよう」
起き抜けの関ヶ原と挨拶を交わす。
「栗原さんから暖かいシチューを貰ってくるよ。ちょっと待ってて」
杉越が部屋を出て行く。階段を降りる音がした。関ヶ原と二人きりになる。
「なぁ、関ヶ原」
「ふぅ……何?」
関ヶ原が欠伸をしつつ、僕の方を向いた。
「杉越が明日死ぬって言ったら、どうする」
こいつも杉越を気に入っていると言っていたはずだ。
「どうもしないわ。どうせ私が神になれば皆天国で再会できるもの」
……ここまで浅い倫理観だと、逆に深い気がして何も言えない。
「じゃあ僕が死んでもいいんじゃないか」
「私が神になれる保証はないから。借りが残ってるあなたは駄目」
関ヶ原の握る手の力が強まる。こいつの考え方はどうも参考にならない。
……考えても仕方がない。という答えで、満足する事にした。
運ばれてから、一口も手を付けていなかったシチューを改めて口にする。
ぬるかった。
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