ハリネズミの巣②

 関ヶ原の手を取って走る。幸い、札のスピードは人間の早歩き程度。本気で走れば十分逃げ切れるはずだ。

「逃げるぞ。あの札の大群に捕まったらアウトだ。僕達二人ともに、『A』行きの札が貼られる」

 マーカー『A』の場所はおそらく、『神隠し』のアジトだ。札を貼られていた時の関ヶ原の反応を見る限り、マーカーの場所へ行く以外の行動ができない。その状態で敵のアジトに行くのは危険すぎる。着いた瞬間に殺されてもおかしくない。

「逃げるって……どこに?」

「一番近いのは……杉越の家だ。あそこに籠城する」

 スパイだどうだと考えている暇はない。無線機を点ける。

『ん?どうしたんだい遥』

 今度は繋がった。

「今からお前の家に行く!理由は説明してる時間がない。お前はエントランスですぐ開けられるように待ってろ!」

『……ふむ。了解』

 よし、後は杉越の家に向かって全力疾走するだけ……。

「石橋!」

 関ヶ原が急に立ち止まり、僕の手を引っ張った。

「曲がり角!」

 前方の曲がり角から、大量の札が洪水のようにこちらに向かって来ていた。

「……ぐっ」

 180度方向転換して、後ろの別の道へ逃げる。遠回りになるが仕方ない。

 しかし、さらに行く先々の道で札が待っている。中々思うように杉越の住むマンションへ行けない。

 右、左、右、右。連続した方向転換を余儀なくされる。まるで追い込み漁だ。

 また行く先から札がなだれ込む。

「ぐうぅっ」

 上半身を思い切り捻る。札が体のすぐそばを通る。そのまま札から体を振りちぎるように足をターンさせる。

 後ろの関ヶ原が引っ掛からないように、腕を真っ直ぐ引っ張る。無理なカーブであばら骨が折れそうに感じる。

「はぁっ、はぁっ」

 関ヶ原を握る手が重い。遅い。曲がる度に、引き千切れそうなほど腕を引っ張る。

 度重なる方向転換、全力疾走。単純な緊張。

 心臓が痛い。こんなに息を荒げたのはいつぶりだろうか。

 こんな所で、こんな所で死んでたまるか。

 もう少しだ。もう少しだけ、持ってくれ。僕の体!

「はぁっ」

 それは、肺の酸素が出尽くしたような息だった。

 一瞬、足が止まった。

 違う。僕じゃない。僕はまだ走れる。腕を引っ張られたのだ。

 関ヶ原と繋いでいた腕が。

 振り返ると、後ろで、関ヶ原が倒れていた。

 もう一度立ち上がろうとしているが、幾重にも足枷を付けているような鈍重な動きだった。

 数メートル後ろに、札の大群が来ている。

 体力の回復を待つ時間はない。

「気に、しないで」

 関ヶ原が、息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。

「逃げて」

 ……僕は何を考えてるんだ?

 こんなに走った後、人一人背負えだって?無茶だ。

 ただでさえ、足が震えていつ動かなくなるかわからない。それに、もうすぐ別の大群が来るはずだ。人を背負ったままじゃ振り切れない。

 そもそも、僕に何の義理があるというんだ?

 あいつと知り合ったのは、つい昨日だ。『神になりたい』なんてほざく、ふざけた奴だ。

 あいつが攻撃を受けてるのは半ば自業自得だ。『吸血鬼』を探そうなんて、『神隠し』を暴こうなんて危険な事に首を突っ込むから。

 僕の指にマーカーが貼り付いたのだって、あいつを助けようとしてしまったからだ。

 最初から間違っていた。早歩きですれ違うこいつを見捨てるべきだった。

 僕は普通の高校生なんだ。ただの、普通の。

 だから、こいつを助けるなんて、絶対無理だ。

 無理だ、けど。

「ああああああっ!!」

 僕は、関ヶ原を背負っていた。

「……どうして、何で」

「お前の傘に、穴開けちまったからだよ!!」

 後ろの札から逃げる。

 頭がクラクラする。足が重くて仕方ない。酸素が足りない。体中の熱で五感も思考も鈍る。駄目だ。考えろ。どうすれば助かる?

 このまま真っ直ぐ杉越のマンションに向かうか。いや、どこかで大群と当たる。

 すぐそこで曲がるか。でも、多分それじゃジリ貧だ。この足じゃ、最短距離でないと、たどり着けない。

 考えろ。この震える重い足で、どうすれば、あの札から逃げられる。

「……うっ」

 バランスを崩しかけた。背中で関ヶ原が何やら動いている。重心が取りづらい。

「っ、お前なっ」

「真っ直ぐマンションを目指して」

 関ヶ原の声が、異様にすっきり耳に入った。

「作戦があるの……私を、助けたいんでしょう?」

「っ……偉そうに!」

 強く地面を蹴る。

 少しでも、速く、速く!

 目の前に、大群が現れる。最早壁だ。ぶち当たった瞬間、僕らの体の自由は奪われる。

 でも、ここさえ、ここさえ突破できるなら。

「真っ直ぐ!」

 関ヶ原が叫ぶ。

 札の大群に突っ込んだ。

 マーカーが付いた指先に、一斉に幾数枚の札が貼り付く感触がする。

 透明な壁にぶつかったように、体が止まる。体の自由が札によって奪われる。

 けれど、それは一瞬だった。

「走って!」

 関ヶ原が僕の指先から札を毟る。体の感覚が戻る。

 一瞬止まった体を、無理矢理前へ進ませて、勢いを保つ。

「だああっ!」

 気付けば、マンションのエントランスに着いていた。

「杉越!」

「了解!」

 僕の指示通り待機していた杉越がエントランスの扉を開ける。まだゴールじゃない。杉越の部屋に到達しなければ。

「もう回復したわ。降ろして」

 僕ももう限界だ。僕はほとんど地面に落とすように関ヶ原を降ろした。

 そこで僕は気付いた。

「ぶっ」

 関ヶ原は上半身が下着姿になっていた。

 ……何となくさっきの関ヶ原の行動の予想がつく。おそらく制服でマフラーのように首の後ろを覆って、一回だけ自分への札を無効化したのだろう。

「早く!」

 半ば、二人に引きずられるようにして、エレベーターの中へ滑り込んだ。

 関ヶ原がエレベーターのボタンを連打し、扉を閉める。ちらりとエントランスに入って来る札の大群が見えた。

 杉越の部屋に向かい、駆動音が鳴る。このエレベーターの速度なら、追いつかれはしないはずだ。

「とりあえず、僕の部屋に入れば良いのかい?」

「ええ、窓も全部閉めれば、あの札は完全に無効化できるはずよ」

 関ヶ原が半裸で杉越と話す。何はともあれ、これで助かるはずだ。

 チーンと、エレベーターの音がする。最上階へ着いたようだ。

 エレベーターから出て、杉越の部屋の前まで走る。

「これで……」

「時間です」

 唐突に、後ろから声がした。

「あ……?」

「時間です」

 声の主は、ガガだった。

 すすいと、僕の手のひらから『支配鍵』を抜き取った。

「お試し期間が終了したので、契約するか否かを決定してください」

 にっこりと微笑んだ。

「ちょっと、待て。今は……」

 頭がクラクラしている。まともな判断が出来そうにない。

「おおっと!」

 隣で、杉越が何かを下に投げ捨てた。何だ、何をしている?

「しまった。鍵を落としてしまった。これでは僕の部屋に入れない」

「……はぁ?」

「おや、あれはなんだろう。札の大群のような物が僕ら目掛けて登ってくるぞ。いやはや『千と千尋の神隠し』みたいだ」

 杉越は、廊下の壁に寄りかかり、下を見ながらそう言うと、僕を見てニッコリ笑った。

 いや、僕ではなく、『僕の後ろ』を見ていた。

「契約しますか?」

 後ろの悪魔は初対面の時と同じように、張り付いたような笑顔を見せている。

「~っ!するよ!契約するからその『鍵』を寄越せ!ガガ!」



・・・・・・



 僕は杉越の部屋に転がり込んで、玄関で大の字になって寝転んでいた。

 肺の空気を新鮮で冷たい酸素に変えるために、喉がせわしなく空気を行き来させている。まだ心臓がうるさい。

「ありがとう」

 関ヶ原が玄関に腰掛けながら、荒い息のまま喋る。

「あなたが居なければ、どうなっていたか」

 関ヶ原はもう一度、ありがとう。と付け加えた。

 ……こんなに真っ直ぐ感謝されるなんて、いつぶりだろうか。とても久しく感じる。実際、久し振りなんだろう。

 軋む首を傾け、関ヶ原に目をやる。

 荒い息と共に、胸の下着が上下していた。

「……何か着ろ」

 そういうのが精一杯だった。

「脱衣所に洗い立てのジャージがあるよ。一緒にシャワーも浴びたら?」

 杉越が奥の扉を指差す。

「……お言葉に甘えさせてもらうわ」

 関ヶ原が立ち上がり、脱衣所に向かう。僕が背負ってやった分、立ち上がるぐらいの体力は残っているようだ。僕にはない。

 とはいえ、目も口も動かせない程ではない。

 杉越を目一杯睨んだ後、何から責めようかと考えていると、杉越が先に口を開いた。

「あのサイズでもブラジャーって要るんだねぇ」

 ……呆れて、体から熱が引いていくのが分かった。

 頭に思いついていた百の罵詈雑言もどこかに消えた。もう聞くべき事だけさっさと聞こう。

「……『憑き札』はお前の差し金か」

「違う。でも能力は知っていた。消費系の道具は情報が他の悪魔に流れやすいからね。そして昨日の針使いも僕の知らない人だ」

「昨日の……見てたのか」

「帰ってる途中。契約者の気配が二つあったから覗いてた。一応助けられる位置には居たよ」

 ……もしかして、ハリネズミが僕を見逃したのは、こいつの気配を察知したからか?

 援軍はハッタリのつもりが、実際に来ていたのか。

「……僕が契約者だと、いつ気が付いた」

「昨日の朝」

 ……つまり、最初からか。

「何で分かった?」

「後ろにガガさんが居たから。もっとばれにくい物に変化させておいた方がいいよ」

 杉越が扉の前に立つガガを指差した。ガガは手を振った。

「まだ査定期間として付きまとわれてるだけかとも思ったが……これですぐに気が付いたよ」

 そう言うと杉越は、ポケットからとあるストラップを取り出した。昨日の朝、こいつに見せてもらった物だ。

「……あ」

「ララが見えたという事は、そういう事だからね」

 そのストラップは、空中で波打ち、巨大化し、踊り子の格好をした女に変身した。

 ……なるほど、ばれにくい物に変化させていた訳だ。

「どうも、『ロッドフル=ララフー』よぉ。解ちゃんと契約中の、あ・く・ま」

 ララと呼ばれた踊り子がねっとりとした口調で名乗る。

「……おい。ガガ、周りに悪魔が居たら教えろって言っただろ。何で今日の朝何も言わなかった」

 僕はガガへ責める視線を向けた。

「それより先に、人前で話掛けるなって約束したじゃないですか。お忘れですか?」

「……あぁ、そうだったな。じゃあその約束は今ここで破棄する」

「了解しました」

 とらばさみのような口がにこりと微笑む。腕で目を覆う。僕はこんなポンコツと契約してしまった事を後悔した。

「ガガちゃんお久しぶりぃ」

 踊り子がガガに向けてゆっくりとだらんとした態度で手を振る。

「これはこれは、ご無沙汰しております」

 それに対し、ガガが大仰にお辞儀する。

「ご無沙汰しております……って、お前この悪魔と話した事あるのか?」

「ええ、昨日」

 昨日……?

「駄目だろう遥。悪魔は嘘も隠し事もしないのに、何の命令もせずに一人にさせちゃあ」

 ……トイレの時か。

「その時に全部教えてもらった。道具の能力も、君がまだ仮契約中である事も」

「……なんで、僕に本契約させた」

 こいつが鍵を投げ捨てた事、その後の笑顔も忘れられない。あのせいで僕がドアを開ける他なくなったのだ。

「そっちの方が面白いから」

 ああ、こんな奴だった。僕は再三思い知らされた。

「君は慎重すぎる。別の悪魔なんてそうそう見つからないだろうし、見つけても君を気に入るかどうかは分からない。ここで契約させておくべきだと思った」

 ここまで上手く行くとは思ってなかったけど。と杉越は付け加えた。体力が残っているなら殴ってやった物を。

 手のひらを見つめる。鍵が差し込まれた感覚がチリチリと残る。まぁ、無いよりかはまし……か……?

「本当にありがとうございます」

 ガガは嬉しそうだった。

「……ん、ああ、ありがとうございます」

 そこで、急に杉越が感謝した。

「……何だ。いきなり」

「栗原さんと無線で連絡してたんだ。遥。もう一度このドアを開けてくれるかな」

「……ああ」

 この鍵で閉めた物は、この鍵でしか開けられない。それは内側からでも例外ではない。

 晴れて本契約になった『鍵』をつかってドアを開く。

 そこには、カフェ『gift』の栗原さんが、虫取り網とビニール袋を持って立っていた。

「札の回収。終わったよ」

「終わったよ!」

 カフェを貸切にした時、駄々をこねていたあの客も居る。二人共、ゴム手袋をしていた。

「消さずに取れたのは、二、三枚だったけど」

 栗原さんが手のビニール袋を掲げる。ビニール袋はしっかりと閉じられており、中では先程の札が袋を出ようと舞っていた。

「二人には、僕らを追ってドアの前で固まって居るであろう札の回収を頼んでおいたんだ。そのままだと家から出られなかったからね」

「はい」

 栗原さんがきつく結んだビニール袋と、虫取り網等を杉越に渡した。

「それじゃ、もう帰っていい?」

「はい。お疲れ様です」

 そうして栗原さんと、そのお客は帰って行った。

「その、残った札はどうするの?」

 関ヶ原が、頭をタオルで拭きとりながら、ジャージ姿で現れた。

「遥、このゴム手袋をはめてくれ」

 杉越が、先程まで栗原さんが使っていたゴム手袋を僕に渡した。

 僕は上体を起こして、指示されるがままに手袋をはめた。

「そして、こう」

 杉越は僕の手に、札が舞うビニール袋を覆い被せた。

「うわあっ!」

 僕は急いでその手をビニール袋から引き抜く。しかし、マーカーが付いていた指先に、しっかり『A』と書かれた札が貼り付いている。

 ゴム手袋がすぽっと手から抜け、ドアをくぐった。

「これを追えば、『神隠し』のアジトが分かるはずだ」



・・・・・・



 街の歩道に沿い、すぅっと空を行くゴム手袋を追いかける。

 スピードは変わらず、人間の早歩き程度。走れば容易く追いつけるが、ただ歩けば引き離される。そんなスピード。

 僕らもそれに合わせて、早歩きで追いかける。今度は僕らが追いかける番だ。

 まだ4時過ぎ、街には色んな人間が歩いている。

 宙に浮くゴム手袋は、僕らがそばにいるから、遠目にはそこまで不自然には見えないはずだ。

 しかし、街を早歩きで闊歩する三人は少しだけ奇異に見えるかもしれない。そうでなくとも、自然に体が強張る。

 僕らは今、街を揺るがす『神隠し』、その正体、その根城へと早歩いているのだ。

 手の先が、少し震える。

「震えているね。全力疾走から少し時間を挟んだとは言え、早歩きは少し辛いかい?」

 杉越が見透かしたように笑う。僕の震えが、疲れから来ている物ではないと知っているのだ。

「……別に、平気だよ」

 この先を考える。怖いからと言って、考えないようにしてはいけない。怖いからこそ、考えなくてはいけない。

 先程、僕と関ヶ原に、杉越からナイフを配られた。少なくとも杉越は、交戦の可能性を考えているのだろう。

 交戦。昨日できた傷を見ながら、それの意味を考える。今度は、手のひらが抉られる程度ではすまないかもしれない。

「……そういや、さっき言ってた『消費系の道具』って何だ?」

「それを先に聞くんだね」

 杉越が困ったように笑う。……他に聞くべき事があっただろうか。あるにはあるけれど、そこまで優先して聞く物だったか?

「まぁいいや。消費系っていうのは、使用に回数制限があるタイプの『道具』さ。例えばこの『憑き札』は付箋みたいな物で、300枚しか使えない」

 そういう『道具』もあるのか。

「あのハリネズミが使ってたペンも、インクが切れたりするのか?」

「それはないと思いますよ」

 指先から、ガガの声がする。杉越のアドバイス通り、一見して悪魔が居るとバレないよう、ガガには指輪に変化していてもらう事にした。

「消費系は、他の『道具』とは違い、回収するために悪魔が就く必要がないんです。けれど、ハリネズミさんからも悪魔の気配がありましたので、彼の『道具』は消費系ではないのでしょう」

 それでは、インク切れを狙うという戦法は取れなさそうだ。まぁ、知れただけでもよしとしよう。

「さらに、消費系を商品にしている悪魔は、その商品を自在に精製できるのです」

「……つまりその分、契約のために人を探す時間が増えて、他の悪魔と交流する機会も増えて、能力が有名になりやすいって事か?」

「その通りです」

 杉越の言葉から推測に推測を重ねた推論だったが、正解だったようだ。

「分かって来ましたね。悪魔の事が」

 ……複雑な気分だ。

「『憑き札』の事だけど、追加で撃って来ないという事は、残り枚数が少ないか、もう使い切ってしまったのだろう。どちらにせよ、ほとんど無力化できたような物だ」

 杉越が口を開く。

「となると、敵はハリネズミ……と、誰か他にもう一人ぐらい居るかもしれないが、悪魔の『道具』は、基本的に多対一に向いてない」

 杉越がいつものように、何でも知っているように話す。

「ハリネズミのペンだって、接近されなければ脅威にはならない。アイスピックを使った方が強いかもしれないぐらいだ。まぁ、三人掛かりなら勝てる」

 三人掛かり。僕と杉越と、後ろの関ヶ原に目を向ける。

「頑張るわ」

 視線を受けた関ヶ原は、力なくガッツポーズを取った。いつもの真顔は少しだけ締まりがない。

 こいつも、僕より少ない体力で同じだけ全力疾走したのだ。更にシャワーも浴びていて、なんならちょっと眠いはずなのだ。

「……お前は来なくても良かったんだぞ」

 加えて、こいつは契約者ではない。戦う事はできない。……僕も似たような物だが。

「いやいや、来てもらわなければ困る。歩のない将棋は負け将棋だよ」

「……それは、遠回しに囮になれって言ってるのか」

 もしくは交換材料。

「まぁ、昨日は杉越に囮になってもらった訳だし、それに石橋は命の恩人だし。私が囮になる事に特に異論はないけれど」

 命の恩人。面と向かって言われるとなんだかむず痒い物だ。というか異論はないのか。いいのか。

「いやいや、ただの比喩だよ。そもそも、アジトが余程大きくないと、囮も何も関係ないだろうしね。ま、戦力として頼りにはしてるよ。二人より三人。だからナイフを渡したんだ」

 しかし、関ヶ原の小さな背を見ていると、やっぱり頼りない。

「なぁ、『神隠し』のアジトに行くの、明日じゃ駄目なのか?」

「駄目だね。一日も待てば、確実に逃げられてしまう。本来ならもっと急ぎたいところだ」

 杉越が一歩、宙のゴム手袋より前に出る。しかし杉越がアジトを知っている訳ではないので、すぐに手袋に先を譲った。

「……けどな」

 歩くたびに、体中に倦怠感が募る。指先に、どこからかの砂が詰められていくような感覚だ。

 僕はまだいい。男だし、防戦一方だったとはいえ、ハリネズミ相手から逃げおおせた経験だってある。

 ただ、関ヶ原はどうだろう。

「私は、石橋に着いて行くわ」

「……は?」

「命の恩人だもの。私、義理堅いわよ」

 関ヶ原はキュッと表情筋を締めて、そう言った。

「義理堅いって……」

「……念を押すようだけれど、明日になれば逃げられて、居場所が分からなくなる。『神隠し』を暴く事ができるのは今日だけだ。どうする?」

 倉庫に監禁されている、織川加奈の存在を思い出す。ハリネズミと札使いをどうにかすれば、あいつもきっと僕を犯人扱いしたりしない。

 それに、ハリネズミ達をどうにかしなければ今度は僕が殺される可能性だってある。いや、僕ら、か。

 長い目で見れば、僕らにとって最良の選択は。

「……行こう」

 震えを無理矢理押さえるように、『支配鍵』が入った手のひらを握る。

「……お、丁度いい」

 そこで、ゴム手袋がある一軒家の敷地に入って行った。

「ここがアジト、だね」

 ごく普通の一軒家だ。周りを見渡せば、ここも人気が少ない。

 夜、この家に虚ろな目で入って行く人間に、声を掛けた人間がどれだけ居ただろう。きっと、誰も居なかったのだ。

 居たとしても、きっとその人もあの札を貼られた。

「……開けるぞ」

 手袋が引っ掛かっている扉の前に立ち、手のひらから『鍵』を取り出す。

「ドアを開けたら僕が前に出る。いいね?」

「ええ」

「……了解」

 扉の錠に『鍵』を押し当てる。今までと同様に、滞りなくその扉は開いた。

 開いた所に、ゴム手袋が入って行く。この中に、マーカー『A』がある。

「行こう」

 ゴム手袋に追随するように、家の中に入って行く。靴は脱がず、土足で。

「悪魔の気配がします」

「悪魔の気配がするわぁ」

 家に入った瞬間、ガガと、杉越の悪魔、ララが同時刻に設定された目覚まし時計のように他の悪魔の存在を告げた。

「一体か?」

「ええ、一つです」

 ハリネズミと契約してる悪魔だろう。この家に、居るのだ。一層緊張感が募る。

 家の中は、静かだった。

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